(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十章 息抜き 十三

2011-05-03 20:33:30 | 新転地はお化け屋敷
「…………」
 栞さんをまるごと。そんな自分なりの思いもあって栞さんを抱き寄せたわけですが、しかしそれとはまた別の話として、頭に浮かぶことがありました。二人きりで身を寄せ合っている時は大概考えることなのですが、胸の傷跡の跡です。
 実際にそれを求めるのが僕と栞さんのどちらだと言われれば大体は栞さんなのですが、しかし僕からしても、あれはやっぱり落ち着くというか、まあ、そういう位置付けにあることなわけです。
 もちろん僕から声を掛けて栞さんに眉をしかめられるというようなことでもなく、だったら普段はどちらから求めているだとか、そんな理由で躊躇う必要はないのでしょう。しかし、というかだからというか、僕は別の理由で躊躇っているのでした。
 ――確認するまでもないことですが、栞さんの「傷跡の跡」は、デリケートな部分です。少し前までそこに大きな傷跡があったという身体的な面でも、そこに込められた思いに関する精神的な面でも。
 そして栞さんが今こうして僕に身を寄せている理由にもなっている、ついさっき高次さんがした家守さんについての話。大袈裟な反応をするほどではなかったとはいえ、あれは悲しい話だったということになるのでしょう。
 今日がどういう日であるかを考えると、ここで傷跡の跡の話を持ち出すのはちょっと違うんじゃないだろうか、なんて思ってしまったわけです。気楽ではないですしね、やっぱり。
「どうかした?」
 栞さんが胸元からこちらを見上げてきました。
 しかし今見上げたということは、逆に言えばその直前まではこちらを見てはいなかったということです。ということは、
「あれ、なんでそう思いました?」
 という話になるわけです。自分でも気付かないうちに考えていることが声に出ていた、なんてこともないでしょうし。
 それに対する栞さんの答えは、とても単純なものでした。
「なんとなく」
 つまり、理由なんて特になかったと。少なくとも自覚できるようなものは。
「でも、どうかしたでしょ?」
 理由を挙げられなかったことに照れているのか、薄く笑みを浮かべながら栞さんはそう続けてきました。この念押しがなければ、恐らく僕は「どうもしてないですよ」としらを切っていたことでしょう。
「参りました」
「あれ、参られちゃった」
 勝ち負けの話でないのは分かっていますが、負けを認めました。しらを切るのは勿体無い、なんて思わされてしまった時点で、もうどうしようもなかったのです。
「まあその、傷跡の跡が気になっちゃったんです」
「ん? それだったらそう言ってくれたら良かったのに、なんでどうかしちゃってたの?」
「いつもの考え過ぎです。情けなくなるんで、できたら詳しくは訊かないでください」
 白状したところ、即座に「何を言ってるんだこいつは?」というような顔をされてしまい、それで一気に考え直させられることになる僕なのでした。未遂ではあったものの、すぐに自分を悪者にしてしまう、というあれに繋がるような考え方ではあったのでしょう。
「何を考え過ぎちゃったのかは分からないけど、これだって『まるごと』の一部だよ。私から見たこうくんにとっても、こうくんから見た私にとっても」
「ですよねえ」
「照れていようが泣いていようが」なんてことをついさっき自分で考えたばかりなのになあ、と自分にちょっと呆れつつ、しかし一方で頷く僕を見てにっこりと微笑む栞さんに和まされもしつつ。そんなふらふらと安定しない気持ちではありながら、僕は改めて、傷跡の跡に触らせて欲しいと頼み込むのでした。

「本当は、なんとなく分からないでもないんだけどね」
「何がですか?」
「こうくんが何を考え過ぎちゃったか」
 栞さんがこちらに背を向けるようにして僕の膝の上に座り、僕は後ろから抱き付くようにして胸の傷跡の跡に触れる。初めからこうでなかったことを考えれば「いつもの」というほどの回数ではまだないでしょうが、恐らくじきにそうなるであろう体勢になったところ、栞さんが呟くようにそう言いました。
「詳しく訊かないで欲しいみたいだから、こっちからも言わないけどね」
「それはちょっと意地悪なような」
「そりゃあ、意地悪だし」
 なるほど、それなら納得です。
「それに、外れだったら恥ずかしいしね。……今の気分に自分で水を差すっていうのも、変な話だしさ」
「そうですか」
 今の気分ってどんな気分ですか、なんて意地悪返しのような質問はしないでおきました。それはそれで今の栞さんの話と同じようなことなんでしょうしね。僕だってそういう気分なんですし。
 その後暫くは、お互いに黙ったままでした。傷跡の跡に触れていることそれ自体に意味があるんだから言葉を交わす必要がない、ということなのでしょう。だったらそれはそれで穏やかな時間ということになるのでしょうが、しかしある時、ちょっとした変化がありました。
 傷跡の跡というのは、栞さんの胸の中心です。ならばそこに触れている僕の手は胸の内側からの振動、つまり心臓の鼓動を微弱ながら感じ取っているのですが、それが不意に大きくなり始めたのです。
 触れている手はそう強く押し付けているというわけではなく、更にはそれが服越しなので微弱といえばやっぱりまだ微弱なのですが、しかしそれまでのものを振動とするなら、向こう側から叩かれている、というような感じでしょうか。
「あの、こうくん」
 鼓動が大きくなったことについて声を掛けるべきか否かと思考を巡らし始めたところ、栞さんのほうから声を掛けられました。このタイミングであれば恐らく、鼓動が大きくなったことと関連する話なのでしょう。
「ふと思い付いちゃったというか……こんなこと、訊いちゃっていいのかどうか分からないんだけどさ」
「何ですか?」
 先を促すということはつまり「気にしないでください」と言ってるようなものなのですが、実際、僕はそのつもりでした。
 すると栞さん、傷跡の跡に触れている僕の手へ自分の手を重ねてから、こんな質問を。
「これがなかったら……もし私が病気になってなくて、死んじゃってなくて、幽霊じゃなかったとしたら、どうなってたんだろうなって。私とこうくん」
「それは――まあ、知り合うきっかけすらなかったでしょうしねえ。栞さん、ここに住んでないってことですし」
 答えは即座に思い付きましたが、しかしそれを言葉にするのにちょっとだけ躊躇いが生じてしまいました。とはいえ有り得ない仮定での話なので、結局はそのまま伝えてしまいましたが、すると。
「あ、いや」
 どうやら何か間違ったことを言ってしまったらしく、栞さんはやや慌てたふうにこちらを振り返るのでした。そしてその後は「あはは」と照れたような笑みを浮かべます。
「ごめん、言葉が足りなかったね。私がここに住むことと、こうくんと知り合うことは前提として、どうなってただろうなって話」
 とのことですが、そうなると話は割と込み入ったものになりそうです。
 というわけで少し考える時間を貰ってから、僕は答えました。
「好きになってたのは変わらないと思いますよ。それには関係ないといえば関係ないですし。栞さんが幽霊だってことは」
 以前にも同じことを考えたような気はしますが、幽霊だから好きになったというわけではなく、好きになった人がたまたま幽霊だったというだけの話なのです。好きになる以前から幽霊であることを知ってはいたにせよ、やっぱり。
 しかし、とはいえ。
「でもまあ、だったら今と同じように事が進んでたかって言われたら、やっぱり違ってくるんでしょうけどね」
「あはは、告白された時に喧嘩になっちゃうなんてこともなかっただろうしね」
「下手したら、告白しないまま、なんてことも有り得たかもしれませんよ? 高校の時、音無さんにそうだったみたいに」
「そうなの?」
「そうでないとは思いたいですけど、言い切れないですねえ実際」
「そっか」
 悲しくなるぐらい情けない話ではあったのですが、しかし栞さんは、どこか嬉しそうなのでした。
 そしてこちらを向いていた顔が元の方向に向き直り、また少し静かな時間が。
「……あの、栞さんが幽霊でよかったとか、そんなふうには思ってないですからね?」
 責められているわけでもないのに沈黙に焦れてしまい、そんな当たり前のことを口走ってしまいました。どう考えても、言わないほうがマシな内容です。
「私もだよ」
 向こうを向いたまま、栞さんはそう答えました。そりゃそうなんでしょう、やっぱり。
「好きになってたっていうのも、告白しないままってところも含めてね」
 それはちょっと予想外でした。好きになってたという話はともかく、告白しないままということについては。
 やや間があってから、栞さんが再びこちらを向きます。
「意外?」
「え、ええと、まあ」
 その返事を聞いた栞さんは、くすくすと笑いました。つまり僕は、笑われてしまいました。
「そりゃあ実際には、栞さんには告白できないような事情があったんですけど――それがなかったらって話だったら、そういうことには割と積極的だったんじゃないかなー、なんて思っちゃってるんですけど」
「そうなんだろうけどね、今の私は」
「今の?」
 ここまでの話からして否定されるんだろうな、なんて思っていたら肯定されてしまい、そしてそれは「今の」という条件付き。不意を打たれたせいで一瞬ながら頭が混乱してしまいましたが、混乱から回復してもあまり理解度に変化は表れませんでした。はて、今の私というのはどういう意味なのでしょうか?
「直接関係あることじゃないっていても、やっぱり、ね。幽霊になっちゃったから細かいことは気にしてられないっていうか、まあ、そんな感じにはなっちゃうよ、やっぱり」
 でしょうね、とはっきりきっぱり頷くことはできませんでしたが、しかしある程度は納得できる話でした。そりゃあ幽霊になるなんて一大事どころの話じゃないんですし、だったら何かしら自分に影響があっても不思議ではないんでしょう。
 けれどそのある程度ながら納得できる話をする際、栞さんはどこか申し訳なさそうなのでした。
「ごめんね。幽霊だから好きになったわけじゃないって言ってくれたすぐ後に、こんな話」
 ……確かに僕は、栞さんの積極的なところが好きです。もちろん他にも好きなところは多々あるわけですが、それはともかく。
 幽霊になったことが原因でそういう性格になったというなら、「幽霊だから好きになったわけじゃない」という話は、間違っているわけではないにせよいろいろと注釈が必要になったりしてしまうのでしょう。
 が、「そうではないんじゃなかろうか?」と。
「あー、清さんがしてた話ですけど」
「ん?」
「人の根っこはそうそう変わらないっていう」
「ああ」
 その時点で栞さんは僕が何を言いたいか察した様子でしたが、しかし一応、言いたいことを全部言ってしまうことにしました。
「あれは子どもと大人の話でしたけど、今の話だってそうなんじゃないですか? 今の栞さんがこういう性格なんだったら、幽霊になる前の栞さんも意外とそうだったんじゃないかなって、僕はそう思いますけど。今ほどではないにせよ」
 前もって何を言いたいか察していたからなのでしょう、それに対する栞さんの返答は素早いのでした。
「自分のことを意外と分かってないって、割とあることだもんね。こうくんだってそんなこと言ってたし」
「僕ですか?」
「怒ったら怖いところ」
「ああ」
 異論など出せる筈もなく。話の流れからして、出す必要自体がないといえばないんですけどね。
「少なくとも、そうだったらいいなとは思えるかな。こうくんに気に入ってもらえてるわけだしね、今の私は」
「まあ、実際どうかなんて確認しようがないですしね。あんまり気にし過ぎてもあれですし、それくらいが一番いいんじゃないですか?」
 我ながら物凄く分かり辛いのですが、実は今の物言いは照れ隠しだったりします。そりゃあもう、非常に非常を重ねるくらい気に入らせてもらってるわけですし。
 ……いや、よく考えたら分かり辛いほうがいいのか。隠そうとしてるわけだし。
「ごめんね」
 凄くどうでもいいことを考えていたらば、再度謝られてしまいました。
「またですか? というか、何がですか?」
 再度の謝罪とはいえ、一度目とは違う点が二つ。一つは何を謝られているか分からないこと。もう一つは、謝りながらも栞さんの顔が笑ったままであること。
「今日は気楽に過ごす筈だったのに、最後の最後で不安にさせちゃったみたいで」
「不安、ですか」
 どうでしょうか。どうだろうか。僕は今の話で、不安を感じたんだろうか? 栞さんが幽霊じゃなかったらという、今更覆りようもない仮定の話に。栞さんは、僕の何処かしらからそれを感じ取ったようだけど。
「大丈夫です。今の栞さんが好きなのは変わりませんから」
 推敲をするどころか自覚すらなく、自然と口から出た言葉はそんなものでした。
 それはつまり、大なり小なり不安を感じたということなのでしょう。その言葉だけならまだしも、栞さんを抱き締めたりしてますし、僕。
 すると栞さんは、「あはは」と小さく笑いました。
「私からしても、今の私を好きになってもらうしかないんだもんね」
 聞きようによっては、それは諦めの言葉にも聞こえたのかもしれません。けれど楽しそうな嬉しそうな、弾んだ調子だった栞さんの声からして、そうではなかったのでしょう。間違いなく。
 多分、今のこの瞬間、栞さんは諦めるどころか一つ前に進みました。そういう人なのです、この人は。
 そして僕は、この人のそういうところが好きなのです。僕の頭の中で「この人」を構成しているありとあらゆる情報の中で、最も。
 ――最後の最後で、と栞さんは言いました。気楽に過ごす一日の筈だったのに不安にさせてしまって、と。けれど僕にとってそんなものは最後でも何でもなく、ほんの一瞬の気の迷いでしかないのです。
 だってそりゃあ、不安なんて吹き飛ばされるに決まってるじゃないですか。好きな人の一番好きなところを、こうも間近に感じられたりしたら。
「よし、じゃあここからは気楽にいきましょうか」
「あれ、立ち直っちゃった?」
 栞さんが前に進めば、僕もそれに釣られて前に進めるのです。そういう人だからこそ、一緒に暮らしたいとまで思うようになったんでしょう。
 自信満々な引っ張られる側宣言というのも情けないような気はしますが、まあ、栞さんがそういう人なら僕はこういう人ですよということで。


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