(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十二章 おめでたいこと 十

2010-02-23 21:20:22 | 新転地はお化け屋敷
「的外れなことかもしれませんけど」
「うん」
「怖いような気もします。自分のお腹の中って言ってもそんなに丈夫ではないわけですし、そもそもそれ以前に、お腹の中にいること自体も」
「的外れではないと思うよ。転んだりするだけでも危ないのは確かだし、お腹の中にいること自体っていうのも、言ってみればすっごい異常事態なんだし。言葉は悪いけどね」
 仰る通りに言葉としては悪いかもしれませんが、しかし通常の事態でないのは言うまでもなく、ならばやはり異常事態なのでしょう。
「でも、『それを圧してでも』ってことにもなるよね。まさかそういう不安があるってことを知らなかったって人はいないだろうし」
「あー、そりゃそうですねえ」
 そういう話になると、当然ながら不安要素は今挙げたものだけではなくなってきます。赤ちゃんがお腹の中にいる間だけの話ではなく、産まれた後のことも考えておかなければならないからです。周辺の環境だとか、赤ちゃんとの接し方だとか、あとはお金のことだとか。椛さんも、パンの工房が危ないから柵を設けるとか、そんな話をしてましたしね。
 そいうものを全部ひっくるめて考えて、そのうえで子どもが欲しいと、まあそういう話になるわけです。今この場で僕と栞さんがちょっと語らってみただけでも。
「ちょっと訊いてみてもいい?」
「何ですか?」
「こうくんはどうかな。もし私が幽霊じゃなかったとして、子どもを作れるとして、『それを圧してでも』って思う?」
 …………。
「思わないと思います。気を遣って言ってるとか、もちろんそういうことじゃなくて」
「そうなんだ」
 栞さんはしかし、僕のそんな返事にも、傷付いたような顔はしませんでした。もしかしたらこの後に続ける話を予測されているのかもしれませんが、でも僕は、その話をします。
「今は――今のところは、栞さんが傍にいてくれるだけで満足しきってますから。もっとずっと長く一緒にいたら、その時はどうなるか分かりませんけど」
 こんなことを落ち着いて言えたのは、その相手である栞さんが落ち着いていてくれたからなのでしょう。
 その栞さんですが、「うん」とだけ短く返事をし、くすぐったそうな微笑みを浮かべながら、擦り寄るようにして僕の体にもたれかかってきました。
 耳のすぐ横から、栞さんの静かでありながら弾んだ声が。
「今の返事を嬉しく思うのは、ちょっと変だったりするのかな」
「そうだとしたら、喜んでもらえると思って言った僕の立場が危ういです」
 そんな間の抜けた答えにやや躊躇いが生じもしたのですが、それは無視することにして、栞さんの身体を抱き留めました。すると栞さんも、両腕を僕の肩越しに背中へ回してきました。
 ――栞さんが幽霊でなかったらという、仮定の話です。しかも単なる仮定ではなく、今後絶対にあり得ない仮定です。ならばその仮定に対する返答もまた、絶対にあり得ないものです。
 けれども僕と栞さんは、そのあり得ない回答から、こうして抱き合っています。
 こんなことになってしまう間というのは、まさしく「栞さんが傍にいてくれるだけで満足しきってますから」な状態なのでしょう。
「こうくん、今でもそうだもんね」
「え?」
 あまりにも自分が考えていたことの流れに乗ってくる言葉だったので、つい妙な声を上げてしまいました。が、もちろん、栞さんが僕の頭の中を覗き込んだとかいうようなことはなく、
「私が幽霊だってことを『圧してでも』、私を好きでいてくれてるでしょ?」
「――はい」
 再び妙な声を上げてしまわないよう、一度息を呑んでからの返事。
 子どもを作ることへの不安と同じく、愛する女性が幽霊であるということにも、それなりの不安は付き纏うのです。まあ、そんな不安は見付ける度に解消させてきたつもりですけど。
「だから多分、きっと、こうくんは子どもが欲しいって考えるんだと思う」
「…………」
「こうくん。私は子どもを作ることができないけど――」
 たった今僕がそうしたように、栞さんもここで一度、息を呑みました。顔が耳のすぐ横にあるので、その息を呑むコクンという音すら聞こえてきました。
「だけど、私のことを、ずっと好きでいてください」
「はい」
 返事はすぐに出てきました。しかし、その返事の後ろにある記憶がついてきました。
 栞さんはこれまで、「もし子どものことで思うことがあったら、それを押し殺してまで自分に拘る必要はない」と言っていました。
 今日も言いました。
 でも今の発言は、それの真逆です。
 子どものことで何を思っても、自分に拘ってくれという嘆願です。それと真逆のことを、今日言ったばかりなのに。
「栞さん」
「ごめん、ちょっと泣く」
 そう言った直後、栞さんは僕の肩に顔を埋め、泣き始めました。
 すすり泣きなどという程度のものではなく、肩の骨に響くほどの声を上げていました。
 久しぶりの光景でした。付き合い始めた当初、栞さんは、幸せを感じると泣いてしまう、という状況にありました。今のこの姿は、それと全く同じでした。
 ただ、姿だけでした。僕には何故か、それが嬉し泣きだというのが分かったのです。盛大に声を上げる嬉し泣きなんて、これまで一度も見たことはなかったのに。
 僕はただずっと、栞さんを抱き続けていました。
 栞さんはただずっと、僕の腕の中で泣き続けていました。
 幸せでした。
 ただそれだけでした。

 栞さんが泣きやんだ頃、どれくらい時間が経ったのだろうかと時計に目をやってみたのですが、しかし思ったほどではありませんでした。幸せな時間は長く続かないと言いますが、どうやら実際よりも長く感じてしまったようです。
「また泣いちゃったね。……でもねこうくん、今のは」
「分かってます」
 今の涙が嬉しさから来ていたというのは、分かっています。しかし僕はその分かったということを口にしなかったので、栞さんとしては、勘違いされないだろうかと心配になったのでしょう。そしてそこに思い描いたのは、やはり付き合い始めた当初の涙だったのでしょう。
 僕の返事にぱっと表情を晴れやかにする栞さんでしたが、けれどもその直後、照れ笑いのような顔に。栞さんが泣きやんだにせよ、抱き合っているのはそのままだったので、そんな表情の変遷は目と鼻の先でのことでした。
「大ごとでもない話の筈だったんだけどなあ。格好悪いね、強がりだったみたいで」
「僕はあれを強がりだとは思いませんけど、もしそうだったとしても、自覚なしに強がれるっていうのは、強いからだと思いますよ」
「あはは、そうだといいんだけどね」
 強がろうという自覚のもとに強がるというのは、そう思いさえすれば誰にでもできます。けれども、そう思わないまま無自覚に強がるというのは、ならば何をもとにしているのでしょうか? 僕には、本人の強さ以外の答えを思い付くことができませんでした。
 まあそれ以前に、今言った通り、僕はあれを強がりだとは思っていないわけですけどね。
「場面場面で気持ちに変化があるなんて、当たり前のことですよね? 常に変化のない人ってそんな、機械じゃないんですから。――だから、栞さんが大ごとでもない話だって言ったその時は、強がりじゃなくて本当に大ごとじゃあなかったんだと思いますよ」
 強がるという行為が一体何に向けられるものなのかというと、初めに思い付くのは、その時話している相手です。が、実際のところそれは二番目で、一番目は自分自身なのではないでしょうか。
 強がる、ということは自分自身がその時話題に上がっているものに弱いという認識があるということです。逆に言えば、その認識がなければ強がることはできないわけです。強弱の基準が存在しないわけですから。
 では栞さんにその認識、その基準はあったのでしょうか? 僕には、そうは思えません。
「そもそも栞さん、今泣いたのでスッキリしちゃったんじゃないですか?」
「ん? そりゃまあ、思いっきり泣かせてもらったしね」
「じゃあ、強がるどころか実際に捻じ伏せちゃってるんじゃないですか。もし栞さんが弱かったら、泣きやんだ後ももっとどんよりしてると思いますけど」
 ちなみにその「泣きやんだ後」というのは、言い換えれば今まさにこの瞬間を指しています。では、僕の目の前の顔は今、どんよりしているでしょうか?
「今更になってか弱い女の子の振りをされても、それはちょっと飲み込めませんよ」
「私らしくないってこと?」
「そういうことです」
 一度泣いただけでその後すぐに微笑むことができる人の、一体どこがどう弱いというのでしょうか。弱くないというなら、強がりを言う必要がどこにあるのでしょうか。
 栞さん本人からすれば押し付けがましい話かもしれませんが、しかし僕にとって栞さんというのは、安心してそんな話を押し付けられる人物なのです。
「そっか。じゃあ、か弱くはない女の子ってことで、これからもよろしくね」
「はい。約束もしましたからね、ずっと好きでいるって」
 そんな人物だからこそ、何があってもずっと好きでいると思えました。
 そしてそんな人物だからこそ、何があってもずっと好きでいるという約束を、迷いなく交わすことができました。
 ――今日はきっと、おめでたい日です。


2 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-02-23 21:48:58
ちょっと切ない話だった。
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Unknown (代表取り締まられ役)
2010-02-24 21:36:54
コメントありがとうございます。

しかしまあ、この二人自身は悲しんでいるというわけではないようです。
当人が気にしていないのならそれでいい――と言い退けられるほど些細な問題ではないのでしょうが、この二人だとこういう展開になってしまいますよ、というところでしょうか。

そんな二人が今回、割とごっつい約束を交わしたわけですが、さて次回からはどうなるのでしょうか?
別にどうにもならないという可能性も視野に入れつつ、引き続きお楽しみくださいませ。
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