(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十八章 家族 二

2010-11-11 20:38:38 | 新転地はお化け屋敷
 呼ばれるままにチューズデーとナタリーは成美ちゃんの膝へ登り、ジョンは大吾くんに呼ばれてその傍へ。背中を撫でられただけで気持ちよさそうにその場へ伏せってしまうジョンは、その場所が大好きなんだろう。
「しかしまあ、無邪気なものだね。悪い気がするというわけではないが、仲良しにも程があるだろう。こうして抱き抱かれしているというのは」
「抱きも抱かれも両方しているのはわたしだけだが――ふふん、しかし、邪気を持つ必要など全くないからな。ならば無邪気で結構ではないか?」
 邪気と無邪気は果たして反対の意味の言葉になるのだろうかと思いはするものの、けれど少なくとも間違った意見ではないのだろう。邪気を持つ必要がある場ではなく、無邪気になっても構わない場ではあるのだから。
「あ、じゃあ私もチューズデーさんに抱き付いてみます」
「おい、緩くしてやれよ」
 ナタリーがそう言ったところ、大吾くんが即座に反応。そうか、絞まっちゃったら大変だしね。
「ふふ、もちろんですよ。あんまり気持ち良かったら、ついついってこともあるかもしれませんけど」
「くくく、恐ろしい冗談だねナタリー君」
 でも、冗談なので大丈夫。というわけでナタリーがチューズデーに巻き付き――もとい抱き付いて、私に抱っこされた成美ちゃんに抱っこされたナタリーに抱っこされたチューズデー、という長い説明が必要な状況に。
 成美ちゃんの膝の上でナタリーとチューズデーがどうなっても、私の感覚としては何も変わらない。けど、それを成美ちゃんの肩越しに見ているだけでも、何だかいい気分になってしまう。
 ――成美ちゃん、いい匂いがするなあ。
 というようなことを不意に思ってしまったのは、いい気分になったからということなのだろうか。もしかしたらさっき成美ちゃんに言われたことが尾を引いているだけなのかもしれないけど、まあ、それについてはあまり考えないでおくことにして。
 このいい匂いのもとがどこなのかは分からないけど、恐らくは髪なんじゃないだろうかということで、成美ちゃんの後頭部に顔を押し付けてみた。ならば成美ちゃんも当然、それに気付く。
「どうした喜坂?」
「ん? いや、いい匂いだなあって。大吾くんの匂いだったりするのかな?」
 後半はもちろん冗談で、かつちょっとした意趣返しのつもりでもあった。見てみれば大吾くんがちょっと怖い顔をしていたけど、一方で成美ちゃんは、
「ははは、そうかもな」
 意趣返しであることはおろか、もしかしたら冗談だということすら気付いていないのかもしれなかった。
「確かに大吾の匂いは好きだし――ん? いや待て、喜坂もなのか? お前も大吾の匂いが好きなのか?」
 後ろから抱き付いているという状況から、振り向きと見上げる動作が半々ほど。その傾いた角度からこちらを見る成美ちゃんの表情は、純粋な疑問の色を湛えていた。
 私の返事よりも前に、大吾くんが咳払いをした。宜しくない展開だということを伝える合図なのか、それとも自分の匂いの話を、しかも成美ちゃんだけでなく私にまでということに驚いて息でも詰まらせてしまったということなのか、どっちなのかは分からない。
 しかし、それはともかく。
 成美ちゃんのこの反応からすると、私にこうくんの匂いがすると言ったのは、私が考えたような意味ではなかったということになるのだろう。好きな人とどうこうしたから身体からその人の匂いがするということではなく、好きな人ならばよく一緒にいるだろうから匂いが移るようなこともあるだろう、という程度の。まあ、どちらにせよ冗談であることに間違いはなかったんだけど。
「ごめんごめん、冗談だよ。いい匂いだっていうのは本当だけど、その中に大吾くんの匂いが混ざってるかどうかなんて、私にはちょっと分かりようもないしね」
「なんだ冗談か。ふふ、少し残念だな」
 からかって怒らせるどころか、それが冗談だったことを残念がられてしまった。
「いやおい、喜坂に匂いが好きとか言われたらどう反応すりゃいいんだよオレ」
 私が大吾くんの身体の匂いを好きだなんて言ったらちょっとした問題になるだろうし、大吾くんのこの反応もそういうことなんだろう。しかし成美ちゃんにとっては、そうでもないようだった。
「どうって、褒められたなら喜べばいいではないか。私がいま喜坂から『いい匂いがする』と言われたのと同じだろう?――おおそうだ、そういう私が言っていなかったな。喜坂、そう言ってもらえると嬉しいぞ」
 ということらしい。なるほど、言われてみれば――いや、やっぱりそう考えるのは難しいのではないだろうか。
「えーと……ご、ごめんね? 大吾くん」
「いや、うん、まあ……」
「む? おいおい、なんだその微妙そうな顔は。しかも二人して。どうして喜坂が謝った?」
 その言葉に応じて説明をするというのはかなりの度強を必要とされるような気がしたので、聞こえないふりをして引き続き成美ちゃんの後頭部に顔を押し付けておいた。
 やっぱり、いい匂いだった。

「なあ喜坂」
「ん?」
 それから暫く暇をし続け、合わせて私からチューズデーまでの四人で抱っこをし続けていたところ、大吾くんから質問があった。
「火曜日って孝一、昼までだったよな? 大学」
「あ、うん。何か用事?」
 現在の時刻は十時を少し過ぎた辺り。昼までとは言っても、まだ時間はあった。用があるというなら私が大学に行ってこうくんにそれを伝えてもいいんだけど、そういう話だろうか。
「いや、散歩の話。アイツが帰ってくるまで待った方がいいだろかなってな。まあ、昼までじゃなかったとしても昼飯食いに帰ってくるんだろうけど」
 こうくんを待ってくれるという大吾くん。でもそれはいつものことで、だったら私に質問をするまでもなくいつもそうしてくれているということになるんだけど、でもまあ、私がいたら一応訊いておくくらいのことはしたくなるのだろう、やっぱり。
 自意識過剰なのかもしれないけど、それはなんだか、嬉しかった。
 嬉しがっている間に返事が遅れたのか、私の返事よりも先にナタリーが。
「でも怒橋さん、一回だけしか行っちゃいけないってわけでもないんですし、だったら今からと日向さんが帰ってきてからの二回、散歩をするってことでもいいんじゃないですか?」
 確かにそれもそうだ、と思いはしたものの、それはただ頷いたというだけでなく、少々の驚きも混じえていた。「一日一回の散歩」というものに慣れ過ぎて、盲点になっていたのかもしれない。
「もちろんそれでもいいんだけど――行きてえってことか?」
「そうですね、今日は涼しいみたいですし。ああもちろん、そうじゃなくたっていつも楽しみにしてますけど」
「涼しいみたい」というのは風が吹いていることを言っているんだろう。そして、「いつも楽しみにしている」ということへの反応なのだろう、大吾くんがちょっとだけ顔を横に反らしていた。自分がナタリー達を好きなのもナタリー達から好かれているのもしっかり自覚しているのに、それでも大吾くんは、真っ直ぐな好意にすぐ照れてしまうのだ。
「んじゃあ行くか、そういうことなら」
 大吾くんが立ち上がると、続けてみんなも立ち上がる。大吾くんの傍にいたジョンはそのまま、四人で抱っこを重ねていた私達のほうも、一番上のチューズデーから順々に。
 そして成美ちゃんも立ち上がり、最後に私が――というところで、ある考えが頭をよぎった。
「あの、大吾くん。それに成美ちゃん」
 私が呼んだ二人は、揃って「なんだ?」とこちらを向いた。これから行う散歩のことばかりを考えているであろう二人と向き合うと、自分が言おうとしていることを後ろめたくも思えてくる。
「ええと……成美ちゃんと話したいことがあって、だから、もしよかったら……」
 私はもちろん成美ちゃんにもここに残ってもらっていいだろうか。とまでは、言えなかった。
 言えなかったが、察してはもらえたらしい。微かに笑みを浮かべながら、成美ちゃんがこう言った。
「毎日していることだし、今日は日向が帰ってきてからもう一度するという話だろう? 惜しむようなことではないさ、一度さぼるくらい」
 つまり、私の頼みを受け入れてくれるということなのだろう。
「ありがとう」
「うむ。――そういうわけだ大吾、行ってらっしゃいだな」
「おう」
 成美ちゃんと同じく特に惜しむような様子はなく、大吾くんはそのままみんなを連れて玄関へ向かっていく。そして滞りなくみんなを見送った私と成美ちゃんは、今度は向かい合うようにして、それぞれ床と座椅子に座り込んだ。
「わざわざ今言ったんだ、ただわたしと話をしたいというよりは、わたしと二人だけで、ということなのだろう?」
「うん。ありがとうね、成美ちゃん」
 お礼はさっきも言ったばかりだけど、もう一度言っておいた。形式的なものというよりは、自分はそうすべきなのだろうと思ったからだ。
 何を思って成美ちゃんと二人で話したいと思ったか。それは成美ちゃんが私の膝から立ち上がろうとし、それに際して成美ちゃんの「いい匂い」が私から離れたことに起因していた。
 成美ちゃんの匂いが自分から離れたその瞬間、私の頭に、ある人物が浮かんだ。
 成美ちゃんをさっきのように抱っこするのはままあることで、ならば成美ちゃんの匂いを嗅ぐのもそう珍しいことではないんだけど、そこからあの人の顔を思い浮かべたのは初めてだった。恐らくは、「今日私がすべきこと」がそうなった原因なのだろう。
 思い浮かべたのは、お母さんだった。
 なにも私のお母さんと同じ匂いがしたわけではない。でも私は成美ちゃんの匂いから「母親」というものを連想し、そしてそこから自分のお母さんを連想した。――という、ことなのだろう。
「それで、何の話だ?」
「えっと――」
 成美ちゃんに母親というものを見たから話をしようと持ち掛けたわけで、ならばもちろん、母親というものについての話だ。そしてそれは、これもまたもちろんのこと、私が今日考えなければならないことに関わっている。
 けれど。
 こうくんに頼らず自分一人で考えようという時に、こうくん以外の人に頼っていては意味がない。だからここは成美ちゃんに相談を持ち掛けるのではなく、ただ話を聞いて、それを情報として取り入れるだけにしておこうと思う。自分が抱えている問題については、何も語らずに。
「母親って、どんな感じなのかなって」
 その質問に対する成美ちゃんの反応には、やや遅れが。
「いきなりだな」
 それもあるだろうし、そうでなくとも質問そのものが漠然とし過ぎている。自分で尋ねておいてなんだけど、今の訊き方ですらすらと返事ができる人はそういないだろう。
「どうしてそんな話に?」
 そう尋ね返してきた成美ちゃんはしかし、不快感があるというわけではなさそうだった。幽霊は子どもを作れない。だから、そういうふうに思われてもおかしくはなかったんだけど。いくら私自身も幽霊だとはいえ。
「ええと、さっき、成美ちゃんがいい匂いだって話したでしょ? それでなんとなく――変な話だけど、お母さんの匂いだなって思っちゃって」
「ふむ。まあ確かにお母さんではあるわけだが、匂いで分かるものなのか?」
「あはは、まあ無理だと思うよ。成美ちゃんに子どもがいるって知ってたからそう思ったってだけだろうね」
「はは、まあそうだろうな」
 先入観、ということになるのだろうか。成美ちゃんが母親になった経験があると知っていたから、それに釣られて成美ちゃんの匂いを「お母さんの匂い」だと感じてしまった、という。
「しかし喜坂、わたしと二人きりで話してくれた気遣いはありがたく思うが――少なくとも大吾は、大丈夫だぞ。こういう話も」
「……そっか」
 成美ちゃんはどこか誇らしそうにそう言った。それはつまり、そういうことについて、大吾くんとちゃんと話をしたということなのだろう。「大丈夫だと思う」ではなく「大丈夫だぞ」と言い切れるのは、素直に格好良いなと思ってしまった。
 もちろん、自分だってそうならなければいけないというのは分かってはいるんだけど。
「だがまあ大丈夫かどうか以前に、男とするには厳しい内容ではあるだろうがな」
「そうだね。されたほうも驚いちゃうだろうし」
 母親ってどんな感じなのかな、という話。男の人に尋ねるというのも何かしっくりこないものがあるけど、それ以前に、母親になることができない女からそんな質問をされたら気まずいことこのうえないだろう、普通は。
 しかしそれはもちろん、各自が選んだ特別な一人を除いて、ではある。その一人とはむしろ、そういう話はしなければならないわけだし。
 軽く笑い合ってから、本題へ。
「自分の子どもって、やっぱり可愛い?」
「そりゃあもちろんだとも。やんちゃだったり気が小さかったりで性格はばらばらだったが、皆等しく可愛かったな。当然、等しく愛してもいたし」
 猫は一度に沢山の子を産む。ならば成美ちゃんもそうだったわけで、だから返事はそういうものだった。そしてそれに、「だから」と言葉を続けてくる。
「全員が無事にわたしのもとを離れたというのは、例えようもないくらいに幸せだった――あ、いや……」
 言葉で言っている以上に幸せなことだったのだろう、表情だけでそうだと分かるほどだった。けれど成美ちゃんは、宜しくない何かに気付いたような様子で語尾を濁らせた。
 その何かが何なのかは、私にも分かった。成美ちゃんが気付いて私が気付かないというほうが変ではあるのだが。
「私も大丈夫だよ、そういう話。じゃなかったら母親についてなんて、訊こうと思わないだろうし」
 私は、無事に親のもとを離れられはしなかった。そうなる前に死んでしまったからだ。
 でも、それで塞ぎこむようなことはない。「ない」よりは「もうない」と言ったほうが正しいんだろうけど、自分の死やそれ以前のことにまつわる負の感情からは、もうすっかり救い出されているのだ。
「そうか」
「うん」
 成美ちゃんは、少し笑ってくれた。少しだけではあったけど、とても優しい笑みだった。
 少し前、成美ちゃんが大吾くんを好きになる気持ちも分かる、というようなことを私は考えた。だけどその逆、つまり大吾くんが成美ちゃんを好きになるという気持ちも、それと同様に分かっていた。
 成美ちゃんは小さい。でもそれは見た目だけの話で、中身はしっかりと大人の女性なのだ。いま私が、彼女の笑みから母性というものを見出しているように。それは男の人の目に魅力的に映ることこそあれ、その逆はないのだろう。
「それで、話の続きなんだけど……例えば私のお母さん、私にはもう会えないって思ってるんだけど、会えると分かったら会いたいって思ったりするのかな」
「母親という立場としては、ということか?」
「うん」
 そう、だから、例に挙げるのは別に私のお母さんでなくてもよかった。「母親」というものの中で最も身近な人を挙げた、というだけの話だ。――成美ちゃんからすれば、そう聞こえたことだろう。
 けれど私はこの話を、自分が家に帰るかどうかということについての判断材料にしようとしている。だから本当は、たとえそれが例の一つでしかないとしても、私のお母さんを出さずにはいられなかったのだ。
「そうだなあ。会う機会があるなら会いたいとは思うが、自分から出向こうとまでは思わんかな」
 それは、意外な答えだった。質問をする側としてどうなのかとは思うけど、どうやら私は「会いたい」という返事が返ってくるものだと決め付けていたらしい。
「そう思うならわたし自身、とっくにそうしているだろうしな。会いたいと思うどころか、自分で自分のもとから送り出したんだ。今更というものだろう」
 言われてみればそれはそうなんだろう。だけど、そこまで理屈通りになるものなのだろうか?
 私には分からなかった。何も、成美ちゃんが間違っているだなんて言うつもりがあるわけではないにせよ。
「しかし喜坂、お前の母親というところを考慮するなら、また違ってくると思うぞ」
 建前としては、誰でもいい例の一つでしかなかった「私のお母さん」。けれど成美ちゃんは、建前しか知らない筈なのに、その例に拘った場合を考えていた。まさか建前の裏側に気付いたというわけではないだろうけど。
「さっきお前が言ったように、お前は親のもとを離れる前に――なんだ、幽霊になってしまったわけだ。自分のもとからお前を送り出す前にそうなってしまったのだから、わたしと同じような考えにはならんだろう、なかなか」
 ということは、どうなるのだろう。やはり私に会いたいと思ってくれるのだろうか。……いや、今のところは「成美ちゃんとは違う」でしかないのだから、私が思った通りの考えになると決まったわけではない。決め付けはよくないのだろう、やはり。
「しかもあれだ、人間の殆どは幽霊の存在を知らんからな。会えないと思っているからこそ余計に会いたいとも思う、というようなことだってあるだろうさ」
 無理だと分かっているものをこそ望む。そうか、確かにそういうこともあるのだろう。
 さっきの私の決め付けも、恐らくはそこから来たのではないだろうか? 今ではもう身をもって幽霊の存在を知っているとはいえ、そうなるまではやはり、「幽霊は存在しない」という人間の常識で生きてきたのだ、私も。ならばそれが頭にこびりついていても、不思議ではないのだろう。
「そういうところまで考慮するとなるとわたしには推測しかできんし、それもあまりあてになるものではないと思うぞ。――はは、まだ人間らしい振舞いをしきれなくて大吾に苦い顔をされることは、結構あるものでな」
 そう言って、成美ちゃんは自分を嘲った笑みを浮かべた。もちろん大吾くんは成美ちゃんに人間らしくしろと言っているわけではないし、成美ちゃんだってそれは重々承知しているんだろうけど。
「ううん、今のところだけでも聞けて良かったって思えるし。ありがとう成美ちゃん。ごめんね、いきなり変なこと訊いちゃって」
「謝られるようなことではないのだが――そうだな、抱っこしてもらった礼、ということでどうだ? 気持ちいいからな、あれは」
「抱っこのお礼? うーん、私も気持ちいいしなあ、あれ」
 しかしまあ、あまり拘るような話でもないだろう。ならば、適当な落としどころさえあればそれでいい。
「ふふ、そうか。じゃあ喜坂、散歩組が帰ってくるまでもう一回、頼んでもいいか?」
「うん。それこそ、話を聞かせてもらったお礼にね」
 ならばと成美ちゃんが座椅子から立ち上がり、私にそこへ座るよう促してくる。私は促されるままに動き、自分は座椅子に座って、膝の上には成美ちゃんを座らせた。
 抱っこするよう頼んでくるというのは、大人っぽさとは真逆の行動なのだろう。しかし不思議なことに、成美ちゃんの匂いから感じ取る「母親」の印象は、さっきよりも強くなっていた。

「ただいまー」
 暫くすると、玄関のドアが開く音とともに大吾くんの声が。
「おかえりー」
 ならばということで、まだ私の膝の上に座ったままな成美ちゃんが返事。
 いつもだったら成美ちゃんも一緒に行っているわけなので、一緒にただいまと言うのではなくおかえりと返すというのは、そう頻繁にはないことなのだろう。そんなふうに考えると、「ああ、一緒に暮らしてるんだな」なんて思ってしまう。もちろん、私がどう思うまでもなくその通りではあるんだけど。
 大吾くんに続いて他のみんなの「ただいま」も聞こえてきたので、そちらには私も「おかえり」と言っておいた。とは言っても、大吾くんへは意識して返事をしなかったというわけではなく、そのタイミングを逃してしまったというだけだけど。
「おや哀沢、また栞君に甘えているのかね」
「ふふん、見ての通りだ。どうだ羨ましいだろう」
「そこまでは言わんがね」
 私の膝の上に座っていることについて嫌味っぽい言い方をするチューズデーと、それに対して自慢げな物言いで返す成美ちゃん。この二人だとよくある遣り取りだ。
 しかしチューズデー、そんなことを言いはしながらもこちらへ近づいてきた。つまり今の嫌味は成美ちゃんへだけでなく自分へも向けたものだったんだろう。そこまでは言わんということは、ほんのちょっぴりくらいは羨ましいってことなんだろうし。
「あ、じゃあ私もいいですか?」
「うむ、いいぞ」
 考える必要のない質問に成美ちゃんが即座に応えて、ナタリーもということに。
 すると既に成美ちゃんの膝の上にいるチューズデーが、またも憎まれ口を。
「一番下の栞君ならともかく、どうしてお前が大きな顔をしてそんなことを言うのかね」
「そりゃあナタリーが座るのはわたしの膝の上だからな。確かに増えた分の重さは喜坂にも掛かるが――しかしそれにしたって、何も言わずに上がってきたお前も人のことは言えんだろう?」
「くくく、確かにそれもそうだね」
 チューズデーがあっさり認めて、仲の良さ故の仲が良いなりな言い合いは終結。するとその時大吾くんが、ジョンの頭を撫でながらこんなことを言い出した。
「悪いなジョン。なんかこう、オレで」
 恐らくそれは、賑やかなこちらと自分を比べての発言だったのだろう。しかしそんなことを言われながらジョンは嬉しそうにかつ気持ちよさそうに尻尾を振っていて、ならば別に、謝ることでもなければこちらと比べてどうこうという話でもないのだろう。
「哀沢、行ってやったらどうかね。寂しいそうだぞ大吾は」
「なぜそうなる。大吾が寂しがっているわけじゃないだろう? それにもしそうだとして、なぜわたしがあちらに行くという話になるんだ」
「誰か一人が行くとなったらそりゃあお前だろう。大吾の話なのだからね」
「むう……」
 誰か一人という前提がまず不必要な気もするけど、そういう突っ込みが必要な話でもないだろう。返事に詰まった成美ちゃんの横顔を後ろから覗き込みながら、様子を見守ることにしてみた。
「無理矢理にそういう話を持ち出すというなら、お前はどうなんだ。今日も恐らくあいつが来るだろうが、その時は二人きりにしてやったほうがいいか?」
 あいつ。外からのお客さんで、加えてチューズデーと二人きりというところからも考えるに、それは猫さんのことを言っているのだろう。成美ちゃんの元旦那さんの。まあ「元」とは言っても、気持ちは今でも通じているみたいだけど。
 ……成美ちゃんをお母さんとするなら、お父さん、なんだよなあ。猫さん。
「それこそ、なぜそうなる、というやつだね。二人きりなんて話はしていないはずだが。それにまあ、折角の申し出だがわざわざそうしてもらう気はないよ」
「そうか」
「ああ。お前だってそのほうがいいだろう? もちろんそれが理由で断ったというわけではないが、結果としてはね」
「ははは、それが理由だったら小突いてやるところだ」
 そのほうがいいだろう、という質問には何も言わないまま、成美ちゃんは笑ってみせた。「小突いてやる」というほうの気持ちも表れてか、どこかわざとらしい笑い方ではあったけど、少なくともチューズデーの見立ては間違っていないということなのだろう。
「え、なんでそうなるんですか?」
 首を傾げたのはナタリーだった。どこからどこまでが首なのかは分からないけど、それはともかく成美ちゃんがチューズデーを小突く理由が分からないらしかった。
 すると成美ちゃんは、ふふんと鼻を鳴らしてからそれに答えた。
「舐めてくれるなということだ。そんな気遣いをされるような浅い関係ではないからな、わたしとあいつは」
「くくく、どちらかといえばわたしのほうこそ浅いわけだしね」
「うーん、相変わらず難しいです……」


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