(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十六章 日向家 一

2012-02-05 20:46:07 | 新転地はお化け屋敷
 こんにちは。204号室住人、日向孝一です。
 こんにちはと言っておきながら目の前では、というにはちょっと位置が低い膝元では、おやすみなさいな人がいたりするわけですが。
「…………」
 見下ろしたその人はとても気持ちよさそうに眠りこんでおり、どうやらこれは、数十分程度の昼寝では済まなそうだな、と。
 その顔を眺めているだけでも暇はしません。むしろ出来るだけ長くこうしていたい。――なんてふうにも思わないではないのですが、しかしもちろんそれは今この時点でそう思っているだけであって、本当に長くなってきたらそうも言ってられないのでしょう。まず間違いなく足が痺れるでしょうし、喉が渇いたりトイレに行きたくなったりもするでしょうし。
 けれどもしかし、少なくとも今のところは平気だ、ということがそれで覆るわけではありません。というわけで僕はその、僕の膝に頭を預けて眠っている人――お嫁さんであり、今日からこの部屋で一緒に暮らすことになった、日向栞――のその頭へ、ぽんと手を乗せました。こうなった時は、いつもそうしている気がします。
 今以って逆なんじゃないかなあと思いはするのですが、よくあるのです、この体勢。栞が僕に、ではなく、僕が栞に、膝枕をするというのは。ならばそりゃあ、頭くらい触りたくなりますとも。
 回数を重ねているということは、栞は枕としての僕の膝を気に入っているということなのでしょうが……ううむ、どうなんでしょうね、男の膝って。別に男らしい体格をしてるってわけではないので、あんまり「男」ってのを強調する意味はないのかもしれませんけど。
 ――というようなことを考えつつ、けれどそれだけを考えるわけではなく。むしろ逆に、膝枕に関する話のほうがおまけ的な扱いでいいんじゃないだろうか、とも。
 僕と栞は、今日からここで一緒に暮らします。
 うん、やっぱり、こっちがメインであるべきなのでしょう。
 というわけでその「ここ」、つまり今自分達がいるこの部屋を、改めて見渡してみます。
 今いる部屋は204号室の一番奥、と言うには204号室全体の広さと奥行きが足りていないような気がしますが、ともあれ居間を通らなければ入れないということで事実上の一番奥、私室です。居間に繋がるふすまも閉じてしまっているので、見渡したところで私室内しか見えません。
 で、その私室内の様子ですが、片付いていません。一応それっぽく家具が配置してあるものの、飽くまで「それっぽく」なので、統一性というかなんというか、そういうものに欠けているわけです。その机と棚の隙間もっと詰められるじゃん、みたいな。
 とはいえ、その辺りの整理は栞が起きてからすることになっています。ならば今はまあ、ということで。
 ……これはこれでいいな、と思うのです。とはいえもちろんそれは、後で整理するという前提があってのもので、ずっとこのままにしておきたいという意味での感想ではないわけですが。
 これから始まるっぽい装い、とでも言えばいいのか、今日から一緒に暮らし始めた僕と栞にお似合いだなと。まあお似合いも何も、その状況あってこそのこの装いなわけですが。
 栞の趣味である、陶器の置物。それらは本日の引っ越し作業においてこの部屋に持ち込まれたわけですが、それ以前からこの部屋にあったやたらにリアルな熊の置物は、ならば整理を始めたら本日持ちこまれた置物群の中に組み込まれるのかな、とか。
 ペア(のつもり)で買ったキリンとゾウのぬいぐるみは並べて配置されるのかな、とか。
 しょうもないことではあるのですが、そんなことをあれこれ考えてみるのは、割と楽しいのでした。
「んん……」
 それまで寝息を立てていた栞から、小さく声が上がりました。けれどそれはどうやら目が覚める前兆というわけではなく、以降もまた寝息を立て始めた彼女を見て、意味もなくほっと一息。起きて不都合があるわけじゃないんですけど、なんとなく。
 そうして視線が栞へ移ったことで、また一つ。
 今日から付けなくなったあのカチューシャ、どこに仕舞うことになるんだろうなあ、と。
 今朝目が覚めた直後に付けないことに決めた栞ですが、しかしというかだからというか、今のところカチューシャは棚の上へ無造作に置かれているだけなのでした。ただのカチューシャといえばただのカチューシャだけど、そういう扱いをする品ではないよなあ、と。
 そして――これは引っ越しやら何やらが直接関係する話ではないのですが、今の栞をじっくり眺めていると、カチューシャ以外にも頭に浮かんでくるものがあります。
 ケーキです。
 あれだけ食べたのにまだ引っ越し作業完了時用に残してるんだもんなあ、と。今こうして気持ちよく昼寝してるのだって、ケーキでお腹いっぱいになったのが要因の一つとしてあるだろうに、と。
 料理好き、ひいては食事好き(食欲を満たす、という意味からではないにせよ)である僕にとってはそれもある意味好ましいことではあるので、呆れるのではなく苦笑ぐらいで済ませておきますが。
 で、ケーキとなればもう一つ。
 もはや引っ越し作業どころか栞すら関係ない話になってしまうのですが、庄子ちゃん、あれからどうなったんでしょうか。ケーキを手土産に清明くんに会いに行きましたけど、上手くやってますかねえ。
 ……やって、なんて言うと庄子ちゃんに積極的な行動を期待しているみたいですけど、まあしかしそこまでは言わないでおきましょう。ここで言ったところで庄子ちゃんの耳に入るわけではなく、ならばそれが庄子ちゃんの障害になるわけでもないのですが、しかしそれでも、なんとなく。
 さて。
 いずれは喉の渇きかお手洗いか足の痛みで終えることになるだろうと思っていたこの膝枕ですが、しかしそれらは別の、予想していなかった事態で終えることになってしまいました。
 ピンポーン。
 お客さんです。
 ……いや、予想していなかった、なんて大袈裟に言うようなことではなく、単に僕の発想力が足りてなかっただけなんですけどね。
 せっかくそのチャイム音で目が覚めていないようですし、ということで栞を起こしてしまわないようゆっくりゆっくり足を引き抜いて――よっぽど眠りが深いのか、これが成功。
 そうして栞の頭が僕の膝の代わりに落ち着いたのは、座椅子内部の鉄枠が直撃して痛そうな位置。しかしそこは新品、まだまだクッションが潰れておらずふっかふかなので、問題はなさそうでした。
「はーい」
 玄関のドアを開けたところ、そこにいたのは成美さんと大吾でした。
「忙しいところ済まんな。それに、さっき帰ったばかりだというのに」
 仰る通り、ついさっきまでここでみんな一緒にケーキを食べていたわけですが。
 しかしまあ、それについてどう思うとかは、もちろんなく。
「あー、いえ、忙しくなる前に栞が寝ちゃいまして」
「ほう? となると、あの大きなベッドでか?」
 まさかそれが本題であろう筈もなく、なのでのっけから話題が逸れてしまった、ということに。
 けれどもまあ、一応は。
「いえ、それは夜ちゃんと寝る時まで取っときたいとかで……床で、というか、僕の膝で」
 それはもちろん人に伝えるには恥ずかしい情報なのですが――僕の膝で寝ていたというのはもちろん「夜寝る時」というのも、そんなつもりはないにせよ何かしらの意図を含んでいそうで――しかしチャイム音でそれが崩れたということもあって、言ってしまえばやっかみの一種でしょうか? なんとなく、言ってしまうのでした。
「大吾、膝で寝るとはどういうことだ? 小さい時の私ならともかく、日向には狭いだろう膝は」
「膝枕だろ」
「ああ、枕か」
 そんな遣り取りが挟まれてしまったせいで、恥ずかしいだとかやっかみだとかいったものが萎れてしまったりもしましたが。
「座ったまま寝るのか横になって寝るのか少し考えてしまった」
 ……ちょくちょくあるってことなんだろうなあ。ご自身が、大吾の膝の上で。
 と、それで今度は大吾が恥ずかしそうな顔をし始めるわけですがしかし、それを振り払うかのように質問も。
「でもコイツならともかく、オマエが枕側か? 逆じゃねえか?」
「僕も思うんだけどね、そうなった時は毎回。でもまあ正直、悪くはないし」
「毎回ってほどあるのか……」
 悪くはないって言ってるのに気の毒そうな顔をされているのはどういうことでしょうか。
 いや、そりゃあ分かってますけども。
「それで、ご用件のほうは?」
 そろそろこの話題は打ち切り時だろうということでそう尋ねてみたところ、「おっと」と声を上げたのは成美さんでした。
「ははは、済まん。うむ、自転車を貸してもらいたくてな」
「ああ、どうぞどうぞ」
 お出掛けですか? というのはまあ、自転車を借りるなら当たり前です。というわけで、
「デートですか?」
 これもまた一種のやっかみなのでしょうか? それともただの戯れなのか――まあ、どちらでもいいとして。
「結婚してからデートってのもなんかアレだけどな」
「僕もそう思ったからこそこう訊いたんだけど、でも実際、どうなんだろね」
 夫婦でデート。夫婦でお出掛け。どちらがしっくりくるかと言われたら、後者のような気はするんだどねえ。
「なに? 結婚したらデートはできなくなってしまうのか?」
 成美さん、非常に驚いておられました。そしてその後、少々寂しそうにも。
 できるできないの話ではなかったんですけどねえ。
 …………。
「そんなことないですよ成美さん。素敵じゃないですか、夫婦でデート」
「そうだぞ成美! オレすっげー楽しみだし!」
 大吾、力がこもり過ぎて逆に不自然なのでした。
 しかし一方の成美さん、それでもぱっと表情を明るくさせます。
「そうだよな。すまん、わたしから言い出したことだったもので、つい心配になってしまって」
 うむ、どうせ貸すならそういう顔をしてもらえたほうが、貸す側としても気持ちがいいです。
「素敵、か。ふふ、いい言葉だな」
 復唱されるとこっちが恥ずかしい気もしましたが、しかし今思ったばかりのこともあります。喜んで頂けて何より、ということにしておきましょう。
 去り際、大吾はこちらへ小さく頭を下げるのでした。
 いい言葉、かあ。栞も言われたらそんなふうに思うのかな。――などと照れ隠しなのか欲張りなのかわからないことを考えつつ私室へ戻ってみると、しかし栞、相変わらずすやすやと。
 まあもちろん起きていて欲しかったとかそういうわけではなく、なのでそれはそれでいいのですが、問題というのも馬鹿らしくなるような問題がひとつだけ。
 下ろした時は大丈夫だったけど、頭を持ち上げて膝に乗せ直すというのは、さすがに起こしてしまうのでは? という。
 起きていて欲しかったと思うわけでない僕は一方、起こしてしまって何か不都合があるというわけでもないのですが、とはいえしかし、出来る限りはこの気持ち良さそうな睡眠の邪魔はしたくないわけです。
 だったら別に膝枕に戻らなくてもいいんじゃない?
 ……これで事が済んでしまうと分かっているのに変に悩んでしまう辺りこそが、この問題を問題として扱うのが馬鹿らしく思える一番の要因だったりするんですけどね。
 さて。
 そんなふうに考えておきながらなお一、二分ほど悩んだ僕は、けれど結局膝枕に戻るのは諦めることに。それだけ粘ったことからも分かる通り、結局のところ膝枕をする側という立場については、満更でもなく思っている僕なのでした。
 ――ともあれせっかく自由に動けるようになったということで、毛布を取り出し栞の上へ。幽霊が風邪をひくってこともないでしょうけど、それでもないよりはあったほうがいいんでしょうしね、やっぱり。
 で、あとは僕自身がどうするかです。私室において腰を落ちつけられる場所というのは、床を除けば僕の机の椅子、ベッド、そしてこの座椅子の三か所。しかし前者二つはぼーっとするのには適していないというか――ええ、つまり、僕は今暇なわけです。膝枕状態が継続していればその限りではなかった、というのは、事実でありながらも考えるだけで恥ずかしくなるくらい馬鹿っぽい感想でしたが。
 机の椅子に座るというのは、なんせ普段全くと言っていいほどそんなことをしない(学生にあるまじき発言かもしれませんが)ので、ぼーっとしようにも落ち付かないことでしょう。
 その点ベッドはいくらでも落ち付けそうですが、今度は落ち付き過ぎて寝てしまいそうですし、それに栞が言っていた「夜ちゃんと寝る時まで取っときたい」もあるので、まあせっかくなら僕もそれに乗らせてもらおうかなと。
 ということになると僕にはこの部屋において行き場がなくなってしまうわけですが、さてどうしましょうか。膝枕という理由なしに眠っている栞の傍に居続けるというのはなんとなく、なんとなーく抵抗があったので、それは却下しておきまして。
 私室に腰を下ろす場所がないなら居間のほうに移動しようかなとも思ったのですが、それを実行に移す直前、もうちょっとよさげな案を思い付くことができました。
 この問題は、「現状、暇である」という前提があってのもの。ならば要は、そこを解消してやればいいのです。
 僕は「腰を落ち着ける場所」候補から外した自分の机へ移動し、買いはしたもののなんだかんだであまり利用できていない、ある本を手に取りました。

 眠っている人には、独特の重みがあります。
 何度か膝枕というものを体験した――というか、体験させたというか――身としては、首から上の分だけとはいえその独特の重みを、同じく何度か体験しているわけです。
 独特だろうがなんだろうが重みは重み、感覚としては「重い」の一言で済んでしまうのでしょう。がしかし、不思議なことにその「重い」は、結構こちらをいい気分にさせてくれるものなのでした。
 もちろんそれは相手にもよるのでしょう。栞ならそれで済みますが、例えば大吾だったりしたら、「重いからどいてくれ」ってことになるんでしょうし。……いやもちろん、そもそも大吾に膝枕なんかしませんが。
 で。
 栞の独特の重みについては首から上の分だけですが、さっき成美さんと大吾がやってきた時、こんな話がありました。と言ってもそれは、誰かが口にしたことではないのですが――。
 大吾の膝の上で、座って寝るのか横になって寝るのか。
 重ければ重いほどいい気分、というわけでは間違いなくないのでしょうが、「どっちにせよそれってほぼ全体重ですがな」と。そりゃあ足くらいは投げ出しているのでしょうが、ともあれ、少しだけ憧れてみたり。
 だからといって栞と僕で同じことをすると、だいぶ辛いことになりそうです。もちろん栞が重いという話ではなく、互いの体格上仕方のない話として、ですが。
「だからって成美さんに頼むのも――」
 言い掛けてから、自分が如何に阿呆なことを口走ったかに悶絶する羽目になる僕なのでした。
 と、そんな折。
「孝さーん?」
 目が覚めたのでしょう、奥から栞の声が聞こえてきました。
 奥から。つまり僕は今、私室とは別の場所にいます。
 間に合わなくてもともと、間に合えばラッキー程度に思っていたのですが……どうやら間に合ったようです。
 お呼ばれついでに飲み物と、あと今はあんまり必要でないかもしれませんが少々の菓子類なんかも手にとって、僕は呼ばれた場所へ向かうことに。先日のお祝いでもらったこの菓子類、まだまだ余ってますしね。
 あとは、台所へのふすまをきちんと閉じて。
 そういえばここのふすま、どこの部屋でも開けっぱなしだよなあ。
「おはよう栞。よく寝てたねえ」
 身体に掛かった毛布をそのままに起き上がっていた栞は、半てるてる坊主スタイルなのでした。……他にもうちょっと可愛らしい表現は思い付かなかったのか僕。
「起き抜けにおやつタイム?」
 栞の目はまだ少々ぼんやりしていましたが、それでも僕が持ち込んだものはしっかり映ったのでしょう。軽く笑いながら、そんなふうに。
 笑えるということは、お腹も少しは減ったのかもしれません。まあ元の状態が元の状態ですから、あそこから少し減った程度じゃあやっぱり「お腹が減った」ということにはならないんでしょうけど。
 それはともかく、栞は引き続き笑みを浮かべて言いました。
「毛布、ありがとう。寝ぼけて自分で取ってきたんでもなければ孝さんだよね? 掛けてくれたの」
「僕じゃなかったにしても寝ぼけて自分で取ったにしても、どっちもなんか怖いね」
「まあね。……とか言って、お酒飲んでたりしたら有り得るかもしれないんだけど」
 ああそれはそうかもしれない、と即座に納得してしまうのもどうかと思いますが、とはいえそれはいいとして。
「作業が終わったらどうですか、一杯。このお菓子と一緒に貰ったお酒、まだ余ってますし」
「おお! それはナイスアイデアだよ孝さん! ケーキもあるんだし――ああ凄い、素敵!」
 想定以上に喜ばれてむしろ驚く僕なのですが、しかしまあ、それで損があるわけでもありません。むしろ歓迎すべきなのでしょう、さっきまで台所で準備していことを考えるに。
 ところで、驚きついでにもう一つ。
 成美さんの件から、栞も言われたらそんなふうに思うのかな、なんて思っていた「素敵」という言葉が、本人の口から出てきてしまいました。
 作業後に酒を頂くという案がそれほどまでにグッドなものだったと見るべきか、はたまた栞にとっては「素敵」という言葉はそれほど上等なものではなかったと見るべきか……いやまあ、あんまりあっさり出てきちゃったんで逆に認めたくないところがあるのは否定できませんが、普通に考えれば前者なんでしょうね。
「当たり前だけど、そうなっても僕はジュースだからね?」
「酔った後のお世話をしてもらわなきゃだから、そうじゃないとむしろ困っちゃうんだけどね」
 やっぱり笑いながらそう返してくる栞でしたが、しかしそれは本心ではないのでしょう。僕と一緒に酒を飲みたい、なんて話はこれまで何度か聞いてるわけですし。
 となると、今の念押しはちょっと意地悪だったかもしれません。
「気持ちよく酔えるように、精一杯努力させていただきます」
「あはは、ホストさんか何かみたい」
「……それはちょっと、自分で言うのもなんだけど、僕には似合わなくない?」
「うん」
 うんて。
「まあそもそも私、ホストってお仕事のことよく知らないけど」
 ばっさり切り捨てておきながら、しかしそんなことは何の問題にもならないとばかりににこにこし続けている栞。僕だって別にホストっぽさが欲しいなんてことを思っているわけではないので、ならばまあ気にしないでおきましょう。
「ところで孝さん、よく寝てたって、私どれくらい寝てたの?」
「今は五時半だよ」
「ふわあ」
 つまりは二時間ほどになるね。と言うまでもないようで、恥ずかしそうに掛かったままの毛布で口元を覆い隠す栞なのでした。
「ご、ごめん。さすがにそこまで長く寝るつもりはなかったんだけど」
「いやいや。作業だって別に、そんなに時間が掛かるわけじゃないだろうし」
 これからやることは要するに、家具をちょっと動かして位置を整えるだけのことです。タイムリミットを、まあ物音による近所迷惑も考えて九時くらいに設定しても、時間的な余裕はまだまだあるのでしょう。
「なんだったらもうちょっと寝とくとか」
「さすがに私はもう寝ないよ。――孝さんがってことなら、構わないけど」
 言って、毛布の間から覗く膝を意味ありげに叩いて見せる栞。
 ええ、意味ありげも何も、そのまんまの意味なんでしょうけど。
「眠気が少しでもあれば、それも良かったんだけどねえ」
 しかし眠気が少しでもあったなら、膝枕をしている時に僕もそのまま眠っていたんじゃなかろうかと。座り心地のいい新品の座椅子に座ってじっとしてたら、そりゃあ。膝枕をしていたことは――ううむ、どうなんでしょうね。関係してくるんでしょうか。
「そっかあ。ちょっと残念」
 それは本当にちょっとのようで、栞はむしろ笑っていました。ならばまあ、それで済ませておくことにしましょう。眠気云々を抜きにして膝を借りる、なんてのもアリと言えばアリなのでしょうが、そうしてじっとしていたら結局は寝てしまうかもしれませんし。
 寝てしまって問題がなければそれもまたいいのでしょうが、そういうわけでもなく。
 今の僕は、栞が台所へ近付かないよう監視しなければならない状況なのです。お腹はそれほど空いてないというのにこの部屋へ飲み物やお菓子を持ち込んだのだって、理由は栞が台所へ向かう理由を排除するためですしね。
「で、栞。どうしよっか? 起きたばっかりだけど、始める?」
「うーん」
 何を始めるかというのは、言わずもがな。しかし栞、何やら思うところありげな素振り。
「せっかくお菓子とジュース出してもらってるんだし、もうちょっとゆっくりしたいような気もするんだよねえ。これだけ寝といてこんなこと言うのもあれだけど」
「いや、それならそれで構わないよ」
 そうでもなければ「まだまだ時間に余裕がある」なんて思わないし、「なんだったらもうちょっと寝とくとか」なんて言わないし。
 というわけでそう伝えたならば、栞はその通りにくつろぎ始めます。さすがに菓子類のほうへ手が伸びることはありませんでしたが、炭酸飲料のペットボトルをプシュッと。
「孝さんも飲む?」
「あ、どうもどうも」
 自分のコップへ一杯注いだ栞は、開いたままのペットボトルの口をこちらへ向けてきます。反射的に、というほどこういう場を経験したわけではありませんが、ならばその口へ自分のコップを添えさせていただきました。
「後でお酒の相手してもらうから、今のうちにお返しをね」
 僕のコップへジュースを注ぎ終えた栞は、キャップを締めながらそんなふうに。ああなるほど、と思った僕でしたが、しかし。
「この場合も『お酌』ってことでいいのかなあ? 酒じゃなくてジュースだけど」
「飲み物の種類ってより、気持ちの問題じゃない?」
「そうなのかなあ」
 何か違うような気がしましたがしかし、それではっきり否定してしまうと今度は、どんなに気持ちを込めてようが酒じゃなければそれはお酌じゃない、ということになってしまいます。それはそれでもやもやさせられそうだったので、この件は結局未解決のままお流れに。
 お酒の席に立ち会うことが多くなれば分かってくるのかなあ、その辺り。酒の席だからってみんながみんな酒を飲むってわけじゃないだろうしなあ。苦手な人とか、その後に車を運転する予定のある人とか。
「お酒だと思い込んで飲んだら、これで酔えたりしないかな?」
 言いながら、ワインのテイスティングのようにコップを傾けたりしている栞。グラスなら中身が炭酸飲料でもなんとか絵になるんだろうけど、コップじゃねえ。
「何言い出すの急に。――なんだったら、お酒持ってくるけど?」
「いやいや、私じゃなくてね。孝さんが酔えないかなって」
「僕?」
「合法アルコール」
「それはなんか違うと思う」
 合法違法以前に、このジュースにアルコールは含まれていません。含まれてたらその時点でジュースじゃなく酒ですし。それに成分でなく思いこみで酔うとなったら法律の介在する余地自体が――と、まともに取り合うような話では、ないんでしょうけど。
「……長らくお待たせ致しております」
「へへー、ワインは待てば待つほど美味しくなるしねー」
「それってつまり、僕、その時はいきなりワインから入るってこと?」
「いやいや、例え話例え話。――でも、それも良さそうだね」
「缶チューハイとかで勘弁してください」
 飲んだことないから詳しくは知らないにしても、殆どジュースみたいなもんらしいじゃないですかあれ。その辺から始めたほうがいいと思うんですよねえ、多分。
 そしてこれまた多分、ワインって上級者っぽいイメージなんですよねえ。いやまあ、品質それ自体がピンキリだってことくらいは知ってますけど。それくらいしか知らないとも言いますけど。
「料理にお酒使う時は格好良いのになあ、孝さん」
「酔っぱらって格好良いってどういう状況なのさ逆に」
「あ、言われてみればそれもそうだね」


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