(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十二章 おめでたいこと 六

2010-01-31 20:57:44 | 新転地はお化け屋敷
 はてさて、裏庭での水遊びが後片付けも含めて終了しまして。
「また今度、機会があれば喜坂とも遊びたいな」
「うん、私も。濡れても透けない服があるかどうかだけ、ちょっと不安だけどね」
 再び大人の姿になり、濡れた服も着替えて101号室に戻ってきた成美さんは、栞さんとそんな約束を交わすのでした。
 濡れた私服ではしゃぎ合う栞さんと成美さん。見たい気がする――というか、是非にでもお傍で拝見していたいです。とは言え、ただじっと見てるだけじゃあ、さすがに変な目で見られるかもしれませんけど。……今回だってそうだったのに、なんでそう思っちゃうんでしょう?
 まあそれはさておき、成美さんが着替えて戻ってきたということは、大吾と猫さんの秘密のお話も終わっているわけです。そうでなかったら部屋に入れませんもんね、成美さん。
「…………」
 ちなみに大吾、ここへ戻ってきてから一言も口を利かないのでした。猫さんと何を話したのかは知りませんが――予想はできても知らないものは知らないんですが、いくらなんでもちょっと不自然なのでした。
 何を話したんでしょうね。
「…………」
 一方の猫さん、こちらも口を利かないのは同じですが、大吾と違って余裕がひしひしと伝わってきます。口を閉じているのではなく口を開く必要がないのだ、と言わんばかりです。そしてそれは、ごくごく普段の猫さんの様子なのでした。
 何が余裕って、成美さんの膝の上に座ってるんですもん。
 まあしかし、成美さんはそんなことを気にしません。というか、気付きません。なんたって大吾と猫さんが何の話をしたのか全く知らないわけで、ならば一方の僕が大吾の様子をおかしいと感じられるのはどういうわけかと言えば、それを知っているからという部分もあるんでしょうしね。
 もちろん、おかしいと感じているからと言ってどうするというわけでもなく、なので話は進みます。
「せーいっさんの絵、どれくらいで完成するのかねえ。帰る前に見ときたいってのはあるんだけど」
「せーさんのことだから早いとは思うけど、それでも夜ぐらいにはなるんじゃない?」
「まあそうなんだろうねえ。ちぇー」
 椛さん、残念そうなのでした。そういえば「暗くなるまでには帰る」って話でしたっけ。
「いいじゃん、あんたはずっとモデルそのものを見てたんだし。あの絵はあくまでしょーちゃんへのプレゼントなんだから」
「まあねえ。あんまり駄々捏ねるのもどうかと思うし、潔く諦めよう」
 初めからそのつもりで描き始められたならともかく、庄子ちゃんへのプレゼントだというのは後になって決められたことなのですが、しかしそういうことで納得する椛さんなのでした。
「そこまで言われるとあれだ、例えば後日にでも、完成した絵の写真を送るとかいうことも考えないではないが。確か、できるのだろう? あの――携帯電話とかいうので、そういうことが」
 椛さんが納得しても成美さんにはもやもやしたものが残ってしまったようで、あまり定かそうではない携帯電話の知識を引っ張り出してまで、そんな提案を持ちかけるのでした。
 一度納得したとはいえ、椛さんの表情に期待の色が。しかしそこへお姉さんが指摘を挟みます。
「でもなっちゃん、それじゃあ『他の人の手元に残るのは恥ずかしい』って話は? 消さない限りずっと残っちゃうよ? 写真」
「それは分かっているが、つまり、それくらいは我慢できんでもないなと今になって思ったわけだ。そもそも、わたしだけが描かれた絵でもないのだし」
 成美さんだけでなく、ウェンズデーとナタリーさんとジョンと、そして大吾と猫さんも一緒の絵。その中で恥ずかしがっていたのは成美さんだけなので、ならばその成美さんが我慢できるとなれば、もう不都合はありません。
「ありがとうなるみーん!」
 というわけで、椛さんが成美さんへおもむろに近付き、そして抱き付きました。「というわけで」で繋げるのは少々強引なような気もしますが、実際にそういう流れなんだから仕方がありません。
 ちなみに、成美さんの膝の上にいた猫さんはしっかりその場を離脱していました。離脱した先は大吾の膝の上でした。
「抵抗なく許可されるより嬉しいよー!」
「そこを嬉しがられるというのは、何か違う気もするが……」
 椛さんが言っていることも分かりますが、成美さんが言っていることもごもっとも。
 ――というのは別として、聞き取れないというほどではないにしろ、成美さんの声はもごもごとくぐもってしまっていました。何故かというと、顔がすっかり椛さんの胸に埋まってしまっていたのです。
 抱き付くからといって自然にああいう抱き方になるということもないでしょうし、となると椛さん、多分わざとなんだろうなあ。
「それにしてもなるみん、相変わらず抜群の抱き心地だねえ。おっきくなっても全然変わんないや」
 胸が成美さんの顔の高さにあるということで、椛さんの顔は成美さんの頭よりも上にあります。椛さん、成美さんの頭頂部に頬擦りしていました。
「抜群かどうかはともかく、身体が大きくなっても髪はそのままだからな。まあ、そう変わるものではないんだろうさ」
 照れ臭そうに言う成美さんですが、しかしその表情は窺えません。どうしてかというのはまあ重ねて説明はしませんけど、というわけでそれはさておき、
 身体が大きくなっても伸びたりしない成美さんの髪ですが、しかしその大きくなった身体を基準に見てみても、背中がすっかり隠れるほど。まだまだ長過ぎるくらいに長いのです。
 ならばそんな成美さんに抱き付く椛さんの両腕が感じ取るものは、髪の感触がその殆どを占めているはず。頭頂部への頬擦りがあるにしても、成美さんが確信を得ているように髪の話を持ってきたのは、そう思ったからなんじゃないでしょうか。
 しかし、ここで椛さん、成美さんの腕を取り上げました。
「そりゃもちろん髪もだけど、それだけじゃないと思うなあ。なんだいこの、自分で言うのもなんだけど、まだ若い世代なつもりのあたしが嫉妬せざるを得ない餅肌は。肌質まで小さい時のまんまじゃんか」
「いや、そこまでのことはわたし自身、把握していないのだが……。肌、と言われてもなあ」
 何かのマッサージのように腕を撫でつけられ、しかも顔は相変わらずのまま、成美さんは困惑しているようでした。
「地肌なんか出ないですしね、猫って」
 困っている妻への助け舟ということでしょうか、大吾が一言。すると成美さん、「そう、それだ」と勢いよく大吾のほうを向きました。向いたところで視界は半分くらい塞がれたままですけど。
「今の話にしても、『餅肌』というものが褒め言葉だということぐらいしか分からんのだ。褒めてもらっているのならもちろん有難いのだが、しかしどうもなあ。髪のことだったら毛並みのことと同じように受け取れるのだが」
 つまり、成美さんとしては、肌のことを褒められるより髪のことを褒められたほうが素直に喜べるということでしょうか。となるとこれは、覚えておいたほうがいい情報だったりするかもしれません。
「そんなこと言っちゃってぇ。だいごんに褒められたことだってあるでしょ? こんだけ綺麗だったらさあ」
「な、なくはないが」
「そん時は分かる分からないに関係なく嬉しいでしょ?」
「……まあ、それはもちろんそうだが」
「あんまり難しく考えないで、それくらいに思っといたほうが良いよぉ。なるみんに限ってないとは思うけど、凝りだしたら際限なくなっちゃうもん、美容って」
 分からないことに首を捻るのと難しく考えるのとでは随分差があるように思いますが、しかし思考の方向性が似ていると言えば似ているので、転じてしまうということもあるのかもしれません。
 まあ、今の時点で素晴らしいらしい肌をお持ちの成美さんが肌の美容を気にするようになるというのは、それを含めてもまだ考え難いんですけどね。
「正直よく分からんが、忠告は有難く聞き入れておくぞ。この場は素直に、褒められたことを喜んでおこう」
「うっし、じゃああと数分このままね。あーもう、悔しいくらい気持ちいいんだから」
「……喜んでおくと言った以上、断る理由はないが……」
 綺麗に乗せられてしまった――のかも、しれません。ここまでくると気の毒に思えてすらくるのでした。かと言ってその、もしも僕が成美さんの立場だったらと考えると、小指の先ほども気の毒ではなくなるんですけど。

「さーて、じゃあそろそろ帰りましょうかね」
 椛さんが成美さんに「あと数分」と言ってから数分、詳しく言うなら三分ほどが経過。成美さんから離れると同時に、椛さんはそう言いました。
「え、もうですか? まだこんな時間ですけど」
 そう返したのは栞さん。言いながら顔を向けた先にあるのはしかし、時計ではなく裏庭に面する窓でした。
 暗くなる頃には帰ると言っていた椛さんですが、まだはっきりと明るいのです。日が傾いてすらいませんでした。
「まあ、仕事があるのに無理言って出てきてる身だしねえ。――とは言いつつ、それよりも気にしてるのはお義理父さんお義理母さんに心配されることなんだけどね」
 たはは、と頭に手を当てて笑う椛さん。それはそれで楽しんでいるようでしたけど。
「そんで次は、小っちゃいお客さん達かな。一番多いのはやっぱり遊び終わった夕暮れ時だし、それに間に合わせたいんだよね」
 というような話をしている間に、椛さんの笑顔からはいやらしさが抜け出ていました。逆に言えば成美さんを抱き締めている間はずっといやらしかったということなのですが、逆には言わないでおきましょう。
「お仕事、楽しそうですねえ」
「あはは、ここのみんなにゃ負けてらんないからね。……だってさあしおりん、あたしとしおりんって年変わらないんだよ? やだよあたしだけ枯れちゃうなんて」
 椛さんと栞さんの年が変わらない!
 四捨五入で二十歳と言えなくなったくらいであるらしい家守さんが姉であることを考えれば、そうであってもなんらおかしくはありません。というか、家守さんの年齢についてすら、「そう変わらない」で通せそうにもないことはないですし。
 なのですがしかし、全く考えたことありませんでしたそんなこと。割と衝撃の事実です。
「おっ、こーいっちゃんがおぞましい表情に。やだなあもう、考えてることだだ漏れだよ?」
「あ、いや、僕は別にどうとも」
 言い繕ったところで誤魔化せるわけもないので、ならばここは開き直って具体的な年齢を訊いてみようか、とも思わないでもなかったのですが、なかなかそうもいきません。椛さんが男性だったらまだしも。
「こう見えてもあたしは、ってどう見えてるかは知らないけど、それはともかく二十三です。しおりんが幾つなのかは、まあ知ってるよねさすがに」
 栞さん、二十二です。外見で言うなら十八歳相当なんですけど、実際はお酒が飲める年齢なのです。ということで――そう変わらないどころかほぼ同じじゃないですか!
 ……蛇足ながら、何も椛さんが実年齢より老けて見えるとか、そういうことは一切ございません。しっかりと「若くて綺麗なお姉さん」です。
 しかしながら、何と言いますか、目上の人であるというイメージが強かったわけです。学校とかで言う先輩というものが近いかもしれません。
 もちろん、まだ二十歳になってもいない僕からすれば、それで間違いはないわけです。ならばどういうことなのかと言いますと、栞さんがそうではなかったのです。
 こちらも同じく僕より年上なのですが、なんせ恋人として付き合っているわけで、そんなことを気に掛けるのは栞さんがお酒を飲んでいる場面くらいなものなのです。それ以外では気にしないというか、接し方としては自分と同年代くらいの扱いをしていると思います。
 なので、目の前に栞さんと椛さんが並んだ時は、「椛さんは自分と栞さんより年上だ」とどこかで錯覚していた僕なのでした。説明終わり。
 ――いろいろと考えながらどんな顔になってしまっているのか、こちらを見遣りつつにやにやと頬を緩ませる椛さん。僕の苦し紛れの一言を期待しているように感じられたのですが、
「なんつうか、あれだな」
 そんな空気を見事に読まないでくれた男が一人。もちろん、大吾です。
「改めて年の話になると、喜坂にもさん付けしたほうがいいのかとか、そんなこと考えちまうな。オレのほうが年下なんだし」
 言われてみれば、それもそうなのでした。少し前に家守さんへの呼び捨てを取りやめた大吾ですが、ならば栞さんにも同じことが言えるはずなのです。成美さんが呼び捨てなのはまあ、いいとして。ジョンとかウェンズデーとかも――ううむ、こっちはどうなんだろう。
「えっ、いいよいいよそんなの。恥ずかしいよそれは」
「でも、例外が残ってるってのもなんか気色悪いしなあ」
「気色悪くていいよお。『喜坂さん』ってそんな……うわわわ」
 言葉の通りに恥ずかしがっている栞さんでしたが、しかしそれは喜びの裏返しとかではないようで、ならば嫌がっているのはどうやら本当のようでした。
「つったってオマエ、孝一からもさん付けされてるだろ? オレだとそんなに変か?」
 これまた、言われてみればそれもそうなのでした。先日、一度だけ呼び捨てにしてみたこともあるのですが、でも結局それっきりですし。
「それは……うーん、理屈がどうとかじゃなくて、恥ずかしいものは恥ずかしいとしか」
 まあ、確かにそういうものなのかもしれません。誰をどう呼ぶかなんて、あんまり深く考えて決めることじゃないですし。
「まあまあ大吾、そう拘らなくてもいいだろう? お前だって『君付けはやめろ』とか言っていたではないか」
 三度、言われてみればそれもそうなのでした。僕が大吾を大吾と呼ぶのは、大元は大吾から希望されてのことでしたねえそう言えば。
「拘ってるつもりはねえけど――そうだな、オレも人のこと言えねえか。じゃあ喜坂は喜坂のまんまで」
「うん。今後もそれで宜しくお願いします」
 栞さん、ほっとしたというのもあるでしょうが、それ以上に嬉しそうなのでした。
 今度ばかりは言われる前に自分で考えてみるけど、今現在の二階の住人の中で一番付き合いが長いのって、栞さんと大吾なんだよなあ。
 それを考えると、栞さんがさん付けを嫌がった理由が、恥ずかしさ以外のところからも見えてくるような気がしないでもないのでした。
「ふっふっふ、すっかり話題が変わっちゃったねえ? こういっちゃん」
「変わっちゃいましたねえ椛さん」
 上手い具合に話が逸れたと思いきや、振り切れてはいなかったようでした。
「そんで目論見通り、そのまま時間切れさ。しおりんと同じくらいの年齢なのにおばちゃんなあたしは、このまま引き揚げさせてもらっちゃうよ」
 振り切れはしませんでしたが、その中途半端な状態のまま、あちらから身を引いて下さるそうです。
 そしてもちろん、僕としては椛さんをおばちゃんなどと思った覚えはありません。ただ、そう捉えられても仕方のないようなことを思った覚えはありますが。
「もう、うちの旦那と同じ顔して、きついこと言ってくれちゃうんだから」
 きついことを思った覚えはあっても言った覚えは全くないのですが、しかし孝治さんのことを持ち出されると、何故だか自分に非があるように思わされてしまいます。
 中身が違うと分かっていても、顔(というか中身以外のほぼ全てですけど)が愛する旦那さんに似ていると、単なる他人にどうこう思われるのよりは辛い部分もあるのでしょう。
 しかしあくまで、僕は何も言ってないですけどね。
「椛さん」
 僕に代わって何か言ったのは、栞さんでした。
「わたしもおばちゃんになりますよ、そのうち」
 栞さん、にっこりと微笑みながら、その「何か」を言いました。世間話のような唐突さで切り出すには、ちょっと重大な話題だとも思いますけど。
 ということで椛さんのみならず、部屋全体の空気がびくりと震えました。
「えっ、しおりんそれって、年取るようになったってこと?」
「あ、いえ、それはまだなんですけどね。今のは決意表明みたいなもので。――昨日、決めたんです。そうしようって」
「へええ……」
 一応は相槌を打つ椛さんでしたが、その顔はぽかんとしていました。恐らくその相槌は条件反射のようなもので、栞さんが言ったことの意味は今整理している真っ最中なのでしょう。
 ところで栞さん、昨日決めたと言いました。その言葉に嘘はなく、僕がそれを伝えてもらったのも昨日のことです。
 幽霊が年を取るというのはその幽霊自身だけの話でなく、そうなる条件を満たすための相手が必要です。そのことを考えれば、「年を取ると決めた」というのは、僕がそれを伝えてもらって受け入れたその瞬間、つまりはやはり昨日のことになるのでしょう。
 ――ですが、二人で決めるその前に、栞さんがそうしようと思う必要はあるわけです。ならばそれは当然、昨日のそれよりもっと前のことにもなるわけです。
 僕が呑気にしている間にそんなことを考えてくれていたんだなと思うと、何でもいいので栞さんに触れたくなるのでした。
「だから椛さん、おばちゃんになる時は私も一緒ですよ?」
「あはは、それはそれでプレッシャーだねえ。容姿の話になった時、『年の差があるから』っていう言い訳が成り立たなくなっちゃうんだし」
「椛さんの場合、言い訳が必要になるとは思えませんけどね」
「あら、こりゃ嬉しいこと言ってくれるねえ」
 やはり、女性にとって容姿や年齢の話題は相当に重要なものなのでしょう。栞さんの告白に対する驚嘆は、いつの間にかどこかへ飛んでいってしまいました。
 とは言ってももちろん、椛さんが努めてそう振舞ってくれたという部分もあるんでしょう。
「しぃちゃん、アタシにも言っとくれ! 遠回しに綺麗ですよって言っとくれ!」
「言っとくれって楓、その言い方だけで年寄り臭いぞなんか」
「だってしぃちゃんと椛に比べて年が寄ってるのは事実だもんさ! なんだいなんだい、一番言って欲しい相手は高次さんなのに!」
「お、おお。これはすまん」
 家守さん、何やらテンションが高いようでした。そして高次さんは、相変わらず困ったような笑顔なのでした。
「ふっふっふ。よし、このまま姉貴に勝ち逃げしてやろう」
 テンションが高い家守さんに合わせたのか、わざとらしいくらいにいやらしい笑みを浮かべた椛さん、「というわけで、そろそろおいとまします」とのことでした。まあ、そうでなくとも帰るって言ってから話が長引いてるんですしね。

 さて、清さんにも声を掛けて、全員総出でお見送りです。
「おや、そんな話になっていたとは。んっふっふ、その場に居合わせられなかったのがちょっと残念ですねえ」
 というのはもちろん清さんの弁で、「そんな話」というのがどんな話かというと、栞さんの決意表明についてです。
 僕が言うのもなんですが、そういう気分になっても仕方がないような話だとは思います。が、今しているのは椛さんのお見送り。どんな内容であれ、栞さんの話題は長引きません。
「では椛さん、絵の写真は私が送るということで。申し訳ないです、実物のほうが間に合いませんで」
「いやそんな、間に合わせろってほうが無茶な話なんですし。謝られるどころか、こっちからお礼を言うべき場面ですって」
 実物でなく写真ですら知人へのプレゼントとして機能してしまう清さんの腕とそれに対する信用は、相変わらず見事です。「実物でなく写真ですら」と言いましたが、むしろ手が掛かる分写真のほうが豪華なんじゃないか、とも思えるくらいですし。無論、そう思うのは僕だけかもしれないというのは別問題として、ですけど。
 さて、清さんからの連絡も終わったところで遂にお別れ――ということには、なりませんでした。
「椛、頼みごとがあるんだが」
「頼みごと?」
 誰よりも低い視点からの声。ということで、猫さんから椛さんへ。
「無事に子どもが産まれて、それからもしその子を連れてまたここに来ることがあるようなら、その時は俺にも声を掛けてもらえると嬉しい。こういう場に立ち会ったのにその後を知らないままというのは、落ち着かないだろうからな」
「ああ、それはもちろんそうさせてもらうよ。あたしだって猫さんに知らせないままってのは落ち着かないだろうし、それになるみんも喜ぶだろうしね」
 多分、当事者以外の僕達だってそれは同じです。
 ただ、野良猫であり、普段どこにいるのか分からない猫さんに上手く連絡ができるだろうか、という問題があるにはありますけど、しかしそれくらいはどうとでもなるでしょう。猫さん、何だかんだでちょくちょくここに来てますし、そうでなくとも毎週火曜日にチューズデーさんと会うことになってるみたいですし。
 ということでそれはともかく、「……もちろん喜ぶだろうが、そこで引き合いに出すことか?」と成美さんが呆れ顔です。確かにここで成美さんを引き合いに出すことはないかもしれませんが、しかし喜ぶのが事実なのならそう言われても仕方がないような気もします。
「ふん、まあそれはいい。それよりも椛、わたしからも言っておくことがあるぞ」
「あら、何でしょうか」
「少し前にわたしを抱き締めていたが、子どもを抱く時はもっと優しく抱くようにな。下手をしたら息が詰まるぞ、あれでは」
 優しく抱くようにと仰いましたが、それは腕の力を緩めろという話ではなく、抱き方そのものを何とかしろという話なのでしょう。
 確かにあれは、赤ちゃんにとっては危険なような気がします。……まあその、授乳する時のそれと似たような位置関係ではあるんですけど。
「なるほど、注意するよ」
「うむ。わたしなんかより断然抱き心地が良いだろうが、可愛さの余りにやり過ぎないようにするんだぞ」
「うちのみんなにも伝えとくよ。ありがとう、なるみん」
 そういう点に意識が向くというのは、単に椛さんに抱き締められたからというだけでなく、自分の子どもを産んだ経験から、というのもあるのでしょう。猫の世界に「抱き締める」という行為はないだろうとは思いますが、身を寄せ合ったり何だり、似たような状況はあるでしょうしね。
 さて椛さん、成美さんへ軽く頭を下げると、栞さんのほうを向きました。
「しおりん、今度来る頃にはあたしより老けちゃってたりしてねえ?」
「あはは、そんな短期間じゃあ見て分かるほど変わらないと思いますよ? そもそも、それまでに年を取れるようになってるかも分からないですし」
「ふっふっふ、まあそこらへんは、次に来る時のお楽しみにしておきましょうかね。ああ楽しみだ楽しみだ」
「うう、何となく不安になる締め括り方だなあ」
 それが栞さんの取り越し苦労なのか、それとも椛さんが想定してのことなのかは分かりませんが、取り敢えず脅しを掛けられた形になる栞さんなのでした。
 もちろん、栞さんが年を取ることについて栞さん本人もしくは他の誰がどういう感想を持とうが、僕はどうとも思いませんけどね。思わずにいてみせますけどね。
「じゃあ姉貴、そろそろ行くね。ここにいたらいつまでも話し込んじゃうわ、やっぱり」
「キシシ、こんだけ人数が揃ってりゃあそれは仕方ないさ。――んじゃあ、またいつでもおいでね」
「うん」
 姉と柔らかに微笑み合い、そして最後にこの場の全員へ向けた別れの挨拶を残して、椛さんは車に乗り込みました。そろそろ帰ろうかと言い出してから実際に帰るまで随分と時間が掛かりましたが、今度こそ本当にお別れです。
 なんせ幸せを文字通りその身に宿していたということもあってか、そんな椛さんがいなくなったことが、ちょっとだけ寂しく感じられるのでした。


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