「えーと、出掛けるとこだったんだよね? んじゃ楓、お節介はこれくらいにして」
「さっきはともかく、アタシ今はなんもしてなかったじゃんかあ――おほん。んじゃあしぃちゃんこーちゃん、また後でね」
冗談話をする時の顔と優しい顔を見事に切り替えた家守さん、高次さんと一緒に僕達を見送ってくるのでした。
「はい」
「行ってきます」
踏み出した足が随分とご機嫌であるところを見るに、「好き過ぎて」というのはなにも、家守さんに限った話ではないようでした。ということはつまり、「好き」はともかく「過ぎて」という部分については、あながちそんなこともないのではないかと――いやまあ、今更になって確認することでもありませんけどね。
「そういえば成美ちゃん、カチューシャのこと全然気付いてなかったよね?」
「そういえばそうだったねえ。ずっと俯き気味だったから、頭の上に目が行かなかったとか?」
「あはは、かもねー」
なんて話をしながら、自転車を漕ぎ漕ぎ。なにぶん昼までには帰ると決めているのでそう遠くにも行けなければ時間を使って遊ぶような所にも行けず、そうなるといつものデパートくらいしか候補地がないわけですが、栞は特にそれを不満に思ったりはせず。
有難い話ではありますが、同時にちょっと申し訳なかったりも。
「栞、何か買って欲しいものとかある?」
「ん? あはは、あったら自分のお金で買うからいいよ」
「いや、何かプレゼントしてあげたくて。……家守さんと高次さんへの支払いもあるから、そんなに高いものは無理だけど」
申し訳なさの埋め合わせを試みるも、結局は情けない話に。そもそもプレゼントなら「何が欲しい?」じゃなくて初めから自分で買っておけよという話なのかもしれませんが、残念ながら自分のプレゼント選びのセンスには全く信用が置けないのです。
「ふふ、ありがとう。でも私、プレゼントより二人で一緒に何か買うほうが嬉しいかな。ほら、前にゾウとキリンのぬいぐるみ買った時みたいに」
「そっかあ」
でも栞がそう言うなら結局はそうしたほうがいいよなあ、とちょっぴり自分の都合のいいように考えることにしました。
「着いてから考えるよ、何買うか」
「あはは、だから一緒に考えるんだって」
「はは、そっか。そこからか」
言ったことを言った側から連続で否定されているというのに、嫌な気分は微塵もしません。
あったかいなあ、この人は。
なんて遣り取りをしているうちに、目的地に到着。さあ何を買うか、と意気込んで店内へ入ったものの、
「あ、そうだ」
「ん? もしかして、私と同じこと思った?」
呟いたところ、栞からそんな質問が。このタイミング、この場所であることを考えれば、その通り同じことを思ったのかもしれません。
目の前には、和菓子コーナーが。
「引っ越し作業を手伝ってもらうわけだから、そのお礼を準備したほうがいいかなって」
「やっぱり」
お菓子については昨日、大吾から貰ったものがたんまりあるわけですが、まさか頂いたものをそのままお礼として出すわけにもいかないでしょう。そうでなくとも、スナック菓子じゃあお礼の品として出すには間違いなく不相応ですし。
「で、どれにしよっか?」
というわけで、お金が厳しいという話があったにも関わらず、早速予定外の買い物を済ませてしまいました。そこまで悲観することでもないんでしょうけどね、必要な買い物であった以上は。
栞から財布の中身を心配されたりもしましたが、まあ何もこの一回の買い物を控えなきゃならないほどの緊急性があるわけでもありません。なんせ親の仕送りに加え、一応は自分でも稼いでいるわけですし。
……学生の一人暮らし(そういえば二人暮らしになったわけですが)という身分とはいえ、親の仕送りについては胸を張って言えるようなことではないのでしょう。けれどまあ、それが実際のところだ、ということでひとつ。
そうしてデパート中を歩き回りつつ、何を買おうかと品定めをしていたところ、栞がふと立ち止まりました。
「ん? なんかあった?」
「あ、いやいや」
声を掛けた途端、何かを否定しながら再び歩き始める栞。その視線が直前まで向いていた先には、ジュエリーショップがありました。以前、大吾が成美さんに贈ったネックレスを買った店です。
当たり前ながら「高いのは無理」なんて言わざるを得なかった今、立ち寄れるような場所ではありません。値段なんてピンキリなのでしょうが、初めから安いものしか選べないという状況では、やっぱりちょっと。
「謝るのは無しだからね?」
僕の視線を確認しながら、栞はむしろくすくすと楽しげにそう言ってきました。
けれどよくよく考えると、正式な日にちは決まってないとはいえ、四方院さん宅で結婚式を挙げる予定まであるわけです。となると近いうち、結婚指輪を買う必要もあるわけで。
……今日はもう仕方がないとして、今後は節約しないとなあ。
「孝さん、落ち込んでる?」
こちらが黙ったままだったからか、栞から再度声を掛けられます。
暇を見付けてちょっと出掛けただけとはいえデートと言えばデートなんですから、そんなことないよと――えー、とても言えませんでした。はっきり顔に出ていることが、自分でも分かっていたからです。
「バイト増やしたほうがいいのかな、とかね」
なんせ指輪を買う必要があるです。いくら節約したところで収入自体を増やさないと、そこまで手が届くのにいつまで掛かるんだって話なのでしょう。親に工面してもらうというのも……一生ものですしねえ、やっぱり。
けれどそんな僕に対し、栞はなおも楽しげなのでした。そしてその表情のまま、こんなことを。
「気付いてないのか分かってないのかは知らないけどさ」
「ん?」
「私達、家族なんだよね?」
「ええと、そりゃまあ夫婦なんだし」
「じゃあもう、私の貯金と孝さんの貯金って、合わせて一つのものになるよね。日向家の貯金ってことで」
あ。
「ふふ、自慢じゃないけどかなり溜め込んでるよ? 使い切れないだけの話だけど」
いや、しかしだからって。
「ちなみに、『それは悪いから』なんて言ったら怒るからね?」
……笑顔で言われてしまっては、「分かった」と頷くほかありませんでした。
すると栞、それまで以上に機嫌を良くしたらしく、こちらの腕に抱き付いてくるのでした。
「たまには、私の方からも助けになってあげないとね」
「たまには、かあ。助ける助けられるって言い方だと、まあそういうことになっちゃうんだろうけどね」
栞の言葉を否定はしません。でも僕は別に、栞との関係がそうも一方的なものだとは思っていませんでした。
助けるのは僕。助けられるのは栞。そこに異論はありませんがしかし、僕だって栞から貰ったものは沢山あるのです。当たり前ですが、そうでもなければ結婚を望んだりなんてしないはずなのですから。
「いつもありがとう、孝さん」
「こちらこそ」
で、その後もあちこちをうろうろと。栞のおかげでお金の問題はひとまず解消しましたが、肝心の買うものがなかなか決まりません。
そんな折、特に目的があるでもないまま辿り着いたのは家具屋。引っ越し直前という状況を鑑みるに、ここなら何かしらめぼしいものが見付かりそうな気がします。
というわけで店内に踏み込んでみますが、するとその途端、栞からこんな質問が。
「そういえば孝さんって床にお布団敷いてるけど、どうしよっか? 私だけベッドっていうのも変だろうし」
「あー、うん、気にならないわけではなかったんだけどね」
なんせそのベッドで寝る機会があったわけですしね。それはそのまま「気にしておきながら言い忘れていた理由」にも、なるわけですが。
「私もベッドを止めて床に敷いて寝るか、それとも孝さんもベッドを買うか……」
「うーん、どっちもしっくりこないかなあ。わざわざ今あるベッドを使わないってのもアレだし、だからってあの部屋に二個もベッド並べると狭そうな」
家守さんごめんなさい。ということで、いいのでしょうか?
といった感じにやや後ろめたい気分になる僕ですが、栞はそれに全く構ってこないのでした。
「となるとこれだね」
まるで初めから話の展開を定めていたような歯切れの良さとともに指差した先には、やたらにデカいベッドが。
「ダブルベッド……」
よっぽど横幅が大きい人が使わない限り、そういうことになるのでしょう。そしてもちろん僕も栞も標準サイズですから、ならばやはりダブルですこれは。
「あの部屋に合うかなあ」
「そういう違和感はどうせ最初だけだって、使い始めちゃえば。それに私の持ち物も孝さんの部屋に運び込むんだから、部屋自体の雰囲気も代わるんだし」
その言い分は、どちらもその通りなのでしょう。どうせ慣れますし、部屋自体も変わります。陶器の置物とかが持ち込まれるわけですからね。
「あ、別に今すぐ買ってって話じゃないからね? さすがに思い付きで買うにはおっきい買い物過ぎるしね、値段のじゃなく」
「買おうにも持ち合わせがね。栞だってさすがに、でしょ?」
「ええと――うん、そうだね」
当たり前に足りないのかと思ったら栞、財布を取り出し開け広げ、中身を確認してから答えるのでした。つまり、足りている可能性もあったようです。まあこのダブルベッド、見た目のデカさほど高額ってわけでもないようですが。
当然ですが幽霊は銀行を使えず、ならばカード払いなんかも当然できないわけで、だったらそりゃあ持ち合わせも多くならざるを得ないのでしょう。とはいえ今後は、僕の口座に纏めて貯金するってこともできるようになるわけですが。
なんて言いつつ、僕もクレジットカードは作ってなかったりします。ううむ、作るべきだろうか。アパート住まいの学生でも、一応は家長ってことになるんだし。
「タイミング的には丁度良かったのかもしれないけどねえ。引っ越しついでにベッド替えちゃうっていうのも」
「かもね。まあ店側に配達を頼むことになるから、そういう意味でも今日中っていうのは無理だろうし」
二人とも本日は見送りムード。
……の筈だったのですがしかし、僕の余計な念押しが駄目だったのか、栞は何やら考え始め、そして顔を上げるとこう言ってきました。
「一回帰ってお金用意して、家守さんと高次さんに車で送ってもらうっていうのは? そしたら配達頼まなくても、自分達で持って帰れるし」
……確かに可能でしょう。このダブルベッド、組み立て式らしいですし。そうじゃなかったらそもそもあの部屋に入るのかって話でもありますし。
で。
「そんなに今日がいい?」
「良ければ、是非にも」
栞の目は輝いていました。
どうやら、今日の買い物はこれになりそうです。
「じゃあ、帰る前に一応家守さんに相談してみる」
言いながら普段あまり使う機会がない携帯を取り出す僕に、「お願いします」と栞。
使わなくとも持ち歩くようにしていてよかった、と思う反面、栞が持ってないから絶対に僕の役目になっちゃうんだよなあ、とも。
別に、家守さんに電話を掛けるのが嫌だというわけではないのです。ただ今回、相談の内容が相談の内容というか――。
『ダブルベッドだってぇ!? しぃちゃんのこと呼び捨てにし始めたことといい、結婚したら急に大胆になっちゃってもう!』
ね。
『毎朝寄り添った状態で目が覚めること前提とか、ああなんて、なんっっってラブラブなんだろうか二人ったらもう!』
「いや、ダブルなんですから寄り添わなくてもいいくらいのスペースは……じゃなくてですね家守さん、こっちはこっちで言い難いことではあるんですけど、そんなもの買っちゃって大丈夫なんでしょうか? 重量というか、部屋の耐久性というか」
家守さんの話に乗せられていたらどこまで語らせられるか分かったもんじゃないので、強引に本題へ入らせてもらうことにしました。
『キシシ、その言い方からして、買うって言い出したのはしぃちゃんだね?』
「まあ、そうです。でも、こうして相談までしてる以上は僕だって」
『ああごめんごめん、要らんこと訊いちゃったかな』
別に腹を立てたりしたわけではないのですが、謝られてしまいました。
しかしともあれ、そうなってくるともう厭らしい冗談はなりを潜めます。
『さすがにダブルベッド運び込んだだけで危険なほどヤワじゃないよ、あまくに荘。違法建築レベルだよそれ』
「……すいません、こっちこそ要らんこと訊いちゃいまして」
『気にしない気にしない。万が一危険だったとしても補強工事すればいいんだし。みすみす見逃すと思うかねこーちゃん。このアタシが、ダブルベッドなんて面白そうなもの』
「ですね」
工事。いきなり大掛かりな話が出てきましたが、けれど家守さんなら、それくらい本当にしてみせるのではないでしょうか。面白がるためではなく、僕達のことを想って、ですが。
『で、いつ買うの?』
「あー、それなんですけど……」
というわけで。
「まさか今日とはねえ」
『すいません』
助手席から笑いながら言う家守さんへ、二人揃って平謝り。そりゃあ、急な話ですしね。躊躇いなくこの方法を選んでおいてぬけぬけと、なんてふうにも思わないわけでもないですが。
それにしても、ああ。僕も早いこと車の免許を取らないとなあ。
「俺も楓も暇してたし、出掛ける口実ができて丁度良かったよ」
運転席からは高次さん。家守さんも運転はできるのですが、最近はこの光景ばかり見ている気がします。
「それより、ちょっと意外だったかな。哀沢さん達が遠慮してくるなんて」
『あー……』
これまた二人揃って、苦笑い。成美さん達が何を遠慮したのかというと、この買い物に同行することを、です。
顔を合わせ辛かったということなのでしょう。成美さんとは今朝会っていますし、猫さんはまるで気にしたふうでもなかった以上、恐らくは大吾が。
うーん、やっぱり大吾にも聞こえちゃってたんだろうなあ。
「清一郎さん、お留守番するって言ってたけど、これだったら一緒に来ればよかったね。ダブルベッドって何?」
「そうですねえ」
「ワウゥ」
予定では二時ごろ到着ということになってはいるものの、もしこの買い物中に椛さん達が到着したら、ということで留守番を名乗り出た清さん。サンデーとナタリーさんとジョンは、ちょっと残念そうなのでした。お世話係の大吾も来てないわけですしね、今回は。
ところでナタリーさんとジョン、サンデーの二つめの問い掛けは見事にスルーでした。
ならばそれに答える役を引き受けるのは、
「キシシ」
そりゃまあこの人なわけです。
「サンデー、普通のベッドは見たことあるよね? しぃちゃんの部屋にある、布団の代わりに使ってるやつなんだけど」
「えーと……あ、うん。四つ足の上にお布団敷いてるやつだよね」
「そうそう、それそれ」
ということは清さんもベッドではないんだなあ、と今更ながら。
なんせ清さんの私室はいつも薄暗く、部屋に上がらせてもらってもちらりと見る程度では中がどうなってるのかよく分からないのです。居間ならともかく私室ですから、あんまりジロジロ見るっていうのも避けたいところですし。いや、頼んで断られるということもないでしょうけど。
「ダブルってことは、それが二つあるの?」
「惜しい、二つ分の大きさのベッドってこと」
サンデー、簡単な単語とはいえ英語分かるんだなあ。
などと思いはしたのですがしかし、彼の中にはそういう単語が得意そうなサタデーがいます。それにそもそも「人間の言葉が話せる」ってことは、初めから英語にも対応してるのかもしれませんしね。日本語に限る必要性はなさそうですし。
……まあそうして納得したところで、「今以って不思議な現象」としか言い表しようがないんですけどね。
で、それはともかく
「つまりぃ、二人でぇ、一緒に寝られるんだよぉ」
家守さん、ものすっごくやらしい声で言いました。
「二人で――あそっか、孝一くんと栞さん、もういっぱい大好きな関係なんだもんね」
いっぱい大好きな関係って表現は随分と新しいというか直観的というか、恥ずかしいから勘弁して欲しいなあサンデー。と、そんなふうに感じてしまうのはもちろん、直前の家守さんの台詞回しのせいなんでしょうけど。
「寝ている時でも好きな方の傍に居たいってことですか? いいですねえ、すごく気持ちよく寝られそうです」
さすがに「一緒に寝る」という話題にまでなると家守さんでなくともちょっとくらいは色っぽい話に踏み入ってしまうかと思いきや、そんな不安をよそにナタリーさん、気持ちよく寝られそう、という平和な感想。サンデーはともかく色恋の話に日頃から食い付きのいいナタリーさんだし、なんて思っていたので、良い意味での肩透かしを食らってしまいました。
そしてもちろんというか何と言うか、家守さんの肩透かされっぷりは僕以上。少々残念そうですらあるのでした。
が、少しの間の後「あ、そうか」と。
「二人で横になるとか寝るとか、そういうのが『そういう話』を連想させるのって、人間だけなのかねえ」
正直、耳にして暫くは、家守さんの言いたいことが聞き取れませんでした。が、少ししてこちらも「あ、そうか」と。心の中でだけですが。
「そういう時」に横になるのも、「そういう時」が寝るような時刻であるのも、人間の行動様式の話でしかないんですもんねえ。ナタリーさんなんて特に、平常時からして横になっているわけですから。
「となると困ったな。直接的なワードを出さないとナタリー達には伝わらないぞ」
「伝えんでいい」
変な考えを起こしそうになった家守さん、運転中の高次さんから片手でコツンと。
「あいたっ。――いや高次さん、いくらアタシでもそこまではちょっと。こっちが辛いし」
「知ってるよ、そういう話が好きな癖に恥ずかしがり屋なのは」
「ぐぬぬ」
悔しそうに呻く家守さんでしたが、叩かれた箇所を撫でる手が嬉しそうに見えたのは僕だけでしょうか。
それはともかく、名前まで出されておきながら本題とずれたところで話が決着してしまったということで、ならばナタリーさんが動きをみせました。
「何の話か分かりませんでしたけど、今ので大体見当が付きましたよ」
「ほほう、何の話だったと思うんだね? ナタリー」
尋ねて欲しそうな言い方をするナタリーさんに、ならばと応じる家守さん。けれどあまりにもあっさり口にしてしまう辺り、恐らくナタリーさんの見当は当たっていないのでしょう。
「交尾の話ですよね?」
当たっていないのは僕の見当なのでした。
「どぉっ」
家守さんが変な声を上げ、そして高次さんにも多少の動揺があったのでしょう、車が若干左右に揺れるのでした。
交尾。ええ、交尾ですとも。
「あ、あははは」
栞が笑っていたので、僕も笑い返しておきました。あはははは。
「家守さんだけじゃなくて、人間ってみんな恥ずかしがり屋さんだよねえ。大好きだったら、当たり前のことなのに」
「でもサンデーさん、そこが人間のいいところ、なんですよね?」
「うん。僕もみんなもそう思ってるよ。二つ分の大きさのベッドかあ、一つ分のよりもっとふわふわなのかなあ」
実に平静なまま言い終えると、ジョンに寄り添い始めるサンデー。ふわふわ、ということなのでしょう。
人間と他の動物の違いという話であることには、間違いありません。けれどそれが分かっていながらなんとなく悔しいのは、どういうことなんでしょうか。
「はっは、完敗だな」
「みたいだねこりゃ……」
高次さんが笑い、家守さんは項垂れていました。
自転車、どころか徒歩でも問題ない距離なので、車を使えばまさにあっという間に到着。その間に出てきた話題のせいで、体感時間はそうでもありませんでしたけど。
それはともかく、他の用事も特にないということで家具売り場に直行。ジョンと高次さんは店外で待機ですが。
「わー、でっかいねー」
「カバとかも寝られそうですね」
僕の頭の上からはサンデーが、栞の肩の上からはナタリーさんが、件の商品を前にそれぞれそんな感想を。カバって、とは思いましたが、そういえばナタリーさんって動物園にいたんですよね、あまくに荘に来る前は。だからってここでカバを出す理由になるのかどうかと言われたら、ちょっと疑問ですが。そんなことしたらこのベッド、間違いなく潰れるでしょうし。
で、カバはともかく、興味があるというのなら。
「これって多分、座ったりしてもいいんですよね?」
「だと思うよ。――ああほら、ここで靴脱げってさ」
見降ろされた家守さんの視線の先には、靴型のマーク。こんなことまで指定されるのもなんだかなあとは思いますが、そうしている以上は店側としても必要な措置なのでしょう。誰に向けられるわけでもないですが、なんだか情けなく感じられてしまうのでした。
ともあれそのマークに従ってベッドに腰掛けた僕は、サンデーにも「降りていいよ」と。
一応、その際に服の裾で彼の足を拭くぐらいはしておきました。車に乗るまではジョンの背中の上、降りてからも僕の頭の上だったので、汚れてるってこともないんでしょうけどね。
「うわー」
僕から降り、ベッドに着地したサンデーはしかし、ベッドの柔らかさが想定以上だったのでしょう。そのまま転んでしまい、しかもなかなか起き上がれないようでした。
「ナタリーも、はい」
「ありがとうございます」
僕の隣に座った栞、僕がサンデーにそうしたようにナタリーさんのお腹を服の裾で拭いてから、彼女をふかふかの上へ。けれどナタリーさんはサンデーとは違い、転んだりはしないのでした。ええ、そりゃそうでしょうとも。
「あ、なんかいいねこの構図。写メにでも撮っとこうかな」
家守さんが言いました。
この構図。僕と栞が並んでベッドに腰掛け、その後ろではサンデーとナタリーさんがもそもそとベッドの感触を堪能しています。……当然の如く、家守さんの言葉にサンデーとナタリーさんのことは含まれていないのでしょう。
「止めてください」
と僕は抗議の声を上げてみるわけですが、一方で栞は僕の腕に抱き付いていました。ええ、ノリノリでしたとも。
そちらを見てみます。
栞のにこにこ顔と目が合います。
家守さんのほうを向き直ります。
「……でも勘弁してください」
「キシシ、分かったよ。っていうかアタシだって冗談のつもりだって、最初から」
ホントですかねえ。特に残念そうにするでもない辺り、少なくとも栞は冗談だったようですが。
「んでお二人さん、そんな冗談はいいとして、ちょっと思ったんだけど」
冗談を口にした張本人からそんなお言葉。はいなんでしょうか。
「そのベッド、今遊んでるそのマットはちゃんと同梱なの?」
あっ。
というわけで、商品仕様を確かめるべく値札を確認。間の抜けたことに、一度めに来た時は本当に値段しか見ていませんでした。様子を見る限り、どうやら栞も同じく。
「――大丈夫そうです。よかったぁ」
よく考えればそこまでヒヤヒヤするようなことでもないのですが、なんせ完全に虚を突かれる格好だったので、安堵の溜息すら。
「そっか。じゃあこれ一式は買えば全部ついてくるとして、あとはシーツと掛け布団だね」
『…………』
「え? あ、もしかして先に買ってた?」
「考えてませんでした」
「同じく」
「あ、ああそうなの……」
これには、さすがの家守さんも困惑を隠し切れていませんでした。
自分で言うのも何ですが、大丈夫でしょうかこの夫婦。
「さっきはともかく、アタシ今はなんもしてなかったじゃんかあ――おほん。んじゃあしぃちゃんこーちゃん、また後でね」
冗談話をする時の顔と優しい顔を見事に切り替えた家守さん、高次さんと一緒に僕達を見送ってくるのでした。
「はい」
「行ってきます」
踏み出した足が随分とご機嫌であるところを見るに、「好き過ぎて」というのはなにも、家守さんに限った話ではないようでした。ということはつまり、「好き」はともかく「過ぎて」という部分については、あながちそんなこともないのではないかと――いやまあ、今更になって確認することでもありませんけどね。
「そういえば成美ちゃん、カチューシャのこと全然気付いてなかったよね?」
「そういえばそうだったねえ。ずっと俯き気味だったから、頭の上に目が行かなかったとか?」
「あはは、かもねー」
なんて話をしながら、自転車を漕ぎ漕ぎ。なにぶん昼までには帰ると決めているのでそう遠くにも行けなければ時間を使って遊ぶような所にも行けず、そうなるといつものデパートくらいしか候補地がないわけですが、栞は特にそれを不満に思ったりはせず。
有難い話ではありますが、同時にちょっと申し訳なかったりも。
「栞、何か買って欲しいものとかある?」
「ん? あはは、あったら自分のお金で買うからいいよ」
「いや、何かプレゼントしてあげたくて。……家守さんと高次さんへの支払いもあるから、そんなに高いものは無理だけど」
申し訳なさの埋め合わせを試みるも、結局は情けない話に。そもそもプレゼントなら「何が欲しい?」じゃなくて初めから自分で買っておけよという話なのかもしれませんが、残念ながら自分のプレゼント選びのセンスには全く信用が置けないのです。
「ふふ、ありがとう。でも私、プレゼントより二人で一緒に何か買うほうが嬉しいかな。ほら、前にゾウとキリンのぬいぐるみ買った時みたいに」
「そっかあ」
でも栞がそう言うなら結局はそうしたほうがいいよなあ、とちょっぴり自分の都合のいいように考えることにしました。
「着いてから考えるよ、何買うか」
「あはは、だから一緒に考えるんだって」
「はは、そっか。そこからか」
言ったことを言った側から連続で否定されているというのに、嫌な気分は微塵もしません。
あったかいなあ、この人は。
なんて遣り取りをしているうちに、目的地に到着。さあ何を買うか、と意気込んで店内へ入ったものの、
「あ、そうだ」
「ん? もしかして、私と同じこと思った?」
呟いたところ、栞からそんな質問が。このタイミング、この場所であることを考えれば、その通り同じことを思ったのかもしれません。
目の前には、和菓子コーナーが。
「引っ越し作業を手伝ってもらうわけだから、そのお礼を準備したほうがいいかなって」
「やっぱり」
お菓子については昨日、大吾から貰ったものがたんまりあるわけですが、まさか頂いたものをそのままお礼として出すわけにもいかないでしょう。そうでなくとも、スナック菓子じゃあお礼の品として出すには間違いなく不相応ですし。
「で、どれにしよっか?」
というわけで、お金が厳しいという話があったにも関わらず、早速予定外の買い物を済ませてしまいました。そこまで悲観することでもないんでしょうけどね、必要な買い物であった以上は。
栞から財布の中身を心配されたりもしましたが、まあ何もこの一回の買い物を控えなきゃならないほどの緊急性があるわけでもありません。なんせ親の仕送りに加え、一応は自分でも稼いでいるわけですし。
……学生の一人暮らし(そういえば二人暮らしになったわけですが)という身分とはいえ、親の仕送りについては胸を張って言えるようなことではないのでしょう。けれどまあ、それが実際のところだ、ということでひとつ。
そうしてデパート中を歩き回りつつ、何を買おうかと品定めをしていたところ、栞がふと立ち止まりました。
「ん? なんかあった?」
「あ、いやいや」
声を掛けた途端、何かを否定しながら再び歩き始める栞。その視線が直前まで向いていた先には、ジュエリーショップがありました。以前、大吾が成美さんに贈ったネックレスを買った店です。
当たり前ながら「高いのは無理」なんて言わざるを得なかった今、立ち寄れるような場所ではありません。値段なんてピンキリなのでしょうが、初めから安いものしか選べないという状況では、やっぱりちょっと。
「謝るのは無しだからね?」
僕の視線を確認しながら、栞はむしろくすくすと楽しげにそう言ってきました。
けれどよくよく考えると、正式な日にちは決まってないとはいえ、四方院さん宅で結婚式を挙げる予定まであるわけです。となると近いうち、結婚指輪を買う必要もあるわけで。
……今日はもう仕方がないとして、今後は節約しないとなあ。
「孝さん、落ち込んでる?」
こちらが黙ったままだったからか、栞から再度声を掛けられます。
暇を見付けてちょっと出掛けただけとはいえデートと言えばデートなんですから、そんなことないよと――えー、とても言えませんでした。はっきり顔に出ていることが、自分でも分かっていたからです。
「バイト増やしたほうがいいのかな、とかね」
なんせ指輪を買う必要があるです。いくら節約したところで収入自体を増やさないと、そこまで手が届くのにいつまで掛かるんだって話なのでしょう。親に工面してもらうというのも……一生ものですしねえ、やっぱり。
けれどそんな僕に対し、栞はなおも楽しげなのでした。そしてその表情のまま、こんなことを。
「気付いてないのか分かってないのかは知らないけどさ」
「ん?」
「私達、家族なんだよね?」
「ええと、そりゃまあ夫婦なんだし」
「じゃあもう、私の貯金と孝さんの貯金って、合わせて一つのものになるよね。日向家の貯金ってことで」
あ。
「ふふ、自慢じゃないけどかなり溜め込んでるよ? 使い切れないだけの話だけど」
いや、しかしだからって。
「ちなみに、『それは悪いから』なんて言ったら怒るからね?」
……笑顔で言われてしまっては、「分かった」と頷くほかありませんでした。
すると栞、それまで以上に機嫌を良くしたらしく、こちらの腕に抱き付いてくるのでした。
「たまには、私の方からも助けになってあげないとね」
「たまには、かあ。助ける助けられるって言い方だと、まあそういうことになっちゃうんだろうけどね」
栞の言葉を否定はしません。でも僕は別に、栞との関係がそうも一方的なものだとは思っていませんでした。
助けるのは僕。助けられるのは栞。そこに異論はありませんがしかし、僕だって栞から貰ったものは沢山あるのです。当たり前ですが、そうでもなければ結婚を望んだりなんてしないはずなのですから。
「いつもありがとう、孝さん」
「こちらこそ」
で、その後もあちこちをうろうろと。栞のおかげでお金の問題はひとまず解消しましたが、肝心の買うものがなかなか決まりません。
そんな折、特に目的があるでもないまま辿り着いたのは家具屋。引っ越し直前という状況を鑑みるに、ここなら何かしらめぼしいものが見付かりそうな気がします。
というわけで店内に踏み込んでみますが、するとその途端、栞からこんな質問が。
「そういえば孝さんって床にお布団敷いてるけど、どうしよっか? 私だけベッドっていうのも変だろうし」
「あー、うん、気にならないわけではなかったんだけどね」
なんせそのベッドで寝る機会があったわけですしね。それはそのまま「気にしておきながら言い忘れていた理由」にも、なるわけですが。
「私もベッドを止めて床に敷いて寝るか、それとも孝さんもベッドを買うか……」
「うーん、どっちもしっくりこないかなあ。わざわざ今あるベッドを使わないってのもアレだし、だからってあの部屋に二個もベッド並べると狭そうな」
家守さんごめんなさい。ということで、いいのでしょうか?
といった感じにやや後ろめたい気分になる僕ですが、栞はそれに全く構ってこないのでした。
「となるとこれだね」
まるで初めから話の展開を定めていたような歯切れの良さとともに指差した先には、やたらにデカいベッドが。
「ダブルベッド……」
よっぽど横幅が大きい人が使わない限り、そういうことになるのでしょう。そしてもちろん僕も栞も標準サイズですから、ならばやはりダブルですこれは。
「あの部屋に合うかなあ」
「そういう違和感はどうせ最初だけだって、使い始めちゃえば。それに私の持ち物も孝さんの部屋に運び込むんだから、部屋自体の雰囲気も代わるんだし」
その言い分は、どちらもその通りなのでしょう。どうせ慣れますし、部屋自体も変わります。陶器の置物とかが持ち込まれるわけですからね。
「あ、別に今すぐ買ってって話じゃないからね? さすがに思い付きで買うにはおっきい買い物過ぎるしね、値段のじゃなく」
「買おうにも持ち合わせがね。栞だってさすがに、でしょ?」
「ええと――うん、そうだね」
当たり前に足りないのかと思ったら栞、財布を取り出し開け広げ、中身を確認してから答えるのでした。つまり、足りている可能性もあったようです。まあこのダブルベッド、見た目のデカさほど高額ってわけでもないようですが。
当然ですが幽霊は銀行を使えず、ならばカード払いなんかも当然できないわけで、だったらそりゃあ持ち合わせも多くならざるを得ないのでしょう。とはいえ今後は、僕の口座に纏めて貯金するってこともできるようになるわけですが。
なんて言いつつ、僕もクレジットカードは作ってなかったりします。ううむ、作るべきだろうか。アパート住まいの学生でも、一応は家長ってことになるんだし。
「タイミング的には丁度良かったのかもしれないけどねえ。引っ越しついでにベッド替えちゃうっていうのも」
「かもね。まあ店側に配達を頼むことになるから、そういう意味でも今日中っていうのは無理だろうし」
二人とも本日は見送りムード。
……の筈だったのですがしかし、僕の余計な念押しが駄目だったのか、栞は何やら考え始め、そして顔を上げるとこう言ってきました。
「一回帰ってお金用意して、家守さんと高次さんに車で送ってもらうっていうのは? そしたら配達頼まなくても、自分達で持って帰れるし」
……確かに可能でしょう。このダブルベッド、組み立て式らしいですし。そうじゃなかったらそもそもあの部屋に入るのかって話でもありますし。
で。
「そんなに今日がいい?」
「良ければ、是非にも」
栞の目は輝いていました。
どうやら、今日の買い物はこれになりそうです。
「じゃあ、帰る前に一応家守さんに相談してみる」
言いながら普段あまり使う機会がない携帯を取り出す僕に、「お願いします」と栞。
使わなくとも持ち歩くようにしていてよかった、と思う反面、栞が持ってないから絶対に僕の役目になっちゃうんだよなあ、とも。
別に、家守さんに電話を掛けるのが嫌だというわけではないのです。ただ今回、相談の内容が相談の内容というか――。
『ダブルベッドだってぇ!? しぃちゃんのこと呼び捨てにし始めたことといい、結婚したら急に大胆になっちゃってもう!』
ね。
『毎朝寄り添った状態で目が覚めること前提とか、ああなんて、なんっっってラブラブなんだろうか二人ったらもう!』
「いや、ダブルなんですから寄り添わなくてもいいくらいのスペースは……じゃなくてですね家守さん、こっちはこっちで言い難いことではあるんですけど、そんなもの買っちゃって大丈夫なんでしょうか? 重量というか、部屋の耐久性というか」
家守さんの話に乗せられていたらどこまで語らせられるか分かったもんじゃないので、強引に本題へ入らせてもらうことにしました。
『キシシ、その言い方からして、買うって言い出したのはしぃちゃんだね?』
「まあ、そうです。でも、こうして相談までしてる以上は僕だって」
『ああごめんごめん、要らんこと訊いちゃったかな』
別に腹を立てたりしたわけではないのですが、謝られてしまいました。
しかしともあれ、そうなってくるともう厭らしい冗談はなりを潜めます。
『さすがにダブルベッド運び込んだだけで危険なほどヤワじゃないよ、あまくに荘。違法建築レベルだよそれ』
「……すいません、こっちこそ要らんこと訊いちゃいまして」
『気にしない気にしない。万が一危険だったとしても補強工事すればいいんだし。みすみす見逃すと思うかねこーちゃん。このアタシが、ダブルベッドなんて面白そうなもの』
「ですね」
工事。いきなり大掛かりな話が出てきましたが、けれど家守さんなら、それくらい本当にしてみせるのではないでしょうか。面白がるためではなく、僕達のことを想って、ですが。
『で、いつ買うの?』
「あー、それなんですけど……」
というわけで。
「まさか今日とはねえ」
『すいません』
助手席から笑いながら言う家守さんへ、二人揃って平謝り。そりゃあ、急な話ですしね。躊躇いなくこの方法を選んでおいてぬけぬけと、なんてふうにも思わないわけでもないですが。
それにしても、ああ。僕も早いこと車の免許を取らないとなあ。
「俺も楓も暇してたし、出掛ける口実ができて丁度良かったよ」
運転席からは高次さん。家守さんも運転はできるのですが、最近はこの光景ばかり見ている気がします。
「それより、ちょっと意外だったかな。哀沢さん達が遠慮してくるなんて」
『あー……』
これまた二人揃って、苦笑い。成美さん達が何を遠慮したのかというと、この買い物に同行することを、です。
顔を合わせ辛かったということなのでしょう。成美さんとは今朝会っていますし、猫さんはまるで気にしたふうでもなかった以上、恐らくは大吾が。
うーん、やっぱり大吾にも聞こえちゃってたんだろうなあ。
「清一郎さん、お留守番するって言ってたけど、これだったら一緒に来ればよかったね。ダブルベッドって何?」
「そうですねえ」
「ワウゥ」
予定では二時ごろ到着ということになってはいるものの、もしこの買い物中に椛さん達が到着したら、ということで留守番を名乗り出た清さん。サンデーとナタリーさんとジョンは、ちょっと残念そうなのでした。お世話係の大吾も来てないわけですしね、今回は。
ところでナタリーさんとジョン、サンデーの二つめの問い掛けは見事にスルーでした。
ならばそれに答える役を引き受けるのは、
「キシシ」
そりゃまあこの人なわけです。
「サンデー、普通のベッドは見たことあるよね? しぃちゃんの部屋にある、布団の代わりに使ってるやつなんだけど」
「えーと……あ、うん。四つ足の上にお布団敷いてるやつだよね」
「そうそう、それそれ」
ということは清さんもベッドではないんだなあ、と今更ながら。
なんせ清さんの私室はいつも薄暗く、部屋に上がらせてもらってもちらりと見る程度では中がどうなってるのかよく分からないのです。居間ならともかく私室ですから、あんまりジロジロ見るっていうのも避けたいところですし。いや、頼んで断られるということもないでしょうけど。
「ダブルってことは、それが二つあるの?」
「惜しい、二つ分の大きさのベッドってこと」
サンデー、簡単な単語とはいえ英語分かるんだなあ。
などと思いはしたのですがしかし、彼の中にはそういう単語が得意そうなサタデーがいます。それにそもそも「人間の言葉が話せる」ってことは、初めから英語にも対応してるのかもしれませんしね。日本語に限る必要性はなさそうですし。
……まあそうして納得したところで、「今以って不思議な現象」としか言い表しようがないんですけどね。
で、それはともかく
「つまりぃ、二人でぇ、一緒に寝られるんだよぉ」
家守さん、ものすっごくやらしい声で言いました。
「二人で――あそっか、孝一くんと栞さん、もういっぱい大好きな関係なんだもんね」
いっぱい大好きな関係って表現は随分と新しいというか直観的というか、恥ずかしいから勘弁して欲しいなあサンデー。と、そんなふうに感じてしまうのはもちろん、直前の家守さんの台詞回しのせいなんでしょうけど。
「寝ている時でも好きな方の傍に居たいってことですか? いいですねえ、すごく気持ちよく寝られそうです」
さすがに「一緒に寝る」という話題にまでなると家守さんでなくともちょっとくらいは色っぽい話に踏み入ってしまうかと思いきや、そんな不安をよそにナタリーさん、気持ちよく寝られそう、という平和な感想。サンデーはともかく色恋の話に日頃から食い付きのいいナタリーさんだし、なんて思っていたので、良い意味での肩透かしを食らってしまいました。
そしてもちろんというか何と言うか、家守さんの肩透かされっぷりは僕以上。少々残念そうですらあるのでした。
が、少しの間の後「あ、そうか」と。
「二人で横になるとか寝るとか、そういうのが『そういう話』を連想させるのって、人間だけなのかねえ」
正直、耳にして暫くは、家守さんの言いたいことが聞き取れませんでした。が、少ししてこちらも「あ、そうか」と。心の中でだけですが。
「そういう時」に横になるのも、「そういう時」が寝るような時刻であるのも、人間の行動様式の話でしかないんですもんねえ。ナタリーさんなんて特に、平常時からして横になっているわけですから。
「となると困ったな。直接的なワードを出さないとナタリー達には伝わらないぞ」
「伝えんでいい」
変な考えを起こしそうになった家守さん、運転中の高次さんから片手でコツンと。
「あいたっ。――いや高次さん、いくらアタシでもそこまではちょっと。こっちが辛いし」
「知ってるよ、そういう話が好きな癖に恥ずかしがり屋なのは」
「ぐぬぬ」
悔しそうに呻く家守さんでしたが、叩かれた箇所を撫でる手が嬉しそうに見えたのは僕だけでしょうか。
それはともかく、名前まで出されておきながら本題とずれたところで話が決着してしまったということで、ならばナタリーさんが動きをみせました。
「何の話か分かりませんでしたけど、今ので大体見当が付きましたよ」
「ほほう、何の話だったと思うんだね? ナタリー」
尋ねて欲しそうな言い方をするナタリーさんに、ならばと応じる家守さん。けれどあまりにもあっさり口にしてしまう辺り、恐らくナタリーさんの見当は当たっていないのでしょう。
「交尾の話ですよね?」
当たっていないのは僕の見当なのでした。
「どぉっ」
家守さんが変な声を上げ、そして高次さんにも多少の動揺があったのでしょう、車が若干左右に揺れるのでした。
交尾。ええ、交尾ですとも。
「あ、あははは」
栞が笑っていたので、僕も笑い返しておきました。あはははは。
「家守さんだけじゃなくて、人間ってみんな恥ずかしがり屋さんだよねえ。大好きだったら、当たり前のことなのに」
「でもサンデーさん、そこが人間のいいところ、なんですよね?」
「うん。僕もみんなもそう思ってるよ。二つ分の大きさのベッドかあ、一つ分のよりもっとふわふわなのかなあ」
実に平静なまま言い終えると、ジョンに寄り添い始めるサンデー。ふわふわ、ということなのでしょう。
人間と他の動物の違いという話であることには、間違いありません。けれどそれが分かっていながらなんとなく悔しいのは、どういうことなんでしょうか。
「はっは、完敗だな」
「みたいだねこりゃ……」
高次さんが笑い、家守さんは項垂れていました。
自転車、どころか徒歩でも問題ない距離なので、車を使えばまさにあっという間に到着。その間に出てきた話題のせいで、体感時間はそうでもありませんでしたけど。
それはともかく、他の用事も特にないということで家具売り場に直行。ジョンと高次さんは店外で待機ですが。
「わー、でっかいねー」
「カバとかも寝られそうですね」
僕の頭の上からはサンデーが、栞の肩の上からはナタリーさんが、件の商品を前にそれぞれそんな感想を。カバって、とは思いましたが、そういえばナタリーさんって動物園にいたんですよね、あまくに荘に来る前は。だからってここでカバを出す理由になるのかどうかと言われたら、ちょっと疑問ですが。そんなことしたらこのベッド、間違いなく潰れるでしょうし。
で、カバはともかく、興味があるというのなら。
「これって多分、座ったりしてもいいんですよね?」
「だと思うよ。――ああほら、ここで靴脱げってさ」
見降ろされた家守さんの視線の先には、靴型のマーク。こんなことまで指定されるのもなんだかなあとは思いますが、そうしている以上は店側としても必要な措置なのでしょう。誰に向けられるわけでもないですが、なんだか情けなく感じられてしまうのでした。
ともあれそのマークに従ってベッドに腰掛けた僕は、サンデーにも「降りていいよ」と。
一応、その際に服の裾で彼の足を拭くぐらいはしておきました。車に乗るまではジョンの背中の上、降りてからも僕の頭の上だったので、汚れてるってこともないんでしょうけどね。
「うわー」
僕から降り、ベッドに着地したサンデーはしかし、ベッドの柔らかさが想定以上だったのでしょう。そのまま転んでしまい、しかもなかなか起き上がれないようでした。
「ナタリーも、はい」
「ありがとうございます」
僕の隣に座った栞、僕がサンデーにそうしたようにナタリーさんのお腹を服の裾で拭いてから、彼女をふかふかの上へ。けれどナタリーさんはサンデーとは違い、転んだりはしないのでした。ええ、そりゃそうでしょうとも。
「あ、なんかいいねこの構図。写メにでも撮っとこうかな」
家守さんが言いました。
この構図。僕と栞が並んでベッドに腰掛け、その後ろではサンデーとナタリーさんがもそもそとベッドの感触を堪能しています。……当然の如く、家守さんの言葉にサンデーとナタリーさんのことは含まれていないのでしょう。
「止めてください」
と僕は抗議の声を上げてみるわけですが、一方で栞は僕の腕に抱き付いていました。ええ、ノリノリでしたとも。
そちらを見てみます。
栞のにこにこ顔と目が合います。
家守さんのほうを向き直ります。
「……でも勘弁してください」
「キシシ、分かったよ。っていうかアタシだって冗談のつもりだって、最初から」
ホントですかねえ。特に残念そうにするでもない辺り、少なくとも栞は冗談だったようですが。
「んでお二人さん、そんな冗談はいいとして、ちょっと思ったんだけど」
冗談を口にした張本人からそんなお言葉。はいなんでしょうか。
「そのベッド、今遊んでるそのマットはちゃんと同梱なの?」
あっ。
というわけで、商品仕様を確かめるべく値札を確認。間の抜けたことに、一度めに来た時は本当に値段しか見ていませんでした。様子を見る限り、どうやら栞も同じく。
「――大丈夫そうです。よかったぁ」
よく考えればそこまでヒヤヒヤするようなことでもないのですが、なんせ完全に虚を突かれる格好だったので、安堵の溜息すら。
「そっか。じゃあこれ一式は買えば全部ついてくるとして、あとはシーツと掛け布団だね」
『…………』
「え? あ、もしかして先に買ってた?」
「考えてませんでした」
「同じく」
「あ、ああそうなの……」
これには、さすがの家守さんも困惑を隠し切れていませんでした。
自分で言うのも何ですが、大丈夫でしょうかこの夫婦。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます