「掛け布団はいま使ってるもので代用しててもいいだろうけど、どうせシーツ買うんだったら一緒に買っちゃったほうがいいと思うよ」
「ですね」
そりゃごもっとも、ということで素直に頷きます。恥ずかしさのせいで余計なことを口にし辛い、というのもあるのでしょうが。
で、それについてはごもっともということで済ませはしますが、
「栞、ご予算のほうは?」
「い、一応余裕は持たせてあるよ。完全にたまたまだけど」
なんせまるで想定していなかった買い物なので嫌な予感が走りもしたのですが、我が妻のファインプレーで事なきを得ていました。お金のことに限らないでしょうけど、大事ですよね。余裕を持つっていうのは。
なんてことを考えるのはこれまた照れ隠しなわけですが、するとそこへ家守さん、「ほほう」と何かしらに興味が湧いたようなご様子。
「財布の紐はしぃちゃん管轄なわけだ、日向家」
ああ、そりゃあ今のじゃ他の人にはそう聞こえるか。
……都合のいい勘違いであるなら、そのまま放置しておいてもいいのでしょうが……。
「えーと、残念ですけどそういうことじゃなくて」
「へ? 違うの?」
「まだ所持金を纏めたりはしてなくて、単に僕がピンチなだけなんです」
「あー」
そうなった理由は家守さんと高次さんへの仕事料が大きいところを占めているわけであって、なのでわざわざそれについて説明しなくても、家守さんは察してくれた様子でした。
そして同時に、だからといって仕事料をまけるとかいったような話にならないのは、実に有難いことでした。なんせその仕事料は、僕と栞のほうから払いたいと頼み込んだものなのです。
ただ優しいだけじゃなくてちゃんと分かってくれてるんだなあ。――というのは、たまたま言わなかっただけ、という可能性を考慮するにちょっと贔屓目に過ぎるのかもしれません。けれど僕は、そんなふうに思っておくことにしました。
「お金のお話はよく分かんないなあ、ボク」
「私もあんまりですねえ」
サンデーがよたよたもふもふと歩き難そうにしながら僕の下へ、そしてナタリーさんは特に普段と変わらずしゅるしゅると栞の下へ。どうやら、ベッドの感触は充分に堪能し終えたようでした。
「まあ、僕が栞に助けて貰ったってことで」
「そうなの? よく分からないけど良かったね、孝一くん」
「助けた側の割に、栞さんもなんだか嬉しそうですね」
「えへへ、まあね。私、普段は助けてもらってばっかりだから」
栞がそう言った時、家守さんがとても嬉しそうな顔をしていたのが目に入りましたが、しかし特に指摘したりはしないでおきました。するまでもないこと、なんでしょうしね。
「うっし、サンデーとナタリーも戻ったところで次はシーツと掛け布団か。ハートマークのとかないかね?」
「なんですか、そのものすっごい悪趣味なの」
「イエスノー枕とかは?」
「シーツと掛け布団って話なのに――いやそれ以前に、置いてあったとしても『これ何?』って訊かれたら困るから近付きすらしません」
頭にクエスチョンマークを浮かべている栞を見て、僕はそんなふうに答えておきました。というかそもそも、デパートで堂々と売ってるわけないじゃないですかそんなもの。……売ってませんよね?
「ええと、孝さん? そんなこと言われちゃうと、今この場で訊きたくなっちゃうんだけど」
「家守さんがいないところでなら答えてもいいんだけどね」
「ははあ、なるほど。方向性は分かったよ」
家守さんへの信頼。今の話もまたそのうちの一つ、ということになるのでしょうか?
してしまいましょうか、もう。
「あ、そうだ。今更過ぎるけど」
店員さんに買ったものを車まで運んでもらい(シーツと掛け布団は無難に白にしました。それはそれで、なんて言われましたが、誰に言われたかは言うまでもなく)、さあ帰ろうかというところ。車に乗る直前、それを遮るようなタイミングで、家守さんが言いました。
「しぃちゃんこーちゃん、家電売り場に行ってみたら?」
「え? 今のところ、別に買いたいようなものは」
「明美さんのことだと思うよ」
栞から即座に突っ込まれ、ああなるほどと。
店内ならともかくもう駐車場まで出てきてしまっていますが、その程度の二度手間なら無視して差し支えない案なのでしょう。結婚報告っていったらまあ、重要なことではあるんですし。
「そうですね、そういうことだったら」
「ん。じゃあアタシらはここで待っとくかね、高次さん」
「そうだな。まあどのみち俺はここでジョンと留守番なんだけど――それはともかく二人とも、そういうことなんで行っといで。別に急がなくていいからね、俺ら待たせてるからって」
用事も用事ですし、今回は有難くその言葉に従うべきなのでしょう。変に急いた結婚報告っていうのも、可笑しな話ですしね。
「ボクとナタリーさんはどうしたらいいの?」
「んー、サンデーとナタリーもここでお留守番かな。高次さんなんかと二人で暇してただろうから、ジョンと遊んであげるといいよ」
「はーい」
「ただいまです、ジョンさん」
ということなのでサンデーとナタリーさんを車内へ下ろし、逆に自分達は車から引き返して、再度店内へ。
「あら。いらっしゃいませ、お二人さん」
こんにちは――いや、時間的にはまだ「おはようございます」になりますか。そっちで挨拶をしてもらえたら良かったのですが、客と店員という関係においては冷やかしでしかない用事で訪れていると、「いらっしゃいませ」はちょっと心苦しかったりも。
しかしまあ、些細なことでしょう。
「すいません明美さん、いつもの如く買い物の用事で来たわけじゃなくて」
「おはようございます」
半端な笑みを浮かべる僕に栞がそう続くと、明美さんは改めて「おはようございます」と。
「こんなおばちゃんにわざわざ会いに来てくれたってことですよね? うふふ、そっちのほうがよっぽど嬉しいですよ」
「そう言ってもらえると有難いです。――にしても、いつもこの遣り取りから入ってるような」
「あら、そうだったかしら」
それはつまり、いつも買い物をしていないというわけで……。
いや、止めておきましょう。一応は用事があって来ているわけですから、まずはそちらを。
「今日はちょっと他の買い物で来てたんですけど、折角だったら明美さんにも報告しておこうって話になりまして」
「報告? 何かしらねえ」
興味ありげに小首を傾げる明美さん。僕はほんの一瞬、何を言うでもなく栞と視線を重ね、そうしてから明美さんに向き直りました。
「僕達、結婚したんです。昨日のことですけど」
「あらまあ」
声色や声量にはあまり現れませんでしたが、しかし両手を頬にあてがう明美さん。どうやら、割と驚いてもらえたようでした。
いや別に、驚かせるのが目的だったってわけでもないんですけどね。
「凄いですねえ、怒橋君と哀沢さんだってついこの間だったのに」
なるほど。どうやら僕と栞の結婚それ自体ではなく、立て続けに二組が結婚したことを驚いていたようです。そりゃ驚きますよね、こんな短い間に。
「おめでとうございます、日向さん喜坂さん」
『ありがとうございます』
で、そりゃまあこうして祝われる展開にもなるわけですが、分かり切っていても嬉しいものは嬉しものです。昨日だってそうでしたしね。
「……あら、でもそうすると喜坂さんはもう『喜坂』さんではないのかしら?」
「はい。日向栞になりました」
「そう。うふふ、呼ぶ時に間違えないようにしないと」
この展開も予想できるものではありましたが、しかし。そういえば昨日、成美さんが怒橋姓を名乗るかどうか考える、みたいな話をしていましたが、結論は出たんでしょうか?
今朝、もうちょっと落ち着いて顔を合わせられていたらその話も出来たかのかもなあ。なんて考えてしまいますが、しかしどちらにせよあっちからその話を振ってくるまで待った方がいいよなあ、とも。
急いで決めるようなことでもないですし、もし決まってなかったとしたら急かすようなことになっちゃいますしね、こっちからどうなったか尋ねるっていうのは。
で、それはともかくこちらの話。明美さん、何やら目元を緩ませながら僕のほうを向きました。
「日向さん、大学に入ったばっかりでしたっけ? 感心だわあ、そんなに若くて結婚しちゃうなんて」
というわけで褒められてしまいましたが、しかし、ううむ。
「うーん、正直どうなんですかねえ。自分で言うのも何ですけど、学生なんて足元が全く固まってないっていうか」
具体的に言えば、学校を卒業して就職して、完全に自活できるようになってから検討すべきことではないのか、という話。もちろん僕達がこうも早く一緒になったのはそれなりの理由があるわけですが、他の人の目から見て褒められるようなことなのかというと、ちょっと自信がありません。
けれど明美さんは、目元の緩みを継続させます。
「結婚した以上、『この人となら幸せになれる、幸せにしてあげられる』って確信してるんですよね? そりゃあ生活の安定だって一つの要因ではありますけど、それだけがってことでもないんですし。むしろ、そこに不安があっても『この人となら』って思えるなんて、素晴らしいことじゃないでしょうかねえ」
言われた僕達は、お互いの顔を向き合いました。すると栞はにっこりしながら首を傾けてくれ、なので僕も、そこまで露骨ではないにせよ、少しだけ笑うことができました。
今の明美さんの話、聞き取りようによっては「夢見がち」なんて思ってしまったりするものなのかもしれません。けれど少なくとも、僕達にとっては――。
栞は幽霊です。
なので、生活費は浮かせようと思えば随分と浮かせられるのです。なんせまず食事をする必要からしてありませんし、それに今はまだそこまでの話はしていませんが、いろいろな税金とかだって掛かってこないわけですし。
つまり極端な話、生活の安定に必要不可欠である「お金」については、僕一人の分だけでもなんとかなるわけです。もちろんそれは極端も極端な話であって、実際にそんな状況に陥るのは断固お断りですが。
そうして「生活の安定」というものの重要度が低下したなら、その分他の要因の重要度は上がります。ならばそれについて栞はどうなのかというと――いや、言うまでもないのでしょう。自分がどれだけ幸せなのかなんて、敢えて語るようなことではないんでしょうし。
で、その栞ですが、明美さんにこんな質問を投げ掛けるのでした。
「明美さんはどうでしたか? 清さんと結婚した時」
「私? そうねえ。遊びにしても仕事にしても、何にしたって忙しい人だったから、そんな細かいことを考えてる暇がなかったかしら」
確かに清さんはほぼ毎日どこかへ遊びに出掛けているわけですが、だからといって忙しいというようなイメージは……いやしかし、それに毎度付き合うと考えれば、充分以上に忙しいことになりましょうか。
「うふふ、でも今思うとそれって、もしかしたらあの人の思うつぼだったのかも。不満を持つ暇もなかったって、考えてみれば変な話だものねえ」
でも、幸せだった。更に言うなら、今だってまだ。つまりはそういうことなのでしょう。
僕と栞はそんなふうに在り続けられるだろうか、なんてついつい思ってしまわないこともなかったのですが、少なくとも今のところは肯定的な答えしか思い浮かべられませんでした。
少し間があって、すると明美さん、「いえいえ私の話はどうでもよくて」と。
「――――」
どうでもよくて、ということであるなら次の話が出てくるところなのでしょうがしかし、口を開けたまま言葉が出ない明美さん。はて。
「危ない危ない、『喜坂さん』って呼びそうになっちゃったわ今」
ああ、なるほど。というわけで明美さん、栞に「『栞さん』でいいかしら?」と尋ね、ならば栞はそれに頷き、話の続きが。
「栞さんはどうかしら。日向さんとは、どんな感じ? どんな感じの人だと思ってる?」
「せっかちな人です」
栞、見事なまでに即答。恐らくはその質問が来ることを予想していたのでしょうが、お愛想程度に考える素振りすら見せないのには、他の意図も感じられるのでした。
「なんせもう結婚しちゃったくらいですからね」
「うふふ、それもそうなのかもね」
果たしてその一言だけでどれほどのことが伝わるのかは分かりませんが、しかし明美さんはどうやら納得したようで、それ以上の話をするよう促したりはしないのでした。
そうして話が一段落したところで、ということで今更なのですが明美さんは仕事中です。あまり長居しては迷惑なのでしょうし、伝えるべきことはもう済ませましたし、聞けて良かったと思えるようなお話も頂きました。極一般的な新婚に比べて「生活の安定」の重要性が低いということを、ぼんやりとではなくはっきり認識できたのは、大きな収穫だったのでしょう。
ならば、
「それじゃあ明美さん、そろそろ」
「あらそう? じゃあ――おほん、新婚生活に際して家電製品がご入り用になりましたら、是非当店をご活用くださいませ」
なるほど、帰り際くらいはそりゃそうもなりましょう。
「はい。その時は宜しくお願いします」
入り用どころか二つある冷蔵庫の処分から始めなきゃならないんですけどね、なんて、元気のいい栞の返事を聞きながら思ってしまいます。でも少なくとも、それを面倒だと思う気持ちよりはここに顔を出して良かったという気持ちのほうが、現時点では強いのでした。
家電売り場を離れて駐車場の車まで向かう最中、「来てよかった」と書いてある栞の顔を眺めながら、明美さんと会うよう勧めてくれた家守さんに感謝をする僕なのでした。
「さあさあ着いた着いた。んじゃあいっちょ組み立てちゃおう」
「はっは、なんでお前が一番張り切ってるんだよ」
あまくに荘駐車場。車を降りるなり、僕達を急かし始める家守さんなのでした。
ベッドの組み立てを引っ越し作業の一部として行うなら、昼食の後ということになるのですが――。
「どうしよっか栞。それだけ先にやっちゃう?」
「そうだね、私も早く組み立てたとこ見たいし」
完成後のベッドについてはデパートに展示されていたものを見ましたし、見るだけでなくその感触をたしかめたりもしたのですが、けれどもまあ気持ちは分かります。自分達の部屋に自分達のものとして設置してあるというのは、やっぱり展示品とはいろいろと違ってきますしね。
というわけで、
「ほーう、ここが二人の愛の巣かあ」
「作りはどの部屋も同じですけどね」
組み立て前のベッドとその付属品一式をえっちらおっちら運び込み、204号室の私室。
204号室に入った直後、つまり204号室全体を指して言うんだったら微笑ましいだけで済みますが、これからベッドを配置しようという部屋に入って初めてそれを言うというのは、大分やらしいんじゃないでしょうか家守さん。……まあ、家守さんなんですけども。
「それで日向くん。ベッド組み立てる前に、カーペットは今のままでいいのかな。組み立てた後で変えるってのは面倒だろうし」
真面目な話担当の高次さん、作業に取り掛かる前にそんな質問。つまりは栞の部屋のカーペットと取り換えたりは、という話なのでしょうが、
「あ、それは――このままってことだったよね? 栞」
「うん」
引越しに際して必要な物品とそうでない物品は、既に分けてあります。それを書き出した紙は栞の部屋に置きっ放しですが、栞に確認も取れたのなら記憶に間違いはないでしょう。
「ん? 何をどう配置するとか、もう決めちゃってる感じ?」
「ああいえ、そこまでは。要るものと要らないものを分けただけで」
「そっか。そりゃあどうなるか楽しみだね」
ものの配置を決めていようが決めていまいが、家守さんからすればどうなるのか分からないのは同じはずなのですが、しかしそれでも楽しみなんだそうでした。筋は通りませんが、しかしまあ、そういうものなのでしょう。
「よし! ともかくこいつをさっさと組み立てちまおうぜ野郎ども!」
えらくテンションを上げて指示を出す家守さん。そんな彼女に、高次さんは苦笑い。
「うーん、このはしゃぎっぷり。まるで子どもだなあ」
「そういうところも魅力のうちだったりするんじゃないですか? 高次さんにとっては」
なんとなく家守さんには聞こえないよう声を落としつつ、そんなふうに返してみます。すると高次さん、一瞬目を丸くしてから、いつものように「はっは」と。
「痛いとこ突いてくるなあ日向くん。それ、楓に弄られた仕返しが俺に来てる感じ?」
言われてみれば、なんで僕は今こんなことを言ったんでしょうか? こう、意地悪というかなんというか。僕が、しかも高次さん相手にそんな物言いをするというのは自分でもあまりしっくりこなかったので、ならばそこには高次さんが言うように、何かしらの理由があるのでしょう。
「かもしれませんねえ」
「だとしたら捨てたもんじゃないな、楓のあれも。なんせその元凶をお嫁さんに迎えるほど好きなもんで、居心地がいいよ。――あれ、この言い方だとただのマゾっぽいな俺」
「あー、いや、一応そんなふうには見てませんから」
「はっは、一応かあ」
力無く笑う高次さんですが、そりゃまあ一応です。普段はこんな感じですが、けれどもちょくちょく出てくる話を聞く限り、真面目なところでの家守さんと高次さんの関係は、これとは随分違いそうですし。
栞が明美さんから訊かれてましたっけね。僕とはどんな感じなのか、どんな感じの人だと思ってるのかって話。
「ほら男子ー! 力仕事なんだから動いてー!」
『はーい』
ベッドの組み立てが果たして力仕事なのかどうかはともかく、僕も高次さんも、家守さんには逆らえないのでした。ええ、高次さんに限らず僕だって。
「ボクとジョンも男子なんだけどなあ」
「ワフウ」
「私だってお手伝いしたいです、女子ですけど」
駆り出された僕と高次さんの背後から、アニマル勢のそんな声。するとそれに続いて栞の小さな笑い声、次いでこんな提案が出てくるのでした。
「じゃあ孝さんと高次さんの応援とか、お願いしちゃおうかな」
――というわけで、ベッドの組み立て如きで受けるにしては過剰としか言いようのない応援を受けながら作業する羽目になりました。
照れ臭過ぎてやり辛かった、というのが正直なところです。もちろん栞はそれを見越して言ったのでしょうし、家守さんもそれに乗っかって楽しんでらっしゃるようでしたが。
「いやあ、日向くんのお嫁さんもなかなかどうして」
笑いながら言う高次さんでした。
返す言葉もありませんでした。
『おおー』
ベッドの枠を組み立て、マットを敷き、その上から更にシーツと掛け布団を。重労働でないとはいえそうしてベッドが完成してみれば、それなりに達成感が得られたりもするのでした。
というわけで、栞と家守さんから感嘆の声と小さいながらも拍手まで頂きつつ、作業完了でございます。
「お店の時みたいにまた登りたいけど、でも今度は栞さんと孝一くんが先だよね」
「ですよね、お二人のものなんですし」
サンデーとナタリーさんからそんなお気遣いが。なるほど理屈は通ってますし、ならばここは有難くその提案を受け入れるべきなのでしょうが、
「えーと……あはは」
栞、困ったような笑みを浮かべていました。そして僕も多分、それと同じような顔をしていたことでしょう。
「うーん、そこはむしろ照れちゃう方がやらしいんじゃないのかねえ?」
そんな僕達へ、他の誰かからならともかくなんと家守さんから駄目出しが。
皆までは語らないその言葉でしたが――しかし悔しいことに、言い返す余地はありませんでした。サンデーとナタリーさんが譲ってくれたのは、「ベッドの感触を確かめる一番手」という権利。そこに他意はなく、ならばただそれだけのことで何を照れることがあろうか、という話なのです。
みんなの目の前で栞と一緒にベッドに寝転んでみたところで、そこに照れるような要素は微塵もないのです。ないのですとも。……ベッドの縁に座るってだけじゃ駄目なんだろうなあ、もう。
「栞、それじゃあ覚悟を決めて」
「うん」
「そんな悲壮な顔で臨まなくても」
またしても家守さんから突っ込みが入りましたが、それに構っている余裕はありません。僕と栞は、ガチガチした動きでふわふわのベッドへと。
『…………』
みんなの目を気にしつつも広いベッドの上に並んで座り、そしてそこからいそいそと身体を横たえました。その間僕と栞は見詰め合っているわけですが、なんせ家守さんに言われた通りの悲壮な顔なわけで、色気もへったくれもありゃしません。むしろ相手の顔を見て余計に緊張感が増すばかり。
『…………?』
だったのですが、横たえた身体を少々もぞもぞさせた辺りで栞の表情に変化が。ならばきっと僕の表情も同じように変化しているのでしょうが、それはともかく何と言いましょうかこう、硬かったものを解れさせられたというか。
『…………おお』
それはつまり「思っていた以上にベッドのふわふわ感が気持ちよかった」ということなのですが、けれど僕も栞も、こうして横になったわけではありませんがデパートで展示品のベッドに腰掛けていて、ならばその時にある程度は感触を得ているわけです。
はて、なのにどうして「思っていた以上に」なんてことが起こったんでしょうか? そりゃあシーツと掛け布団は別売りだったわけで、それらが追加されているのはデパートで展示されていたものと違いはしますが……。
『おおー』
まあしかしそんな細かい話はともかく、手でマットをぐいぐい押してみたり身体を撥ねさせてみたりと、僕も栞もその「思っていた以上の気持ちよさ」を堪能し始めるのでした。
「すっごくいい感じです、楓さん」
「みたいだねえ。おかげで横槍入れて水を差すような気になれないよ、こっちも」
それはなんとも有難いお言葉。なんせこの状況、ついさっきまでびくびくさせられていた通り、家守さん的な冗談を言い易いんでしょうしね。
――まあしかしそれはともかくとして、
「サンデー、ナタリーさん。お待たせしました」
わざわざ一番手を譲ってくれたお二方を、ベッドの上にご招待。できればジョンも一緒に呼びたいところですが、ううむ、そこはやはり毛の心配が。
「わーい」
「お邪魔します」
お邪魔ではないんですけどね別に、などと家守さん的な冗談に繋がりかねない返事を思い付きつつ、けれどそれは口に出さずにおきまして。
「楓さんと高次さんもどうですか?」
デパートの時と同じく遊び始めたサンデーとナタリーさんを少し眺めた後、同じくそれを眺めている家守さんと高次さんへ、そう尋ねるのでした。
「えっ? あーいやいや、それはさすがに……ねえ? 高次さん」
「はっは、そういうところは遠慮するのな。――ってわけだから日向さん、せっかくだけど俺達はパスで。羨ましくて仕方がないってことになったら俺達も買えばいいんだしね」
「う、羨ましいだなんて言ってないじゃないのさ……」
高次さんからニヤリとした視線を向けられるや否や、急速にしおらしくなり始める家守さん。ならばそれを見た栞も、くすくすと笑いながら「分かりました」とだけ。
「ですね」
そりゃごもっとも、ということで素直に頷きます。恥ずかしさのせいで余計なことを口にし辛い、というのもあるのでしょうが。
で、それについてはごもっともということで済ませはしますが、
「栞、ご予算のほうは?」
「い、一応余裕は持たせてあるよ。完全にたまたまだけど」
なんせまるで想定していなかった買い物なので嫌な予感が走りもしたのですが、我が妻のファインプレーで事なきを得ていました。お金のことに限らないでしょうけど、大事ですよね。余裕を持つっていうのは。
なんてことを考えるのはこれまた照れ隠しなわけですが、するとそこへ家守さん、「ほほう」と何かしらに興味が湧いたようなご様子。
「財布の紐はしぃちゃん管轄なわけだ、日向家」
ああ、そりゃあ今のじゃ他の人にはそう聞こえるか。
……都合のいい勘違いであるなら、そのまま放置しておいてもいいのでしょうが……。
「えーと、残念ですけどそういうことじゃなくて」
「へ? 違うの?」
「まだ所持金を纏めたりはしてなくて、単に僕がピンチなだけなんです」
「あー」
そうなった理由は家守さんと高次さんへの仕事料が大きいところを占めているわけであって、なのでわざわざそれについて説明しなくても、家守さんは察してくれた様子でした。
そして同時に、だからといって仕事料をまけるとかいったような話にならないのは、実に有難いことでした。なんせその仕事料は、僕と栞のほうから払いたいと頼み込んだものなのです。
ただ優しいだけじゃなくてちゃんと分かってくれてるんだなあ。――というのは、たまたま言わなかっただけ、という可能性を考慮するにちょっと贔屓目に過ぎるのかもしれません。けれど僕は、そんなふうに思っておくことにしました。
「お金のお話はよく分かんないなあ、ボク」
「私もあんまりですねえ」
サンデーがよたよたもふもふと歩き難そうにしながら僕の下へ、そしてナタリーさんは特に普段と変わらずしゅるしゅると栞の下へ。どうやら、ベッドの感触は充分に堪能し終えたようでした。
「まあ、僕が栞に助けて貰ったってことで」
「そうなの? よく分からないけど良かったね、孝一くん」
「助けた側の割に、栞さんもなんだか嬉しそうですね」
「えへへ、まあね。私、普段は助けてもらってばっかりだから」
栞がそう言った時、家守さんがとても嬉しそうな顔をしていたのが目に入りましたが、しかし特に指摘したりはしないでおきました。するまでもないこと、なんでしょうしね。
「うっし、サンデーとナタリーも戻ったところで次はシーツと掛け布団か。ハートマークのとかないかね?」
「なんですか、そのものすっごい悪趣味なの」
「イエスノー枕とかは?」
「シーツと掛け布団って話なのに――いやそれ以前に、置いてあったとしても『これ何?』って訊かれたら困るから近付きすらしません」
頭にクエスチョンマークを浮かべている栞を見て、僕はそんなふうに答えておきました。というかそもそも、デパートで堂々と売ってるわけないじゃないですかそんなもの。……売ってませんよね?
「ええと、孝さん? そんなこと言われちゃうと、今この場で訊きたくなっちゃうんだけど」
「家守さんがいないところでなら答えてもいいんだけどね」
「ははあ、なるほど。方向性は分かったよ」
家守さんへの信頼。今の話もまたそのうちの一つ、ということになるのでしょうか?
してしまいましょうか、もう。
「あ、そうだ。今更過ぎるけど」
店員さんに買ったものを車まで運んでもらい(シーツと掛け布団は無難に白にしました。それはそれで、なんて言われましたが、誰に言われたかは言うまでもなく)、さあ帰ろうかというところ。車に乗る直前、それを遮るようなタイミングで、家守さんが言いました。
「しぃちゃんこーちゃん、家電売り場に行ってみたら?」
「え? 今のところ、別に買いたいようなものは」
「明美さんのことだと思うよ」
栞から即座に突っ込まれ、ああなるほどと。
店内ならともかくもう駐車場まで出てきてしまっていますが、その程度の二度手間なら無視して差し支えない案なのでしょう。結婚報告っていったらまあ、重要なことではあるんですし。
「そうですね、そういうことだったら」
「ん。じゃあアタシらはここで待っとくかね、高次さん」
「そうだな。まあどのみち俺はここでジョンと留守番なんだけど――それはともかく二人とも、そういうことなんで行っといで。別に急がなくていいからね、俺ら待たせてるからって」
用事も用事ですし、今回は有難くその言葉に従うべきなのでしょう。変に急いた結婚報告っていうのも、可笑しな話ですしね。
「ボクとナタリーさんはどうしたらいいの?」
「んー、サンデーとナタリーもここでお留守番かな。高次さんなんかと二人で暇してただろうから、ジョンと遊んであげるといいよ」
「はーい」
「ただいまです、ジョンさん」
ということなのでサンデーとナタリーさんを車内へ下ろし、逆に自分達は車から引き返して、再度店内へ。
「あら。いらっしゃいませ、お二人さん」
こんにちは――いや、時間的にはまだ「おはようございます」になりますか。そっちで挨拶をしてもらえたら良かったのですが、客と店員という関係においては冷やかしでしかない用事で訪れていると、「いらっしゃいませ」はちょっと心苦しかったりも。
しかしまあ、些細なことでしょう。
「すいません明美さん、いつもの如く買い物の用事で来たわけじゃなくて」
「おはようございます」
半端な笑みを浮かべる僕に栞がそう続くと、明美さんは改めて「おはようございます」と。
「こんなおばちゃんにわざわざ会いに来てくれたってことですよね? うふふ、そっちのほうがよっぽど嬉しいですよ」
「そう言ってもらえると有難いです。――にしても、いつもこの遣り取りから入ってるような」
「あら、そうだったかしら」
それはつまり、いつも買い物をしていないというわけで……。
いや、止めておきましょう。一応は用事があって来ているわけですから、まずはそちらを。
「今日はちょっと他の買い物で来てたんですけど、折角だったら明美さんにも報告しておこうって話になりまして」
「報告? 何かしらねえ」
興味ありげに小首を傾げる明美さん。僕はほんの一瞬、何を言うでもなく栞と視線を重ね、そうしてから明美さんに向き直りました。
「僕達、結婚したんです。昨日のことですけど」
「あらまあ」
声色や声量にはあまり現れませんでしたが、しかし両手を頬にあてがう明美さん。どうやら、割と驚いてもらえたようでした。
いや別に、驚かせるのが目的だったってわけでもないんですけどね。
「凄いですねえ、怒橋君と哀沢さんだってついこの間だったのに」
なるほど。どうやら僕と栞の結婚それ自体ではなく、立て続けに二組が結婚したことを驚いていたようです。そりゃ驚きますよね、こんな短い間に。
「おめでとうございます、日向さん喜坂さん」
『ありがとうございます』
で、そりゃまあこうして祝われる展開にもなるわけですが、分かり切っていても嬉しいものは嬉しものです。昨日だってそうでしたしね。
「……あら、でもそうすると喜坂さんはもう『喜坂』さんではないのかしら?」
「はい。日向栞になりました」
「そう。うふふ、呼ぶ時に間違えないようにしないと」
この展開も予想できるものではありましたが、しかし。そういえば昨日、成美さんが怒橋姓を名乗るかどうか考える、みたいな話をしていましたが、結論は出たんでしょうか?
今朝、もうちょっと落ち着いて顔を合わせられていたらその話も出来たかのかもなあ。なんて考えてしまいますが、しかしどちらにせよあっちからその話を振ってくるまで待った方がいいよなあ、とも。
急いで決めるようなことでもないですし、もし決まってなかったとしたら急かすようなことになっちゃいますしね、こっちからどうなったか尋ねるっていうのは。
で、それはともかくこちらの話。明美さん、何やら目元を緩ませながら僕のほうを向きました。
「日向さん、大学に入ったばっかりでしたっけ? 感心だわあ、そんなに若くて結婚しちゃうなんて」
というわけで褒められてしまいましたが、しかし、ううむ。
「うーん、正直どうなんですかねえ。自分で言うのも何ですけど、学生なんて足元が全く固まってないっていうか」
具体的に言えば、学校を卒業して就職して、完全に自活できるようになってから検討すべきことではないのか、という話。もちろん僕達がこうも早く一緒になったのはそれなりの理由があるわけですが、他の人の目から見て褒められるようなことなのかというと、ちょっと自信がありません。
けれど明美さんは、目元の緩みを継続させます。
「結婚した以上、『この人となら幸せになれる、幸せにしてあげられる』って確信してるんですよね? そりゃあ生活の安定だって一つの要因ではありますけど、それだけがってことでもないんですし。むしろ、そこに不安があっても『この人となら』って思えるなんて、素晴らしいことじゃないでしょうかねえ」
言われた僕達は、お互いの顔を向き合いました。すると栞はにっこりしながら首を傾けてくれ、なので僕も、そこまで露骨ではないにせよ、少しだけ笑うことができました。
今の明美さんの話、聞き取りようによっては「夢見がち」なんて思ってしまったりするものなのかもしれません。けれど少なくとも、僕達にとっては――。
栞は幽霊です。
なので、生活費は浮かせようと思えば随分と浮かせられるのです。なんせまず食事をする必要からしてありませんし、それに今はまだそこまでの話はしていませんが、いろいろな税金とかだって掛かってこないわけですし。
つまり極端な話、生活の安定に必要不可欠である「お金」については、僕一人の分だけでもなんとかなるわけです。もちろんそれは極端も極端な話であって、実際にそんな状況に陥るのは断固お断りですが。
そうして「生活の安定」というものの重要度が低下したなら、その分他の要因の重要度は上がります。ならばそれについて栞はどうなのかというと――いや、言うまでもないのでしょう。自分がどれだけ幸せなのかなんて、敢えて語るようなことではないんでしょうし。
で、その栞ですが、明美さんにこんな質問を投げ掛けるのでした。
「明美さんはどうでしたか? 清さんと結婚した時」
「私? そうねえ。遊びにしても仕事にしても、何にしたって忙しい人だったから、そんな細かいことを考えてる暇がなかったかしら」
確かに清さんはほぼ毎日どこかへ遊びに出掛けているわけですが、だからといって忙しいというようなイメージは……いやしかし、それに毎度付き合うと考えれば、充分以上に忙しいことになりましょうか。
「うふふ、でも今思うとそれって、もしかしたらあの人の思うつぼだったのかも。不満を持つ暇もなかったって、考えてみれば変な話だものねえ」
でも、幸せだった。更に言うなら、今だってまだ。つまりはそういうことなのでしょう。
僕と栞はそんなふうに在り続けられるだろうか、なんてついつい思ってしまわないこともなかったのですが、少なくとも今のところは肯定的な答えしか思い浮かべられませんでした。
少し間があって、すると明美さん、「いえいえ私の話はどうでもよくて」と。
「――――」
どうでもよくて、ということであるなら次の話が出てくるところなのでしょうがしかし、口を開けたまま言葉が出ない明美さん。はて。
「危ない危ない、『喜坂さん』って呼びそうになっちゃったわ今」
ああ、なるほど。というわけで明美さん、栞に「『栞さん』でいいかしら?」と尋ね、ならば栞はそれに頷き、話の続きが。
「栞さんはどうかしら。日向さんとは、どんな感じ? どんな感じの人だと思ってる?」
「せっかちな人です」
栞、見事なまでに即答。恐らくはその質問が来ることを予想していたのでしょうが、お愛想程度に考える素振りすら見せないのには、他の意図も感じられるのでした。
「なんせもう結婚しちゃったくらいですからね」
「うふふ、それもそうなのかもね」
果たしてその一言だけでどれほどのことが伝わるのかは分かりませんが、しかし明美さんはどうやら納得したようで、それ以上の話をするよう促したりはしないのでした。
そうして話が一段落したところで、ということで今更なのですが明美さんは仕事中です。あまり長居しては迷惑なのでしょうし、伝えるべきことはもう済ませましたし、聞けて良かったと思えるようなお話も頂きました。極一般的な新婚に比べて「生活の安定」の重要性が低いということを、ぼんやりとではなくはっきり認識できたのは、大きな収穫だったのでしょう。
ならば、
「それじゃあ明美さん、そろそろ」
「あらそう? じゃあ――おほん、新婚生活に際して家電製品がご入り用になりましたら、是非当店をご活用くださいませ」
なるほど、帰り際くらいはそりゃそうもなりましょう。
「はい。その時は宜しくお願いします」
入り用どころか二つある冷蔵庫の処分から始めなきゃならないんですけどね、なんて、元気のいい栞の返事を聞きながら思ってしまいます。でも少なくとも、それを面倒だと思う気持ちよりはここに顔を出して良かったという気持ちのほうが、現時点では強いのでした。
家電売り場を離れて駐車場の車まで向かう最中、「来てよかった」と書いてある栞の顔を眺めながら、明美さんと会うよう勧めてくれた家守さんに感謝をする僕なのでした。
「さあさあ着いた着いた。んじゃあいっちょ組み立てちゃおう」
「はっは、なんでお前が一番張り切ってるんだよ」
あまくに荘駐車場。車を降りるなり、僕達を急かし始める家守さんなのでした。
ベッドの組み立てを引っ越し作業の一部として行うなら、昼食の後ということになるのですが――。
「どうしよっか栞。それだけ先にやっちゃう?」
「そうだね、私も早く組み立てたとこ見たいし」
完成後のベッドについてはデパートに展示されていたものを見ましたし、見るだけでなくその感触をたしかめたりもしたのですが、けれどもまあ気持ちは分かります。自分達の部屋に自分達のものとして設置してあるというのは、やっぱり展示品とはいろいろと違ってきますしね。
というわけで、
「ほーう、ここが二人の愛の巣かあ」
「作りはどの部屋も同じですけどね」
組み立て前のベッドとその付属品一式をえっちらおっちら運び込み、204号室の私室。
204号室に入った直後、つまり204号室全体を指して言うんだったら微笑ましいだけで済みますが、これからベッドを配置しようという部屋に入って初めてそれを言うというのは、大分やらしいんじゃないでしょうか家守さん。……まあ、家守さんなんですけども。
「それで日向くん。ベッド組み立てる前に、カーペットは今のままでいいのかな。組み立てた後で変えるってのは面倒だろうし」
真面目な話担当の高次さん、作業に取り掛かる前にそんな質問。つまりは栞の部屋のカーペットと取り換えたりは、という話なのでしょうが、
「あ、それは――このままってことだったよね? 栞」
「うん」
引越しに際して必要な物品とそうでない物品は、既に分けてあります。それを書き出した紙は栞の部屋に置きっ放しですが、栞に確認も取れたのなら記憶に間違いはないでしょう。
「ん? 何をどう配置するとか、もう決めちゃってる感じ?」
「ああいえ、そこまでは。要るものと要らないものを分けただけで」
「そっか。そりゃあどうなるか楽しみだね」
ものの配置を決めていようが決めていまいが、家守さんからすればどうなるのか分からないのは同じはずなのですが、しかしそれでも楽しみなんだそうでした。筋は通りませんが、しかしまあ、そういうものなのでしょう。
「よし! ともかくこいつをさっさと組み立てちまおうぜ野郎ども!」
えらくテンションを上げて指示を出す家守さん。そんな彼女に、高次さんは苦笑い。
「うーん、このはしゃぎっぷり。まるで子どもだなあ」
「そういうところも魅力のうちだったりするんじゃないですか? 高次さんにとっては」
なんとなく家守さんには聞こえないよう声を落としつつ、そんなふうに返してみます。すると高次さん、一瞬目を丸くしてから、いつものように「はっは」と。
「痛いとこ突いてくるなあ日向くん。それ、楓に弄られた仕返しが俺に来てる感じ?」
言われてみれば、なんで僕は今こんなことを言ったんでしょうか? こう、意地悪というかなんというか。僕が、しかも高次さん相手にそんな物言いをするというのは自分でもあまりしっくりこなかったので、ならばそこには高次さんが言うように、何かしらの理由があるのでしょう。
「かもしれませんねえ」
「だとしたら捨てたもんじゃないな、楓のあれも。なんせその元凶をお嫁さんに迎えるほど好きなもんで、居心地がいいよ。――あれ、この言い方だとただのマゾっぽいな俺」
「あー、いや、一応そんなふうには見てませんから」
「はっは、一応かあ」
力無く笑う高次さんですが、そりゃまあ一応です。普段はこんな感じですが、けれどもちょくちょく出てくる話を聞く限り、真面目なところでの家守さんと高次さんの関係は、これとは随分違いそうですし。
栞が明美さんから訊かれてましたっけね。僕とはどんな感じなのか、どんな感じの人だと思ってるのかって話。
「ほら男子ー! 力仕事なんだから動いてー!」
『はーい』
ベッドの組み立てが果たして力仕事なのかどうかはともかく、僕も高次さんも、家守さんには逆らえないのでした。ええ、高次さんに限らず僕だって。
「ボクとジョンも男子なんだけどなあ」
「ワフウ」
「私だってお手伝いしたいです、女子ですけど」
駆り出された僕と高次さんの背後から、アニマル勢のそんな声。するとそれに続いて栞の小さな笑い声、次いでこんな提案が出てくるのでした。
「じゃあ孝さんと高次さんの応援とか、お願いしちゃおうかな」
――というわけで、ベッドの組み立て如きで受けるにしては過剰としか言いようのない応援を受けながら作業する羽目になりました。
照れ臭過ぎてやり辛かった、というのが正直なところです。もちろん栞はそれを見越して言ったのでしょうし、家守さんもそれに乗っかって楽しんでらっしゃるようでしたが。
「いやあ、日向くんのお嫁さんもなかなかどうして」
笑いながら言う高次さんでした。
返す言葉もありませんでした。
『おおー』
ベッドの枠を組み立て、マットを敷き、その上から更にシーツと掛け布団を。重労働でないとはいえそうしてベッドが完成してみれば、それなりに達成感が得られたりもするのでした。
というわけで、栞と家守さんから感嘆の声と小さいながらも拍手まで頂きつつ、作業完了でございます。
「お店の時みたいにまた登りたいけど、でも今度は栞さんと孝一くんが先だよね」
「ですよね、お二人のものなんですし」
サンデーとナタリーさんからそんなお気遣いが。なるほど理屈は通ってますし、ならばここは有難くその提案を受け入れるべきなのでしょうが、
「えーと……あはは」
栞、困ったような笑みを浮かべていました。そして僕も多分、それと同じような顔をしていたことでしょう。
「うーん、そこはむしろ照れちゃう方がやらしいんじゃないのかねえ?」
そんな僕達へ、他の誰かからならともかくなんと家守さんから駄目出しが。
皆までは語らないその言葉でしたが――しかし悔しいことに、言い返す余地はありませんでした。サンデーとナタリーさんが譲ってくれたのは、「ベッドの感触を確かめる一番手」という権利。そこに他意はなく、ならばただそれだけのことで何を照れることがあろうか、という話なのです。
みんなの目の前で栞と一緒にベッドに寝転んでみたところで、そこに照れるような要素は微塵もないのです。ないのですとも。……ベッドの縁に座るってだけじゃ駄目なんだろうなあ、もう。
「栞、それじゃあ覚悟を決めて」
「うん」
「そんな悲壮な顔で臨まなくても」
またしても家守さんから突っ込みが入りましたが、それに構っている余裕はありません。僕と栞は、ガチガチした動きでふわふわのベッドへと。
『…………』
みんなの目を気にしつつも広いベッドの上に並んで座り、そしてそこからいそいそと身体を横たえました。その間僕と栞は見詰め合っているわけですが、なんせ家守さんに言われた通りの悲壮な顔なわけで、色気もへったくれもありゃしません。むしろ相手の顔を見て余計に緊張感が増すばかり。
『…………?』
だったのですが、横たえた身体を少々もぞもぞさせた辺りで栞の表情に変化が。ならばきっと僕の表情も同じように変化しているのでしょうが、それはともかく何と言いましょうかこう、硬かったものを解れさせられたというか。
『…………おお』
それはつまり「思っていた以上にベッドのふわふわ感が気持ちよかった」ということなのですが、けれど僕も栞も、こうして横になったわけではありませんがデパートで展示品のベッドに腰掛けていて、ならばその時にある程度は感触を得ているわけです。
はて、なのにどうして「思っていた以上に」なんてことが起こったんでしょうか? そりゃあシーツと掛け布団は別売りだったわけで、それらが追加されているのはデパートで展示されていたものと違いはしますが……。
『おおー』
まあしかしそんな細かい話はともかく、手でマットをぐいぐい押してみたり身体を撥ねさせてみたりと、僕も栞もその「思っていた以上の気持ちよさ」を堪能し始めるのでした。
「すっごくいい感じです、楓さん」
「みたいだねえ。おかげで横槍入れて水を差すような気になれないよ、こっちも」
それはなんとも有難いお言葉。なんせこの状況、ついさっきまでびくびくさせられていた通り、家守さん的な冗談を言い易いんでしょうしね。
――まあしかしそれはともかくとして、
「サンデー、ナタリーさん。お待たせしました」
わざわざ一番手を譲ってくれたお二方を、ベッドの上にご招待。できればジョンも一緒に呼びたいところですが、ううむ、そこはやはり毛の心配が。
「わーい」
「お邪魔します」
お邪魔ではないんですけどね別に、などと家守さん的な冗談に繋がりかねない返事を思い付きつつ、けれどそれは口に出さずにおきまして。
「楓さんと高次さんもどうですか?」
デパートの時と同じく遊び始めたサンデーとナタリーさんを少し眺めた後、同じくそれを眺めている家守さんと高次さんへ、そう尋ねるのでした。
「えっ? あーいやいや、それはさすがに……ねえ? 高次さん」
「はっは、そういうところは遠慮するのな。――ってわけだから日向さん、せっかくだけど俺達はパスで。羨ましくて仕方がないってことになったら俺達も買えばいいんだしね」
「う、羨ましいだなんて言ってないじゃないのさ……」
高次さんからニヤリとした視線を向けられるや否や、急速にしおらしくなり始める家守さん。ならばそれを見た栞も、くすくすと笑いながら「分かりました」とだけ。
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