(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十九章 騒がしいお泊まり 前編 五

2008-10-21 20:59:41 | 新転地はお化け屋敷
 それからさらに暫らく。これまで静かだった風呂場に、人が流れ込んできそうな気配。気配と言っても要は、脱衣所のほうから声やら音やらが複数聞こえてきただけなんですけどね。
「清サンと孝治サン……どころの数じゃねえな。もしかして、ここの人達か?」
「だろうね。一気に大量のお客さんが泊まりに来たっていうんじゃなければ」
 そうなんじゃないだろうかと予想はしていたので、お互い特に慌てる様子もない。ただただ特大の湯船に浸かったまま、脱衣所の方々が入ってくるのを悠々と待つのみ。
 そしてどうなったかと言うと、
「夕食のほうはどうでしたかな」
「あ、すげえ美味かったです。オレ、刺身以外の魚ってあんま好きじゃないんですけど、普段からああいうの食べれてたらそうはならなかったと思います」
 十人前後だろうか。これまでたった二人だけだった風呂場内にそれだけの数が一度に入り込み、一気に人口密度が増す。と言ってもまだまだ余剰スペースはたっぷりあるわけだけど――。
 それはともかく、その十人前後の中に大門さんが入っていました。入ってすぐにこちらを目に留めた大門さんは、さっと体を流すと迷いなく僕達の隣へ。がっちりした体格の上に幾らかの脂肪が乗っている、という感じの身体を晒しながらこちらへ向かってくる際、何がとは言いませんが、堂々としておられました。
「それはなにより」
 湯船に浸かって脱力しているのか、大吾の感想に微笑む大門さんの顔はこれまでほどには怖くはない。と言って、全くそうでもないというわけでもなく。
「ところで少々お伺いしますが――」
 同じ「料理を作る者」として、いや、そういう事は関係無く誰から見てもそうなのかもしれない。暫らく夕飯の話題に取り掛かる事になるのかと思いきや、それは大門さんの側から早々に切り上げられた。意外であり、ちょっとだけ勿体無いような気もする。
「風呂に入られてから、どれくらいになりますかな?」
「まだそんなには。でも、どうしてですか?」
 これが自宅での入浴ならそろそろ上がってもいいくらいだと思うけど、しかし宿泊先での入浴なのでそうでもない。と言って、このあと離れのほうのお風呂にも行く事を考えると、こちらでの長湯は控えたほうがいいのかもしれない。
 そんな事を考えながら返答した僕に、大門さんが返す。
「できればもう少しここで待って頂こうかと。――いやなに、お二人に面識のある者がもうすぐここへ来る、という話なんです」
 面識。ここへ来るという事はもちろん男性だから、定平さんもしくは義春くん? いや、義春くんはまだお母さんと一緒ってところだろうか? じゃあ定平さん……いや、それなら今みたいな言い方にはならないかな? さっき会ったばかりなのにもったいぶってると言うか。
 はてそれ以外で男性と言うと、と思考を巡らせてみるも、程よく温まった頭は回転が鈍い。がしかし、回転させる必要はなかったようで、
「おや、言っとる間に来たようですな」
 浴場と脱衣所を繋ぐスモークガラス張りの戸がガラリと開かれ、入浴客が一名追加。どうやらその一名が、大門さんの言う「面識のある者」らしい。
「おう、木崎(きざき)!」
 浴場へ入るや否や大門さんの大声に呼ばれ、男性がこちらを向く。木崎という名前らしいけど、覚えはない。しかし面識はあるという事で……確かにその顔には、見覚えはあるような。まだ距離があってはっきりとはしないけど。
 木崎さん、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。だんだんこちらとの距離が縮まり、その足が湯船の前で止まる頃には、はっきりと目に映ったその男前な顔に記憶の中の顔がはっきりと重なった。
「あの、もしかしてプールの?」
 大吾も気付いたんだろう、お湯に浸かったままながらも小さく身じろぎしてみせた。
 一見して、三十歳前というところだろうか? それでも尚――と言ったらそれくらいの年代の人に怒られそうだけど――男前な、今目の前に立っている男性。彼は以前みんなで遊びに行った室内プールでウォータースライダーの係員をしていた、あの男性なのでした。
「はい。お変わりない様で何よりです、日向様、怒橋様」
 変わりがないというのは体調云々でなく以前会った時と今の格好、こちらは海パン一丁であちらはそれに加えてジャケットを着込んでいた、というのを比べての発言なのかな、と無駄に過ぎる勘繰りをしつつも、慣れない(慣れるわけがない)様付けに体がむず痒くなる。そしてそれと同時、その声自体に「ああそうか。ここの玄関で聞いた聞き覚えのある声はこの人だったのか」とも。
「しかしまさか、こんな格好でお会いする事になるとは……少し、困りましたね」
 短い挨拶を交わしたその後、ここまで来たのなら湯船に浸かるんだろうと思われた木崎さんはしかし、そんな事を言いながら足を止めてしまう。
「へ?」
 大吾が抜けた声を吐き出した。僕も同じくかもしれない。
 格好と言うと風呂だから当然素っ裸なわけですが、まさかそれが恥ずかしいと言うような年代でもないだろうし、そもそも木崎さんだってやっぱり堂々とここまで歩いてきたわけで。困ると言うのは、どういう事だろう? 見えてないのなんて、もう背中くらいのものだけど。
 なんて思っていると、大門さんがくつくつと小さく笑う。それを見た木崎さんは眉を寄せた。
「それが分かっていて私に声を掛けるとは、大門さんも人が悪い」
「ははは、風呂場で裸同士が対面して何がおかしい。困る事があるようならそれは自己責任というものだろう」
「自己責任。まあ、返す言葉もありませんね」
 初めは迷惑そうだった木崎さんの口調。しかし言葉通りに自己責任という単語に反応したのか、二言目にはもうただ苦笑しているだけのそれだった。
「では、失礼します」
 そう言って木崎さんが行ったのは、湯船に浸かる前に誰もがする事。ただ手近にあった洗面器に湯船のお湯を掬い、それで体を流しただけなのですが、その動作の中で――
「……お分かりになりましたか?」
 こくりと頷く僕と大吾。さっき考えた「見えてないのなんてもう背中だけ」という言葉が、ほぼ正解のようなものでした。
「この家、四方院家に拾われる前、私はそういう者だったという事です」
 木崎さんの背中は、肌色ではありませんでした。肌色でない上、その肌色以外の色が形を成し、表されているのは虎と波と舞い散る花弁。つまりそこにあったのは、刺青というものでした。彼の言う「そういう者」がどういう者を指すのかは、語るまでもないのでしょう。
 体を流した木崎さんは、大門さんを含んだ僕達三人と向かい合うようにして湯船の中に腰を降ろす。背中を気にしているというのは、こちらが気にし過ぎなだけなのだろうか。
「まあこの事以外、特に話題を持ち合わせているわけでもないのですが――」
「その事がそのまま話題になるだろう? お二人はどうですかな、その辺りの話は」
 話題がこちらに向けられる。はて、大門さんがそう言うまで木崎さんはそれを話題にするつもりがなかったようだし、しかも話題の種が種だし、やっぱり進んで言いたくはない話なのかもしれない。しかしそれが分かっていてもやっぱり興味は湧くわけで、一瞬どうしようかと黙り込んでしまう。大吾も同様。
 すると大門さん、どうやら沈黙を肯定だと受け取ったらしく、ほれ見ろと言わんばかりに木崎さんへにいっと歯を見せ付ける。その笑い方を見て、そう言えばサタデーはどうしているだろうか、なんて。
「……では、掻い摘んでだけ」

 木崎さんの話は本当に掻い摘んだだけだったものの、それでも大きな話だった。大きいと言っても長いというわけではなく、なんと言うか、こちらが受けた衝撃度と言うか。しかしそれは別に気分が萎えるだとかマイナス方面での衝撃ではなく、だからと言ってプラス方面だとはとても言えないような。
 話の内容自体は、元々掻い摘んでされたものを更に掻い摘むなら「以前のお仕事に関して亡くなった筈の人が目の前に現れ、同時にそれと同じような存在をとんでもない広範囲で感知できるようになってしまい、しかもその感知能力を制御できず、あまりの恐怖とあまりの混乱の中で逃げ出し、心身ともにボロボロになったある時、この四方院の人に声を掛けられた」というものだった。
 現実味がない。
 と、僕は思った。疑うわけじゃないけど、それでもどこか浮き足立っているような感想しか浮かんでこなかった。こういうのを平和ボケと言うんだろうか? 違うような気もするけど、まあこの場ではそうだという事にしておこう。
 そうぼんやりとお茶を濁したりしている間に、大吾が木崎さんへ質問する。
「その時まで幽霊が見えてるって知らなかったって事ですか?」
「そうなりますね。もしかしたら霊感と同様、その時点で初めて見えるようになっただけなのかもしれませんが――まあ、それはどちらでも同じでしょう」
 ああ、幽霊が見えたり何だりって、「ある日突然」なんて事もあるのか。木崎さんの返答で今更ながらそんな事を知ったものの、それでもやっぱり僕はぼんやりと。
 はて、どうしてこんなに意識がぼんやりしているんだろう? 木崎さんの話は――特に、以前のお仕事と「それに関して人が亡くなった」という事実を結び付けると――良かれ悪しかれインパクトがあった。という事は、話に興味がないというわけでもないだろう。ではただ単に、ちょっと熱めの湯船のおかげでのぼせそうになっているんだろうか? いや、それも違うような気もする。じゃあ、どうして?
「ここに雇われている者の殆どは」
 大吾への返答がてらか、木崎さんが続ける。若干、声は落とされていた。
「何か事情があってここへ来るしかなかった者達です。もちろん、幽霊絡みで。私のように」
 それは木崎さんが自分から言い始めた台詞であって、僕が頭に浮かべた疑問に関する内容ではないのだろう。だけど、僕はそこから見付けた。
 ――ああ、僕には事情なんてものがないのか。だからどこか離れたところから……そう、テレビで他人の不幸話をなんとなく眺めているような、そんな調子で木崎さんの話を聞いていたのか。
「ふん、事情の種類が同じなだけだ。お前さんほど深い奴などそうそうにはおらんよ」
「それは何よりですね。プールに配属されてジャケットの隙間から背中が見えてしまわないかと戦々恐々になってしまうのなんて、私だけで充分ですから」
 まるで軽口のように大門さんと木崎さんが一言交わす。ぼんやりしてるだけの僕が言うのもなんだけど、話の内容にそぐわないなあ、なんて。
 でもそれは、僕の気の緩みとはまた別の根拠から来るものなんだろう。なんせ方や自分自身の話で、もう一方も話の中身を知ったうえで振ったんだし。そのうえどちらとも、と言って倍くらいの年齢差はあるんだろうけど、でもどちらとも大人だ。大人だから大人らしくしっかりしてて当然だなんて言うつもりはないけど、しっかり仕事をしてしっかり食い扶持を稼いでいるという時点で、大学生の僕からすればしっかりした大人だった。この家へ来る以前にどんな事情があったにしても。

「あれって、どっちかっつったらオマエ宛ての話だったんじゃねえかな」
 この後もう一度お風呂をいただく予定だけど、一旦戻った男子部屋。部屋に備え付けてあった浴衣に着替えてくつろいでいると、同じく浴衣姿な大吾が、不意にそんな話を振ってきました。
「あれって?」
「木崎サンの話」
「ああ。……でも、なんであれが僕宛って?」
 何を言っているのかは分かったものの、何を言いたいのかはよく分からない。あの時、木崎さんの話が終わって「ではそろそろ」と二人して浴場を後にするまで、僕だけを対象に喋っているふうではなかった。木崎さんはもちろん、大門さんも。話に臨む態度がぼんやりとしたものだったのには、そういう要因も関係していた事だろう。だから僕は大吾のその意見に、少しだけ驚いた。
 薄い木の板一枚をひん曲げて作ったような座椅子(もこもこ座布団付き)に首から上が背後の窓へ向く程もたれていた大吾が、顔を持ち上げこちらに向ける。
「いや、なんとなく。幽霊が見える云々から来る話っつったらやっぱオマエかなってだけ」
「でも僕、今のところは『云々』がないからなあ。幽霊が見える、だけで止まってるし」
 そりゃあ友達や年上の知り合いも増えたし、人生初の彼女だってそれがあってのものだ。だけど、今回の「云々」にそういうものは含まれないだろう。
「そりゃそうだけどよ、こういう事もあるって話なんじゃねえの? 何もねえならそれはそれで良し、みたいな」
「まあ確かに、気付かせてくれたのが家守さんだったから良かったっていうのはあるかも」
 なんせ引越し当日、幽霊というものに驚いて気絶までしたこの僕だ。幽霊が見えるという自分の体質は、一歩間違えればトラウマものの事実になってしまっていたのかもしれない。
「……でもよ、孝一」
 ここで大吾、なんだか真面目な、と言うか実に言い辛そうな声色になる。
「これまで何もなかったからって、これから先も何もないとは言い切れねえんじゃねえか? オマエは、ほら、喜坂と付き合ってんだし」
 なんだか栞さんを僕の障害物扱いされた――などというふうには、捉えない。自分の言い分にそういう側面があると分かってて、でも言いたいのはそこじゃないからこそ、こんなにくぐもった言い方になってるんだろうし。
「言い切れないけど、でもだからってどうもしないよ。付き合い始めたばっかりでこんな事言うのもアレだけど、僕はずっと栞さんと一緒にいたいし」
 格好付けとか決意表明とかじゃなくて、ただただそう思う。人生で始めての彼女というものを必要以上に有難がっている、とかいう事ももしかしたらあるのかもしれないけど、でもやっぱりそう思っている事には変わらない。
「そっか」
 後から思い返してのた打ち回りたくなるかもしれないような発言内容に、しかし大吾は揶揄を入れるでもなくあっさりとそれを受け入れてくれた。
 受け入れてくれると言うのなら、もう少しだけ。
「ケーキ食べたでしょ? 孝治さんと椛さんが作ったやつ」
「あ? ああ。いや、椛サンも一緒に作ってたってのは今知ったけど」
 僕からすればそうでもないけど、大吾からすれば随分と話が飛んだんだろう。不意打ちされて面食らったような顔だった。
「椛さんも一緒だったんだよ。で、そういうのっていいなあって」
「ん? 料理人からパン屋に転向か?」
 椛さんと一緒、というところを繰り返した意図を汲んで欲しかった。いや、まあいいけど。唐突な話だし。
「違う違う、……共同作業っていうの? 夫婦で一緒の仕事してるって、憧れると言うか何と言うか」
「はあ。でも、毎晩一緒に飯作って一緒に食ってんだろ? ヤモリまでいるとは言え」
「それはほら、今のところ先生と生徒の関係だし。それにただ夕食を作るってだけじゃなくて、孝治さんと椛さんのあれは仕事でしょ? 仕事で肩並べられるって格好良くない?」
「うーん……ぶっちゃけ分かんねえな、オレには」
 キッパリとそう言われて、僕はくすっと笑ってしまう。理解は得られなかったものの、どうしてだか悪い気はしなかった。さてそれはこの状況がそう感じさせるのか、それとも相手が大吾だからなのか。――その二択を思い描いた時点で、自分の中の答えは決まっているんだろう。
「んだよ、そこで笑うんじゃねえよ。俺が馬鹿だって言ってるみたいじゃねえか。……言ってるのか? もしかして」
「言ってない言ってない。それでこそ大吾だと思うよ。いや本当に」
「はん、どうだか。普段から馬鹿馬鹿言われてるからなオレは」
 どうやら真面目ぶった話もここまでらしく、大吾は再び過剰なまでに座椅子の背にもたれる。馬鹿にされていると思ったその頭に何が、と言うか誰が浮かんだかは、容易に想像できるだろう。単純だなあと思うものの、今言った通りにそれは馬鹿にしているわけではない。それが大吾の良いところなんだから、馬鹿に出来ようはずもない。
「あ」
 馬鹿馬鹿言ってるあの人だって何も本気で馬鹿だと思っているわけではないはずで、大吾自身、その事は分かっているだろうに。それもまた単純なんだよねえ。
 ――で、何かな馬鹿くん。
「外外。清サンがいるぞ」
「え? あれ、本当だ」
 頭の上下が逆になった体勢のまま、とっくに暗くなっている窓の外を指差す大吾。その先には嘘偽りなく清さんがいました。いやまあ、外出が多い人だから驚くほどの事でもないんですがね。現に僕も大吾も落ち着いたものですし。
 窓から覗く庭には灯籠が設置されていて、すっかり暗くなってしまったその周囲を弱々しくながらも照らし上げていた。そしてそんな薄明かりの中に、清さんです。
「清さーん」
 大吾が窓を開け(ベランダのようにここから外へ出る事は想定されていないようで、膝くらいの高さにある)、僕が呼び掛ける。初め目に留まったのは清さんだけだったけど、窓から身を乗り出してよく見てみれば、サタデーとジョンとナタリーさんの三名も一緒でした。
「おや、明かりが点いていると思ったら男子部屋でしたか。――んっふっふ、ただ今帰りました」
「え、隣は点いてなかったんですか?」
 挨拶を返すよりも前に、大吾が食い付く。なるほどこの部屋の左右は女子部屋と清さんの部屋で、今清さんが歩いてきた方向からすればここより先に女子部屋、そしてそれよりもう一つ先に家守さんの部屋の前を通ってきた事になる。そのうえで「明かりが点いていた部屋」としてここが挙げられるのならば、それはつまり。
 ふむ、大吾にしては聡い。……いや、それだけ隣が気になってたって事なのかな?
「おいおい、情けねえな男ども。こちとらてっきり『今頃はLOVELOVEしてるかもなぁ』なんて思いながら帰ってきたってのに」
「でもこっちの部屋にもいないとなると、喜坂さんと哀沢さんはどこへ行ったんでしょう?」
「ワウゥ」
 それはつまりラブラブの現場を覗くつもりだったのかとサタデーに言い返したかったけど、その暇もなくナタリーさんに続かれて断念。いや、そうじゃなかったとしても言えそうにないけど。見られて困るような事でもするつもりだったのかとでも返されたらそれは、目も当てられない自爆だし。
「風呂なんじゃねえか? オレ等もほれ、さっき入ってきたし」
 浴衣を見せ付けるように腕を広げる大吾。しかしはてさて、ナタリーさんは浴衣というものを見た事があるのだろうか。
「……あ、つまり、お風呂に入って着替えたって事ですか。人間って大変ですよね、お風呂以外では常に何か着ていないといけないみたいだし」
 伝わりはしたらしいものの横へ逸れる。お風呂に行ってきましたという話が、どうしてだか人類の苦労話へ。えーと、初めて誕生した衣服っていうと、知恵の実を食べたかの有名なお二方がそこらへんの葉っぱ(何の葉だっけ?)で隠すべきところを隠したと……。あれ、実は中々に壮大な話だったりするんでしょうか?
 なわけないですよね。
「ふうむ、ご一緒したかったですねえ。もう少し早く帰ってくればよかったですかね?」
「ああいや、オレ等この後もう一回風呂行くんです。なんか風呂が二箇所あったんで」
「二箇所? おや、これは知りませんでした。聞き逃していましたかね」
「あー、もう一箇所はここの人達が使うのメインみたいなんです。孝一と喜坂がふらふらしててたまたま見付けただけで。オレ等が行ったのはそっちなんですけど……」
「では、次は案内があったほうですか。――ご一緒させていただいても?」
「そりゃもう、いくらでも」
 入浴にいくらもこれくらいもあったもんじゃなさそうですけど……入ってる時間とか? まあそれはそれとして、窓越しの打ち合わせは滞りなく結論へ。僕は一切口を挟んでいませんが、もちろん異論はございませんです。

 ジョン達には清さんの部屋で待ってもらっておいて、離れの方の風呂場に向かう。その途中、せっかくなので孝治さんも誘おうと思ったら月見夫婦の部屋は留守でした。もしかしたら先に風呂場へ向かっていたりするのかも、と肩透かし感を紛らわせながらそのまま目的地へ向かってみると。
「あれ? 入口が二つあるみたいだけど」
 脱衣所の入口から見る限り、浴場へ通じる曇りガラス張りの引き戸が二箇所。その向きからして同じ場所へ繋がっているわけじゃなさそうだけど……?
 当然ながら何の説明書きもないというわけではなく、二つある戸の間の壁にはそれぞれの戸を指す矢印と、遠くて読めないながらも何か文字が書かれた張り紙が。という事でいち早くその張り紙を読みに向かった大吾は、
「――えーと、……え、マジかよ」
 こんな反応。それ、どんな反応?
「何て書いてあります?」
 確認を大吾に任せて服を脱ぐ、と言ってもまずは眼鏡を外しただけの清さんが、張り紙の前で固まってしまった大吾に声を掛ける。すると大吾は片側の入口を指差し、カッチカチに緊張した声でこんな事を言い始めました。
「こっち、混浴だそうです」
 なんだと。
「おやおや、それはそれは。日向君、どうしましょう?」
「ど、どうしましょうって言われても……」
 頭の中で本音と建前が小競り合いを始めてしまう。何が本音で何が建前かなんて、残念ながら言うまでもない事なんでしょうけど。だってほら、やっぱり、健全な男子だし。……いや、この場合、健全と言っていいんだろうか? むしろ不純な男子にカテゴライズされてしまうんじゃないだろうか?

 で、結局。
「別に悪い事じゃないもんね。元々そういう場所なんだし」
「おうよ。こればっかりは誰に何言われたってオレ達に非はねえはずだよな」
 当然と言えば当然か、僕達は混浴のほうへと足を運んだのでした。ただ残念ながら――いや、建前上「幸運な事に」としておきましょうか。女性客の姿はなく、僕達三人だけがお湯に浸かってのんびりしている状況です。
 混浴だなんだはともかくとして、こちらのお風呂は露天でした。仕切りの向こうがすぐ男性用の浴場だとするならそちらも同じく露天なのでしょう、特に屋根のようなものは見当たらず、それは反対側にあるのであろう女性用の浴場にも同じ事が言えそうです。
 周囲は石畳で、塀の向こうには山の斜面。お湯に浸かりながら青々とした木々を見上げるというのは、中々にオツなものと言えるのではないでしょうか。
「ふーむ……」
 景色だけでも意外と楽しめてしまいそうな状況の中、清さんは何やら考え中。眼鏡を外してもやっぱり糸目なまま、腕を組んで唸っています。
「清サン、どうかしたんですか?」
「いえいえ。こういう事情があるなら、もしかして家守さんの仕込みがあったのかな、と」
「家守さんの? って、どういう事でしょうか」
「仲居さんがこちらのお風呂しか紹介せず、しかも混浴だという話が伏せられていた事です。と言ってもまあ、混浴しかないってわけでもないんで考え過ぎかもしれませんがね」
 なるほど、あの人ならやりかねない。仲居さんにあちらの風呂を案内させないよう言い含めておけば、こちらの風呂しか知り得ない僕達はみんな揃ってここへ来るわけだ。そしていざ入ろうという段階で初めて混浴が存在するなんて事を知れば、興味からそちらへ足が向いてしまう確率だって高くなるだろう。そう、今僕達がここにいるように。
「しかしもしそうだとして、混浴だという案内の張り紙が残っていたのは家守さんの良心ですかね。……それとも、『混浴だと分かっていて入った』という事実を作り上げるための狡猾な策略でしょうか? んっふっふっふ」
 まさかそこまでは、と思いたい。いくら何でも予告無しにここで男女が鉢合わせなんかしたりしたら――悪戯じゃ済みませんよそんな修羅場。


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