(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十四章 途上 六

2010-05-11 20:29:44 | 新転地はお化け屋敷
「不安を糧にして幸せになる、かあ。格好良いねえ、大吾君も成美君も」
 これまでがそうだったように冗談めいた口調のフライデーさんでしたが、しかしそれは、冗談でしかないということでもないのでしょう。意地悪をしたいだけならもっとそれらしい言い回しがありそうですし。
 しかしそれはともかく、
「オレもそう思う。言ってて恥ずいってところが特に」
 その恥ずかしさに乗せて、冗談の部分もそうでない部分も一緒くたに受け流してしまう大吾なのでした。
「だったらせめて、庄子とだけ話せる時に言えばよかったのではないか?」
 すらりと開かれたふすまの向こうからそう言ってきたのは、もちろん成美さん。サイズが大幅に違う以外は全く同じと言ってもいい白のワンピースへの着替えも済み、僕より背の高い大人の姿で登場です。
「まあ、思ったことを素直に言ってしまうというのは、お前の癖のようなものだがな」
 恐らくはこちらの会話が聞こえていたのでしょう。からかうようにそう言いながらも、その表情には少しばかりの照れ笑いが含まれているようでした。
「思ったことを素直に、ねえ。不安を材料にして仲を深めるっていう今の話からだと、やっぱりそのほうが成美君からしても都合が良かったりするのかい?」
「もちろん、そういうことになるんだろう」
 フライデーさんからの質問に、成美さんは迷い無く頷きます。
「正直に言ってしまうと、そういうふうに捉えられないなら大吾とは付き合えんと思うぞ? 大吾が言ってきた不安をそのまま不満にしてしまうようだと、険悪になるだけだろうからな」
 それは大吾本人からすれば耳の痛い話なんでしょうし、実際にも僅かに顔をしかめたりしていました。がしかし、外野の視点からだと、むしろ成美さんの台詞は大吾と相性のいい自分を誇っているようにも聞こえるのでした。だからと言ってもちろん、成美さんの胸中がどうだと断定はできませんけど。
「ということは、成美君は大吾君に何を言われても険悪にはならないと?」
 続けて質問を投げ掛けたフライデーさんですが、しかしその質問には大方の人が「どうだろうか」と首を捻りたくなることでしょう。例えば僕にしたって、栞さんとそういうことになった試しがない、というわけではないんですし。
 けれど、成美さんは変わらずに迷い無く答えました。
「ならないように頑張るさ」
 ならない、と断定するわけではなく、そしてその答えは、僕なんかに代表される「首を捻りたくなる人」が最終的に出す答えと同じなのでしょう。しかし、答えが同じであるにせよ、首を捻ることがなかったというのは随分な差なのではないでしょうか。
「幸いにも最近はすっかりご無沙汰だが、人魂のことを忘れるわけにはいかんからな」
 首を捻るであろう僕と首を捻らなかった成美さんで、何が違うのか。それは、「険悪にはなりたくない」と「険悪になるわけにはいかない」の差なのでしょう。成美さんは、機嫌を損ねると周囲の誰も彼もを鬱な状態にしてしまうのです。
「というわけで、庄子」
「は、はい」
「清明とのことでお前が不安を抱えているように、わたしも大吾とのことでまだまだ不安はあるわけだ。夫婦になって、同じ部屋で暮らし始めて少し経った今ですらもな。だが不安があることに不安はないし、わたしはそれで今こうして幸せだから、お前もそんなふうに考えればいいのではないか?」
「…………!」
 すぐには返事ができない庄子ちゃんでしたが、その顔には感銘の二文字を表しているも同然な表情が乗っかっています。
 けれども一方、成美さんはくしゃりと破顔。
「はは、これは確かに恥ずかしいな」
 大吾とお揃いの感想を漏らしながら、その大吾の隣へ座り込むのでした。
「だったらせめて、庄子とだけ話せる時に言えばよかったんじゃねえか」
「なかなかそうもいかんものさ」
 結局のところ、大吾ほどとまでは言わないまでも、成美さんだってそれなりに思ったことを素直に言ってしまうようでした。と言ってもまあ、相手が庄子ちゃんだからというのも要因の一つとしてあるんでしょうけどね。
 ――ところで、うなじの件はどこへ行ってしまったのでしょうか。
「ああそうだ。成美、される前に言っとくけど」
「なんだ?」
「うなじって、自分から髪持ち上げて見せ付けてくるようなもんじゃねえと思うぞ?」
 奇しくも大吾が僕と同じことを考えていたようですが、見せられる側である大吾がそれを気にしていたというのは、それほど不自然でもないでしょう。むしろ僕のほうこそ何をそんなに気にしてるんだってことになるんでしょうけど、仕方ないじゃないですか年頃の男なんですから。しかも、そうでなくとも成美さんは綺麗なんですから。
「そうなのか?」
 僕の劣情はともかく、どうやら成美さんは大吾の言った通りにするつもりだったようです。まあ、着替えてくる前に一回やってましたしね。
 取り敢えずそれはそれとして納得したように見えた成美さんでしたが、けれどもその直後には「いやしかし」と。
「首の後ろ側なんて、見せようとしなければ見えないんじゃないか? 髪を短くしているならともかく」
 そう言いながら成美さんが視線を動かした先には、栞さんが。どうして栞さんなのかというと、この場の人間の女性の中では最も髪が短いからなのでしょう。そしてその栞さんですらも、うなじはほぼ髪に隠れているのです。となれば成美さんの言い分ももっともなのですが、
「普段見えねえからたまにちらっと見えた時にどきっとしたりする、ってことなんじゃねえかな」
「おお、なるほど。そういう心理は分かるような気がするぞ」
 それにしたって成美さんほどの髪の長さだと、その「たまに」のたまたま具合が大き過ぎて、一体いつになったらどきっとするんだろうってな話にもなってしまいそうなんですけどね。
 ともあれ成美さんが納得したならめでたしめでたしなんでしょうが、
「なんか、すっごいやらしい話になってるような気がする」
 そんな庄子ちゃんの意見には、心の中でだけ賛同するに止めておきました。まあうなじがどうのこうのの時点でやらしいといえばやらしいんでしょうけど。
「しかし庄子君。それをやらしいと言うならつまり、そもそも君のうなじを良いと言った孝一君は、君のことをやらしい目で見ていたということになるんじゃあ?」
 ぐわッ。
「はっ」
 わざとらしく聞こえるほどな今気付いたと言わんばかりの声を漏らした庄子ちゃんは、こちらへ視線を送りつつもその両手でうなじを覆い隠しているのでした。
 うなじの話を持ち出した直後と合わせ、手で隠されるというのはこれで二度目になるわけですが、二度目になるということは一度目よりも更に引かれているのでしょう。僕が何をしたわけでもなくフライデーさんが一言呟いただけだというのに、実に悲しいことです。
「既に好き合った相手がいる男の視線すら奪うほど魅力があるということだし、ならばいいことではないか」
 成美さんのそれはフォローか、もしくはただ純粋に庄子ちゃんを褒めるための言葉だったのでしょう。しかし、僕に対しては胸にざっくりざっくりと刺さってくる言葉なのでした。何が刺さるって、そりゃもちろん話に栞さんを持ち出されたことなんですけど――
「私もまだまだってことなのかなあ」
 その栞さんから冗談交じりながらもそんなことを言われ、となると僕は身を小さくする他ないのでした。どんなに「もちろんそんなことはないですよ」と言いたかったとしても、です。
「な、なんかごめんなさい、日向さん」
「いや、庄子ちゃんから謝られるようなことじゃないけどね……」
 むしろ謝られるくらいならこちらから謝り返したいぐらいでしたが、そうすると余計に僕の庄子ちゃんのうなじへの執着度が高く見られてしまいそうなので、結局そうするには至ることができませんでした。
 みんなが笑いながら冗談で済ませてくれていることが唯一の救い、でしょうか。なのでこれ以上は下手なことをせず、話が流れるのを待つことにしました。

 で、目論んだ通り話は流れまして――というか、目論もうが目論まなかろうがずっとうなじの話をしているような筈もなく、ならばこれが自然な流れなのでしょう。
 そうして細々とした話がいくつか流れ、話題の切れ目にちょっとした間が出た際、
「せっかく天気もいいし、もっかい散歩行くか?」
 という提案が持ち上がりました。提案者はもちろん大吾です。
 普通だったらお客さんが来ている時に散歩に行くなんてことはあまりないのでしょうが、しかしここではそんな常識は通りません。「あ、それいいね」とお客さん自らが率先して同意し、そしてもちろん他のみんなもそれに倣い、本日二度目の散歩に出掛けることになりました。
 ――というわけでみんな揃って部屋を出たのち、大吾が裏庭からジョンのリードを持ってくるまで玄関口でいったん待機。時刻は五時を少し回っていますが、しかしそれはまだ日が傾くというほどの時間ではなく、なので大吾が散歩に出る理由としていた天気がいいというは、まだまだ実感できるのでした。
 もしかしたら夜にも星が綺麗に見えたりするかもしれません。まあ、それはまた別の話ですが。
「ジョンとはあたしが一緒に歩くよ、せっかくだし」
「そうか?」
 大吾が戻ってきての出発直前、庄子ちゃんはそう言って大吾からジョンのリードを譲り受けました。
 ナタリーさんは部屋から引き続いて庄子ちゃんの肩の上で、フライデーさんはジョンの頭の上。成美さんは大人の姿なのでおんぶはなしということで、大吾はいつになく軽装なのでした。いや、そもそも装備とかそういうものじゃないですけど。
 装備という話なら、むしろ成美さんでしょうか。大人の身体のまま外に出るということで、猫耳を隠すためのニット帽を被っています。
 真っ白のワンピースに灰色のニット帽というのは、ここ以外ではなかなかお目に掛かれない組み合わせなのでしょう。まあ、だからどうだというような感想が浮かんだりはしないんですけどね。今更ですし。
 その成美さんが口を開いたのは、みんなが歩き始めた直後でした。
「そういえば、庄子」
「何ですか?」
「あの話はどうなったんだ? 清明がジョンに会いに来た時はお前が付き添う、という」
「あ、あー……やっぱりその、そこまで頻繁には……」
 気遅れがちな返事の庄子ちゃん。またああいうことをしたいとは思っているのでしょう。
 以前あまくに荘へやってきた際、初めは大きなジョンを怖がっていた清明くん。しかしそこは人懐っこく、かつマンデーさん曰く出来た大人であるジョンのこと、すぐに清明くんと仲良くなり、更にはたまに会いに来るかもという話にすらなったのです。
 その話はこれまでに一度だけながら実現し、その際、庄子ちゃんが一緒になって散歩に出掛けることになりました。そしてその結果、庄子ちゃんは清明くんが気になりだしたのです。本日付けでそれは「好きだ」と明言されるに至りましたが。
「でもお前、前に学校じゃあ話がし辛いとか言ってただろ? 学年差があるとか、そんなんで」
 続けて声を掛けたのは、手ぶらな大吾。
「じゃあ、学校の外で会える機会があるんだったらそうしてみてもいいんじゃねえか? 好きだとかそういうの抜きにしても」
 とかく学校という場所は特有かつ暗黙のルールがあるものでして、さすがに大学にまでなると薄れてきますが、学年差というものはある種の壁のようなものだったりするのです。他学年との交友が無いに等しいほど少なかった僕ですらそう思うんですから、実際に清明くんと顔を合わせている庄子ちゃんなら、尚更でしょう。
「そりゃ、そうなんだろうけど……。でも実際好きなんだし、それがあると『学校終わってから会わない?』っていうのはちょっと言い出し難いもんだって」
 実に初々しい庄子ちゃんのそんな言い分でしたが、しかし僕にはよく分かります。なんせ学生時代、約束を取り付けるどころか、声を掛けること自体が碌にできなかったんですから。――それを考えると、よくもまあ栞さんにはあそこまで積極的になれたもんだなあ、と今更ながらに思ったりも。
 ともかく僕は庄子ちゃんの言葉に頷くばかりだったのですが、しかしそれに対する大吾の返事は、こうでした。
「そういうもんか?」
 まるで、自分にはその気持ちが分からないとでも言いたそうです。いや、恐らく、本当に分からないのでしょう。大吾の言葉はいつだってストレートなのですから。
「そいうもんだよ」
 なのでついつい、庄子ちゃんに変わって僕が返事をしてしまいました。
「やけに知ったふうな顔だな、日向。覚えがあったりするのか?」
 これで僕の対応を気に掛けたのが大吾だけだったらまだどうとでも誤魔化せたのでしょうが、熱の籠りようが顔にまで出てしまっていたのか、成美さんにまで目を付けられてしまいました。これは失態。
「栞君とはいつも気さくに話していたように見えるし、ならそれ以前の話になるのかな? だとしたら、聞きたいなあ」
 フライデーさんのその言葉が、口に出すまでもないことをわざわざ周囲に知らしめているように聞こえてしまうのは、僕の心の狭さの表れなのでしょう。というわけでつまり、僕はかなり焦っています。
 しかしながら、自分がどうして焦っているのかははっきりしています。それに基づき、焦ってはいながらも、意識して栞さんの表情を窺いました。
 特にどう思うというふうでもなく、表情の標準形であるいつもの微笑みを浮かべていました。――なら、ある程度くらいは話してしまっても大丈夫なのかもしれません。正直言って、それほど面白みのある話でもないですけど。
「高校生の頃、好きな人がいましてね。でも恥ずかしくて何もできなくて、告白どころかまともな会話すらしたことがないまま卒業しちゃったって、まあそれだけの話です」
 その女性と大学で再開し、しかもまともな会話どころか友人にまでなったというのは、さすがに言いませんけどね。それは誰かというのを白状するというのは、さすがに僕だけでなく音無さんからしても迷惑でしょうし。そもそも音無さんは僕から好かれていたなんてこと、今でも全然知らないわけで。
「栞さん、じゃ、ないですよね。知り合ったのはここに住むようになってからですし」
 念の為であろう確認をしてくる庄子ちゃんは、口調が控えめなのでした。けれども僕としてはそういう雰囲気で話しているつもりは全くないので、
「うん。別の人だよ」
 という返事は、意識的に意識していないよう装いました。何も、栞さん以外の女性を好いていたことを悔いているというわけではないんですから。
 ――そうだなあ、変に気にされる前にこっちから言っちゃったほうがいいのかもしれない。
「もしもあの時その人に告白して、しかもそれが上手くいって付き合うようなことになってたら、当たり前だけど栞さんとは今みたいにはならなかったと思う。でも、それがあるからってじゃあ『告白しなくて良かった』って思うかって言われたら、それはやっぱり無理かなあ。強がりにすらならないで、むしろ虚しくなるだけだし」
 今の音無さんの状況を考えると、告白していたところで間違いなく振られていたでしょう。話したこともないクラスメートと恋をしている幼馴染とじゃあ、どちらを選ぶかは一目瞭然です。
 しかし、それを知っている今ですら、告白できなかったことに後悔はあるのです。
 庄子ちゃんの視線が泳ぎます。泳いだ先を確認してみたところ、そこに位置しているのは栞さんでしたが、しかし栞さんは――恐らくは庄子ちゃんの予想とは真逆に――にこにこと微笑んでいました。
「栞さん、平気なの?」
「『告白しなくて良かった』なんて言われたら、平気じゃないよ。多分ビンタどころかグーで叩いて三日くらい口きかないと思う」
 グーとなるとそれはもう「叩いて」ではなく「殴って」なのですが、まあそこは栞さんも女性だということで。
 ……あの時似たようなことを言って怒られただけで済んだのは、初回だったからなんだろうなあ。
 情けない思い出からくる背筋のひやひや感はともかく、穏やかでない話を笑顔のまま話す栞さんに庄子ちゃんは面食らったようで、弱々しかった眼差しは、はっと見開かれているのでした。
「そんな情けないことを絶対に言って欲しくないって思える程度には、好きだからね。孝一くんのこと」
 はっと見開かれていた眼差しが、へにゃりと照れ笑いの形に。
 これまたいきなりですね栞さん。
「おや栞君、なかなか大胆なことを言うねえ」
 今日はそんな役回りばっかりですねフライデーさん。
「ずっと清明くんの話題だしね。庄子ちゃんに人前でしにくい話をさせている分くらいは、こっちからも同じようなことをしたほうがいいかなって」
 筋が通ってそうで通ってないっぽい理屈でしたが、成美さんはうんうんと頷いていました。その隣の大吾は特に反応なしですが。
「……でもまあ、格好良いと思うし、それ以上に羨ましいかな。好きな人の前で好きだってことをそれだけ堂々と言えるのって」
 照れた笑いをほんの少しだけ引きずったまま、庄子ちゃんは栞さんにそう返しました。堂々と言われた側としてはこれでも結構恥ずかしく、かつ骨を二、三本抜かれたような心地なのですが、しかしここは僕も堂々としているべきなのでしょう。せめて見せかけだけでも。ニヤけるな顔。
「おっ」
 口の端がひくひくしていないことを願うばかりだったところへ、大吾が何かに気付いた様子。
「そういや庄子、知ってたっけか?」
「ん?」
 足を止めた大吾が、空中を指差しました。空中を指差したからにはそこには空しかないのですが、
「あそこの家、清サンちだぞ」
 どうやらその指は思ったより遠くを指していたようです。僕も今初めて知りましたが、まあそれはいいでしょう。
「えっ!?」
 庄子ちゃん、声が大きくなってしまうのでした。「清さんの家」が即座に「清明くんの家」に返還されたであろうことは、言うまでもありません。
「『えっ!?』って、いや、そんな驚くこたねえだろ。近くだってことぐらいは知ってただろ?」
 まあ、風邪引いてふらふらなのにあまくに荘まで歩いてきたことがあるのを考えれば、そりゃそうなんでしょう。それに清さんがあまくに荘に住んでいるのも、家から近いという理由があるはずですし。
「オレ等はほら、逆に家の場所知っとかねえと。清明くんに近付くわけにゃいかねえんだし」
 ――まあ、仕方のないことです。
「あ、ああ、そっか。……で、なに? あたしに行けって、そういうこと?」
「は? いや、言ってねえだろそんなこと」
 さすがにそれは庄子ちゃんの考え過ぎなのでしょう。特に意味無く教えても不自然のない状況ですし、それにそうでなくとも、大吾にそんな遠回りな意地悪ができるとは思えませんし。
 唐突にご機嫌斜めな口調になった庄子ちゃんに大吾も表情を硬くしますが、しかし数秒もしないうち、「ああ」と再度の何かに気付いたような声とともに、その硬さが抜けました。
「行きてえってんなら、別にここで抜けてもいいぞ? 散歩くれえでそこまで引き留めたりはしねえって」
「……はあ!?」
 またも大声を出してしまう庄子ちゃんでしたが、今度のそれは一瞬の間を含み、しかもその間の中で、頬がほんのり赤く染まってしまうのでした。
「そ、それこそあたし、そんなこと言ってないじゃん! それになんの約束もしてないのにいきなりって、変じゃんそんなの!」
「ん? いや、別に家に上がらせてもらえとか言ってるんじゃねえぞ? たまたま近くを通ったから外から声掛けるとか、普通にあんだろそれくらい」
 大吾にしては真っ当な突っ込みに、庄子ちゃんは赤い顔のままぐうっと唸って黙り込んでしまいました。そして数秒ののち、黙り込んだまま清明くんの家へ視線を合わせます。
 意地を張る根拠を崩されてしまって気持ちが揺れているというところなのでしょうが、少なくとも「たまたま近くを通りかかった」どころの気の入れようではありません。
 まあしかし、こうなってしまえば庄子ちゃんがどういう決定を下すかは見えたようなものです。となれば傍観者である僕としては、それが何秒後になるのだろうかという生温かい期待を抱くばかりなのですが、その時でした。
 遠くのほうでカラリと窓の開くような音がしたかと思うと、
「怒橋さーん」
 件の家の二階の窓から、清明くんがこちらを見下ろしていました。
「だふぁっ」
 呼び掛けられた庄子ちゃんは、変な声を吐き出しました。あまり女の子らしい声だとは思えなかったので、せめてそれが清明くんの耳に届かなかったことを願うばかりです。
 そして庄子ちゃん、その変な声より更に声量を低くして、誰にともなく言いました。
「な、な、な、なんでこんなタイミングで窓から顔出しちゃうの? ここ通り掛かったの、たまたまなのに」
「タイミングどうこうじゃなくて、オマエがでかい声出してたから聞こえたんだろ。――いいから返事くらいしとけよ」
 呆れたような声で突っ込む大吾でしたが、庄子ちゃんにはそちらに構っている暇がありません。言われたことを素直に聞き入れ、清明くんに手を振ります。そして僕も、庄子ちゃんに倣って手を振ります。名前を呼ばれはしませんでしたが、まあ状況からして僕のことも気付いてはいるでしょうし。
 しかしそれと同様のことについて、困ってしまった人が一名。
「耳を出した状態で清明の前に出たことは、あっただろうかな。わたしは」
 成美さんは現在、ニット帽で隠しているとはいえ猫耳を出した大人の姿であり、それはつまり、清明くんから見える状態だということです。ならば庄子ちゃんや僕と同じように手を振るか否かということを考えた時、今言ったそれが問題になります。果たして成美さんと清明くんには一方的でない面識があっただろうか、という。
「確か、清明くんが初めてあまくに荘に来た時、そうだったと思うよ」
 答えたのは栞さんでした。
「ただ、そうだったとしても清明くんは覚えてないと思うけどね。人の顔を見てる余裕なんてなかっただろうし、私達もすぐに引っ込んじゃったから」
 その時の成美さんの姿を覚えていない僕でも、栞さんが言っていることは分かります。あの時清明くんは、まだ彼が清さんの息子である清明くんだと気付いていなかったみんなの接近によって強い霊障を引き起こしていたのです。
「そうか」
 結局、成美さんは手を振りませんでした。そうでなくとも手を振り返すタイミングはとうに逃していたわけですが、それでもやっぱり寂しいことです。
「成美さん……」
「はいはいこっちはいいからオマエはあっち行ってこい」
 心配そうに成美さんを見遣る庄子ちゃんに、大吾はしっしっと手を振ってみせました。それに合わせ、庄子ちゃんの肩の上だったナタリーさんはするすると地面に降り、ジョンの頭の上だったフライデーさんもふよふよとそこから離れます。
「さっきと同じで家に上がらせてもらえとまでは言わねえけど、こんなとこから手ぇ振るだけってのはねえだろ」
「……わ、分かったよ。でも別に、いきなり好きだのどうだのの話をするつもりはないんだからね」
「だから、んなこと言ってねえっての」


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