たまにはとことんムカつく本も紹介してみたい。
*なお、僕自身がこの本で難癖つけられた相手方の末端にいるので、かなり個人的なむかっ腹を含んだ文章になっています。その点をご承知ください。
高斎 正:自称SF作家で自動車・2輪レースに詳しいとも称しているらしい。
A「欠陥・自動車業界」 ISBN4-8460-0175-X
B「ここまで堕ちた自動車業界」 ISBN4-8460-0550-X ともに論創社発行
実は00年にAが出版されたのを朝日新聞書評で見かけたので、本屋で目を通していたのだがその中身のあまりのひどさにあきれ、到底買う気になれなかった。04年になって同じような内容の2冊目Bを出版。あいかわらずどうしようもない内容と思うんだけど、こういう物読んで溜飲を下げて満足するファンもいるのだろう。こんなもんに貴重なこづかい使うわけには行かないので、とりあえず市立図書館から借用した。
一口で言うと「外人(とオレ様)は他の日本人どもと違ってエライのだから平伏しなさい」とわめくだけにしか聞こえん。いろいろその理由も書いてはいるんだが、論拠が貧弱すぎてあきれるを通り越して哀れにさえ見えてくる。これでは「批判」の名に値もしない。単なる雑音だ。
以下その理由について具体例を述べる。
〈その1〉三菱GDIから始まった直噴ガソリンエンジンについて、大昔のベンツ(300SL)の例を引いて、世界初を名乗るのはけしからんとかみつく。なるほどたしかにSLは燃焼室内にガソリンを直噴していた。ちなみにこれはナチスの戦闘機メッサーシュミットで実用化された技術の応用。
ところでベンツと三菱は同じ直噴なのか?ここが解釈の違いによってどちらとも取れる。一見して形は似ているが思想や機構がまったく異なるので話がやっかい。現代の直噴は昔の直噴よりずっと複雑な目的を実現するために、昔は存在しなかったコンピューター制御が必須だし、やれる作業内容の違いはまるで別物なのだ。
したがって「元祖」直噴とは?という場合、直噴は1種だけとしてベンツと唱えるか、旧型と現代型は似て非なるものと解釈するかによって評価はまったくことなる。その辺は一応承知はしているようだが、高斎はあくまでベンツをあがめていて、そのベンツをたたえる自分こそ正しいと言い張って止まない。どっちを力説するのも個人の勝手ではあるが、かなり簡単に違いがわかるものを「とにかくベンツはえらい」と盲信して吼えるだけでは視野が狭すぎると思う。
なお高斎は「ベンツが元祖」と確信がなかったため断定せずにうまくはぐらかしているが、これは賢明だった。54年のSLより前に50から53年にゴリアートとグートブロートが2ストで市販しているとのこと。
〈その2〉マツダがロータリーを開発したのを自分達の手柄のように言うのが許せんとわめく。
ロータリーはヴァンケル博士と言う人が考えた。だからヴァンケルエンジンと呼ぶべきだ。ヴァンケル博士こそ「元祖」でありマツダはアイデアを使って市販化しただけと説く。
だがほんとにそう言っていいのか?あの当時それこそ世界中のメーカーがロータリーに熱中した。マツダ以外にも、NSUの4輪やスズキの2輪など自社製品化して市販したメーカーは他にもある。市販しなかったメーカーでも過半数が開発やプロトタイプ発表をやっていた。しかし「ちゃんとした」レベルで市販し、なおかつ継続・発展させたのはマツダだけだ。ヴァンケルさんは思いついた功績はあってもそれを形にできなかった。試作はしたが結局失敗続きであきらめ、自身は基本特許を売り逃げて大金を稼いだ。
思いつくことは確かにえらい。しかし思いつきを形にする努力に敬意を払わんのもイカンと思う。ましてや欧米の工業製品を崇め奉っている当人が、ロータリー実用化の功績を認めないのでは筋が通らないではないか?
本人はSF作家だと称しているらしいが、僕は浅学のためこの人物の書いたというSF作品を知らない。さらにWEB検索してもSF作品が見つからない。近ごろは昔のレースや古いカメラをネタに本を書いているようだ。自己のSF創作能力が枯れた(元はあったのか?)作家が、他人の創作物をメシの種にしているのなら、他人がモノを作る努力をまともに評価しないのは大いなる矛盾と言えるだろう。
ライカ礼賛みたいな本も書いているようだが、そのライカも他人の思いついたカメラ技術を開発・洗練・製品化したメーカーだろ?ガイジンの作ったものなら無条件に礼賛してしまう姿勢には、単なる負け犬根性しかうかがえなくて大変見苦しい。(信仰も狂信にまで至るとほかの考えに対してまっとうな評価ができなくなるよい例だろう)
〈その3〉さらにマツダがらみでもうひとつ、ル・マン優勝のときに筆者は雑誌にコメントを求められて、
「マツダは『ヴァンケルさんありがとう』という広告を出すといい」
と述べたそうだ。これは確かにいいアイデアだと思う。勝っておいて発明功労者に謝意を示すなんてスマートだ。実現していたらかっこよかっただろう。実際にレースの翌日、ジャガーが出した「マツダさん、優勝おめでとう」という広告はすごくしゃれていたし、あらかじめ他社の優勝も考えて広報準備ができていたのには、レース経験の長さとブランドイメージ戦略の巧みさを感じさせた。
実際にはマツダはそういった広告を出しはしなかった。それは別に責められることでもない。勝った喜びでそれどころじゃなかったんだろうなと思う。ところが著者は自分の思いつきが唯一無比の至高の行為と思い込んでいるから、それをしなかったマツダを非難する。さらにそのアイデアを自分からマツダには伝えなかったと述べ、その理由としてマツダが(自分以外の)ジャーナリストをル・マンに招待したのが気に食わなかったからだというのだ。
おまえはバカか?
タダでル・マンに遊びにいけなかったから気に入らないってことか?利益供与が得られなかったから、海外旅行をタカれなかったから因縁つけるのか?それって総会屋とどう違うんだ?あちこちでしつこく、「自分より格下」と思い込んでいるジャーナリストがメーカーにオゴってもらっていて、自分は呼んでもらえないことをくどくど書きつのっているが、みっともないのでやめなさい。
他にもある。(というか全編通じてこういうバカなネタばっかりでいくらでも書ける)
〈その4〉88年、トヨタがFISCOでテスト走行をしたときに、米国の元レースドライバーで現AARチームオーナーであるダン・ガーニーが参加していた。彼は自分のチームでトヨタと組んでIMSAに参戦し、何度もチャンピオンを取った人物で、60年代のF1やインディカーの世界でも名のとおったレース界の大物だ。古いF1オタク情報に詳しい人なら、ウェスレイクV12エンジンとイーグルシャシーで自ら1勝を挙げたことを知っている人もいるだろう。
高斎がFISCOのテストを訪れたとき、サインをねだったら喜んだという。半年後にスズカで再会したとき、ガーニーは高斎を覚えていてくれた。それがなぜか次のような結論になってしまう。(以下原文より抜粋)
『ダン・ガーニーが私の顔を覚えていて、たくさんいる日本人の中から私を見つけて挨拶したのです。富士スピードウェイでの一件がよほどうれしかったのでしょう。そう思うとレース界の大物をトヨタがどんな扱いをしていたかが見えて、それで背筋が寒くなったのです。』
となって、突然に理由もなくトヨタはガーニーを尊重していないということにしてしまう。
『事務系の人たちがダン・ガーニーのことを、トヨタのおかげでレース活動をしているAARのオーナー監督という下請け的な扱いをしていたことが見えてきたのです。』
はあ?
おまえの顔を覚えていたのがなんでそうなるんだ?これどう考えても変だぞ?自分の顔を覚えていてくれたとジマンしているが、結局ガイジンを奉っておいてそのガイジン様と面識のある(?)自分の価値を強調したいだけの話じゃないのか。
欠陥はおまえの頭じゃないのか?
なおガーニーとトヨタはその後も協力関係を続け、IMSA・CARTでイーグル・トヨタは99年ごろまで参戦を続けた。
〈その5〉イギリスのモータースポーツフェスティバルであるグッドウッドパークにトヨタがF1カーとトヨタ7を持ち込んだ。それが恥ずかしいのだそうだ。理由としてドライバーが当時の人々でないことだとか、レストアしたトヨタ7の色がオリジナルでないとかいろいろ理由にしているが、完全に意味不明。恥ずかしい理由として現地の新聞にトヨタ7が載らなかったことも挙げ、これは本場の人々がトヨタを軽蔑している証拠なのだそうだ。
あほかいな。
欧州の人がトヨタ7なんて知らなくて当然だろう。大きな結果を残せずレース自体が消えてしまったクルマなんだから、英国人にしてみたら単なる古い珍車でしかない。WRCセリカならまだしもトヨタ7を取り上げるほどトヨタの欧州レース界でのポジションはまだ高くない。レース界(と販売)で基盤と歴史を作るために、こういったイベントに参加しているのだから、いま花形でないことが恥ずかしい理由になるのか。もう少しまともな考えは持てないのだろうか?ちなみにデモ走行でトヨタの副社長が操縦したのも恥なのだそうな。企業トップがモータースポーツに(ポーズだけでも)積極的に取り組むのは、ベンツやポルシェあたりもちょくちょく見せてた手だが、日本人がやるのはいけないことらしい。
こんな調子でいくらでも続いて切りがないので、こいつがいかにバカであるか最後の極めつけ2例を紹介したい。
〈その8〉むかしポルシェは直4エンジン用バランスシャフトの特許を三菱から買った。これは事実だ。ところが三和自動車によると、
『ポルシェが独自にバランス・シャフトを開発したが、先行する三菱自動車の特許に抵触する恐れがあったので、特許係争を避けるために、ポルシェが三菱自動車の使用権を買ったもので・・・』という見解になり、それをそのまま認めた高斎は、
『・・・この2本の取り付け位置の関係は、ポルシェ社の独創によるものです。』と自分の訳したポルシェ本に追記したと言う。
2本を段違いに取り付ける位置関係が三菱のバランスシャフト特許のキモなんだよ!
ガイジンだけが正しいと思い込んでいるから、特許の基本・メカの基本もろくに見ないでこんな恥ずかしいこと平気で書けるのだろう。
ところで三和もそんなこと口走るなよ。すごくはずかしーぞ。
〈その7〉日産の広報担当者が高斎の名前を知らなかったのだそうだ。(別に知らなくてもいいと思うが)
かつて「日産がルマンを制覇する時」という本を書き、自動車業界ではその名も高い(と自分では思い込んでいる)オレ様の名を知らんとは何事か!これには驚いたと高斎様は高らかに断定なさる。
大バカ・・・
もうこんなバカ、広報担当がいちいち知らなくていいです。だって実際知られていないんだし広報が相手する価値もないんだから。広報ってえのは「自分の会社に利益をもたらすであろう情報をどうやって世間に広めるか」を考え実行する部署なんだから、価値を認めた対象しか相手にしないのは当然といえば当然。(いや世間にはこれだけタチの悪いバカがいることくらいは覚えといた方がいいかも知れない)
この著者の文章は、普通の自動車メディアではほとんど見ることができない。まあこの調子じゃメーカーには嫌われてるだろうし、メーカー広告で食ってる雑誌だって避けるだろう。そもそも内容がこれじゃ、うっぷん晴らして喜ぶ読者はいても、多少でもクルマを知っているメディアからはまともな論説とは取られない。ということでこの本の文章は小松左京氏のSF同人誌に掲載されたものなのだという。
あ、そうか!これは現実のクルマ評論ではなくって、空想(妄想)科学コラムってことなんだ!それなら納得だ!
書き終えてまた一つ思い出してしまった。Bのはじめの方で、「爆発工程」と書いているが「燃焼工程」と書くぐらいの基本知識は持ってください。まともなエンジン工学の基本をかじっただけでも「爆発」なんて絶対言わない。あれはあくまで「燃焼」だ。燃焼と爆発じゃあ火炎伝播速度が1・2ケタ違うから、「爆発行程」と書くだけで知ったかぶりのトーシロだというのがバレバレ。
昔のレースやクルマの歴史とメカに詳しいというのがご自慢で、たしかに戦前のレースとかのデータはいやになるほど出してくるが、しょせん聞きかじり・読みかじり止まりで身についた知識になっていないから、こんな具合にあちこちでボロがでるわけだろう。(反面教師として自分も気をつけたい)他人の記事や解説の記述の細かいミスをあげつらってページを無駄遣いするのなら、自分自身の無知についてもチェックを入れるべきだろう。
*なお、僕自身がこの本で難癖つけられた相手方の末端にいるので、かなり個人的なむかっ腹を含んだ文章になっています。その点をご承知ください。
高斎 正:自称SF作家で自動車・2輪レースに詳しいとも称しているらしい。
A「欠陥・自動車業界」 ISBN4-8460-0175-X
B「ここまで堕ちた自動車業界」 ISBN4-8460-0550-X ともに論創社発行
実は00年にAが出版されたのを朝日新聞書評で見かけたので、本屋で目を通していたのだがその中身のあまりのひどさにあきれ、到底買う気になれなかった。04年になって同じような内容の2冊目Bを出版。あいかわらずどうしようもない内容と思うんだけど、こういう物読んで溜飲を下げて満足するファンもいるのだろう。こんなもんに貴重なこづかい使うわけには行かないので、とりあえず市立図書館から借用した。
一口で言うと「外人(とオレ様)は他の日本人どもと違ってエライのだから平伏しなさい」とわめくだけにしか聞こえん。いろいろその理由も書いてはいるんだが、論拠が貧弱すぎてあきれるを通り越して哀れにさえ見えてくる。これでは「批判」の名に値もしない。単なる雑音だ。
以下その理由について具体例を述べる。
〈その1〉三菱GDIから始まった直噴ガソリンエンジンについて、大昔のベンツ(300SL)の例を引いて、世界初を名乗るのはけしからんとかみつく。なるほどたしかにSLは燃焼室内にガソリンを直噴していた。ちなみにこれはナチスの戦闘機メッサーシュミットで実用化された技術の応用。
ところでベンツと三菱は同じ直噴なのか?ここが解釈の違いによってどちらとも取れる。一見して形は似ているが思想や機構がまったく異なるので話がやっかい。現代の直噴は昔の直噴よりずっと複雑な目的を実現するために、昔は存在しなかったコンピューター制御が必須だし、やれる作業内容の違いはまるで別物なのだ。
したがって「元祖」直噴とは?という場合、直噴は1種だけとしてベンツと唱えるか、旧型と現代型は似て非なるものと解釈するかによって評価はまったくことなる。その辺は一応承知はしているようだが、高斎はあくまでベンツをあがめていて、そのベンツをたたえる自分こそ正しいと言い張って止まない。どっちを力説するのも個人の勝手ではあるが、かなり簡単に違いがわかるものを「とにかくベンツはえらい」と盲信して吼えるだけでは視野が狭すぎると思う。
なお高斎は「ベンツが元祖」と確信がなかったため断定せずにうまくはぐらかしているが、これは賢明だった。54年のSLより前に50から53年にゴリアートとグートブロートが2ストで市販しているとのこと。
〈その2〉マツダがロータリーを開発したのを自分達の手柄のように言うのが許せんとわめく。
ロータリーはヴァンケル博士と言う人が考えた。だからヴァンケルエンジンと呼ぶべきだ。ヴァンケル博士こそ「元祖」でありマツダはアイデアを使って市販化しただけと説く。
だがほんとにそう言っていいのか?あの当時それこそ世界中のメーカーがロータリーに熱中した。マツダ以外にも、NSUの4輪やスズキの2輪など自社製品化して市販したメーカーは他にもある。市販しなかったメーカーでも過半数が開発やプロトタイプ発表をやっていた。しかし「ちゃんとした」レベルで市販し、なおかつ継続・発展させたのはマツダだけだ。ヴァンケルさんは思いついた功績はあってもそれを形にできなかった。試作はしたが結局失敗続きであきらめ、自身は基本特許を売り逃げて大金を稼いだ。
思いつくことは確かにえらい。しかし思いつきを形にする努力に敬意を払わんのもイカンと思う。ましてや欧米の工業製品を崇め奉っている当人が、ロータリー実用化の功績を認めないのでは筋が通らないではないか?
本人はSF作家だと称しているらしいが、僕は浅学のためこの人物の書いたというSF作品を知らない。さらにWEB検索してもSF作品が見つからない。近ごろは昔のレースや古いカメラをネタに本を書いているようだ。自己のSF創作能力が枯れた(元はあったのか?)作家が、他人の創作物をメシの種にしているのなら、他人がモノを作る努力をまともに評価しないのは大いなる矛盾と言えるだろう。
ライカ礼賛みたいな本も書いているようだが、そのライカも他人の思いついたカメラ技術を開発・洗練・製品化したメーカーだろ?ガイジンの作ったものなら無条件に礼賛してしまう姿勢には、単なる負け犬根性しかうかがえなくて大変見苦しい。(信仰も狂信にまで至るとほかの考えに対してまっとうな評価ができなくなるよい例だろう)
〈その3〉さらにマツダがらみでもうひとつ、ル・マン優勝のときに筆者は雑誌にコメントを求められて、
「マツダは『ヴァンケルさんありがとう』という広告を出すといい」
と述べたそうだ。これは確かにいいアイデアだと思う。勝っておいて発明功労者に謝意を示すなんてスマートだ。実現していたらかっこよかっただろう。実際にレースの翌日、ジャガーが出した「マツダさん、優勝おめでとう」という広告はすごくしゃれていたし、あらかじめ他社の優勝も考えて広報準備ができていたのには、レース経験の長さとブランドイメージ戦略の巧みさを感じさせた。
実際にはマツダはそういった広告を出しはしなかった。それは別に責められることでもない。勝った喜びでそれどころじゃなかったんだろうなと思う。ところが著者は自分の思いつきが唯一無比の至高の行為と思い込んでいるから、それをしなかったマツダを非難する。さらにそのアイデアを自分からマツダには伝えなかったと述べ、その理由としてマツダが(自分以外の)ジャーナリストをル・マンに招待したのが気に食わなかったからだというのだ。
おまえはバカか?
タダでル・マンに遊びにいけなかったから気に入らないってことか?利益供与が得られなかったから、海外旅行をタカれなかったから因縁つけるのか?それって総会屋とどう違うんだ?あちこちでしつこく、「自分より格下」と思い込んでいるジャーナリストがメーカーにオゴってもらっていて、自分は呼んでもらえないことをくどくど書きつのっているが、みっともないのでやめなさい。
他にもある。(というか全編通じてこういうバカなネタばっかりでいくらでも書ける)
〈その4〉88年、トヨタがFISCOでテスト走行をしたときに、米国の元レースドライバーで現AARチームオーナーであるダン・ガーニーが参加していた。彼は自分のチームでトヨタと組んでIMSAに参戦し、何度もチャンピオンを取った人物で、60年代のF1やインディカーの世界でも名のとおったレース界の大物だ。古いF1オタク情報に詳しい人なら、ウェスレイクV12エンジンとイーグルシャシーで自ら1勝を挙げたことを知っている人もいるだろう。
高斎がFISCOのテストを訪れたとき、サインをねだったら喜んだという。半年後にスズカで再会したとき、ガーニーは高斎を覚えていてくれた。それがなぜか次のような結論になってしまう。(以下原文より抜粋)
『ダン・ガーニーが私の顔を覚えていて、たくさんいる日本人の中から私を見つけて挨拶したのです。富士スピードウェイでの一件がよほどうれしかったのでしょう。そう思うとレース界の大物をトヨタがどんな扱いをしていたかが見えて、それで背筋が寒くなったのです。』
となって、突然に理由もなくトヨタはガーニーを尊重していないということにしてしまう。
『事務系の人たちがダン・ガーニーのことを、トヨタのおかげでレース活動をしているAARのオーナー監督という下請け的な扱いをしていたことが見えてきたのです。』
はあ?
おまえの顔を覚えていたのがなんでそうなるんだ?これどう考えても変だぞ?自分の顔を覚えていてくれたとジマンしているが、結局ガイジンを奉っておいてそのガイジン様と面識のある(?)自分の価値を強調したいだけの話じゃないのか。
欠陥はおまえの頭じゃないのか?
なおガーニーとトヨタはその後も協力関係を続け、IMSA・CARTでイーグル・トヨタは99年ごろまで参戦を続けた。
〈その5〉イギリスのモータースポーツフェスティバルであるグッドウッドパークにトヨタがF1カーとトヨタ7を持ち込んだ。それが恥ずかしいのだそうだ。理由としてドライバーが当時の人々でないことだとか、レストアしたトヨタ7の色がオリジナルでないとかいろいろ理由にしているが、完全に意味不明。恥ずかしい理由として現地の新聞にトヨタ7が載らなかったことも挙げ、これは本場の人々がトヨタを軽蔑している証拠なのだそうだ。
あほかいな。
欧州の人がトヨタ7なんて知らなくて当然だろう。大きな結果を残せずレース自体が消えてしまったクルマなんだから、英国人にしてみたら単なる古い珍車でしかない。WRCセリカならまだしもトヨタ7を取り上げるほどトヨタの欧州レース界でのポジションはまだ高くない。レース界(と販売)で基盤と歴史を作るために、こういったイベントに参加しているのだから、いま花形でないことが恥ずかしい理由になるのか。もう少しまともな考えは持てないのだろうか?ちなみにデモ走行でトヨタの副社長が操縦したのも恥なのだそうな。企業トップがモータースポーツに(ポーズだけでも)積極的に取り組むのは、ベンツやポルシェあたりもちょくちょく見せてた手だが、日本人がやるのはいけないことらしい。
こんな調子でいくらでも続いて切りがないので、こいつがいかにバカであるか最後の極めつけ2例を紹介したい。
〈その8〉むかしポルシェは直4エンジン用バランスシャフトの特許を三菱から買った。これは事実だ。ところが三和自動車によると、
『ポルシェが独自にバランス・シャフトを開発したが、先行する三菱自動車の特許に抵触する恐れがあったので、特許係争を避けるために、ポルシェが三菱自動車の使用権を買ったもので・・・』という見解になり、それをそのまま認めた高斎は、
『・・・この2本の取り付け位置の関係は、ポルシェ社の独創によるものです。』と自分の訳したポルシェ本に追記したと言う。
2本を段違いに取り付ける位置関係が三菱のバランスシャフト特許のキモなんだよ!
ガイジンだけが正しいと思い込んでいるから、特許の基本・メカの基本もろくに見ないでこんな恥ずかしいこと平気で書けるのだろう。
ところで三和もそんなこと口走るなよ。すごくはずかしーぞ。
〈その7〉日産の広報担当者が高斎の名前を知らなかったのだそうだ。(別に知らなくてもいいと思うが)
かつて「日産がルマンを制覇する時」という本を書き、自動車業界ではその名も高い(と自分では思い込んでいる)オレ様の名を知らんとは何事か!これには驚いたと高斎様は高らかに断定なさる。
大バカ・・・
もうこんなバカ、広報担当がいちいち知らなくていいです。だって実際知られていないんだし広報が相手する価値もないんだから。広報ってえのは「自分の会社に利益をもたらすであろう情報をどうやって世間に広めるか」を考え実行する部署なんだから、価値を認めた対象しか相手にしないのは当然といえば当然。(いや世間にはこれだけタチの悪いバカがいることくらいは覚えといた方がいいかも知れない)
この著者の文章は、普通の自動車メディアではほとんど見ることができない。まあこの調子じゃメーカーには嫌われてるだろうし、メーカー広告で食ってる雑誌だって避けるだろう。そもそも内容がこれじゃ、うっぷん晴らして喜ぶ読者はいても、多少でもクルマを知っているメディアからはまともな論説とは取られない。ということでこの本の文章は小松左京氏のSF同人誌に掲載されたものなのだという。
あ、そうか!これは現実のクルマ評論ではなくって、空想(妄想)科学コラムってことなんだ!それなら納得だ!
書き終えてまた一つ思い出してしまった。Bのはじめの方で、「爆発工程」と書いているが「燃焼工程」と書くぐらいの基本知識は持ってください。まともなエンジン工学の基本をかじっただけでも「爆発」なんて絶対言わない。あれはあくまで「燃焼」だ。燃焼と爆発じゃあ火炎伝播速度が1・2ケタ違うから、「爆発行程」と書くだけで知ったかぶりのトーシロだというのがバレバレ。
昔のレースやクルマの歴史とメカに詳しいというのがご自慢で、たしかに戦前のレースとかのデータはいやになるほど出してくるが、しょせん聞きかじり・読みかじり止まりで身についた知識になっていないから、こんな具合にあちこちでボロがでるわけだろう。(反面教師として自分も気をつけたい)他人の記事や解説の記述の細かいミスをあげつらってページを無駄遣いするのなら、自分自身の無知についてもチェックを入れるべきだろう。
ものすごく同感です。
そしてこの人の書くレース物は、いつも妄想と空想だらけです。
お邪魔しました。
妄想と空想も夢を生んでくれるものならいいとおもうんですけど、まあクルマに対する思いや姿勢があの程度のモンですから、あまり食指も動きません...
なんだこのフザケた本は・・・とアタマに来てググってみたら赤ガエルさんのブログにたどりつきました。
ちなみに自分、MTBを700c化して乗り回しているんで、自転車記事もとても面白く読ませてもらっています。
お邪魔しました。
「ホンダがレースに復帰するとき」
「ロータリーがインディを・・・」
「ニッサンがルマンを・・・」
「ランサーがモンテを・・・」
あたりをリアルタイムでワクワクして読んだ
スーパーカー世代です。
彼の小説はその後もある程度フォローしたのですが、
後年の作品は自動車業界裏事情への著述が独善的に感じられ
(自分が大人になって読んでいるという事もありますが)
ぶっちゃけつまらなく感じました。
とは言え初期の作品はオイルショックと排ガス規制後に
各メーカーが実際にレース活動を再開する前に書かれたものなので
画期的なものだったと思います。
アマゾンあたりでは古本が1円からあるようですので
良かったらその当たりの作品の感想も聞きたいです。
「○○がXXを・・・」って題名の本。
ぼくがクルマに興味持つよりちょっと前の時期だったように記憶しています。
いまでもブックオフあたりならありそうですね。
ちょっとまえにたくさん見かけた「架空戦記モノ」みたいに考えればいいのかも?
ちょっと見かけたらのぞいてみましょうかね。
「思い上がり」と言う、言葉と行動の意味を改めて思い占めています。
そして、「現実と仮想」の世界が違うことも・・・
それを弁えていないと、恥ずかしいですよネ!!
ですから自分は、「あくまでもSF小説」として楽しんでいます。
あなたはとても立派な方なんですね。
よく分かりましたよ。
しかし、ここまで口汚いブログも珍しいですね。
何が気に要らないのか知りませんが、こんなヒドイ言葉がよく出てきますね。
感心いたしました。
私はそんな酷い作家だとは思いませんでした。