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西川貴教、浅倉大介、貴水博之の話題を中心に扱うblog。聖闘士熱再燃中。

神道は「市販で済ます痛み止めでデリケートに酔ってる」奴にはおよびでない、かもしれない

2010-06-29 03:43:12 | Weblog
それが神道のような気がする今日このごろ。
いや、神社に癒やしとかパワーを求めるのはちょっと用法用量が違いますからね。

お社に詣でて、結果的に癒やされることはもちろんあるだろうけど、あそこはまず第一に「神様をお祭りする場」だ。神社に癒やしとかを求めるのって、総理大臣や我が国の陛下に「近所の溝が溢れたから直せ」とか言ってるようなもんだぜw

「地域的に神社と縁深いところの生まれだけど、あくまで『マグルの出』の魔法学校卒の人間が見た、神社で可能なこと」をあえて言うなら…「宣言する」「誓う」かなあ。
神様と自分自身に、「こういうことがしたいからこれだけのものを差し上げます。ひいてはご助力をお願いします」とプレゼンテーションするというか。神道のお祭りは見てりゃ分かるけど、ぶっちゃけ「接待」なんだよな。
お客様のいらっしゃる前はお掃除して会場を整える。
接待にあたる人は、見苦しくないように身を綺麗にして、変な行動を慎む。
お客様ご到着の際には迎える側の責任者が傍に持して、山海の珍味とお米とお水とお塩とお酒、要はご馳走を出したり、歌舞音曲でおもてなしののち、いよいよ案件を聞いていただく。
…お祭りの行事次第を一般的な表現で書き出してみたけど、まさに接待ですよね。

伊勢の外宮の三ツ石は、確か大祓とかお祭りに使用する道具なんかの修祓の際に神籬を立てるところで、だから注連縄を巡らしてあるんだが、どうもドルメンや何か霊妙なものだと勘違いされてるんだよなぁ…。何か感じるとかさ。
そりゃ、もしかしたら人が祈ることで何らかの効果が発生してるかもしれないし、何か大地から発するものがあるかもしれないんだが、オフィシャルにそういう効果は求めてない。そういうものを求めてお祭りやってる訳じゃないからな。
幻想をぶっ壊すのが楽しいなんて言ったらいかんが、たまに(・∀・)ニヤニヤしちゃいますよ私w

いやまあ、諸々を「あえて言挙げせず」というスタンスで神道は天地開闢以来やってるから、外の人々が分からないのも無理はないんですがね。
みんなは普段の生活をしっかりしてね、それが神ながらの道だよ。あ、聞いたら教えるけどね! というある意味すげぇ厳しいスタンス。突き詰めていったら「市販で済ます痛み止めでデリケートに酔ってる」奴はおよびでないかもしれん。
もちろん全ての人の上に御稜威、御神恩はあります。でも、それを掴むか掴まないかはその人自身ですからね。合格祈願したってみんなが受かるわけじゃないし、酷な話ながら、病気平癒の祈願をしてもお亡くなりになる場合があるわけだから。

まずは現実世界を生きて、衣食足りて礼節を知ってからでも遅くはないぜ。日本の場合、死後は大抵神か仏弟子かになるんだから、人生をまともに生きることが神や仏に向かう道だと私は思うな。
※神葬祭なら「命」とか「大人(うし)」とかで神だし、仏式なら剃髪して仏弟子。キリスト教だと天国行きだっけか。どっちにしてもあちらの世での身の振り方は決まってますから、焦ることはございませんw

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