ただウェブに駄文を綴るのみ

駄文綴り続けて早1年。
誰かのためになることを書いたら負けかなって思ってる。

ゆう君のブログ巡回記 PHASE1-2

2006-07-01 | Webのお話
■前回までのお話
ゆう君のブログ巡回記 PHASE1-1

■3
 さて、みーちゃんとのお話をして困ってしまい、外へと飛び出していったゆう君。誰かにみーちゃんにお話したことを話してみようかと思ったものの、外は夜も遅くなってきたせいか、人が全然いません。仕方ないので、人を探そうと散歩を始めました。

 散歩していても人がまったく見つかりません。どうしようかと考えていると、目の前に近所の公園が見えてきました。公園の中に誰かいないものか? と考えて、ゆう君は公園へと向かいました。
 公園はそれほど大きくもなく、すべり台やブランコ、砂場にベンチが2つほどある程度の小さい公園です。街灯もないため、公園の中は真っ暗。人の気配もないようです。仕方ないので帰ろうかとも考えましたが、ゆう君はみーちゃんが言っていたことを一人で少し考えたくなったのでブランコに乗ってぼけーっと考え事を始めました。

 そうして考え事をしていると、ふと目の前に女の人が現れました。

「こんな時間に一人で何をやってるのかしら?」

 ゆう君は、一人考え事に耽っていて周りに全く気づかなかったので、声をかけられたので驚いてしまい、ブランコから落ちてしまいました。

「あら、驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね」

「ああ、みねさんでしたか。考え事をしていたので気づきませんでした」

 ゆう君がそう言うと「何を考えてたのかな?」と質問されたので、みーちゃんに話したことをみねさんに話してみました。

「なるほどね。確かにそれはみーちゃんの言う通りかもしれないわ」

「やっぱりそうなんですか?」

「実は私もそのブログと関連の記事を少し読んでたんだけど、なんだかとっても悲しくなってしまったの」

「悲しくですか?」

「うん、悲しくなった。ブログって、誰もが簡単に自分の思ったこととかを書いて、それを世界中に見て貰えるようにできるすごいものだと思う。でもね、ブログでは何を書いても自由かもしれないけど、自由なんだから何を話題にしようと勝手っていうのは、自由っていう権利を暴力的に使っているんじゃないかなって思うの。今回のレイプだのそのときに出来た子供を中絶するべきか否かなんて話、一体なんのために議論するの? 議論する意味はあるか? って言ってる人も結局自分の考えを披露する。しかも、元記事の一部分だけが取り上げられて、マザーテレサの言葉まで出す記事まであがってたわ。この記事が間違いなく、元記事の印象を固定化させてしまい、そして不要な議論の拡大を招いてしまったと思うの」

 そう言われてゆう君は、その記事を読んでみましたが、命の大切さというものを語っているという印象しか持ちませんでした。何かいけないことがあったのか、まるで分かりません。

「それ単体で見たらいいかもしれない。でも、この記事が、『大切じゃないと思う(ブログ上で好き勝手に中絶するべきだとか語ってる)奴は、今すぐオレの前で絶命してそれを証明してみろ。』って言ってたはずなのに、『大切じゃないと思う(レイプされた)奴は、今すぐオレの前で絶命してそれを証明してみろ。』って、書いた記事だって印象を植え付けてしまったようにしか見えない。
 それに、子供の命については取り上げられているけど、レイプされた女性のことが全く考えられてない。子供を預かりすればいいみたいな話になっちゃってる。それだから、女性のことも考えろ! って記事まで出てくる。そうやって、話がどんどん膨らんでいってしまう原因になってたんじゃないかなって。マザーテレサの言葉を書いた記事が発端になった元記事に勝ってるとかって本気で考えてる人がいるとしたら、ただのバカね。むしろ、無闇に混乱を招いてるだけよ」

 そう言っているときのみねさんは、とても怖い顔になっていたので、ゆう君はとても恐くなってしまいました。それが顔に出ていたのでしょうか、みねさんは、はっとなって、

「あら、熱くなってしまったわね。ごめんなさいね、こんな話してしまって」

「いえ、いいんです。でも思うんですけど、例えどんな話題でも、ブログで大きく取り上げられることによって、考えていこうっていう人も増えていいと思うんです。なのに、この話に関して話題にすることが、なんで自由の暴力なのか、全然分からないです」

「そうね。確かにブログで議論されることによって考えようって人が増えるかもしれないわね。それでもね、レイプだの中絶だのってすごくデリケートな話題だと思う。どうするべきかなんていう絶対の正解なんてどこにもない。それを決めるのは本人だけ。
 なのにブロガーってやつは、自分たちで勝手に答えを出そうとしている。それを正しい答えにしようと議論している。そういうことを話題にすること、書くことは自由で当然の権利のようにして記事を書く。経験ないやつだって語らせろって吼える。そうやって傷を持った人たちなんて置き去りにして、本気で考えてるわけでもないのにただ話題になってるからってだけで記事書いて、自己満足のために議論して、勝手に自分が納得できる答えを出して、自分たちだけでそれが正解だと勝手に満足する。それが自由の暴力以外のなんだっていうの?
 レイプされたときに出来た子供の命なんてどうでもいいから中絶しろって議論するなら、ほんと、まずはお前が死ねって感じよね。
 逆に、命は大切なんだから産んで当然なんていうなら、男だろうと女だろうと、まずはてめーがレイプされてこいって感じよ。命は大切なんだから、理由はどうあれ子供を産めって、そういう男が簡単に考えそうなことって嫌いだわ。
 それに、その行為が子供ができるかもしれないから恐いのかもしれないなんていう意見もあったみたいだけど、何を言っちゃってるのかしら。子供が出来る出来ないなんて関係ない。その瞬間、自分が人間として扱われず、レイプしてくる奴の性欲をただ満たす為だけの道具にされることこそが恐怖だっていうのに」

「・・・」

 ゆう君は、みねさんの言葉に圧倒され、ただただ黙ってしまいました。

「なんだか語ったら疲れちゃったわ。もう夜も遅いし、そろそろゆう君も帰った方がいいと思うよ」

「あ、はい」

「ふふ。あ、そうだ。家に帰ったらみーちゃんのお父さんともお話してみるといいわ。きっと色々なこと聞けると思うから」

 そう言い残し、みねさんは公園を後にしていきました。

 みねさんとのお話で、しばらく呆然としていたゆう君も、お父さんの話を聞くために家へと帰っていきました。

(続く)

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