①有馬皇子をおとしいれた
※②~⑤は明日以降になっちゃうかもです。
では、①、さっそくいきます。
まずはこの歌から。
磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
磐代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び
真幸くあらばまた還り見む
[作者]有馬皇子
訳:磐代の浜の松をくるりと結び、幸いにも帰ってこられるならば、またそれを見ることもできよう
その訳のあとに、ああまだ死にたくはなかった、という悲壮さが窺えると思います。
というのは・・・
以下、遷都の歴史と同時進行に書いていこうと思います。
36代目孝徳天皇は、飛鳥板蓋宮から難波宮に遷都しました。そしてまた、37代目斉明天皇(このお方は35代目で皇極天皇という名で天皇でした)が飛鳥板蓋宮に再び遷都しました。そして飛鳥川原宮、飛鳥岡本宮と次々と遷都します。
ところで、34代目舒明天皇の妻であり、自らが皇族の血をひいていることから、斉明(皇極)天皇は女帝ながらにして天皇の地位を継承したのです。
しかし、斉明天皇に即位したときに、これでは36代目の孝徳天皇の息子である有馬皇子の地位はあやふやなものとなります。
皇太子の地位は舒明天皇と斉明天皇の子である中大兄皇子に継がれました。
なぜ皇極天皇が斉明天皇として復活したか――それは、中大兄皇子が裏で糸をひいていたのです、自分がのち天皇になるために。中大兄皇子としては皇太子として自由に政治を執り行い、来るべきときがきたら天皇になるつもりであることは、有馬皇子にも分かりました。
しかし、当然有馬皇子をおす勢力もあります。
有馬皇子は身の危険を感じて、気狂いのふりをしていたと言われています。
しかし、あるとき中大兄皇子その他もろもろが紀州に湯治にと出払っている最中、まだ十九歳の有馬皇子は蘇我赤兄(そがのあかえ)にそそのかされてついに謀反をおこしてしまいました。
中大兄皇子と蘇我赤兄の思うつぼです。
早速、紀州の湯に送られて処刑されてしまいました。
上の歌は紀州へ護送される最中詠んだ歌です。
「天と赤兄と知る、吾は全ら(もはら)知らず」
と中大兄皇子が糾問したときに答えたというのは有名です。
19歳という若さで散っていきました。
・・・という悲劇の皇子です。
家有者 笥爾盛飯乎 草枕 旅爾之有者 椎之葉爾盛
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕
旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る
[作者]有馬皇子
訳:宮にいれば立派な器に入れて神にささげものをするのだが、旅の道中であるので椎の葉に盛ります、お許しください。
私、ハムレット好きなんですけど、有馬皇子ってハムレットに似ていると思いませんか?
復讐じゃないですけど、気狂いのふり&19歳という年齢で散っていったというのが、
中三のときに研究したシェイクスピアについて、
私なりにハムレットは19歳じゃないかって仮説たてたんですよ。
これ、すんごい込み入った内容なので詳しくは私の中三論文参照(学校にあるかな?ないかな?)で。
簡潔にいうと、
現在シェイクスピアの正式な原稿は一つも残っていない。では『ハムレット』だ『十二夜』だといっているものは一体全体なんなのかというと、彼の時代エリザベス朝に、出版されたテキストがシェイクスピアの「作品」ということになる。これは当たり前、でもそのテキストが複数あり、ところどころ微妙に英語の綴りが違っていたりするとどちらが正しいのかで問題となるのだ。
『ハムレット』のもととなるテキストは3つある。
なんと、有力な2つのテキストではハムレットの年齢は30歳ということになっているのだ!でも、ハムレット7歳のときヨリックが死んだことのみテキスト3つが同じならば、海賊版では今のハムレットの歳は12+7=19歳ということにもなりそうだ。
~て予想を私なりにしてみたんですがね。
だって、もし30歳だとしたら、「彼の母がクローディアスの抱いたような情欲の対象となることなど、ほとんどあり得なかったろう」(フランク・マーシャル『「ハムレット」研究』1875年から引用)。
でも、読むものではなく観る劇として『ハムレット』をみれば、「当代の名優リチャード・バーベッジ(1571-1619)がグローブ座でハムレットを初演したとき、彼がほぼ30歳だったのは確実である」(訳者:野島秀勝『ハムレット』岩波文庫(2002)解説346頁から引用)。つまり、年齢など観客にとってはどうでもいい要素なのだ。
ま、ここらへんで終了ー!
明日の俺もかっこいいぜ☆
※②~⑤は明日以降になっちゃうかもです。
では、①、さっそくいきます。
まずはこの歌から。
磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
磐代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び
真幸くあらばまた還り見む
[作者]有馬皇子
訳:磐代の浜の松をくるりと結び、幸いにも帰ってこられるならば、またそれを見ることもできよう
その訳のあとに、ああまだ死にたくはなかった、という悲壮さが窺えると思います。
というのは・・・
以下、遷都の歴史と同時進行に書いていこうと思います。
36代目孝徳天皇は、飛鳥板蓋宮から難波宮に遷都しました。そしてまた、37代目斉明天皇(このお方は35代目で皇極天皇という名で天皇でした)が飛鳥板蓋宮に再び遷都しました。そして飛鳥川原宮、飛鳥岡本宮と次々と遷都します。
ところで、34代目舒明天皇の妻であり、自らが皇族の血をひいていることから、斉明(皇極)天皇は女帝ながらにして天皇の地位を継承したのです。
しかし、斉明天皇に即位したときに、これでは36代目の孝徳天皇の息子である有馬皇子の地位はあやふやなものとなります。
皇太子の地位は舒明天皇と斉明天皇の子である中大兄皇子に継がれました。
なぜ皇極天皇が斉明天皇として復活したか――それは、中大兄皇子が裏で糸をひいていたのです、自分がのち天皇になるために。中大兄皇子としては皇太子として自由に政治を執り行い、来るべきときがきたら天皇になるつもりであることは、有馬皇子にも分かりました。
しかし、当然有馬皇子をおす勢力もあります。
有馬皇子は身の危険を感じて、気狂いのふりをしていたと言われています。
しかし、あるとき中大兄皇子その他もろもろが紀州に湯治にと出払っている最中、まだ十九歳の有馬皇子は蘇我赤兄(そがのあかえ)にそそのかされてついに謀反をおこしてしまいました。
中大兄皇子と蘇我赤兄の思うつぼです。
早速、紀州の湯に送られて処刑されてしまいました。
上の歌は紀州へ護送される最中詠んだ歌です。
「天と赤兄と知る、吾は全ら(もはら)知らず」
と中大兄皇子が糾問したときに答えたというのは有名です。
19歳という若さで散っていきました。
・・・という悲劇の皇子です。
家有者 笥爾盛飯乎 草枕 旅爾之有者 椎之葉爾盛
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕
旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る
[作者]有馬皇子
訳:宮にいれば立派な器に入れて神にささげものをするのだが、旅の道中であるので椎の葉に盛ります、お許しください。
私、ハムレット好きなんですけど、有馬皇子ってハムレットに似ていると思いませんか?
復讐じゃないですけど、気狂いのふり&19歳という年齢で散っていったというのが、
中三のときに研究したシェイクスピアについて、
私なりにハムレットは19歳じゃないかって仮説たてたんですよ。
これ、すんごい込み入った内容なので詳しくは私の中三論文参照(学校にあるかな?ないかな?)で。
簡潔にいうと、
現在シェイクスピアの正式な原稿は一つも残っていない。では『ハムレット』だ『十二夜』だといっているものは一体全体なんなのかというと、彼の時代エリザベス朝に、出版されたテキストがシェイクスピアの「作品」ということになる。これは当たり前、でもそのテキストが複数あり、ところどころ微妙に英語の綴りが違っていたりするとどちらが正しいのかで問題となるのだ。
『ハムレット』のもととなるテキストは3つある。
なんと、有力な2つのテキストではハムレットの年齢は30歳ということになっているのだ!でも、ハムレット7歳のときヨリックが死んだことのみテキスト3つが同じならば、海賊版では今のハムレットの歳は12+7=19歳ということにもなりそうだ。
~て予想を私なりにしてみたんですがね。
だって、もし30歳だとしたら、「彼の母がクローディアスの抱いたような情欲の対象となることなど、ほとんどあり得なかったろう」(フランク・マーシャル『「ハムレット」研究』1875年から引用)。
でも、読むものではなく観る劇として『ハムレット』をみれば、「当代の名優リチャード・バーベッジ(1571-1619)がグローブ座でハムレットを初演したとき、彼がほぼ30歳だったのは確実である」(訳者:野島秀勝『ハムレット』岩波文庫(2002)解説346頁から引用)。つまり、年齢など観客にとってはどうでもいい要素なのだ。
ま、ここらへんで終了ー!
明日の俺もかっこいいぜ☆