「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

戦う理由

2016-09-06 | 留学するまでの色々
日付が変わったので、もはや昨日のことになりますが、母校の医学部に顔を出しました。
留学前のご挨拶と、共同研究の打ち合わせのためでした。もう卒業してからそれなりに時間が経っているのに、あちこちで「お久しぶりですね」と声をかけられました。私の顔と名前を覚えている方々が思いのほか多くて、驚きました。
母校から海を見ました。秋の海はキラキラと輝いていて、無性に懐かしかった。
学生時代の気持ちをすこし思い出した気がしました――福島に行く前の気持ちを。

母校からの帰り道に『シン・ゴジラ』を観ました。ずっと観たいと思っていました。
詳細はネタバレになるので省きますが、なるほど、なかなか痛烈な作品でした。エンディング後の日本がとても気になる内容でした。庵野監督なりに伝えたい事が色々あって、それらが上手く凝集されていると思いました。最後の尻尾も実に興味深いメッセージです。医師として、医学者として、放射線の専門家として観ると幾つかささやかな科学・技術的なツッコミどころはありますが、はっきり言って、近年観た映画の中では最も「観て良かった」と思える良作でした。
観ている最中、もちろん福島FUKUSHIMAのことを私は思いました。
人体への放射線被ばく影響をどう考えるべきか。少なくともCurrent bestな医学的対応を成し遂げるにはどうすべきか。色々考えていました。例えば、ある日突然ゴジラが現れて、放射性物質が撒き散らされて、故郷が帰宅困難区域になる。荒唐無稽ではありますが、その可能性だって完全にゼロではありません。もしかしたら、どこかの国が核弾頭搭載ミサイルを明日東京に打ち込むかもしれません。
本当にそれが起きてしまったなら、その後で「想定外です」で済む話ではありません。
我々はどこまで真剣に「放射能」に向き合ってきたのでしょうか?
やはり、誰かが戦わなければならないと私は思いました。周囲から理解されず、バカだの、チョンだの罵られたとしても、それでも誰かが戦わなければ。命を賭してでも挑まなければ。私の知る「あの先生」がそうであったように、私も……。

私は、我ながら、馬鹿な男です。
誰かのために尽くすには、自分が損になることしか出来ません。
誰かを幸せにするためには、自分がピエロになることしか出来ません。
いつだって、そういうやり方しか私には思いつきませんでした。

公立相馬総合病院に初めての研修医として挑んだ時もそうでした。
公立相馬総合病院は原発のすぐ近くで、しかし、中断することなく診療を継続してきた地域病院でした。しかし医療従事者不足に困窮しており、このまま誰かがやらなければ、相馬の未来はきっとないだろうと思った。相双地域で頑張ってきた病院を存続させるためには、誰かが働きかけなければならなかった。だから、自分がやることにしました。
他の医師がやるよりは、自分がやる方が良いだろうと思ったのです。本当は、自分のキャリアのことだけを考えれば、沖縄県立中部病院などで研修した方が良かった。すくなくとも臨床医としてのスキルはより充実したことでしょう。私はもっと優れた臨床医になれたかもしれません。
――それでも、相馬を選んだのでした。

今回の留学もそうです。
自分の臨床医としてのキャリアのことだけを考えれば、専門医研修を途中で投げ打って留学するのは「愚の骨頂」といえます。臨床医としての高みを目指すなら、あるいは楽して幸せになるためには、このタイミングで研究留学はありえません。
それでも、私は大熊、双葉、浪江、飯舘を直接見てきましたから。
患者さんと話して、仮設住宅の人たちと話して、一医師として彼らの哀しみに触れてきましたから。
だから、せめて私だけは「私に出来ることをしてあげたい」と思いました。出来るだけ早く英国に渡って勉強して、死に物狂いで研究して、世界の研究者と肩を並べて議論して、放射線医科学の教科書を書き換えるしかないと思ったのです。
そうやって、彼らのためにせめて一人くらいは命を賭けて戦う馬鹿がいてもいいんじゃないか、と。

昨日、母校に行って、『シン・ゴジラ』を観て、改めて私は「戦う」決意をしました。自分に出来ることはそれくらいしかないから。たとえ、たった独りでも。嗤われて、侮られて、蔑まれたとしても。これまでのように、これからも、私は戦います。