「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

さよなら

2016-09-02 | 留学するまでの色々
昨日、相馬に別離を告げて、今日、仙台にさよならを伝えます。

昨日から、無職になり、渡英後に学生の身になります。区役所で転出届を提出して、仙台市民ではなくなりました。マイナンバーカードも返納しました。東北大学メールも使えなくなりました。

東北に来て色々あったことを思い出しながら、感慨無量の心地になりました。
取捨選択を繰り返しながら、ここまで至りました。答えを突きつけられ、悔恨することはあったし、満足したこともあったけれど、全て自業自得です。過ぎてしまったことは是非もなし。これからも自分なりに頑張ろうと思います。

正直、幸せになりたいと思ったこともありました。
相馬や仙台で本気で結婚しようかと思ったことは実は何度かありましたが、為すべきことと恋愛を天秤にかけて、結局、為すべきことを選んでしまったような形です。それを見抜かれていた気がする女性もいたし、留学中の負担や苦労を考えると「私と今すぐ一緒になるより、やはり他の男の人と一緒になった方が幸せになれるんじゃないだろうか」と思った女性には断腸の思いでそちらを勧めました(「おためごかし」と言われるかもしれませんが)。いずれにせよ、今の私には、まだ、誰かを幸せにしてあげることは出来ませんから。それでいいと思っているのです。
人生は一度きりです。
だから私は、せめて私だけは、震災後に相馬市の大野台の仮設住宅で過ごして「ああ、死ぬ前に一度、家に帰りたかったなあ」と無念のうちに亡くなられた飯舘村の方々のために戦おうと思いました。美しい故郷に帰りたかった人たちのために戦おうと思いました。そういう人たちを医師として最後に看取った者として。
だって、きっと、さぞかし悔しかったでしょう? 哀しかったでしょう?
その悔しさと哀しさを、私もすこしは判ったような気がしましたから。
なんとかしてあげたいと思った――その気持ちは、本当だったから。
為すべきことを為すためにはどうするべきか。色々考えて、やはり留学は避けて通れないステップだと感じました。出来るだけ早く、世界の研究者たちと肩を並べなければならなかった。私の臨床医としてのキャリアを犠牲にしてでも、ね。

もとより独りで戦うことには慣れています。
幸い、共同研究者の先生方、医局の先生方、相馬の人たちをはじめ応援して下さる人たちもいますから。これはきっと勝てる戦いだと思っています。何もかも犠牲にして、それだけの準備はしてきました。研究にもある程度の目途はついているし、博士号も取得出来るはずです。そして、留学後の進路も概ね決まっています。言葉や文化の違いによる不安はありますが、負ける要素はほぼありません。人事は尽くした感があります。
あとは天に任せるのみです。
留学は3年間の予定ですが、一所懸命に頑張って、良い成果を得たい。自分が報われなくても仕方ありませんが、せめて福島の惨事から新しい放射線医科学の知見を生み出せるように、その礎に貢献できるように。今は、ただ、それだけを祈っています。

さよなら。