「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

「諦めなければ、夢なんてどうせ叶うものです」

2016-09-02 | 雑記
さて、渡英前に実家のある首都圏に来ました。勝手知ったる元ホームグランドというやつです。渡英までに幾人かと会う予定になっていますし、メールも出しました。これから留学後まで、長期的な計画で色々と動いていく、仕掛けていくつもりです。

最近、帰国後に向けて布石を打つことが多くなりました。
依頼された布石もあれば、自分のための布石もあります。いずれにせよ、どう転んでも最終的に勝ち残るには、備えは多ければ多い方がいいでしょう。
今はおそらくは人生で最も「準備」に集中するべき時期です。医師のキャリアパスを考えると、「卒後5年間」の積み重ねで、ほぼその後が決まります。私が見てきた人たちを振り返ると、この時期を享楽的に過ごしている人たちに、将来性はほとんどありません。それは臨床だけでなく、研究、公衆衛生、行政、医療事業展開においても同様です。だから、私は留学期間も含めて、この5年間に自分の準備のピークを持ってくることにしたのでした。そして、その一環として、布石もたくさん打っているわけです。最終的に目的を達するために。
つまり、将来において戦う前から勝つために、今、布石を打っています。
相馬でそれなりのことが出来たのは、学生時代の布石のおかげでした。仙台、そして留学先でそれなりに戦えるのは、学生時代、相馬時代の布石のおかげです。今回の留学とて、いわばただの布石です。将来の目標のために留学するだけであり、留学が目的ではありません。目標への道筋はすでに見えていて、あとは着実に進むだけです。幸い、こんな私にも応援してくれる人はいますから。精一杯頑張りたいと思います。

先日、渡英前に最後に相馬に訪ねた時に、とある女性から言われました。
「最近、センセが正気に戻ったみたいで良かったよ、正直、去年の年末頃は『センセもここまでの人か』と思っちゃった」と。
ドキリと、しました。
そんな素振りは全然見せなかったくせに、すこしは心配してくれていたようです。最後の最後にそっと教えてくれるところが彼女らしかったので、思わず苦笑しました。まあ、たしかに彼女の期待を裏切っていた自覚はありました。相馬における恩人の一人である彼女は、私がプライベートの悩みまで含めて正直に相談できる数少ない知人の一人でもありました(そういう人が少なくなってしまったのは私の不徳の致すところです)。

(カラオケでミスチルを歌った時)
「長く助走を取った方がより遠くに飛べるって、むかしミスチルが歌ってたのが好き」

(飲み会で酔っぱらい過ぎて)
「おい、ちんこ付いてるなら、天下狙え」

(どうして医学部に入ったのかを話した時)
「諦めなければ、夢なんてどうせ叶うものです」

(ある患者さんが亡くなられた後で)
「相馬に何しに来たの? 遊びに来たの?」
「誰も責めないけど、判ってる? センセが患者さんを死なせたんです」
「他人のせいにするバカ医者なんて一杯いるけど、センセはそうならないで」

(ある恋愛相談をした時)
「医者と結婚したいだけの女を見抜けないようでは話になんない」
「結婚なんて焦ってしてもろくなことになりません、お姉ちゃんにはわかります」

(結婚観について話した時)
「とりあえず、看護師は止めとけ」

(良い女を紹介して欲しいとお願いした時)
「男を騙すのが悪い女、男に騙されるのがバカ女、男に騙されたフリをしてあげるのが良い女」
「今のセンセには良い女はもったいない」

(やりたいことについて相談した時)
「やりたいことがあるなら偉くなれ、な~んてな」
「『為すべきこと』を本当に見つけられたなら、わざわざ相馬に来た甲斐があったかもね」
「ロマンを語る男なんて、勝算がなければ、壊れかけのレディオです」

(ある理由で落ち込んでいた時)
「はいはい、(センセみたいな)負け犬はおととい来てくださいね」
「医者のくせにインフルエンザになった? 死ね」

(公立相馬総合病院を離れる前)
「仙台では大人しくしなさい、バカな男の子でいても良かったのは、ここまでだから」
「センセに相馬に来てくれてありがとうって、一度は言ってみたかった(笑)」

(最後に会った時)
「格好つけないで気楽にやりなよ、イギリスでは」

などの数多くの名言(暴言?)をこの私に向かって吐き続けたことで、私的「忘れ難き女性」ランキングにおいて彼女は堂々ナンバーワンに輝いています(おそらく彼女は嫌がるでしょうが)。
振り返ると、けっこうボロクソに言われていますね、私……(´;ω;`)
相馬では色々ありましたが、彼女にだけは見限られずに済んだ(?)のは、ホント良かったのかもしれません。彼女の助言を無視した結果、ちょっぴり辛いことがあったのは、記憶に新しいところでしたから。
私が正気に戻ったかどうかはともかく、別れ際に「今は我慢して自分を磨く時だよ、センセ。イギリスでも体に気を付けて下さい」と励ましてもらえたのはやはり嬉しかった。後から振り返ると、彼女は何もかも知っていた上で、おそらく、そう言ってくれたのでしょう。

正直、もう会うことはないかもしれません。
しかし、私のことを応援してくれていたのは判っていましたから。それだけで何度か救われた気持ちになりました。仙台に移ってから気付いたのは、私はこういう風に「歯に衣着せぬ言い方で接してくれる女性が好き」ということでした。
本当にありがとうございました。

たしかに私はまだまだ力を蓄える必要があるし、「長く助走を取った方がより遠くに飛べる」ってもんでしょうから。今は布石を打って、勝算を高めて、準備をしながら、いずれ為すべきことを為したいと願っています。そして、医師として、医学者として、出来るだけ早く「なんとかしてあげたいと思った人たち」に報いたいと思います。格好つけすぎかもしれませんがね。

私は諦めません。最後まで。