「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

ぼちぼち日本へ

2019-01-16 | 雑記
今月末に日本へ一時帰国します。
「コイツいつも日本へ帰っているな」と思われるかもしれませんが、今年もまた、日本と英国を往復する日々が始まります。今年は何回くらい往復することになるのだろうと、我ながら、ちょっと呆れる感じです。
私は今年度は東北大の非常勤講師を委嘱されていて、研究と臨床を日本である程度取り組む必要があります。また、2月には日本で講習会や研究会などにも参加する予定があるのです。ある研究会では講演を依頼されています。私ごときが招待講演なんてして良いのだろうかという思いもありますが、まあ、頑張ります。

日本に帰るタイミングが近づくと、やはりちょっとホッとするというか、いつも嬉しくなります。英国Belfastにも数年間住んでいるので愛着はありますが、しかし、母国というのはいつだって良いものであります。今回は福島や宮城のあちこちへ足を運ぶ予定でいます。懐かしい方々にも会えるかもしれません。
楽しみです

子供は「生産」の対象ではない

2019-01-15 | 雑記
昨年、杉田水脈自民党衆議院議員が「LGBTは子供を作らない。つまり『生産性』がない。だからLGBTのために税金を使うのはいかがなものか」と週刊誌上で主張したことに批判が起こりました。
いくら言論の自由があるとはいえ、性的マイノリティに対する無知、無理解をさらけ出し、ひいては基本的な人権の軽視を感じさせるという点で、立法府を担う国会議員の主張にしてはあまりにもお粗末でした。さらに、子供を産むのは「生産」であり、国民はその「生産性」とやらの尺度で税金を使われるかどうかが決まるという意味不明な持論を展開しており、率直に申し上げて、私はたいへん驚愕したのでした。

ふ~ん、仮にそういう論理が通用するならば、例えば年齢が50歳以上の日本国民は皆殺しにでもしたらいいんじゃないですか? だって、「生産性」がない人たちに、税金を使うのは勿体ないと言いたいのでしょう? LGBTや高齢者みたいに子供を生産しない人たちに、これ以上の税金を使うのがおかしいのならば、もう政府が殺してしまえばいいんじゃないですかね?

たぶん、子供でも、こんな感じで杉田氏のとんでも理論を論破できると思うのですが…。「生産性」とやらで国民の価値を決めて、税金の使い道を決めようとする社会は、きっと、もの凄くぶっとんだ社会になることでしょうね。
この杉田さんはたぶんお馬鹿さんなんだろうと思いますが、しかし、こういう議員を当選させてしまう選挙区の住民の皆さんも同様にお馬鹿さん揃いなのでしょう。国会議員が馬鹿なのは、はっきり言って、国民が馬鹿なせいですから。

さて、いきなり強めの毒を吐いていますが、実は最近、この問題を思い起こさせるような出来事が身近にあったのでした。今でも、思い出すたびに、モヤモヤします。
晩婚化が進んだ昨今では珍しくない話ですが、とある30歳代同士のカップルが結婚しようとしたら、男性側のとある親族の方から「そんなババアはやめて、20代のもっと若い女と結婚したらどうだ? 高齢の女は子供を産むのはリスクがあるし、そもそも、お前、そのババアに騙されているんじゃないか?」と言われたとのことです。その親族は、カップルの片方の女性には面識もないのに、「30歳代後半」という年齢だけを聞いて、そういうふざけたことを言ったそうです。
ここでいう「リスク」とやらが、例えばダウン症の子供さんが生まれる確率などのことを示しているのだとしたら、さらにふざけていますね。

そういうお馬鹿な親族が身内にいたというのは大変お気の毒に感じますが、しかし、杉田氏の主張然り、そういう風に子供をまるで道具か何かのように「生産するもの」として見ている方や、女性や患者さんの人権に対する認識が極めて浅薄な方は、もしかしたら私が思っているよりも世間には多いのかもしれません。
きっと、そういう方々は、「生産」できない女性は役立たずであり、何らかの疾患を抱えている人は「不良品」だとでも思っているのでしょうね。
例えば、日本ではつい最近まで、子供を産まなかった女性を「石女(うまずめ)」と呼んで蔑視する風潮がありました。子供の有無に基づいて、女性の価値を決めるという考え方は、21世紀の今日でも、日本社会の宿痾として残っているような気もします。おそらく、今でも上記の親族みたく、無知、無理解、無恥なことを仰る方々は、決して少なくないのではないでしょうか。

私自身は医者の端くれですが、医学・医療の知識とは別にして、子供とは「授かりもの」であると思っています。
授かりものであるわけですから、確かに幸運にも授かったら嬉しいかもしれませんが、もしも授かることが出来なかったとしても、それはそれで普通というか、そういう生き方も自由に容認されていいのではないかと考えています。たまたま子供がいないカップルの例、あるいは性的マイノリティーや不妊症のカップルで子供ができない例を鑑みると、授かりものに恵まれなかったからといって、そういうカップルが何か劣っているだとか、何か人間として問題があるだとか、そういう風に捉えるのはいかがなものかと思うのです。もっとはっきり言うと、子供の有無をもとにして他人を差別する人や、他者を見下したり、蔑むような人を、私は好きになれません。

もちろん、たとえば高齢の親が、息子や娘の子供、つまり孫を見てみたいという素朴な気持ちは理解できます。息子や娘に対する期待や希望もあるのでしょう。しかし、だからと言って、子供のカップルに孫が生まれなかったことを嘆くとか、さらには高齢の女性との結婚を反対するとか、そういうのは実にナンセンスではないでしょうか。
私の知人にも、不妊症のカップルがいらっしゃいましたが、無邪気で残酷な期待とでも言うのでしょうか、お互いのご両親から「早く孫が見たい」などと言われて、大変悩み苦しんでいらっしゃる姿を見聞きしたことがありました。子供を授かることができずにいるのが気の毒というよりも、そういう周囲からの無邪気で残酷なプレッシャーに耐えなければならないのが気の毒でした。彼らは自分たちのことをまるで罪人であるかのように感じていらっしゃったみたいです。
子供は、親に孫を見せるために、結婚するのではありません。「この人が良い」と思えるパートナーと一緒の時間を過ごしたいから、人生という旅を共に歩みたいから、結婚するのです。親の期待や希望に応えるために、子供を生産するために、結婚するわけでは決してないのです。すくなくとも、私はそう信じています。

念のために、最後に申し上げますと、こちらに書いたのはあくまで私見です。最近、あまりにも腹立たしい話を聞いて、思わずブログに長文を書いてしまいました。もちろん、異論を抱く方々もいらっしゃることでしょう。私自身、海外在住歴が長くなるにつれて、すこしずつ価値観や思想が日本に居た頃と変わっているのを自覚しています。日本にいらっしゃる方々とは意見が異なる場合もあるでしょう。自由とは、思想や意見を異なる者たちのための自由です。人権蔑視や差別助長はともかく、色々と自由な意見があっていいと私は思っています。

大学院留学後の就職について

2019-01-13 | 雑記
海外へ留学した後、進路に迷う例は少なくありません。もちろん、私もそうでした。海外での体験は、日本に生まれ育った者に対して、自分がやりたいことは何か(希望)、自分に向いていることは何か(適性)を改めて考えさせるものがあるのでしょう。したがって、その後の進路については、色々と悩ましいものなのですね。

かつて大学院博士課程修了後の方々が路頭に迷う「漂流する博士」が問題となりましたが、さらに海外で研鑽した者が日本国内で活躍できない「ガラパゴス化する日本」も問題でした。とりわけ今回の私の場合、その両方に該当してしまうわけで、英国大学院留学後の身の振り方についてはやはり悩ましかったのでした。とはいえ、私には医師免許がありますので、研究を止めれば臨床医として食っていくことはいつでも可能ですので、すこし心の余裕がありました。つまり、仕事として研究して生きていくことが問題なのではなく、最大のポイントは「自分のやりたい放射線の研究を、自分が主体的な(独立的な)立場で、継続できるかどうか」にかかっていました。せっかく英国で放射線生物学・腫瘍学の大家に師事して学位を得ながら、日本でそれを活かせないようでは、あまりにも残念だと思っていたのです。

幸いにも、最近、望外のポジションが提案されまして、自分が希望していたようなある程度主体的な立場で、新しい放射線治療を研究することが出来る見込みになりました。臨床も研究もやらないといけないという忙しいポジションですが、仕事の裁量も大きいですし、とにかくやりたいことがやれるので、若手の医師、医学者にすぎない私に対してはかなり有り難い申し出でした。実は、放射線研究できるポジションがなかなか取れずに困っていたところでしたので、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」といったところでした。
こちらの大学院の友人たちと、先日、博士号(PhD)取得後の就職について話をしたのですが、やはりと言うべきか、就職先が決まらずに困っている方もいます。友人らに比べれば、私ははるかに恵まれたポジションを得ることが出来たといえるでしょう。医師免許を持っているので、就職が比較的容易なのは当たり前と言えば当たり前ですが、でも私としては就職先の目処がたつまでやはり苦しかったです。それなりにもがき苦しんだのでした。それを過去形で言えるのは、きっと幸せなことです。

留学は、それ自体がゴールではなく、あくまでキャリアパスの中における一通過点です。
英国に限らず海外への留学は、単純にとても楽しいですし、自分の視野を広げてくれる貴重な経験になりえますが、その後のことまでよく考えることが大事ですね。日本から逃げるようにこちらに留学してくる人たちを少なからず見てきましたが、彼らはこちらでの滞在期間が終わった後に日本に戻り、結局、それなりに苦労していらっしゃるようでした。もしかしたら私自身もちょっと考えが足りない部分があったかもしれないと、今になってちょっぴり自省しています。
留学はある種の自分探しでもありました。しかし、結局、「自分」とはこれまで積み重ねてきたもの全てに他なりませんでした。したがって、進路を選ぶにしても、今までの自分がやってきたこと、築いてきたものだけが頼りです。色々と悩み、苦しみますが、今までの自分を見つめ直し、前へ進むしかありません。

歌手のスガシカオさんが『Progress』という曲のなかで良いことを言っています。私も同感です。

ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど

ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは "ジブン"っていうらしい

世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ…
"あと一歩だけ、前に 進もう"

バカなのに風邪をひく

2019-01-08 | 雑記
愛情ってゆう形のないもの 伝えるのはいつも困難だね
だからdarlin この「名もなき詩」を いつまでも君に捧ぐ♪

という感じで、Mr. Childrenの『名もなき歌』を唄いつつBelfastの街を歩いたら、たぶん風邪をひきました。身体が重いし、関節に違和感があります。これで熱が出てきたらもう確定でしょう。素人でも診断可能ですね。
「コイツいつも風邪ひいてんな…」と思われるかもしれませんが、自分でもそれは認めざるをえません。ただ、言い訳させて頂くと、昨年末から年始にかけて色々ありまして、おそらくは知らぬ間に疲れが溜まっていたのだろうと思われます。あまり無茶なことをしたつもりはありませんが、自分はそれほど体力や気力が無いので、たしかにちょっと疲れたかな…とは思っていたのですね。まあ、後悔はしていませんが。
実は、年末年始の1週間内にDublinへ計3回行きました。
Dublinは一応、お隣の国の首都ですから、往復はそんなに簡単なことではありません。さらに、北アイルランドが誇る世界遺産Giant's Causewayへも足を伸ばしました。そして、写真のような北アイルランドの海を見ながら、海岸線を散策してきたのでした。おそらく、私が英国へ留学してから最も忙しい1週間だったのではないかと思います。

ということで、今週に入ってから、魂が抜けたかのようにだらしない体たらくです。今日も大学院の友達と一緒にランチを食べた時、「大丈夫か?」と心配されました。
なんか、ボクもう疲れたよ、パトラッシュ…
そりゃ、風邪もひくでしょう…

Christmas Eve, Christmas, and Boxing Day

2018-12-26 | 雑記
12月24日、25日、26日は英国ではそれぞれChristmas Eve、Christmas、Boxing Dayと呼ばれる休日になります。26日は慣習的にお休みになっているようです。このまま来年1月2日までクリスマス・新年休暇を取得する人も多いです。私の所属する研究センターは21日午後から休暇体制になっています。つまり、2018年はもうおしまいです。

日本では、平成最後の年末と言うことで、30年間の平成という時代を偲ぶ時期かもしれません。英国ではBrexit(英国EU離脱)を前にした最後の年末であり、日本でも報道されているかもしれませんが、ここ最近は政情的にすこし不安定となっています。テリーザ・メイ Theresa May首相も、このままEU離脱合意を議会から取り付けることが出来なければ、英国は来年の3月29日には合意なき離脱という状況に追い込まれてしまいます。とくに北アイルランドは、アイルランド(こちらはEUのまま)との国境を直接接しているだけに、すこし不安を抱いたまま年越しを迎えています。
来年3月29日に、一体、この国はどうなるのでしょうか…

私も今年は個人的にはだいぶ苦しい年でした。
研究者としての命運を賭けた論文がなかなか思うようにはジャーナルに採択されなかったこと、帰国後の就職先についてかなり混迷したことなど、「こんなはずじゃなかったんだけどな~」と思うこともしばしばありました。
しかし、論文については現在も奮闘中ですが、就職先は最終的に思いがけない方向に進む可能性が出てきて、結局、「まあ、なんとかなりそうかな~」という感じに落ち着きました。クリスマスも、とくに特別なことがあったわけではありませんが、それなりに落ち着いた気持ちで迎えています。

来年は、英国大学院も修了し、また新しい挑戦が始まります。
まだ確定したわけではありませんが、おそらく来年の冬までには日本をまた離れて、再び私は欧州の地に居ることでしょう。どうしてこうなったのか、我ながらよく判りませんが、すこしワクワクしている自分がいます。私は日本ももちろん好きですが、海外に滞在することもそんなに苦ではありませんから。また新しい何かを見つけることが出来ればいいなと思っています。
はてさて、一体、どうなることやら…。

本年もこのブログをご覧になって頂き、誠にありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

それでは、どうか良いお年を。

そして、時は動き出す…

2018-12-14 | 雑記
最近、帰国後のポジションについて、ちょっと悶々とする日々が続いていました。
しかし、急展開がありました。まあ、どこまで放射線を使った研究が出来るかは正直まだ判りませんが、ポジションはなんとかなりそうです。「医師免許強し」というとかなり下世話な感じですが、医師として働きながら、研究も出来そうなポストがあったのでした。先方に御迷惑がかかるといけないので、このブログで詳細は書けませんが、結局、母校のツテに頼ることになりました。謹んで感謝申し上げます。

残念ながら、東北大学には私の希望する研究と診療を継続できるポジションはありませんでした。つまり、今回、医局に頼ることは出来ませんでした。もちろん東北地方は深刻な医師不足がありますから、「自分は放射線を使った研究をしたいでーす」という希望さえしなければ、診療に従事するだけの仕事ならばいくらでもありました。しかし、わざわざ英国まで来て放射線生物学・腫瘍学の大家に師事しておいて、日本に帰った後に放射線研究から離れてしまうようでは、ちょっと勿体ない気がしていましたから。

それに自分の研究成果を通じて「福島は大丈夫だよ」と言ってあげたかった。
相手が墓であっても。

研究内容は自分の中で譲れない点でした。たとえ福島原発被災地から離れたとしても…。
だから、なんとか目処がついたのは良かったです。
あとは来年の博士課程修了に向けて頑張ります。

捨てる神あれば拾う神あり?

2018-12-08 | 雑記
本日の英国北アイルランド首都Belfastは、一日中雨が降ったり止んだりを繰り返しており、本当は遠くへ出掛けるつもりでしたが、やめておきました。英国留学もあと1年もありませんから、今のうちに、街の風景をよく見ておきたいという気持ちもあったのです。まあ、いつものように近くを散歩して、橋の上から流れる川を眺めてきました。

英国大学院博士課程留学の目標を振り返ると、

1. 博士号(PhD)を取得する
  → まだ博論書き始めていないけれども、なんとかなりそう

2. 3報以上論文を書く
  → 10報以上にはなりそう

3. NatureかScienceに論文を載せる
  → 無理でした…orz

4. 留学後に主体的(独立的に)に研究できる職を得る
  → 無理そう

冷静に考えると、最低限の目標は達成できそうです。
3や4は、出来れば達成したかったのですが、無理でした。しかし、福島原発被災地に還元できるような成果にむすびつく研究を展開するためには、超えなければならない試練でもありました。世界で一線級で戦っている研究者の方々は、このあたりはやはり突破していますから。つまり、自分には、才能も、運もなかったのでしょう。

私は学生時代から研究室を出入りしたりして、論文を書いたりしてきました。また、医師になってからも、もちろん患者さん第一の生活ではありましたが、症例報告を書いたり、研究をコツコツとやってはいました。したがって、留学後には小規模でもいいので、自分の研究グループを率いて放射線研究をやりたかったのでした。それも福島原発に近い場所で。
まあ、それは、どうやら無理でしたが…

とはいえ、生きてさえいれば、また何か新しいことができるでしょう。留学後のことはまだ決まっていませんが、捨てる神あれば拾う神ありと言いますから。そのうち道が拓けるのではないかと思っています。

そういえば、失うものはなかった

2018-12-07 | 雑記
今週は悪い知らせが重なり、心がボロボロになりました。
しかし、ふと、そういえば失うものなんて最初から何もなかったことに気付きました。これまで築いてきたものなんて、たいしたことではありません。現在の放射線研究を継続するのが無理だとしても、また、何か始めればいいだけです。
臨床とは違って、研究で躓いたところで、患者さんに直接御迷惑をおかけすることはありません。ただ、自分の時間と労力とお金が失われるだけです。しかし、失敗を通じて、色々と学ぶこともあります。

とりあえず、色々と気持ちが切れたところで、この土日は旅にでも出ようかなと思います。

泣き面に蜂

2018-12-06 | 雑記
引き続き、悪い知らせが飛び込んで来ます。泣き面に蜂というやつでしょうか。
明日を描こうともがきながら、なんとか頑張っているつもりなのですが…。

どうやら、私は研究を継続することは難しくなりそうです。
もちろん、私の力不足が主な原因なのでしょうが、現在、放射線研究が必要とされていないという状況もあるのでしょう。この分野のポジションも、研究費も、ほとんどありませんから。広島、長崎、そして福島。放射線禍によって辛い体験をされた方々は少ないと思うのですが、残念ながら、放射線研究の必要性はあまり顧みられていないようです。科学の営みは人間社会に立脚しており、社会に必要とされない研究は、当然ですが、この世界には居場所がないということです。

無念です。

プチ絶望

2018-12-06 | 雑記
昨日は突発的に次々と凶報が舞い込んだ日でした。やっぱり論文は駄目だったし、なんか悲しいメールは来るし。
神さまは超えられる試練しか寄越さないとは言うけれど、「おいおい、これを超えろというのか…」と愚痴りたくなるほど、絶望しました。しかし、なんだかんだ言いつつ、死ぬほどの深手を負っているわけではありませんから。生きてさえいれば、なんとかなるもんです、たぶん。

それにしても、いや~、参ったね。
ボク、もう疲れたよ、パトラッシュ…orz

薬物療法が効く

2018-12-01 | 雑記
最近、謎の症状に襲われていたのですが、とりあえずおくすりを飲んだら症状は改善しました。「おそらくアレやな」と自分で診断をつけられたものの、やはりストレスが症状の増悪因子になっていることは疑いの余地もなく。つまり、「さっさと日本に帰れ」という身体からの悲鳴なのかもしれないと思ったのでした。私の場合、どうしても、ここに居るとストレスフルですから…

といっても、日本に戻る時のポジションが決まっていないので、実は仙台に帰ることが出来るかどうかさえ判っていません。色々な話が出てきていて、もしかしたら、広島に行くことになるかもしれません。出来れば東北大学、あるいは福島県立医科大学あたりに勤めて、福島原発事故被災地の近くで仕事がしたいのですが。本当に、一体全体、どうなることやら。
うう、それを考えるのもストレスなんですけどね…orz

ジョギングなどを行って気分転換をしてみましたが、まあ、焼け石に水という感じだったので、今回はさっさと薬を飲むことにしたのでした。とりあえず、まあ、これで今日はゆっくり眠れそうです。

いつもの散歩コースであるラガン川 River Lagan沿いはとくに面白い何かが見えるわけではありません。休みの日には河でカヌーを漕ぐ人がいますし、私と同じように川沿いをジョギングしたり、犬の散歩をしたり、自転車に乗ったり、まあ人によって様々に過ごしています。
上の写真の真ん中にちょっとだけ見える黄色い巨大なクレーンにはH & Wと書かれているのですが、アレがかつてタイタニック号を建造したHarland and Wolff社のクレーンであり、街のシンボル的な存在です。Belfastはかつて造船業で栄え、大英帝国海軍の艦船や、タイタニック号などの豪華客船を作ってきた街なのですね。

天気は曇りがちでしたが、川沿いを軽く走って、すこしのんびりできた今日1日でした。

恋は落ちるもの、愛は育むもの

2018-11-29 | 雑記
日本と英国では恋愛の在り方が違うかというと、私の知る限り、あまり変わらない気がします。同じ人間ですから。文化的背景に多少の差異こそあれ、人間の本質的な部分は同じということでしょう。
Love begets love.
という表現が英語にありますが、つまり、愛とは互いに育むものであるという理解が英国にもあるのですね。

私が独り身でフラフラしているのを知ると、ある程度の割合で「お嫁さんになってくれそうな人を探してあげるね」と仰ってくれる、とても親切な(?)方々で出てきます。それは、ここ英国であっても、です。もちろん、喜んで「是非宜しくお願いします」と言うべきなのかもしれませんが、ロマンチストを拗らせている私は昔から「落ちるような恋」にも憧れていました。「白馬の王子様」のような男性を待っている女性みたいなものですね。だから、とくに期待はせずに、「そうですか、じゃあ、お願いいたしますね」と。すこし投げやりな感じで今まで頼んでいたものです。

しかし、当たり前ですが、現実は厳しい。
私のように内面も外面もイケメンからほど遠い者はあまりモテないということもありますが、真の意味で「共に愛を育めそうな方」はなかなか見つからないものだということに、私もいつからか気付いてはいました。また、今は一生独身だとしてもそれほど困らない時代です。私が伴侶を選ばなかったとしても、それはそれで別にいいのではないかと思っていました。それに、研究者として一生懸命に研究に没頭することは、売れないミュージシャンがいつまでも夢を追いかけてギターを弾いているように、あまり家庭を省みない面もあるのです。だから、誰かを不幸にするくらいならば、誰も選ばない方が良いのではないかという臆病な気持ちもありました。つまり、現実を前にして、私の中には真剣に恋愛する気がなかったのでした。

とはいえ、最近、すこし気持ちの変化が起きています。
ある種の期待感というか、そろそろ真剣に「誰かを愛すること」が、自分にも出来るような気がなんとなくしてきました。原因について自分でもよく判らないというか、もちろん薄々とは判ってはいますが、まだ確信はありません。錯覚かもしれません。留学中に自分にこのような心境の変化が起きるとは思わなかった。もしかしたら、ハリー・ポッターにでも魔法をかけられたのでしょうか。
つまり、結局のところ何を言いたいのかというと、もう私のためにお嫁さん候補を探して下さらなくても大丈夫ということです。あとは自分でなんとかしますから。

メリークリスマスが長すぎる

2018-11-20 | 雑記
Belfastでは11月17日からクリスマスマーケットが始まりました。クリスマス直前まで1ヶ月以上にわたって今年も開催されます。「あ、イイコトを思いついた! 今年からクリスマスは中止しましょう! いいね?」という私の心の声は聞き届けられることもなく、長すぎるクリスマスシーズンがついに始まってしまったのでした。

私も暇だったので忙しい研究の合間を縫うようにして、毎年恒例のカンガルーハンバーガー(£4.50)を食べながら、あちこちを見て回りました。面白いかと問われると、「別に…、それよりもなんかリア充多いよね、ここ…」と根暗みたくボソボソ答えるしかありませんが、まあ、Belfastの地元の方々が楽しそうなのはきっと良いことです。ラブアンドピースが大事ですから。

それにしても、メリークリスマスが長すぎるんだよな…
独り身にはきついぜ。

ちょっと寒いけど、Lovely Day

2018-10-28 | 雑記
28日の日曜日の午前2時にSummer timeが終了し、日本と英国の時差は再び9時間となりました。
今日は良く晴れていて、ちょっと肌寒いけれど、とても清々しい1日となりました。

近所のドラムグラスパーク Drumglass Parkまですこし散歩してみました。
ここは、Henry Musgraveという大土地所有者の死後に、彼の私邸があった場所を公園として解放したものです。Belfastは多くの英国の都市がそうであるように、街中に比較的大きい公園が散在しているのですが、この公園もその一つとして市民に愛されています。
公園のベンチで本を読んだりしながら、皆さん、思い思いの1日を過ごしていました。



さて、また1週間が始まります。私も11月中旬まではちょっと忙しくなりそうです。
失うものは何もありません。挑戦していきたいと思います。

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.


Today is the first day of the rest of your life.

2018-10-26 | 雑記
今日26日の金曜日はあまり生産的な1日ではありませんでした。でも、今日は素晴らしい言葉にたまたま出会うことが出来て、ちょっと嬉しく思いました。

Today is the first day of the rest of your life.
(今日は貴方の残りの人生の最初の日です)

とても有名な言葉です。残りの人生を想えば、今日がその最初の日なのだから、過去を悔やんで落ち込まずに、これからのことを前向きに考えようということですね。しかし、それはただのリスタートという意味にとどまらず、何か辛いことがあって思い悩むことがあっても「今日は最初の日なのだから、また新しくスタートすればいいんだよ」という優しさを伝えられたような、そういう思いやりを感じさせられる言葉でもあります。

いつだって today is the first day と言ってもらえたなら。
過去を後悔しながら生きている者にとってはちょっとした救いになるでしょう。