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Wonderful Days!

なんでも楽しむ。
そんな日常を綴っています。

美しい国、日本

2008-03-24 15:17:09 | 般若心経
般若心経の「不増不減」
増えたり減ったりしているように見えるどんなもの・現象でも、実際はそういうもんではないんですよ
そういうくだりです。

先日、江戸時代の日本は超エコロジーだった、という江戸ロジー番組をやっていました。
和紙はパルプをのりでつなげた普通の紙とちがって、繊維が長く、何度でも作り直すことができるそうです
だから、今残っていたら相当な価値のある浮世絵が描かれた和紙もリサイクルされてしまい、もう日本には残っていないそうです

今の時代、原油はナイロン、プラスチック、服素材、ガソリン、灯油など色んなものにカタチを変え、私達の周りは便利なモノで溢れています。
そのナイロン、プラスチック、服素材はいずれゴミに、
ガソリン、灯油は環境を破壊する物質や水などにカタチを変えます。
和紙のように、もう一度原油として使うことはできないわけです
また、原油などの天然資源は確実に減っています

この機会に自分の生活を振り返ってみました
どうしたらごみを減らせるのか

・ティッシュはむやみやたらと使わないよう、アロエ配合などの高級品質のものを買う
・作りおきにラップを活用せず、タッパーに入れる

あんまし沢山項目を増やすと三日坊主になるので、まずはこの二つだけにしておきます
千里の道も一歩からということで

この週末に、ずっと行きたいと思っていた和歌山の橋杭岩や白浜に行ってきました
その道中で気になったのが、ごみの埋立地建設反対の看板

自分の生活を見直して、美しい国日本を守る一端を担いたいものです


拭き掃除でハイになる

2008-03-17 21:01:26 | 般若心経
反対語3連発の2番目は、「不垢不浄」

どんなものでも綺麗とか汚いとかそういうものではない

という意味のようですが、
うーん、よくわかりません

「般若心経、『心の大そうじ』」では、トイレ掃除を例に挙げています

あなたは汚れているトイレに入った時、どうしますか?
1.自分が汚したわけじゃないので、そのままにする
2.次に入った人に自分が汚したと思われるのが嫌なので、できる範囲で綺麗にする

rabbitは、こういう場合は他のトイレを探すか、近くにない場合は我慢します。
どうしても駄目な場合、勿論1です。
だって、汚いものを触るのいやだもん

ところで、辛いときに黙々とトイレ掃除をすると、
「過去のこと、当時自分に見えなかったこと、現在の自分、色んなことが見えてくる」
とそうじ力関係の本で読んだことがあります。
トイレ掃除を全社員で取り組むことで経営が立ち直った会社の話も聞きます。

確かに拭き掃除をすると、心もさっぱりすることがあります
肉体の運動を伴うと、ランナーズハイのような爽快感が味わいやすいのかもしれません。

「般若心経、『心の大そうじ』」では、
トイレ掃除で自分の心を磨きましょう
と説いています。

綺麗にするとか汚いから掃除するのでなく、
物理的に磨く行為をすることで、心も自然と磨かれていく
そういうものなのかもしれません。



生きるということ

2008-03-16 21:07:22 | 般若心経
「どんなもの・現象にも絶対的なものはないように
『不生不滅』『不垢不浄』『不増不減』である」
と般若心経は続きます

一つ目の「不生不滅」とはどういうことでしょう

例えば、一つの製品は幾つもの部品から成り立っています。
つまり、新しく作り出したものも無から生まれた訳ではないのです。
反対に製品が壊れて分解されても無になる訳ではありません。
製品になる前も製品が壊れた後も、形を変えながらずっと続いている訳です


「般若心経、『心の大そうじ』」では、だから人の生前と死後も一緒だと説きます。
死とは、もともといた場所に帰って行くだけなんだと

では、どうしてずっと天国にいる訳にいかないのでしょうか?

以前、ある人に「あなたが成長することであなたが偲ぶ亡き人も一緒に成長します」と言われたことがあります。

神様は魂の成長において刺激しあえる人と、人生の色んな曲面で出会えるようにしてくれているのかもしれません

苦しさから逃げたくなる弱さ
苦しみの中に見える小さな明かり
苦しい時ほど見逃しがちな人の優しさ

そういうものを見つめられれば、自分の答えが見つかるのかもしれません

蓮の花

2008-03-10 21:58:35 | 般若心経
「舎利子 是諸法空相」
舎利さん、この何にでも見受けられる空という特性は

というフレーズで般若心経は新しい段落に入ります

「般若心経、『心の大そうじ』」では、ここで「諸法(全ての物・現象)」のうち、多くの人に訪れる「老い、病気、死」にまつわる法話を紹介しています。
大覚寺に行く巻で触れた大悪人の話です。

彼は自分の悪行を全部環境のせいにし、老い、病気、死を身近にしても悪行を止めませんでした。
自分や自分の生活を守ることしか考えていなかった彼は、同じような考えの持ち主=敵しかいない地獄に堕ちます

この本ではもう一つ蓮の花の話を紹介しています。
rabbitは蓮の池を見るとちょっとがっかりします
美しい色彩や整った花のカタチと対称的に池は汚らしいからです
でも、これも考え方を変えると、汚れた水を吸っても自分の中で浄化してすっくと茎を伸ばし、綺麗な花を咲かせている訳です

思い通りにならない環境を恨んで拗ねたように生きるか、
それともそんな状況にあるからこそ清々しい花を咲かそうと思うか

逆境の時こそ思い出したいエピソードです

ちょっと番外編ですが。。。

2008-03-10 11:50:39 | 般若心経
家の近くで見つけた春色です
      
   
       

この週末は「般若心経、『心の大そうじ』」はお休みして、茂木健一郎の「脳を活かす勉強法
奇跡の『強化学習』」を読みました
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

なんだか難そうなタイトルに見えますが、
ゲームだとか漫画だとか好きなことにはまっている状態=効果的に学ぶことができている状態
ということで、いかにその仕組みを勉強に活用できるかのポイントを
非常に明確に、関連付けやすい内容を盛り込んで書かれています

ポイントの一つとして、インプットした情報を自分の頭の中で処理し、自分の言葉に置き換えてアウトプットすることで長期記憶として定着しやすいという内容がありました。

このブログも、一応そのスタンスで書いていますが、終わった頃には般若心経を自然と暗記できていればよいなぁ

初写経体験

2008-03-06 11:04:39 | 般若心経
先週末、大覚寺に行ってきました
阪急で烏丸まで出てバスに乗るはずが、
いつものごとく家を出るのが遅くなり、急遽ショートカットを無理やり決行

確か京福電車でも行けたはずと思い、1つ手前の大宮で降りて駅員さんに行きかたを尋ねると、
「嵐山まで行ってバスに乗ってください」

それなら阪急で嵐山まで行けばよかった

ここからバスが出ていないかなぁ
とバス停に向かってみると、
ちょうど大覚寺行きのバスがこっちに向かってきました

凄くないっすか
まるでrabbitを迎えに来てくれたかのような、バスの登場具合でした

人が少ない間に写真たいむ~

                
                
右近の橘 左近の梅

さて、写経
「最後に住所と名前と願い事を書いてください。住所は全部書くと案内が届いてしまうので、欲しくない場合は途中でやめてください」
と言われて本堂で写経。

法話っぽくない法話を聞き、写経をしながら何を願いごとの欄に書こうと思案をめぐらし、途中までの住所と名前を書いてお賽銭と共に提出~。

そう。
願い事書くのを忘れました。。。

書く前にどこどこでお香を浴びてくださいとか、色々気をつけることがあって気を取られていたら、肝心なことを忘れちゃった。。。

帰りは大覚寺からバスで烏丸へ
ここでちょっと不思議な出来事が

話は行きのバスに遡ります。
「般若心経、『心の大そうじ』」の「人からどう思われるかでなく、自分の心をきれいにするためにトイレ掃除をする」というくだりを読んでいた時、うちの斜め前にいつお風呂に入ったか定かでないおばあさんが乗ってきました。
「人に不快感を与えないために身奇麗にしておかないといけないってのもあるけど、身奇麗にしておかないと何より自分のことを大切にできなくなるのかもなぁ」とその時ぼんやり思いました。

そして帰りのバス
「閻魔様が悪行ばかりはたらく人を見かねて、人生を豊かにできるようにメッセージを運ぶ使者を遣わせた」というくだりを読んでいました。
送られた使者というのは病人や老人。
自分もいずれ弱者になるということをわからせるための使者。
そこからメッセージを読み取れなかった悪人は、結局地獄行きとなります。

何気なく本から顔を上げてみると、行きのバスに乗ってきたおばあさんが途中から乗ってきていました
いくら本数が少ないといえ、違う経路のバスに乗ったんですけど。。。

これってどんなメッセージをrabbitは読み取るべきなんだろう

友達、大切にしていますか?

2008-02-29 22:37:09 | 般若心経
カタチあるものは全て「空」
という話を受けて、
 目や耳など感覚器官を通して入ってきたもの(受想)
 頭で認識・判断したこと(行)
 心に芽生えた感情(識)
全て「空」である
と繋がります

「受想行識亦復如是」

なにもかも実体がない
実体に輪郭を与えるのは各個人が持つフィルター

「般若心経、『心の大そうじ』」では、ここで「慈悲」のフィルター、つまり、他の人にも関心を持つ目を持つことの大切さを説きます
なんらかのフィルターを持って人は見たり感じたりするのだから、他人に関心を持つフィルターを持ちなさいということですね

昔、初めての留学をした際、rabbitは決められた時間のなかで自分の能力を高めたり世界を広げるのに必死でした
でも、今振り返ってみると、友達のホストファミリーや友人大勢でちょくちょく集まったり、旅行に行ったり、という楽しい思い出もあります
もっとそういう人たちや時間を大切に考えておけばよかったなぁと、今になって初めて気付きました
rabbitにそんな環境を与えてくれたのは、自分のことばかり考えず他人にも関心を持って生きていた友達です。
rabbitは自分でなく友達が持っていた「慈悲のフィルター」のお陰で、ぎすぎすしがちな時間に彩を添えることができたわけです

皆どうしてるんかなぁ
いつかお礼を言える日が来ますように

2008-02-25 00:43:23 | 般若心経
ネガティブになりがちな局面をいかにポジティブに捉え、
ピンチをチャンスに変えるか
成功者と呼ばれる人はココが違う。

同じ仕事を与えられても、嫌々するのと積極的に取り組む場合では「目標」が違う。
前者の目標は仕事をこなすこと、後者の場合はより良い結果をもたらすこと
だから当然この仕事に付随して得られる「知識」や「能力」、「満足度」も変わってくる。

なーんてエラソーに書いてみましたが、よくこういう内容を自己啓発系の本で見ますね

これを般若心経では「空」という概念を用いて
物事や状況というのは元来カタチを持っていないものだけれど、人の持つフィルターを通すとカタチあるものとして見える
と言っています。

佐々木かをりさんの「ミリオネーゼの手帳術」を読み直してみると、こんなようなことが書いてありました。

手帳とは見えない時間にカタチを与えて見えるようにするもの。
無意識に過ごしていた時間を見つめることで、人生に豊かさをプラスできる。

最近、何を読むにつけ、これって般若心経にあるなぁって思うのです

いただかせていただきます

2008-02-22 23:54:05 | 般若心経
中学生の時、クラス全員で合掌してからお昼を食べていました

掛け声は「いただきます」ではなくて
「いただかせていただきます」

般若心経は、ここから「空」の説明に入ります。
 カタチあるもの→「空」
 「空」→カタチあるもの
つまり、
 カタチあるもの=「空」=姿が一定でないもの
と続きます。

え?どういうこと?って感じです

そこで、ステーキを食べたと仮定して、自分の中に取り込まれたものは何かを考えてみます

牛さん、
牛さんの飼料となった植物、
植物に栄養を与えてくれる土壌、
土壌を豊かにする枯れ葉、
葉を育ててくれた雨や太陽・・・
みんなカタチを変えて私達の一部となっています

そう考えると、食事をするということは沢山の命、そして地球の生命活動の一端をいただくこと

そう気付いた今、食事を作ってくれた人にだけでなくあらゆる命に心から「いただかせていただきます」と言えそうです

舎利子(舎利さん)、
色不異空(物体は空に異ならず)、
空不異色(空は物体に異ならず)
色即是空(物体は即ちこれ空)
空即是色(空は即ちこれ物体)

深いなぁ

憂鬱な気分の時には

2008-02-20 20:26:45 | 般若心経
迷いのない心やすらかな境地に到りたいと深く修行に励んでいた観自在菩薩さま。
すべてのものは千変万化する「空」だとわかり、「度一切苦厄」。

「度」は動詞
つまり、一切苦厄(すべての苦しみやつかえ)を「度」したそうです。

さて、どうしたのでしょう?

「苦しみ」とは「自分の都合どおりにならないもの」

答えは「消す」?
と思いがちですが、
「悟りの世界へ渡す」
が正解です

「般若心経、『心の大そうじ』」には、ここに、
「消し去ることができない苦しみなどは、解釈を変えるだけで、そのままの姿で安楽の種に変化させることができる」
というヒントが隠されていると書かれています

今の私の知識では、「苦しみを悟りの世界に渡す→安楽の種に変化する」という点がピンときません
ただ、苦しみのもととなっているものをなくそうとするのではなく、見方を変えればいいというメッセージは理解できます

この項目では「心が楽でいられる二つの方法」も紹介されています。
1.自分の都合どおりにしたいと思う対象をなくす
2.自分の都合どおりにしたいと思うものを、より大きな楽しみで包み溶かしてしまう

なんだか憂鬱になりがちな雨の日
「天気は自分でコントロールできないから仕方ないと気にしない」
 或いは、
「お気に入りの傘を持ち歩けることを楽しみに思う」
そのどちらかの心持ちで、雨自体は消えることはありませんが、心の中の憂鬱さはなくなりますね

憂鬱な気分に覆われたときは、「でも、こんな楽しいこともある」と思えるものを探してみようかな