憂鬱な4月

そこで起こり得る瞬間

タイとイランと小田和正

2005年09月28日 | 食い物
昨日の事ですが、自分の親とタイ料理屋で23:30まで飲んでました。

タイ人の店長と一緒に。

父親が常連らしく出てくる料理は全部メニューに載っていない物、しかも美味い。辛いけど。

店長の若い頃の話や、イランの知り合いの事、父親の若い頃など色々話を聞いた。(店長はナタを持った30人の男に追いかけられた経験があるそうです。)

子供の頃にベトナム戦争があり(店長の父親が関わっていたらしい)、毎日が生と死とが隣り合わせの状態だったらしい。
まぁ、これは戦争がらみではなく、店長が昔はワルだったと言う事らしい。目の前で従兄弟が死んだ場面も経験したそうです。(ちなみに今はトテモいい人)
タイに一度来てよと何度も言われました・・・。

また、父親は近々イランに旅行(ビジネスも含むのだが)に行くらしく、数年前に日本でお世話をした知人が全面的に案内をしてくれるそうであるので少々羨ましいです。
イランの現外務大臣の話も少し出たがここでは割愛します。

勿論迎えてくれる人もイランイラク戦争では壮絶な経験をしているとの事です。
戦時中イラクはサリンを撒いて攻撃するのですが、その人のいた状況ではの解毒薬の数は二人に一個しかなかったそうです。
(個々の状況で変わると思いますが、解毒薬が不足していると云う事もも多々あると思います。戦争中特に途上国の場合はそう云うケースは多いと思いますし。)
イランでもタイでもそういった状況の中で自分よりも親友の生を優先するような友人関係はとても大切であり、多くの人がそれをもっているそうです。
彼とバディを組んだ親友はもういない。

かつてイラン料理屋で食事をした際に見た笑顔の背景にはこういった経験があったのだと衝撃をうけました。

そんな話をいろいろと聞けたのは自分にとってとても財産になり、改めてまだ日本が平和なのだなとも感じました。

しんみりしても良くないんで店長の話に戻しましょう。
その店長、小田和正のファンで父親と拙僧が店に入ったらBGNが小田さんに変わり(「クリスマスが来るまで」をビデオに撮っていたそうで・・・)
小田トークに花が咲きました。

先述のイラン人の知人も小田和正を好きなようで
強制送還の時に父親がCDをプレゼントしたそうです。

ちゃんとオチも用意されてました。
強制送還の後に父親に国際電話があったそうで、なんでも
「CDを聞けるプレイヤーがないよ!」
との事でしたとさ。

ホントかね?

会津レポート~仕事編~

2005年09月18日 | 旅行記
先ほど今期三度目の会津(仕事では一回目)から帰ってきた。
そんなんで行ってみましょう。

9/16当日昼までは、外に仕事に行っても時間的に厳しいのと、工場内での作業がピンチとの事で製造作業を行う。
工場長、課長、課長代理、拙僧の四人で出発し平井で仕入先の社長と合流。

同日17時にホテルにチェックインをし産地の方との商談・・に入るのを工場長からの電話で知らせてもらうはずだったたのだが、
連絡なし。
「商談しなくて平気なのか?」「明日やるのか?」など同僚と不安に(契約の話で、単価、数量、前金、期間等で重要。)話していたが、ついに宴会の始まる18時30分まで連絡は来なかった。
工場長に確認すると「商談してたのに何で降りてこなかったの?」・・・・連絡をよこしなさい。

その後、飲み屋にて宴会。やたら狭い部屋で辟易したが、お店の方が「狭い部屋でスイマセンと」会津の幻の銘酒(と言われていた・・つまり今ではけっこう簡単に手に入る)をサービス。
これが美味いのなんのって、最初のビール以降、全部日本酒でしたよ。会津名物の馬刺しも食べた。
釣派の産地の方と密漁派(海水浴に見せかけこっそりあわびなどを取る)の産地の方とでもめそうになるも「リリースは魚に失礼だ」と言う事で満場一致
どうも伊豆で密漁がばれると漁師の人々にボコにされるそうな・・ちなみに新潟は優しいとの事。

さて二次会ということで一同なぜかフィリピンパブに・・拙僧はこういう場所は初めてだったんで緊張してしまった。
まぁ一曲歌いましたがね。チューリップの「サボテンの花」。

んでもって三次会。
二次会で終ると思っていたのだが、産地の集まり(21世紀の会と言うのですがね)の会長の教え子のスナックにて飲む。
喜多方ラーメンの美味しい店など教わる(憶えていないが・・)
ラーメン屋も蕎麦屋も開店直後が一番美味しいそうだ。

その後はホテルに戻ってバタンキュー。

翌9/17、この日のメインは大手得意先の常務と合流して産地の方と撮影会。拙僧はカメラマンですよ。黄金色に輝く畑で写真を撮ったのだが、いい感じの風景が取れたのでチラシにして今後の営業に生かしたい。
聞く所によると、どうも知らない人の田らしく「いい感じのところだったから」と言われた。
稲に関する話も聞けたので良い。


収穫風景も撮れ、常務もご満悦でなにより。

そして昼飯ですよ!!
前々から話のあった地元の人お勧めの蕎麦屋。
工場長曰く「美味いなんてもんじゃない」との事。どういう領域なのか判らなくなるものの、でて来た蕎麦美味い事美味い事。
めん自体は太麺で非常に香りとコシが在り美味い。
たれは三種類出てきて、鶏のダシのタレ、鰹ダシのタレ、そして辛味大根そ搾り汁のタレでこれがまた美味い。
今まで食った中で一番美味しいかもしれない。

さて、常務もお土産を買って解散かと思われたのだが、急遽同会の方の農園で桃を食べよう(なんだか食ってばっかだなこの出張)と言う事になり、フルーツいしい農園に。

桃狩りだ~!!

農園にて桃を見るのだが、ハテ、桃に紙袋が覆い被さっているではないか。
どういう桃か聞くと、太陽光線に果肉を当てないようにして作る「黄金桃」なる物で、手間が掛かる(なんたって間引いてから各桃に袋をかけていくんだから・・)との事。今調べたら結構高そうだぞ・・・

産地の方の下、桃を取っていく。米の産地の視察よりも桃狩りに時間をかけているぞ?まぁいいか

一部が痛んで、保存が効かない桃を食べてみる事に。
果肉は缶詰用の桃のように黄色いが、これがまた濃厚な甘さで美味い。
もう一回言おう「美味い」
(やたらうまいうまいと連呼してますな・・・)
常務さらにご満悦。拙僧の桃の箱色を手伝ってくれた。

箱に12個はいった物(桃狩りなんで自分がとった桃ですな)を頂くのだが、これ5000円くらいするんじゃ・・・

産地表示などで近年、何処で誰が作ったかを表示するケースが増えてきている。
米も無論例外ではなく、毎日食べる物だからこそ安心して食べられる物を必要としてきている。
飛び込み営業などで歩いていても、会津のチラシには結構関心を示す客も多いしこちらとしても売り込み易い。

また、産地の方も出荷した物が誰の手によって売られ、誰によって食べられ(まぁ食べるのは不特定多数人の事が多いのだが)るのか判るとやはり安心できるとの事。

今回の視察出張は単に産地の状況を見るだけでなく、いままではっきりと見えなかった産地の方の人となりを見れ、同時に産地の方の信用を得るのにとても重要であったと思う。
(JAに降ろせば自然に売れていくが、それでは発展は少ない。近年は末端に直に売りに来る産地グループ【大潟村とか】が多くなってきている。つまり、産地も積極的に動かなくてはいけない時代になってきていると言う事だ。JAは支払いなど確かに安心できる部分も有るが、逆にJAから金を借りている場合は、優先的にJAに物を収める形になっている。勿論、逸れが悪いとは言わないが、それに従わない農家を潰しに掛かるという残酷な話も今回聞けたのも今回の収穫の一つだと思う。JAに頼らず自分で動く農家は増えてはきているが依然数は少ないし、義理人情が盛んなので一つの農家が勝手に値段の高い買い手に売ってしまうと村八分になってしまう可能性も有るとの事なので、数量を集めるのは大変だが、信用を得ればそれに尽くしてくれるので売り手としてもも農家のこともを考えて行動するように心がけたい。)