清き心の未知のものの為に㊾・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
もはや応答を予期しえぬところに至りついてこそ、おまえはようやく、与えることができ
るようになるであろう。--------それも、相手がその供与を受け入れて、そして嬉しく思うよ
うな仕方で、愛が成熟して、自我が光明のなかに溶け去るところまで行きつくとともに、愛
する者は自分の愛の向かってゆく者への従属から解放せられるのであるが、愛を受け入れる
者もまた自分を愛してくれる者から解放されることによって自己を完成するであろう。
いかなる次元にひろがる時間のなかで、この愛情は永遠に生き続けるのであろうか。それ
はたしかに在った者もまた自分を愛してくれる者から解放されることによって自己を完成す
るであろう。
こうして、空は安らかに大地にかぶさっている。池の暗い安らぎのなかで、森林がその乳
房をはだけている。男が妻のからだをあくまでも優しく抱きしめるように、むきだしの大地
と樹木とが、朝の清郎で澄み切った光に包まれている。
私はというと、ある灼けつくような思いを感じている。それは、この出会いに合一し、没
入し、参与したいという欲求である。ある灼けつくような思いが、地上の愛への欲求とまざ
りあっている。-------ただしそれは、大地と水と空とに向けられたものであり、樹木のざわめ
き、大地の香り、風の愛撫、光と水との抱擁による応答を求めるものである。満ち足りたか。
否、否! しかし、爽快になり、安らいではいる------待ちながら。
彼はなにを得たのか。-------なにも。しかし彼はそのために、ほかの人たちが富を求める
ために支払った以上のものを支払ったのである。
革命家といえども、反抗するときにさえ、彼が外見的には排斥しているかにみえるものへの
愛情を保ちつづけ、また、それゆえに自己の環境に根をおろしたままでいる。、といったふう
であってほしい。それができないような革命家にとってはね自己の環境からわが身を解き放つ
ということは、生ではなくして詩に通ずることなのである。
悪魔のシランプでは、呪いと破壊とのカ-ドが成就のカ-ドと隣あって番を待っている。欠
けているのは愛のカ-ドのみである。このカ-ドがないばかりに、自分が多くの人々の運命を
支配するようになるのだということわ、悪魔は自分でもすでにわかっているのであろうか。あ
る人にとっては、彼は神の代用品であった。ほかのある人にとっては、彼は拘束を加える-----
切って捨つべき-----絆を意味していた。