棄物なし⑨・・・水雲問答
雲 用にもいろいろありますが、有用の用ばかりではなく無用の用というものもあります。
これはもっぱら老荘思想家などの喜んで論ずるところです。「荘子」という書物が「老
子」と対になって出ておりますが、この場合は孔子の弟子に有名な曽氏(そうし)という
人がありますので、これと紛らわしいので、老荘の場合には荘子(そうじ)という読み癖
になっております。さて、いろいろの物事について絶えず心がけて、何事によらず工夫
をしておりますと、どんなものでもみな棄てるものがありません。風月のような問題、
それを題材にして詩を賦(ふ)し、酒を愛するというようなことも、往々にして世を離れ
た閑人(ひまじん)のやることだと、いう風に考える人もありますが、工夫の仕方によっ
てはたくさんの益を得られることが、しかもちょっとやそっとではありません。鯨を
刺すのに余りとぎすぎた刀を使うと、すべて抜けてしまします。ところが、鈍刀、なま
くらの刀は鯨が動くとますますはいる。従って鯨を仕留めるには利刀よりも鈍刀の方が
よい、と聞き及びまして初めて感悟いたしました。大事をなす者はありとあらゆるもの
を引き込み、時宜に従って取り出し活用することだと存じます。
水 こういう大手段がないと、すなわちケチでこせこせした方法では、大きな問題の解決
はできません。大きな政治問題になると、型にはまった方法ではなく、自由自在の大手
段が必要であります。牛の小便、馬の糞、破れ太鼓の皮までみな薬に活用するのが名医
であると書かれております。
また、たとえば、鶏の泣き声をうまくまねたり、犬の吠えるのを上手にやったりする
ようなつまらない者でも居候においておくと、どんな役に立たないとも限りません。
「史記」に孟嘗君(もうしょうくん)が亡命するときたいへん役に立った居候の話が書い
てあります。孟嘗君が朝暗いうちに城を抜け出そうとしたが、門が閉まっていて通れな
い。どうしたらよいか困ったあげく、鶏の朝鳴きの上手な居候を呼び、試しに鳴かせた
ところ、門番はもう夜があけたと思って、目をこすりながら門を開けた。それでうまく
逃げたという話であります。
しかし、あらゆる者をひっぱりこんで使うには、これをちゃんと見分ける、あるいは
使い分ける能力がないと、逆にこういう与太者のためにしてやられます。だからその見
識が必要であります。これはよほど目のきく、腹のできた人でないとできないことであ
ります。