「なぜいつまでも言われねばならないんだろう」
「たいしたことをしたわけじゃないか」
李商隠はとぼとぼと長安の街を歩いている。
河陽節度掌書記になったことに対する批判は強かった。
仲間からは裏切り者という目でみられた。
もともと商隠は、牛李の党争では牛派の令狐楚の配下であった。
楚の死後、職がない時に
河陽節度使王茂元に気に入られ登用されることになった。
茂元は李派であり、当時は李徳裕の絶頂期であった。
貧乏な商隠としては、おいしい話であったので、あまり考えもせず引き受けたのだ。
ところが今はうってかわって牛派の時代。
そのことが旧悪とされ、排斥されるようになってしまった。
今日も楚の子の綯に頼みに言ったのだが、一顧だにしてもらえなかった。
「おまえは節操がなさすぎる」という返事だった。
もっと小物なら赦してもらえるはずなのだが
世間には詩人として有名なのでより厳しくあたられるのだろう。
「もう官界では生きていけないのだろうか」
商隠は長安の街をとぼとぼと歩いていた。
「たいしたことをしたわけじゃないか」
李商隠はとぼとぼと長安の街を歩いている。
河陽節度掌書記になったことに対する批判は強かった。
仲間からは裏切り者という目でみられた。
もともと商隠は、牛李の党争では牛派の令狐楚の配下であった。
楚の死後、職がない時に
河陽節度使王茂元に気に入られ登用されることになった。
茂元は李派であり、当時は李徳裕の絶頂期であった。
貧乏な商隠としては、おいしい話であったので、あまり考えもせず引き受けたのだ。
ところが今はうってかわって牛派の時代。
そのことが旧悪とされ、排斥されるようになってしまった。
今日も楚の子の綯に頼みに言ったのだが、一顧だにしてもらえなかった。
「おまえは節操がなさすぎる」という返事だった。
もっと小物なら赦してもらえるはずなのだが
世間には詩人として有名なのでより厳しくあたられるのだろう。
「もう官界では生きていけないのだろうか」
商隠は長安の街をとぼとぼと歩いていた。
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