薛振。字は元超。
贈太常卿收の子。
早く父を失い,九歲で襲爵汾陰男。
学問に励み巢剌王女の和靜縣主を嫁とする。
太子舎人として「晉書」編纂に加わる。
高宗即位,26才で給事中。
中書舎人弘文館學士兼修國史に転じる。
永徽五年母の喪。
六年,黃門侍郎兼檢校太子左庶子に進む。
文辭を好み、文友を推薦することが多い。
病により饒州刺史に出るが、三年東台侍郎。
李義府流罪に坐して貶簡州刺史。
さらに上官儀に坐して配流巂州。
上元初赦に遭って還り正諫大夫。
三年中書侍郎、ついで同中書門下三品として相となる。
河北道大使として巡察にあたる。
永隆二年中書令兼太子左庶子に進む。
高宗幸東都時、太子監國を補佐。
多く文臣を薦める。
弘道元年金紫光祿大夫で致仕。
其年冬に62才で卒する。贈光祿大夫秦州都督陪葬乾陵。
子の曜は正諫大夫に至る。
[宰相履歴]
儀鳳元年3月中書侍郎同中書門下三品~12月河北道大使
~調露元年4月検校太子左庶子~開耀元年閏7月守中書令
~永淳元年4月留輔皇太子~弘道元年7月罷。
贈太常卿收の子。
早く父を失い,九歲で襲爵汾陰男。
学問に励み巢剌王女の和靜縣主を嫁とする。
太子舎人として「晉書」編纂に加わる。
高宗即位,26才で給事中。
中書舎人弘文館學士兼修國史に転じる。
永徽五年母の喪。
六年,黃門侍郎兼檢校太子左庶子に進む。
文辭を好み、文友を推薦することが多い。
病により饒州刺史に出るが、三年東台侍郎。
李義府流罪に坐して貶簡州刺史。
さらに上官儀に坐して配流巂州。
上元初赦に遭って還り正諫大夫。
三年中書侍郎、ついで同中書門下三品として相となる。
河北道大使として巡察にあたる。
永隆二年中書令兼太子左庶子に進む。
高宗幸東都時、太子監國を補佐。
多く文臣を薦める。
弘道元年金紫光祿大夫で致仕。
其年冬に62才で卒する。贈光祿大夫秦州都督陪葬乾陵。
子の曜は正諫大夫に至る。
[宰相履歴]
儀鳳元年3月中書侍郎同中書門下三品~12月河北道大使
~調露元年4月検校太子左庶子~開耀元年閏7月守中書令
~永淳元年4月留輔皇太子~弘道元年7月罷。
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