唐史話三眛

唐朝順宗・憲宗→宣宗→德宗時代の流れを、私見を付け加えて
記述していきます。ご異見があればよろしく。

唐初功臣傳6 盧祖尚

2024-05-10 10:07:48 | Weblog
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盧祖尚 字季良
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父禧は金持ちで隋虎賁郎將となった。

祖尚は財をばらまき人心を得、大業末の大混乱時に自ら兵を集めて群盜を追捕した。
そのため地元の光州は群盗が入らず安定していた。

義寧元年三月
宇文化及が隋煬帝を弑逆して隋が崩壊したとき、州人は祖尚を光州刺史に祭り上げた。
時に祖尚は十九歳であった。

その後、王世充が立てた越王侗に従い光州總管封沈國公。

武德四年九月
世充が自立すると唐に帰属した。拜光州刺史/總管,封弋陽郡公。

武德六年
趙郡王孝恭に従い前軍總管として反した輔公祏を討ち、宣歙州を抜き賊帥馮惠亮、陳正通を破った。

武德七年
蔣州刺史

武德八年
壽州都督

貞觀二年
瀛州刺史  いずれも能政であった。

貞觀二年十月
安南交州都督李壽は乱政で混乱を引き起こし、太宗は有能な都督を求め、名声のある祖尚を任命しようとした。
とかし祖尚は一旦は拝命したが、病と称して辞退した。
太宗は宰相杜如晦や、妻の兄周范を派遣して「三年はがまんしてくれ、その後は高位に取り立てるから」と説得したが、「嶺南は瘴癘で三年後には生きていないだろう」と拒否した。
太宗は「わが命が聞かれないでは政治はできない」と激怒して祖尚を殺した。時に三十余歳。
その後太宗は「殺すのは朕のやりすぎであった」と後悔して官職を復した。

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