唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

光啓三年~文德元年 西暦887~8年

2020-08-21 10:00:41 | Weblog
光啓三年 西暦887年
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三月癸未,蕭遘、裴澈、兵部侍郎鄭昌圖有罪伏誅。
帝煴についた宰相達を殺します。置き去りにした責任などは毫も感じないのが皇帝です。

三月壬辰,如鳳翔。
京師は荒廃しているので鳳翔で止まります。

五月丙子,朱全忠出擊張晊,大破之。辛巳,全忠以四鎮吏攻秦宗權于邊孝村,大破。
蔡人之守東都、河陽、許、汝、懷、鄭、陝、虢者,聞宗權敗,皆棄去。
宗權は鄭州を陥し、汴州朱全忠を猛攻しますが、天平朱瑄・泰寧朱瑾の支援を受けた全忠はこれを大破します。敗戦を聞いた宗權軍は占領地を棄てて蔡州へ撤退します。

五月己酉,鳳翔節度使李昌符反。庚戌,犯大安門,不克,奔於隴州。
七月,李昌符伏誅。
鳳翔府内で禁軍と鳳翔軍が争い、昌符は負けて隴州に逃げますが滅びます。

五月丁巳,護國軍將常行儒殺其節度使王重榮,其兄陝虢節度使王重盈自稱留後。
厳酷な王重榮が部下に殺されます。兄重盈が急遽入部して継承します。

八月、朱全忠陷亳州。壬子,陷曹州。十月丁未,陷濮州。
全忠は秦宗權を破ると、危難を支援してもらった朱瑄達の所領に侵攻します。

淮南・浙江では老耄した高駢・周寶が殺され、秦宗權下の勢力[秦彥・孫儒]と楊行密・錢鏐との闘争が起きていますが、中央とは無縁です。


光啓四年/文德元年 西暦888年
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正月癸亥,朱全忠為蔡州四面行營都統。
全忠が秦宗權討伐の主帥となります。

二月乙亥,不豫。乙丑,至自鳳翔。
僖宗は体調不良ですが京師に戻ります。大赦,改元「文德」です。

二月,魏博軍亂,殺其節度使樂彥禎,其將羅弘信自稱權知留後。
息子従訓の専横に牙軍が怒り、彥禎は避退しましたが殺されました。牙軍は立候補した弘信を立てて、朱全忠の支援を得た従訓と戦い、これも敗死させました。魏博は牙軍が支配しています。

三月壬寅,疾大漸,立壽王傑為皇太弟知軍國事。癸卯,皇帝崩于武德殿,年二十七。
宦官の傀儡で各地を逃げ惑っただけの無能な僖宗が亡くなりました。
僖宗に子はいるのですが、緊急時でもあり、宦官も無能な幼児はこりごりだと思ったのでしょう。

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