中書舎人は正五品待遇で決して高官ではない。
中書省の第三番目の地位であるが、極めて重視されている。
翰林学士を兼ねることも多く、六部侍郎などへの昇進コース
である。定員は6名。
門下省の給事中も重視されているが中書舎人ほどではない。
皇帝の旨を受けて詔勅を作成するのが任務であるが、
長官の中書令は形骸化し、次官たる中書侍郎も常置されて
いない場合もあり、舎人が中書省を代表する場合もあった。
例として、建中年間唯一の宰相であった常衮の命令を、舎人
の崔祐甫が従わず解任された事件がある。これは門下省[常衮]
と中書省[崔祐甫]の権限争いである。
この場合は常衮が他の武臣宰相[郭子儀や朱]の署名を代筆
していた[慣例だったが]ことが即位したての宗皇帝に知ら
れて罷免されたことにより、崔祐甫の勝利となった。
中書舎人は翰林学士承旨[詔勅起案]や權知禮部貢擧[科挙]
を兼ねることもあった。
中書省の第三番目の地位であるが、極めて重視されている。
翰林学士を兼ねることも多く、六部侍郎などへの昇進コース
である。定員は6名。
門下省の給事中も重視されているが中書舎人ほどではない。
皇帝の旨を受けて詔勅を作成するのが任務であるが、
長官の中書令は形骸化し、次官たる中書侍郎も常置されて
いない場合もあり、舎人が中書省を代表する場合もあった。
例として、建中年間唯一の宰相であった常衮の命令を、舎人
の崔祐甫が従わず解任された事件がある。これは門下省[常衮]
と中書省[崔祐甫]の権限争いである。
この場合は常衮が他の武臣宰相[郭子儀や朱]の署名を代筆
していた[慣例だったが]ことが即位したての宗皇帝に知ら
れて罷免されたことにより、崔祐甫の勝利となった。
中書舎人は翰林学士承旨[詔勅起案]や權知禮部貢擧[科挙]
を兼ねることもあった。