唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

劍南東川節度使 その1

2012-06-17 08:59:40 | Weblog
・劍南道は山岳部が多く交通が困難であり一括統治が困難であった。そのため至徳2年[757年]には
西川と東川に分離された。
・梓州に劔南東川節度使が置かれ梓遂綿劔龍閬普陵瀘榮資簡十二州を領したが初期の節度使は不明である。
・乾元2年[759年]に荊南節度が混乱したため昌渝合三州が移管された。
・上元元年[760年]兵馬使段子璋が反し、節度使李奐は敗走した。西川嚴武が両道を統括し鎮圧した。
・廣徳二年[764年]東川十五州は西川に統合された。
・永泰元年[765年]嚴武が卒し、郭英乂が後任となると、將崔寧が蜂起し、英乂は敗死し、諸将も自立した。
・大暦元年[766年]副元帥杜鴻漸は、先鋒として山西張獻誠に東川を兼ねさせも寧を討伐しようとしたが
かえって敗北した。
・大暦2年やむをえず鴻漸は寧に西川を与え、1月遂州に東川都防禦観察使を置いたが、
7月梓州に節度使を復置して李(鮮于)叔明を登用した。