宮尾登美子『天璋院篤姫』(上)(下)
2007年3月15日第1刷発行
講談社文庫
(1984年9月刊行の新装版)
【裏表紙より】
≪上巻≫
十八歳で藩主斉彬の養女となった篤姫は薩摩島津分家に生まれた学問好きな姫であった。その才覚、器量を見込んだ斉彬は画策の末、篤姫を十三代将軍家定の正室として江戸城に送り込んだ。
形ばかりの結婚に耐え、病弱な夫を支え将軍御台所として大奥三千人を見事に統べる篤姫には、養父斉彬の密命が……。
≪下巻≫
将軍家定の急死、継嗣をめぐる幕府内の対立、養父斉彬の死。篤姫は、家定との結婚が斉彬の遠大な野望であったことを知り慄然とする。天璋院となったのちも総帥として大奥を統べ、皇妹和宮の降嫁、大政奉還等、激動の幕末を徳川家の人間として徳川宗家のために生き抜いた篤姫の偉大な生涯を描いた歴史長編。
**************************************************
2008年のNHK大河ドラマの原作。
宮尾登美子という作家は、私の中で、永井路子、杉本苑子と並んで、
“いつかきちんと、全作を読みたい”偉大なる女性作家である。
が、著書は『寒椿』(1977年・第16回女流文学賞作品)しか読んだことがなかった。
『寒椿』は、彼女のルーツ(実家の生業が“芸妓紹介業”であったこと)に
即する小説で、
そういった種類の小説を幾つも書いていて、それこそ宮尾氏の真骨頂だ、と言う人もいるが、
『寒椿』を読んでいて、私はしばしばイライラさせられたのだった。
“運命に耐える女”という封建的な価値観に縛られた戦前の女性たちの生き方は、もはや、現代女性の価値観にはそぐわない。
現代の女性が慎み深さや奥ゆかしさ、そして日陰でじっと耐える我慢強さを失い、
自由奔放になったと言われれば、それまでだが、
『寒椿』には、旧式の考え方や行動・言動がしばしば出てきて、
最後まで“耐えて”読むことに労力を使い、精神的に消耗してしまったので、
同様の、戦前を舞台にした芸妓が出てくる作品を、
作品の完成度がどうこう以前に、気分的に、読みたいとは思えない。
それより、私は、彼女の、日本文学者たる筆力をもって描かれる、
実在の人物に材を取った小説に興味があって、
例えば、閨秀画家・上村松園をモデルにした『序の舞』や、
市川海老蔵の祖父母をモデルにした『きのね』を、読みたい、と
常々思いながら、他にも読みたい作家や作品は山とあり、
なかなか読めていないのが現状。。。
そんな折、来年の大河ドラマの主人公は、女性であり、
原作は宮尾登美子である、と知って、『序の舞』や『きのね』より
まず、その『天璋院篤姫』を、来年の放送開始に間に合うように読もう、
と思い購入したのだった。
が、購入後もなかなか読めず、ようやく今月に入ってから手をつけた。
…読了後、まずの感想は、「面白い!!」。
快哉を叫んだ。
私の宮尾作品へのイメージ“運命に耐える女”がひっくり返された。
篤姫という女性は、女に生まれたのがもったいないほど聡明で、
そして、江戸時代の姫君では稀なことであったが、体がとても丈夫な人だった。
気も強かった。逆境にめげず、自分の信念に従って突き進む心の強さも持ち合わせていた。
今のこの時代、このタイミングに、なぜ『篤姫』が選ばれたか。
いろいろ理由はあるだろうけど、
【どんな状況でも、逞しく生き抜く力】、幕末の動乱と重なるように、
国の政治が揺れ、外交関係も緊張し、先行き不安なこの時代、
女性たちに一番身につけるべきは、これなのではないか。
最新のファッションとかコスメなどより。
毎日誰か殺し殺され、自殺していく。
もちろん、殺人も自殺も昔から行われてきたことだけど、
これだけ毎日ニュースで聞くと、憂うし、何よりいいかげんうんざりする。
ちょっとカッと来たから、とか、軽い気持ちで人の命を簡単に断つ、
そういう人たちは、一度、宮尾登美子の小説を読んでみたらいい。
女性のみではない。逆境に負けず、愚痴を言わず、逞しく生きていく力、
これは今日の日本人に何より欠けているのではないか。
とにもかくにも、
賢く、毅然とした、今でいう“ハンサムウーマン”である篤姫を、
宮崎あおいがどう演じるか、見ものだ。
ところで、ドラマ化を記念して、篤姫の故郷・鹿児島県の博物館で、
宮尾登美子展が開催される。
遠すぎてとても行けそうにないのが、非常に残念。
特別企画展
宮尾登美子展
~「天璋院篤姫」を描いた作家~
2007年10月5日(金)~11月5日(月)
開館時間 9:30~18:00(入館は17:30まで)
休館日 火曜日
観覧料 大人600円、小・中学生300円
かごしま近代文学館(鹿児島市城山町5-1)
2007年3月15日第1刷発行
講談社文庫
(1984年9月刊行の新装版)
【裏表紙より】
≪上巻≫
十八歳で藩主斉彬の養女となった篤姫は薩摩島津分家に生まれた学問好きな姫であった。その才覚、器量を見込んだ斉彬は画策の末、篤姫を十三代将軍家定の正室として江戸城に送り込んだ。
形ばかりの結婚に耐え、病弱な夫を支え将軍御台所として大奥三千人を見事に統べる篤姫には、養父斉彬の密命が……。
≪下巻≫
将軍家定の急死、継嗣をめぐる幕府内の対立、養父斉彬の死。篤姫は、家定との結婚が斉彬の遠大な野望であったことを知り慄然とする。天璋院となったのちも総帥として大奥を統べ、皇妹和宮の降嫁、大政奉還等、激動の幕末を徳川家の人間として徳川宗家のために生き抜いた篤姫の偉大な生涯を描いた歴史長編。
**************************************************
2008年のNHK大河ドラマの原作。
宮尾登美子という作家は、私の中で、永井路子、杉本苑子と並んで、
“いつかきちんと、全作を読みたい”偉大なる女性作家である。
が、著書は『寒椿』(1977年・第16回女流文学賞作品)しか読んだことがなかった。
『寒椿』は、彼女のルーツ(実家の生業が“芸妓紹介業”であったこと)に
即する小説で、
そういった種類の小説を幾つも書いていて、それこそ宮尾氏の真骨頂だ、と言う人もいるが、
『寒椿』を読んでいて、私はしばしばイライラさせられたのだった。
“運命に耐える女”という封建的な価値観に縛られた戦前の女性たちの生き方は、もはや、現代女性の価値観にはそぐわない。
現代の女性が慎み深さや奥ゆかしさ、そして日陰でじっと耐える我慢強さを失い、
自由奔放になったと言われれば、それまでだが、
『寒椿』には、旧式の考え方や行動・言動がしばしば出てきて、
最後まで“耐えて”読むことに労力を使い、精神的に消耗してしまったので、
同様の、戦前を舞台にした芸妓が出てくる作品を、
作品の完成度がどうこう以前に、気分的に、読みたいとは思えない。
それより、私は、彼女の、日本文学者たる筆力をもって描かれる、
実在の人物に材を取った小説に興味があって、
例えば、閨秀画家・上村松園をモデルにした『序の舞』や、
市川海老蔵の祖父母をモデルにした『きのね』を、読みたい、と
常々思いながら、他にも読みたい作家や作品は山とあり、
なかなか読めていないのが現状。。。
そんな折、来年の大河ドラマの主人公は、女性であり、
原作は宮尾登美子である、と知って、『序の舞』や『きのね』より
まず、その『天璋院篤姫』を、来年の放送開始に間に合うように読もう、
と思い購入したのだった。
が、購入後もなかなか読めず、ようやく今月に入ってから手をつけた。
…読了後、まずの感想は、「面白い!!」。
快哉を叫んだ。
私の宮尾作品へのイメージ“運命に耐える女”がひっくり返された。
篤姫という女性は、女に生まれたのがもったいないほど聡明で、
そして、江戸時代の姫君では稀なことであったが、体がとても丈夫な人だった。
気も強かった。逆境にめげず、自分の信念に従って突き進む心の強さも持ち合わせていた。
今のこの時代、このタイミングに、なぜ『篤姫』が選ばれたか。
いろいろ理由はあるだろうけど、
【どんな状況でも、逞しく生き抜く力】、幕末の動乱と重なるように、
国の政治が揺れ、外交関係も緊張し、先行き不安なこの時代、
女性たちに一番身につけるべきは、これなのではないか。
最新のファッションとかコスメなどより。
毎日誰か殺し殺され、自殺していく。
もちろん、殺人も自殺も昔から行われてきたことだけど、
これだけ毎日ニュースで聞くと、憂うし、何よりいいかげんうんざりする。
ちょっとカッと来たから、とか、軽い気持ちで人の命を簡単に断つ、
そういう人たちは、一度、宮尾登美子の小説を読んでみたらいい。
女性のみではない。逆境に負けず、愚痴を言わず、逞しく生きていく力、
これは今日の日本人に何より欠けているのではないか。
とにもかくにも、
賢く、毅然とした、今でいう“ハンサムウーマン”である篤姫を、
宮崎あおいがどう演じるか、見ものだ。
ところで、ドラマ化を記念して、篤姫の故郷・鹿児島県の博物館で、
宮尾登美子展が開催される。
遠すぎてとても行けそうにないのが、非常に残念。
特別企画展
宮尾登美子展
~「天璋院篤姫」を描いた作家~
2007年10月5日(金)~11月5日(月)
開館時間 9:30~18:00(入館は17:30まで)
休館日 火曜日
観覧料 大人600円、小・中学生300円
かごしま近代文学館(鹿児島市城山町5-1)
(返信が遅くなってすみません)
所謂、大覚寺統・持明院統、というもののことでしょうか。
歴史マニアではないので、その辺りの事情には詳しくないのですが。。。
宮尾さんの『篤姫』にも、その部分は背景として書かれてありませんが、そういう視点からドラマを見る方もいらっしゃるということですね。
私の場合は、維新とかタブーではなく、単純に、動乱の時代を生き抜いた一人の女性の生き様を見ていきたいと思っています。
明治帝から、大正・昭和、そして今上天皇は南朝なんですね。ところが、幕末の孝明さんは北朝なんです。(墳墓の形状で北朝系か南朝系かわかります。)
このことが維新への前提と言えるでしょう。
そのきっかけとなる時代であっただけに、期待しています。また、今が変革の時代になったのかも知れません。
篤姫をよろしく☆