亡き母は関東大震災の経験者であった。小学生の時に経験している。住んでいた甲府市は震度も一昨年の東日本大震災と同じか、それよりも少し低かったと思われる。その母が良く言っていたのは「東の方角を見ると真っ赤に染まっていた」と言う事だ。東京は震災の火災で大火災が発生していたのである。
東日本大震災の揺れは、65年の人生でも経験したことが無い程の揺れであった。冷静に対処出来なかった。揺れが収まると嫁と孫を我が家に呼び寄せ、電車で外出中の息子に電話をしたが繋がらない。テレビでは、すさまじい津波の様子を映し出し、唖然としている間に次々と家が流されていった。仙台の隣町では、波が来る様子も見られた。地獄図である。
我が家でもクーが慌てふためき、家内はそれを抑える時に腰を痛めた。ねこだって怖かったのだろう。何時も冷静なクーがあんなに慌てる姿を見たことはなかった。クーよりも肝が据わっていたのはココである。台所の食卓の下で揺れが収まるのを待っていた。今でも少し大きな揺れが来ると、テーブルの下等安全な場所に身を隠す。
今日は鎮魂の日、犠牲になられた2万人の方々の魂の平安を祈ろうと思っている。
東日本大震災の揺れは、65年の人生でも経験したことが無い程の揺れであった。冷静に対処出来なかった。揺れが収まると嫁と孫を我が家に呼び寄せ、電車で外出中の息子に電話をしたが繋がらない。テレビでは、すさまじい津波の様子を映し出し、唖然としている間に次々と家が流されていった。仙台の隣町では、波が来る様子も見られた。地獄図である。
我が家でもクーが慌てふためき、家内はそれを抑える時に腰を痛めた。ねこだって怖かったのだろう。何時も冷静なクーがあんなに慌てる姿を見たことはなかった。クーよりも肝が据わっていたのはココである。台所の食卓の下で揺れが収まるのを待っていた。今でも少し大きな揺れが来ると、テーブルの下等安全な場所に身を隠す。
今日は鎮魂の日、犠牲になられた2万人の方々の魂の平安を祈ろうと思っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます