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いろはに笛ッセイ27~お~音痴ばんざい

2012-04-23 19:37:18 | いろはに笛ッセイ
はっきり言って音痴なのです。ピッチが高めなのに1曲終わるまで全く気づかずに、伴奏者のカミさんから指摘されて初めて「そ、そうかあ?」てな物です。
 小沢征爾さんはテーブルを叩くドンという音でさえ、その構成音を瞬時に解析してピアノで再現できる、と聞きました。なんということだろう。なんという違いだ。違って当たり前なのですが・・・でもそんな耳を持っていたらピッチの狂った音を聞くたびに気持ち悪くならないのだろうか、耳が痛くならないのだろうか、と疑問に思ってしまうのです。
 私は自分の耳では判断がつかないので、練習のときにいちいち伴奏のカミさんに音が合っているか聞いたり、チューナーで確認したり、ここは低めに、ここは高めにと言うことだけ覚えたりと、大変なのです。こればかりはタンギングや腹式呼吸、指使いのように特訓して効果がすぐ出る、と言うものではないようです。しかしながら、もともと自作の音程が不安定の楽器ばかり演奏するので、あまり音感がよかったら逆に吹く気がしないのだろうなとも思うのです。「オレは音感が全く無いから音程が決まっているピアノを選んだのさ」と言う名ピアニストもいます。そういえばHKN響交楽団でもいつかピッコロがぜんぜんずれたピッチで吹いていたなあ。(客席の最前列の絶世の美女に気を取られたか、おなかの調子が悪かったのか、当日朝すざましい夫婦喧嘩をしたか、のいづれかだろうけれど)。プロフェッショナルでも音痴に吹くこともあるのだなあ、とちょっぴり嬉しくなるときもあるのです。(きっと失敗だらけの私の笛は大勢の人に嬉しさを提供しているのでは???)だから「私は音痴だから楽器は出来ない」と決め付けることはないのです。音痴と意識している限り音には敏感なのです。つまり本当の音痴ではないのですよ。

いろはに笛ッセイ25~の~ノリノリ

2012-04-19 19:42:52 | いろはに笛ッセイ
お世辞にも明るく陽気とは言えない私のコンサートで聴衆がノリノリになることはめったにないのです。そんな事が起こる確率は、天から万札がばらばらと舞い降りてくる確率とほぼ同じなのです。・・・と思いきや、2~3年に1回は会場がノリノリになってしまうことがあるのです。信じられないのです。なぜだろうとよく観察すると、お客さんの中に、全く回りを気にせず大声で笑ったりリズムに乗ってしまう人がいるのです。その笑顔を見ているだけで周りの人が微笑ましくなる、その笑い声を聞くだけで回りが楽しくなってしまう、そのノリが周りの人に伝播してしまう、とそんな太陽のような人がたった一人いれば会場全体が盛り上がってしまうのです。ある会場では一人の小学生がそうでした。別の会場ではある外国人のお嫁さんがそんな人でした。ほんの数種類ピャラピャラと笛を吹けるだけ、なんていう私よりその太陽のような人の方が存在価値がはるかに大きいのではないだろうか??そんな人になれたらとふと思うこともあるのですが、うーん、それはフルート奏者になってウィーン楽友協会ホールでリサイタルをする、ことよりも難しそうだ。きっとこれは遺伝子のせいだ、遺伝子が邪魔をしているからに違いない。これはどうしようもないことなのです。諦めて自分が自分であることに感謝するしかないのです。

いろはに笛ッセイ25~ゐ~ゐーん(ウィーン)のオーケストラ

2012-04-16 09:47:02 | いろはに笛ッセイ
 このシリーズはなかなかネタ探しに苦労するのです。あまりにマニアックな内容は避けようと思っているのですが、今回ばかりはクラシックマニアにしか分からないお話を。「ゐ」は、わ行のい、と言うことでウィーンのオーケストラの話を。
 中学のときに老指揮者の指揮するウィーンフィルハーモニーをテレビで見て感銘を受けクラシックファンになったのです。中学生ともなれば手帳の中にアイドル歌手の写真の1枚も忍ばせているのが普通でしたが私の場合、そのおじいさんの指揮者の写真が入っていたのです。ウィーンのオケと言えばウィーンフィルハーモニーとウィーン交響楽団が2枚看板なのですが、どちらが優れているかと言えば断然、前者と言うことに相場はなってくるのです。それは、横綱千代の富士対大関琴風(古いっ!)、またはアントニオ猪木対ストロング小林(もっと古いっ!)ほどの違いがあるのです。しかしながら学生時代には後者にはずいぶん世話になったものです。ウィーンフィルのLPは高くて買えない、でもウィーン交響楽団のLPは安いからなんとか買えたのです。
 両者を比較してみると、洗練度・響きの心地よさは歴然としています。でも感銘度はどうかと言うと、これは話が違ってくるのです。同じ曲で両者を比べてみると、なぜかウィーン交響楽団のCDの方が断然聴き応えがある物が多いのです。優秀なほうが素晴らしいかと言えば、全然そんな事は無いのです。まず、超一流はスタイルが決まっていて、そこを逸脱することはまず無いのです。誰が振ろうと先ずウィーンフィルサウンドが前面に出てきてしまう。ところが超一流でない一流のウィーン交響楽団は破る殻が最初から無いがごとく、指揮者の個性が前面に出てくるのです。他に目を向ければ、さらに2流やアマチュアはもっと面白い爆発的な演奏ができてしまう、中には恥ずかしさのかけらも無いような奔放な演奏も。一流が数多の数になってしまった現代、2流が光り輝いている、と言う現象があるように思えます。一流はもはや飽和してしまったかのようです。
 プロフェッショナルとアマチュアの違いは何か、と言うことをある本で読んだのですが。一般的な概念ではプロフェッショナルがアマチュアより格が上なのは当然です。しかし本来は、貴族(アマチュア)が職人(プロフェッショナル)を使っていた、のだそうです。つまり使う・使われるという関係の上ではアマチュアの方が本来は格が上なのです。時代が全く異なってしまっているので現代ではこの概念は通らないかもしれませんが、これからはこの方向に回帰していくと言う部分もあっていいかと思います。多分超一流の学者や超一流技術者(プロフェッショナル)こそが原発などと言うものを作りたがるのかもしれません。そこを未来を見通せるアマチュアが抑制するのです。いまそこらへんをつかさどっている面々は「シロート」に過ぎません。偉大なアマチュアの出現を望む。

いろはに笛ッセイ24~う~うまくなりたい

2012-04-13 19:46:05 | いろはに笛ッセイ
楽器には相性があると言うことを何回か書きました。私はあまりにもタンギングがうまく出来なかった(話すだけでも、どもっていましたので)ので笛系は相性が悪いからきっぱりやめて弦楽器にしようかと思った事もあります。結局弦楽器も一通りやって諦めがついたので笛にしたのですが。笛を吹くに曲のフレーズを滑らかに歌うことができること(音程はともかくとして、滑舌の面で)がうまくなるコツ、と誰かに聞いた記憶があります。つまり早いパッセージの曲はそのとおりにtutetile、又はteketekeを使って歌えること(しゃべること?)が出来なければうまく笛をふけない、と言うことなのです。それを聞いてこりゃダメだ、と思ったのですが何とか30年続いています。滑舌が悪くても訓練次第ということですね。でも相性が良い悪いなんて最初は分かりませんから、吹くハメになった楽器、ピピッと来た楽器、身近に合った楽器で試してみるのがいいかもしれません。器用じゃないから、とためらっている方は考えを改めたほうがいいでしょう。器用貧乏と言う言葉があるように、器用な人は何でもこなせるけれど、一つを極めることができないのですよ、私みたいに。不器用な人こそうまくなれるのです。



いろはに笛ッセイ23~む~難しいんですね

2012-04-12 20:27:34 | いろはに笛ッセイ
クラフト店で笛を売っているときの会話。

「これ、ケーナって言うんですか?」
  「はいそうです」
「吹いてみてもいいですか?」
  「どうぞどうぞ」
「ヒューヒュー、アレ?ヒューヒュー、ごほごほっ。難しいんですね、ケーナって」
  「(1回吹いて鳴らなかったからと言って難しいなんて言っているようじゃダメです。1回吹いて鳴るものなんかそれはオモチャって言うんですよ。楽器たるもの何年もかけて苦しみながら工夫しながらでも楽しみながらやってやっと上達していくものなんですよ。世の中万事そうじゃないっスかあ)」と言いたいのを我慢して
  「お客さん、これ1週間練習してみませんか。きっと『コンドルが飛んでいく』吹けるようになりまっせ。お安くしておきますから3~4本買ってってくださいよ、マドモアゼル」

「今日はやめときますわ、じゃあ」

難しい、それを練習してうまくなる、そこがいいのですね。みんな簡単に吹ける物だったらやる価値は無いも同然。でも楽器には相性があります。難しすぎて楽しくない、と言うものは考え直すのもあり、かもしれません。でもやっているうちに楽しさ発見、と言うこともおおいにあり、です。ちなみに初心者が1週間で「コンドル」が吹けるか?吹けるわけ無いじゃないですか。