きらり。

最後は自分で書いて
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うれしいな、
そんな日記にしたいです。

龍と蛇の信仰の正体は悪魔崇拝だった

2023-02-21 | 動画


前回の記事で 龍と蛇は同じなのではないか
と書いたのは見た目ではなく 本当に蛇は信仰するのに値するのか
その辺に疑問を感じていました そもそも龍そのものは逆説なのではないか
そう思い2年ほど前に検索したことがありました
なぜならこの世はすべてが真逆だからです


猿賀神社公式ホームページから 奥州津軽の霊地 猿賀神社(由緒)
 
古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)
勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、
伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。
又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、
賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化して
毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。
その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。
この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにたがい、
当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の
洞穴に祀る」と、云われている。

桓武天皇の御代に再び暴夷を平定することになり、坂上田村麻呂将軍が兵を
進め苦戦となった際、田道命の霊感を受けて大勝した。よって将軍は
延暦十二年(七九三年)八月二十三日現在の地に祠を祀り、その趣を
天皇に奏上した処、勅命により、大同二年(八〇七年)八月十五日社殿を
造営、奥州猿賀山深砂大権現として勧請し、
神威天長、国家安穏、黎民豊楽、悪鬼退散を祈願した。
以来猿賀の深砂宮(神蛇宮)と崇められ御神徳四方に遍く、
地方唯一の霊場と仰がれるに至った。

かつては国司、探題、(藤原秀衡公、北畠顕家卿、阿倍氏代々等)の
崇敬篤く、藩政時代に入り藩主津軽為信公により、祈願所と定められ社殿の
改修造営、また社領の寄進などしばしばであった。明治四年太政官政令にて
権現号を廃して猿賀神社と改称し、明治六年郷社に列せられ、
更に明治十三年県社に昇格、戦後は社格が廃せられたが、
昭和三十四年神社本庁別表神社に加列せられ今日に及んでいる。
崇敬者は県内は勿論、北海道並に東北一円に及び眼の守護神とする
特殊信仰並びに、辰年、巳年生まれの守護神として広く崇敬されている。 


このような社伝はここだけではなく あらゆる神社にあるわけです
そんなに都合のいい話がいくつもあるのでしょうか





前回書いた緑の龍を赤くしただけです

龍神信仰がやってくる前は、日本は「蛇神信仰」だったそうです。
そして驚くべきことに、「蛇神信仰」もまた、
悪魔崇拝だったことがRAPTブログによって暴かれました。
 







真実を学ぼうとすると どこまでも無限に世の中の嘘に気づきます
今回のコロナもそうですが ワクチンも予防のためではなく
人口削減は当初から言われていました 岸田は中国人スパイなので
それらを実行しただけで 彼もまたいずれは滅ぼされます

日本政府は国民のためにあるわけではなく
天皇は神でもなんでもなかった
天皇自ら悪魔崇拝を崇めます 国と天皇(朝鮮人)は一緒です

わたしたちが「目覚めなさい」と言っているのはこういうことです
政界が マスコミが 悪と繋がっています ウクライナも茶番です
テレビは映像も証言も隠蔽捏造 安倍晋三の暗殺もまた茶番でした
本物はすでに亡くなっていたのですから 亡くなったのは
影武者で実は今もまだどこかで生きているとわたしは思っています


2月になって雪も少し落ち着いたと思ったら 今日は外出もままならず
ずっと雪かきをしています 屋根雪は半端なく何度も落下します

龍はイメージで描いたのでお粗末ですが人物と違い
かなりいい加減に描けます やはり細かいところになると見えにくい

春はまだまだ遠い…


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