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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉田英司

2015-06-10 06:46:20 | 日記
1961年

今夏の第32回都市対抗野球大会に近畿代表富士鉄広畑の補強選手として出場、四位躍進の原動力となった。松下電器の吉田英司捕手(22)はかねてからプロ入りがうわさされていたが、二十二日大毎入りを決意したもようである。

吉田捕手は三十二年三月群馬県の高崎商を卒業すると同時に、投手として中日ドラゴンズへ入団、二軍リーグに出場していたが、三十四年のシーズン途中に一身上の都合で退団。ノンプロの東京鉄道管理局へ入り、高校時代の捕手を生かしてマスクをかぶり、この年(三十四年)十月の産別対抗には全国鉄の正捕手として活躍した。昨夏の都市対抗には優勝チーム熊谷組の補強選手として出場、ハワイ遠征メンバーにも選ばれた。このころから大洋の田村スカウトが熱心に勧誘に当ったが、松下電器からの移籍申し入れがあり、プロ入りにふみ切るまでにはいたらなかった。ところが今夏再び補強選手として後楽園へ出場したため、昨年来さそいをかけていた大洋をはじめ、巨人、大映、東映、近鉄の五球団の間で激しい争奪戦が演じられた。出足でやや遅れをとった大毎だったが倉橋スカウトが熱心に入団をすすめるかたわら、さる十九日には宇野監督が直接本人と会談したことで話が急にまとまったようである。なお松下電器へは二十一日すでに退職願いを提出、円満退社している。昭和13年9月20日生まれ、高崎商出身、1㍍77、75㌔。

吉田英司選手の話 プロ入りにふみ切ったのは都市対抗が終って一週間後です。最終的にはまだ大毎とも、大洋とも決めていませんが、二十四日に上京して決めたいと思っています。先日大毎の宇野監督ともお会いしましたが、大毎には好感をもっています。松下電器も快く送り出してくれましたから今度こそ思い切ってプロで活躍してみたいと思っています。

松下電器・仁木監督の話 本人が二十一日に辞表をもってくるまで全然しらなかった。本人がプロへ行きたいというのだから、うちとしては惜しい選手ではあるが仕方がない。
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中村常寿

2015-06-09 05:38:29 | 日記
1959年

プロ球団が中村投手に注目しだしたのは昨春。広島、近鉄が勧誘していたが、本人もまだ学業半ばでプロ入りを考える余裕もなく、今年になってから巨人、大毎、中日が誘いの手をのばした。とくに巨人としては堀内が今シーズン復帰不可能とあって、ぜひとも本格派投手の欲しいところから宇野代表が熱心な勧誘をつづけ、本人もようやくプロ入りに踏みきり、どうせプロで働くなら強力なバックをもつ巨人にと八月中旬巨人入りを決意したものである。しかし中村投手としては残り半年の学生生活を有意義に送り、正式に卒業したい希望もあったので交渉も困難だったが、学校当局ならびに野球部は退部するものの、学業はそのままつづけるという異例の契約となった。三日から正式入社、六日の対阪神戦から一軍入りするが、月末の定期試験にも出席日本選手権終了後再び学生生活をつづけることになっている。

中村投手の話 他球団からもいろいろ話がありましたが、投手として入るボクにとってやはりバックのいい得点力のあるチームとして巨人を選びました。大学だけは正式に卒業したいと思っていましたが、学校当局、野球部の理解ある取計いでこのようにスムーズに入団できたことを喜んでいます。プロ野球は見たことがありますが、なんとかやれそうです。でも大学と違って職業野球ですからカーブ、直球だけでは通用しないのでこれからはいろいろな変化球をマスターしたい。

宇野代表の話 日本選手権にそなえていいピッチャーを一人入れようじゃないかというので、近代の中村君と契約しました。野球部はもちろん退部したわけですが学籍は残っています。六日の阪神戦から一軍と合流させますが、中村君を見た新田コーチも大丈夫と太鼓判を押してくれていますので、われわれの期待にそむかぬ力をみせてくれるものと楽しみにしています。

昭和十二年六月、愛媛県に生まれる。南宇和郡御荘中学では投手と捕手をやり、松山商時代は一、二年を投手、三年には三塁を守った。一年当時には夏の甲子園大会に出場した。31年、近畿大学に入学と同時に再度投手としてその春のシーズンから出場した。同シーズンの対和大戦でノーヒット・ノーランを記録して素質のよさをみせ、今春四月、神宮球場で行われた学生野球協会結成大会で関大から17三振を奪って注目を浴びた。今春のリーグ戦では6勝1敗の好成績を収めている。右投右打、1㍍72、70㌔、二十二歳。
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有光磐明

2015-06-09 05:00:50 | 日記
1962年

強打の下関商有光磐明外野手(18)=左投左打、1㍍77、75㌔=も阪神入りを決意した。大洋と激戦のすえ阪神入りとなった有光外野手も昨年の選抜大会出場でホームランを打ってスラッガーぶりに注目されていた。有光外野手には大洋が先輩引地の線でいち早く名乗りをあげていたが、さらに東映、阪急、近鉄、阪神が争奪戦に加わってこんとんとしていた。このなかで積極的だったのは阪神で、東京駐在の佐川スカウトが下関の同選手宅を訪れて獲得に熱意をみせ、このほど入団の確約を得たもの。
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村松修

2015-06-09 04:51:19 | 日記
1962年

久留米商の伊藤、鹿児島商の浜崎と並んで九州高校球界屈指の好投手といわれていた小倉工の村松修投手(18)=右投右打、1㍍80、76㌔=はこのほど南海入りを表明。南海入りを表明した村松投手は今夏の福岡地区決勝でこのほど準優勝校となった久留米商に敗れたが昨年選抜大会に出場して早くから注目されていた。甲子園出場後一時ヒジを痛めたがその後回復、夏の予選で最高のピッチングを示した。切れのいいシュートが武器でバッティングもよく、とくに足が速い。南海は石川スカウトを通じて早くからこの村松投手をマークし、鶴岡監督ものりだし、最後まで食い下がった近鉄、大洋をけ落として獲得した。小倉市高峰町に住む父の春造さんも「大洋や近鉄さんもこられましたが、プロ入りするなら南海と決めていましたから」と語っていた。
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藤目功治

2015-06-07 21:15:08 | 日記
1968年

球団事務所には、藤目選手だけが、内海スカウトにつきそわれてあいさつに来たが、飯田監督とばったり顔を合わせて緊張のしっぱなし。在学中の成績は無名校のためはっきりした数字は残っていないが、それでも内海スカウトは「ダイナミックな投法で、将来性のある投手だ」とベタほめ。骨格が太いらしくスピードは抜群だという。津田高からプロ野球入りは初めて。
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河崎貞之

2015-06-07 19:32:43 | 日記
1962年

今シーズン開幕以来不振をつづけてきた阪急ブレーブスはすでに来シーズンの戦力を確保するため各地にスカウトの手をのばして優秀選手の発掘に力を入れていたが福岡工高のエース河崎貞之投手(18歳=右投、右打)を獲得、このほど入団が決定した。河崎貞之投手は高校球界でもさしたる注目も浴びず、いわば無名に近い投手、今回の高校野球北九州予選大会でも三回戦にまで勝ち進んだだけで、四回戦には三池工高に2-0で敗れている。いわゆる本格派の投手でなく技巧派に属する型の投手だ。ピッチング・フォームはサイド・ハンド。絶妙のコントロールを持っており、その上変化球がよく高校生ばなれした球種の持ち主。1㍍73、67㌔。
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大久保計雄

2015-06-07 19:22:11 | 日記
1959年

徳島高校球界の新進阿波高の大久保計雄捕手(17)=右投右打=も獲得した模様である。同選手は身長1㍍76、体重67㌔で、徳島県下№1捕手で、打撃も長打力を秘めており、プロ球団から注目されていた。捕手陣の手薄な近鉄では早くから勧誘にのりだしていた。
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高木一巳

2015-06-07 16:47:50 | 日記
1959年

大型捕手として各球団から注目を集めていた大垣商、高木一巳捕手(17)=右投右打=は十二日午後父親の一馬さん(45)=国鉄職員=とともに平岩代表を自宅に訪問、懇談した結果、正式に中日入りを表明した。同捕手は鐘紡種田捕手の指導をうけ三十三年に三割八分五厘、今年夏の大会予選には少し精彩がなかったが、それでも三割六分と好打率をあげている。身長1㍍76、体重75㌔と立派なもの。なお正式契約は十一月に行う予定。

高木捕手の話 いろいろな球団から誘いを受けましたが中日に決まりこれでほっとしました。プロ野球はほとんどみていないのでどれだけやれるかわかりませんがしっかり練習し期待にそいたい。
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春日一平

2015-06-07 16:23:26 | 日記
1968年

春日一平捕手…1㍍79、78㌔、右投右打、中津工

春日は西鉄がドラフトで五位に指名した選手。性格も明るく活発で、中津工では、中日入りした大島投手とバッテリーを組んで活躍した。強肩、長打力に定評があり今シーズンは三割九分六厘、本塁打12本を打っている。発表の席上で「あこがれのライオンズに入れてうれしい。プロのきびしさは先輩(西鉄・小野捕手)から聞いてよく知っています。尊敬する人は和田さん。和田さんみたいなキャッチャーになりたい。バッターは東田さんです。スケールの大きな長距離バッターを目標にがんばりたい」ときびきびした態度で語った。
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宇佐美和雄

2015-06-07 15:25:10 | 日記
1968年

西鉄ライオンズは三日午後三時、福岡市天神の球団事務所で宇佐美和雄投手(18)=1㍍79、70㌔、右投右打、木更津中央高=の正式入団発表を行った。同投手は西鉄がドラフトで第三位に指名した投手。渡辺東京駐在スカウトが交渉に当り入団が内定していたもの。西鉄は宇佐美の入団で上位にランクした三投手をすべて獲得した。宇佐美は先に入団が決定した東尾(箕島高)乗替(若狭高)とともに西鉄が期待している投手である。1㍍79の長身を利して真っ向から投げ込む本格派の右腕投手。一年生のときからマウンドを守り、二年の夏、甲子園大会予選後に新チームのエースとして活躍、2試合連続ノーヒット・ノーラン記録という偉業を達成している。宇佐美は巨人、東京、東映、産経らが食指を伸ばしていた投手。外角低目に決まる速球は抜群。野球のムシで、学校まで15㌔の道のりを毎日走って通ったという話は有名。

宇佐美投手の話 一緒にはいった東尾、乗替には負けたくありません。自分の力をすべて出してがんばるつもりです。あす(四日)千葉へ帰りますが、ランニング、サーキットなどやってキャンプまでに十分な体づくりをやります。

国広球団社長の話 宇佐美君は非常にファイトのある選手ということだし、きっと大成してくれるものと信じている。
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川内工一

2015-06-07 08:07:21 | 日記
1961年

川内工一投手…1㍍80、73㌔、右投右打、長崎西高

同投手は1㍍80、73㌔の恵まれた体格の持ち主で、長崎西高時代にはチームで四番打者をつとめた中心選手。中学時代には陸上競技部に籍を置き、現在のみごとな体格とバネの強さはその当時に作られたものといわれている。夏の予選大会では、県予選で大村高を4-0(奪三振15、被安打3)代表決定戦では諫早高を4-1(奪三振7、被安打7)で西九州大会に出場、唐津実を4-1(奪三振7、被安打7)で破って、今大会に出場した海星高と決勝で顔を合わせ1-6(奪三振2、被安打13)でやぶれ、甲子園出場はならなかった。恵まれた体格にくらべてスピードはなく、技巧派と思わせるピッチング。好不調の差はほとんどなく、将来性があるのも見込まれて阪急入りが実現した。チームで四番打者をずっとつとめていただけに、打力にも捨てがたいものを持っている。昨年の春から今大会にかけての打率は三割三分九厘。
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財津守

2015-06-06 15:09:12 | 日記
1960年

中日ドラゴンズはノンプロ日鉄二瀬の四番打者財津守選手(22)の入団を内定、十五日正式発表する。財津選手は三十二年大分県日田高を卒業、日鉄二瀬に入社、一塁兼外野手で、身長173㌢、体重70㌔、左投左打。

濃人監督の話 三年間二瀬で一緒にやったことがあるが、確実なバッティングで案外よく打ったものだ。しかしその後のことはよく知らない。プロからは私が監督をしていた当時から目をつけられていたが、上背が足りないので手控えられていた。まあうちの場合は打撃層が薄いだけに貴重な戦力になってくれると思う。

財津選手の話 プロ野球はほとんどみたことがないので力の程度はわからないが、ただ一生懸命やる。幸い中日には濃人さんはじめ江藤君ら知人が多いだけに心強い。左だからといって左の投手がそう苦にならない。財津選手は対阪神戦まえの練習に早速ユニホームを着て参加、フリー・バッティングを行った。デカイ当たりはみられなかったが、シャープなそして着実な打法はさすがで、石本コーチも「打撃は巧い。ポイントをつかんでいる。あとは力をつけることだけだ。べつにフォームその他ではなおすところはない」とほめていた。財津の打撃はちょうど巨人の高林中日の井上を左にした感じで、力がつけばかなりやれそうだ。
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野口勝治

2015-06-06 14:06:50 | 日記
1962年

野口投手は上手からの本格派で明電舎のエースとして活躍、三十五年には熊谷組に補強されて、都市対抗本大会に出場している。1㍍74、75㌔、右投げ右打ち、背番号34。

野口投手の話 去年までプロ入りの気持ちは全くなかったがことしになってピッチングに自信がついたのと、社会人野球出身者が活躍しているのに刺激されてプロ入りをきめた。入った以上、だれにも負けないようがんばるが、さしあたっての目標は、一日も早く第一線で投げるようになることだ。
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小川敏明

2015-06-06 12:39:28 | 日記
1959年

小川敏明捕手は突然家庭の事情で中京大を中退したいと申し出て、学校関係者を驚かせたが、学校側では同選手に事情を聴取した結果本人の意思を尊重し、プロ入りを承諾したもの。同選手は中日ドラゴンズ側と両親との話し合いをつき、十四日学校側の了解も得たので、きょう十六日中に正式契約の運びとなった。同選手は昭和三十三年中京商高から中京大学へ進学すると同時にひきつづきマスクをかぶり現在にいたっているが、中京商時代には同級生の現阪神本間投手とバッテリーを組んで活躍、中京商卒業後本間同様各プロ球団や社会人球界から勧誘を受けたが学業を断念することができず、学業と野球の両方を生かすため進学に踏み切った。この熱意が中京大学の一年生時代から認められ、レギュラーとして退部するまでマスクをかぶり、打っても上位をつとめ、三十四年春以来の三シーズン連続優勝に貢献全日本大学選手権大会にも出場、中京大学の名を広めた。身長一㍍七五、体重七五㌔、右投右打。

小川敏明捕手の話 家庭の事情でプロ入りを決めました。中日をえらんだのは私にとって地元の球団であったからです。プロへ入ったからには第一歩からやり直して大いにガンバリます。

滝・中京大監督の話 突然のことでびっくりした。しかし事情を聴いてみると引きとめるわけにはいかん。とにかく体格もいいし肩も強い。それに若いだけに勉強してがんばってもらいたい。

内川(中京大マネジャー) 中退するといい出したのは四、五日前で、あまり突然のことでびっくりした。小川君は性格も明るく、負けずぎらいだからプロに入っても十分やってくれると思う…。それにしても野球部としては実に痛手だ。
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七森由康

2015-06-06 11:32:58 | 日記
1961年

南海、巨人、広島の三球団、ノンプロ東洋レーヨン、大日本製薬から勧誘を受けていた左の本格派投手、七森由康=身長1㍍80、体重75㌔、左投左打、大阪西商高=はかねてからプロ入りを表明していたが、このほど巨人入りが確実となった。七森投手は今夏の高校野球選手権大会大阪府予選の三回戦で市岡高に1-0で敗れたが、市岡を1安打に押え、大阪府下でもPL学園堀川、市岡高加納、吹田高西川投手らとともにプロ球界から目をつけられ、早くから南海松本、巨人伊藤両スカウトが話を進めていた。同投手はさる八月九日大阪球場で鶴岡監督と話し合い、入団をすすめられていたが、その数日後には甲子園球場で巨人軍の幹部とも話し合い「条件的に有利な方を選ぶ」という希望で巨人入りがはっきりした。一時は父親一郎さんが広島県出身であることから、広島入りの可能性もあったが、南海、広島は条件的に折り合わず、巨人入りとなった。なお阪急ブレーブス足立投手は七森投手の先輩にあたる。

父親一郎氏の話 南海、巨人、広島とは正式に話がありました。親子二人っきりの生活ですし、その上、私が病気ですので息子に気がねなく野球をできるようにしてやりたいと思っています。二十五日の夜伊藤さんからはじめて条件が出されましたが、不満な点もあり、もう一度三十日に会うことになっています。南海との話が打ち切られたとしたら巨人に決めます。先生の方を通じての広島は正式におことわりしました。

七森投手の話 優勝可能なチームが第一の希望でした。条件のことは父親にまかせています。
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