プロ野球 OB投手資料ブログ

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長谷川尚生

2024-05-18 12:32:34 | 日記
1989年
バットを鉛筆に持ちかえた。球界から離れて、大学受験にチャレンジするのも珍しい。「まだ若いし、大学へ行ってから自分の将来のことを考えるのもいいと思って」と長谷川は言った。ケガで選手生命を断たれた。ドラフト外で入団して2年目を迎えた今シーズン、春先にまず腰を痛めた。そして夏には肩を。1ヶ月間、悩み続け、9月に入って決心した。「大学受験するなら1年でも早いにこしたことはない」11月末まで合宿「虎風荘」で受験勉強に励んだ。その間、野球週刊誌で長谷川のことを知った東京・高円寺の予備校「中央ゼミナール」から受験のテキストが送られてきた。進路指導部の早藤績さん(26)という見ず知らずの人からだった。「実は私も富山出身でスポーツを志していてケガであきらめたんです。長谷川君のことを読んで少しでもお役に立てればと思いまして」長谷川の卒業した富山県立入善高は県下でも屈指の進学校。国立大の富山大、金沢大へは毎年40人ほどの合格者を出している。長谷川自身、45人の学級で「成績は10位ラインを行ったり来たりだった」とかで、偏差値は56。目標の明大、法大クラスの経済学部入学へは自己診断では黄ランプという。年が明けると東京にいる兄・樹生さん(中央大大学院生)のもとへ行き、いよいよ最後の追い込みに入る。始めたころはスムーズにいってたんですが、ここのところダメですよ」ちょっぴり弱気の虫がのぞいた。実家の部屋には掛布のバットケース、真弓のバット、池田のグラブなど思い出の品々が飾られている。「この2年間はムダではなかった。こんな経験ちょっとやそっとでは出来ないですからね」の2浪は大きな財産になっている。

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