プロ野球 OB投手資料ブログ

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小泉泰重

2023-11-04 11:36:48 | 日記
1984年
都内の中野区に住んで、現在はKKクリオンオーディオの商品センター長をつとめている小泉泰重氏(昭和51年から昭和53年まで在籍、外野手、二十九歳)は、「最初は営業に入ってやっていけるかなと思ったんですが、裸の小泉だと考え実力でセールスしてきたおかげでセンター長という要職につくことができました」と言っていた。小泉氏は城西高の出身で、浪人中に入団テストを受け、二百七十一人中たった一人合格したというひとである。芸能人のヒデとロザンナの野球チームで試合していたが、遊び半分にテストを受けたところ柵越えの打球を幾本も飛ばして眼をつけられたという。同期のドラフト組には中畑選手や篠塚選手がいた。入団してみると一年さきに同年齢の西本投手が、同じくテスト生としてはげんでいた。「西本とは仲が良かったです。西本は仲間があまりできないのですが、ぼくの部屋によく来て、互いにドラフトの奴らにはぜったいに負けたくないと励まし合った。そのためには連中よりずっと多くの練習を繰り返すことだ。おれたちは雑草なんだとよく話し合いました。腹立たしかったこともあります。ファームの試合で関根さんから今日、長島監督が見に来るから篠塚と変わってくれと言われたときです、私は前日の試合でヒットを打っていたし、監督にいいところをみせようと思っていた。ドラフト組になぜ負けなきゃいけないのか。私はこんなときじっと我慢しました。西本なんかは監督にグラブを投げつけていましたね。かれも、一軍の監督が見に来るからというので定岡投手と交代を命じられたことがあります。巨人軍をやめるとき私の部屋の絨毯をとったらバットを素振りしていた場所は畳がすり切れていましたよ」いま活躍中の西本投手の初心を見るようである。小泉氏は三年間在籍して一軍には一度もあがれなかったが、悔いはないという。やめるとき西武から誘いがあったが断った。高校時代の同級生の和子さんと結婚。いまの会社に入ってセールスを始めた。優秀な先輩たちに負けないため、「巨人軍時代の鍛錬を思い出して」新規開拓に努力して実績をあげたという。いま小泉氏は、「実社会は数字が正当に評価されるからありがたいようなものです。子ども(現在二歳)が大きくなったら言ってやりたい。一つのことをとことんやって、ひとに負けるな。負けても悔いを残すな。遊ぶときは遊び、やるときはやれってね」と言っている。

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