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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高橋慶彦

2022-01-15 13:23:30 | 日記
1974年
城西の高橋投手は「先取点を取られたら負けだ」と予想していた。「お互いに初めての甲子園でしょう。だから先手を取られたら焦りで苦戦を強いられると思っていたんです」という。それが初回、いきなり佐世保工の先頭打者に二塁打を喫してしまったのだ。次打者を三振にとったものの、四球を出して一死一、二塁のピンチを招いた。いつもの高橋なら、ここで四球を出すか連打を浴び、ズルズルと点を取られるケース。「短気なんですよ。自分ひとりで抑えようとして気負ってしまう」(下田捕手)からだ。川上監督も、そのへんのことは十分承知しており、落ち着くようにアドバイスしていたが「1、2点の失点は覚悟していた。あとで点を取り返せばいい」と目をつぶったほどだ。だが、この日の高橋はちがっていた。「あの二塁打を喫したときは、くやしかった。でも考えたのです。みんなで、出場したからには、甲子園で校歌を聞こうと誓い合ったことを。バックを信頼して打たせてとろうと思いました」という。冷静さをとり戻した彼は、後続打者を連続三振に打ちとりピンチを切り抜けた。信頼したとおり、バックが二回に先取点したことも「いける」と自信を強めた。以後のピッチングは直球で佐世保工打者を追い込み、上、横からの二種類のカーブで押し切るというマイペースのパターン。佐世保工の四番打者林に「カーブに幻惑された」といわせるほどの好調さで2安打、三塁を踏ませなかった。東京代表として四十年の日大二・神山が一回戦の岡山東商に完封勝ちして以来、九年ぶりの完封。試合後、下田捕手は女房役らしい見方をしていた。「東京都の予選のときから試合が終わるとお前は独り舞台になり過ぎるといつもつかみ合いになりそうになるまでやり合ってきたことが実を結んだのではないでしょうか。それにあいつは、お客さんが多勢いるとやる気が出るんですよ。きょうもテレビに映るんだから、がんばらなくちゃ、といっていました」高橋自身も「あがりもせず、これまでの最高のピッチング」と、晴れ晴れした顔を見せた。

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