プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

飯田雅司

2023-04-19 09:42:55 | 日記
1995年
打っては4安打、初回の相手失策を合わせ5打席すべてに出塁、投げては終盤3イニングをノーヒットに抑えた飯田。打撃面では「甘い球を待って自分のスイングをしただけ」と謙そんしたが、「ピッチングには満点をつけられます」県大会鯖江戦以来の投球を、満面の笑みで振り返った。試合前「4点差がついたら投げさせる」と話していた渡辺監督が、四回4点差となったところで「七回からいくぞ」と告げた。マウンドに上がった飯田はどんどんストレートで押していく。「調子は良かった。最初から飛ばしていくことしか考えてなかった」内野ゴロで二死を取り、締めは三振。「去年の借りを返せた」一年前、同じマウンドに同じ七回から登板。佐久長聖(当時佐久)にダメ押しの3点目を取られたことを飯田は思い出していた。今年は違う。「三年間、一生懸命やってきた。あとは思い切って投げるだけ」八回は微妙な判定の四球が一つあったが、三人を空振りの三振に取り、九回も三人で切って取った。「内藤がカーブで抑えていたから、自分の直球が生きた」噴き出る汗をぬぐいながら内藤のことをたたえた。「(捕手の)嶋村はどんな球でも取ってやると言ってくれたし、投げやすかった。相手もボールを振ってくれたので助かった」ナイスピッチャーの周囲の声に、飯田はチームメートのおかげと言い続けた。しかし、普段ポーカーフェイスの表情にさえ「何よりもうれしかったチームの勝利」に、ピッチングで貢献できた満足感があふれていた。


飯田投手は午前十時半ごろ両親とともに敦賀気比高で、千葉ロッテの伊藤竜彦スカウトと面会した。ロッテは、広岡GMの強い希望で飯田投手を指名したという。伊藤スカウトが「スピードがあるし、カーブのキレもいい。センスがあるので十分プロで活躍できる」と期待の大きさをのぞかせると、飯田投手は「一年目から一軍に上がるつもりで頑張りたい」と力強く抱負を話していた。今月中に条件面の話し合いを持つ予定。


昭和52年5月19日京都市生まれ。小学4年から野球を始め、中学時代には、京都田辺ボーイズのエースとして全国大会を制覇している。卒業後、京都を離れ敦賀気比高に進学。投手、打者、野手として夏の甲子園連続出場に貢献し、今年のベスト4入りの原動力となった。全日本選抜メンバーとしても活躍。まだ荒削りのフォームながら、最高143㌔を出す重い速球は魅力十分。内野守備や打撃でも抜群のセンスを持っている。188㌢、80㌔。右投げ右打ち。


1996年


右の本格派投手。荒削りだが188センチの長身から投げ込む角度のある速球には威力がある。また抜群の身体能力で内野手もこなせるセンスがあり昨夏の甲子園ではショートとしてベスト4に貢献。未知数の可能性を秘めた好素材だ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真木将樹 | トップ | 豊村健泰 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事