プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井上勝巳

2019-11-27 12:46:38 | 日記
1960年

十六日、対南海戦の試合前、練習する大毎選手にまじって、眼鏡をかけた背番号「30」の見なれぬ選手が、練習にはげんでいた。兵庫県育英高を中退して、大毎に入団した井上勝巳投手である。野口コーチの話によると、「すぐ戦力にプラスするとは思えないが、左の少ない大毎で小野、荒巻、三平に次ぐ投手として育てたい。若いし、体もあるし、期待の持てる投手だ」とのこと。「大毎が好きだから入りました。まだ何もわかりません。得意とする球ですが、別にありません。まだ、あったとしても、プロの選手に通じるはずもありません。ただガムシャラに練習するだけです。小野さん、荒巻さんを目標に頑張ります」と記者の質問に、学生服の彼は、直立不動の姿勢で答えていた。球団の発表によると、身長1・79メートル、体重75㌔。

1960年

打線のあげ潮に乗っているがどうも大毎の投手陣はサッパリ。そんなとき、宇野を喜ばせる明るいニュースが二軍にある。その人物は、ことし育英高から入った井上勝巳投手。野口ピッチング・コーチは「球速の速いことはナイターにもってこいだ。スピードの点だけなら小野より速い。しかしコントロールと、打者のかけ引きはまだまだ、だから、夏場ごろから一軍に上がるようにしたいと思っている。しかし、一軍からSOSがくれば、いつでも送れるよ。井上だけでなく、長谷川もいいしね。だが、一軍にやってもバッティング・ピッチャーや、ベンチばかりおかれては、調子が狂うから、この辺がむつかしいよ。ぼくの考えからすれば、もっと練習させ、勉強してからやらせたい」と、眼鏡の奥の瞳を輝かせながら語っていた。さらにいまの大毎にもっとも必要なのは、「エースを作ることが、第一だよ」と力説していた。「エースを作るのはわれわれの仕事さ」と、いった野口コーチの胸中には、一軍にかんじんのエースがいない不安が、つねに心の中にあるのだろう。

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