プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上田正則

2021-01-18 13:36:47 | 日記

1974年


本土に復帰した沖縄県からプロ野球選手が誕生した。ロッテは十一日、沖縄大・上田正則投手(22)=1㍍75、70㌔、右投右打=の入団を発表した。ドラフト指名外で契約金、年棒とも百五十万円。五千万円とか、三千万円とかいわれる契約金のうわさが乱れとぶ中で「本土のプロ野球で投げたい」と自らとびこんできた沖縄の一青年。ここにバラ色の夢と、男の心意気がある。

 

ロッテのスカウトに若生氏が決まったこの八月、金田監督の希望は「かくれた大物をさがせ」だった。まだスカウトに荒らされていない場所を考えたとき、ふと浮かんだのが沖縄だった。西鉄(現太平洋)の投手だった若生氏が東映(現日本ハム)との公式戦で沖縄に出かけたとき、高校野球の田鍋審判に世話になったことがある。さっそく電話をかけたところ「沖縄大にいいバッテリーがいる」といわれた。投手が上田で、捕手が中地。すぐに沖縄にとんで二人に打診したところ「本土のプロでやってみたい」と乗り気だった。ところが中地は張り切りすぎて肩をこわしてしまった。九月になって若生スカウトは再び沖縄にとんで上田に交渉を開始した。那覇商三年のときにノーヒットノーランを記録したが、沖縄の大学は硬球を使わないため準硬式というハンデがある。四十七、四十八年に全日本準硬式野球大会で優勝、ことしも準優勝投手という実績はあってもプロ野球で使えるかどうか。若生スカウトは硬球を持参して自ら捕手をつとめた。「私の力も落ちているけど、彼のストレートが速くてとれないんだ」専門家もいないためフォームは荒けずりだが、村山(元阪神、現評論家)ばりのダイナミックなフォーム。上田も「本土のプロ野球でやりたかった。テストでもいいから受けようと思っていたんです」と目を輝かしたという。両親も「本土でやれるなんて…。男ならやってみろ」と大変な力の入れよう。条件を聞いてからという本土のドラフト交渉経過とは雲泥の差だ。契約金百五十万円は単なる支度金で終わってしまうのかもしれない。上田投手は沖縄大の勉強でこの日の入団発表には出席できなかったが「一月五日から若手の自主トレーニングがはじまるそうですね。それまでにはいきます。ぼくががんばれば沖縄の後輩もきっといいはげみになると思います」と元気いっぱいの電話を若生スカウトにかけてきたそうだ。またロッテは同日ドラフト五位指名の桐蔭学園・入沢淳捕手(18)=1㍍80、79㌔、右投右打=の入団も発表した。同捕手は百㍍を11秒7で走る俊足。神奈川県では大物捕手とさわがれ、二年のとき神奈川県選抜チームの一員としてフィリピン遠征にでかけている。


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