1986年
家は、沖縄で二代つづいている琉球舞踏の「劇団・与座」の家元。父・朝庸さんは沖縄俳優協会理事で劇団の座長・母・君子さんはエース女優、与座朝勝は長男だから三代目として跡を継ぐ立場にあった。事実、4歳のときに初舞台を踏み役者としての教育を仕込まれてきた。だが、「演劇より野球」を選んだ。53年の県予選、神里ー石嶺のバッテリーの豊見城には敗れたが、普天間、宜野座を連続完封したピッチングが二重丸で、当時の大洋・別当監督は「ひとつの型をもっている」と目を細めた。145㌔のスピード、大きなカーブ。だが与座もまたコントロールが乱れた。5年間、イースタン1勝の白星がプロの思い出になった。
家は、沖縄で二代つづいている琉球舞踏の「劇団・与座」の家元。父・朝庸さんは沖縄俳優協会理事で劇団の座長・母・君子さんはエース女優、与座朝勝は長男だから三代目として跡を継ぐ立場にあった。事実、4歳のときに初舞台を踏み役者としての教育を仕込まれてきた。だが、「演劇より野球」を選んだ。53年の県予選、神里ー石嶺のバッテリーの豊見城には敗れたが、普天間、宜野座を連続完封したピッチングが二重丸で、当時の大洋・別当監督は「ひとつの型をもっている」と目を細めた。145㌔のスピード、大きなカーブ。だが与座もまたコントロールが乱れた。5年間、イースタン1勝の白星がプロの思い出になった。
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