プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上田好剛

2021-05-27 12:43:45 | 日記

1994年

期待のルーキー、上田が三番手でオープン戦に初登板。六回のピンチは野村の好守で切り抜けたが、七回は二死からの3連打で2失点。課題の制球も4四球と散々で「結果はだめだった、の一言です」フォーム改造中で、「球を投げる感覚が違う。納得のいくボールが投げられない」と迷いを口にする。それでも、「自分でこれ、というのがつかめたら、ある程度できると思う」と次のチャンスに意欲をみせた。

1996年

広島のファームの投手をスタンドの一角から眺めていて、スリークォーターから球速のあるピッチングをしている投手を発見した。これが上田だった。彼はたしかオーバーハンド投法だったはず。3年前だったと記憶しているが、中山製鋼が都市対抗野球に初出場、ベスト8入りしたとき、オーバーハンドから速球をビシビシ投げていた。取材をしてみると、入団した年の5月に右ヒジの状態がいまひとつ思わしくない、医師に診察を受けたところ「手術の必要あり」と診断されて右ヒジ遊離骨折除去に踏み切ったと言う。手術後、リハビリに専念。今シーズンに入って投法をスリークォーターにしたそうである。なぜ、オーバーハンド投法から変更したのか。「課題である制球が相変わらずの状態だった。それで悩んでいたとき、外木場二軍コーチからスリークォーターにしてはどうか。そうすれば制球力もつくし、球速も増してくると助言してくれた。そういうわけでフォームを改造したんです」彼は、こう語っている。こうしてスリークォーターの投法になった上田は、自分でもアレッと思うほど制球がよくなったと言う。それだけではない。球速が増してMAX150㌔を記録した。このスピードはもちろん広島投手陣№1だ。「オーバーハンド時代より腕の振りがずっとシャープになっている。この投法が上田に合っていた。本人も努力した甲斐があったが、すべてはこれから。これからが大事」外木場コーチは上田について報道陣に、こう語っている。上田は「手術をしてよかったし、フォームも改造してよかった」と言って「現在では投げていても何の違和感もないし、気持ちもいい。前へ前へ向かっていけるのがうれしい」と話している。こういう内容の話ができるのも「やれる」という自信がついたからだろう。そして「スピードで勝負できる投手になって一軍へ」と述べている。「彼は近い将来、必ず上のマウンドに立つ。しかし、そのためにはまだまだやらなければならないことがいっぱいある」。首脳陣はこう言って、広島№1の球速男に期待している。上田が、首脳陣の「上で使える」という言葉を耳にする日はそう遠くはあるまいが、首脳陣が先に述べているように、彼が身につければならないことがヤマほどある。投手としての細かい動き、牽制球などもそうだが、これらをうまくこなせるようになれば最速男は関門を突破できると私は思っている。


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