プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

若杉輝明

2024-05-11 15:02:58 | 日記
1953年
本当はまだボンボンといった面構えである。姉さんばかり四人の間で育った末っ子なので、至って甘えたという感じだが、この少年さすがに春夏の檜舞台をふんでいるだけになかなかハッキリしたことをいう。はァ、はじめ法大へ進もうか明電舎入りをしようかと思ったのですが、やはりプロで男を上げたくってー先輩の関根サンがおられるし心強いパールズを選びました。ボクはじめは二軍へ編入されると思っているのです。でもなんとか一軍へ出していただけるよう努力しますし、学友とどちらかさきに世にでるかコーヒー一パイのカケをやったんですから。パールズの練習に参加し、ユニフォームを着た感想は…。先輩の人、みな親切な方ばかりだけど、ボクより身体もみな大きいでしょう、若干気圧されてますネ、おっかなくなっちゃって…。それはそうだろう。身長こそ五尺七寸五分あるが体重は十五貫あまり、まだ上等のフラノ製ユニホームの肩が上層部まで落ちるほど身にそぐわない。その彼にも若き日の血潮を躍らせて甲子園原頭に名を馳せた思い出があるのだ。しかし球運はこの純情な少年投手にあくまでつれなかった。ことに準々決勝戦、延長十一回、野手のエラーで呑舟の大魚を逸した無念さはいまでも彼の胸中を去りやらないようだ。それでもボクあの試合直後知り合いの阪神の田宮サンが「キミはドロップを多投しすぎた。シュートか直球で向うべきだった」と忠告して下さったのはよい教訓でしたと素直に語る。極め球はインドロ、横手からのシュートを加えるよう先輩関根からも注意されたらしいが、いまのところプロの打者に真っ向から挑む自信の持ち合わせはないようだ。ともかく、先輩をおっかながらずにドンドン教えをこいたまえ「関根二世」とほど遠からず、名は体を現すのたとえ通り真珠のごとく明るく輝きはじめるに違いない…。

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