プロ野球 OB投手資料ブログ

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木下智裕

2024-05-18 16:16:19 | 日記
1988年
胸が痛くなって、涙がこぼれ落ちるのを抑えきれなかった。「どうだ。巨人に入ってホントによかったな」夜空を見上げながら王監督がポツリと吐いた言葉が、木下には無性にうれしかった。61年6月24日。後楽園では伝統の巨人・阪神戦が行われていた。木下はその年、自由契約となった阪急から巨人にテスト生として移籍したばかり。2回リードで迎えた7回、無死二塁の場面で当時の最強コンビ、バース、掛布と対戦した。「阪急で10勝、巨人では結局ひとつも勝てなかったけど、あの試合がやっぱりプロでの最高の思い出ですね」始めての大観衆の前で、木下は堂々のピッチングを披露した。バース、掛布を連続三振。「巨人に入ってホントに…」交代を告げる王監督がマウンドでつぶやいてくれた言葉が、木下は今も忘れられない。試合終了後、勝利にわきかえるベンチで肩をたたいてくれる人がいた。「こいつがホントのヒーローだぜ」中畑の声だった。「木下さん、最高のピッチング!」東海大の後輩・原も自分のことのように喜んでくれた。翌日の新聞の片スミには陰のヒーロー木下の記事が数行だけ載った。それでも、木下の胸には最高のシーンとして今でも刻まれている。1度だけだったけど、ハーラーのトップになったときもある。でも、思い出っていうのは、そういうものじゃあないでしょうか」野球を始めてから初めて人の温かさを知ったような気がした。「巨人で3年間やれてホントによかった、と思います。王さん、中畑さん、原…。いろんな人に会えたしね」8年間のプロ生活にまったく悔いはないという。ただひとつあるとすれば今春かかった原因不明の奇病。結局、これが投手寿命を縮めることになった。「1ヶ月の入院。セキ髄にビールスが入ったんだけど、全然力が入らなくてね。電話の受話器さえ持てないんだから…。情けなくて何度も涙をこぼしました」今年9月、球団から退団の打診があったとき「巨人のユニホームのまま引退するのは幸せ」とさえ思ったという。栄光のドラフト1位指名、自由契約巨人入団、離婚、奇病…。まさかに木下のプロ生活は流転だった。第二の人生計画は順調。来年11月友人とともに飲食店を開くことも決まった。「詳しいことはまだ言えないんだけどね。野球しか知らない男だから、その前に人生勉強もしないと…」来春から都内の不動産会社で社長飛秘書として礼儀、言葉遣いなどを勉強していくことになっている。「店がオープンしたらどんどん宣伝してくださいね」ワンポイントに命をかけてきた男は、第二の人生で先発完投を目指している。

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