「みぃちゃん」といっしょ

ねこの「みぃちゃん」との暮らし。そして何かを思い、感じたこと。そして、やりたいことを見つけたいです。

7回目。

2005-08-05 23:00:38 | 介護
7回目の講習。
ここのとこ具体的な介護技術を学んできているが、今日は体位や姿勢の交換介護。
ベッドに寝ている人の体の向きを変えてあげたり、座らせてあげたりの実習をした。
講師のする手順や動き、相手のどこに手をかけて介助するのがいいか一生懸命に見た。
そのあと実際に介護者と介護される側と両方を体験した。
みんなが見守る中での実技は緊張する。
講師はあんなにすんなりとやっていたのに、実際にやってみると
変に力がかかって、スムーズにできない。
そして介護される側になってベッドで寝ているとき
向きを変えてくれるんだということがわかっていても
どうされるんだろう?とプチ不安?(笑)になる。
「声かけ」がこのときには大切なんだとわかる。
名前を呼んで、体の向きを変えることを伝えて、相手の承諾ももらって
どう動かしていくかを伝えながら、本人の健常のほうを動かしてもらって助けていく。
相手とのコミュニケーションが大事なんよね。

午後からはサービス提供の基本視点という項目を学んだ。
老年期について、堀秀彦さんという方の文献から
「死ぬことは確実だと知りながら、明日は生きているだろうと考えて暮らす時期、
それが老年期なのだ」と。
老いるということは、失っていく不安と葛藤の中に身をおいて生きているときで
ささいなことに思えていたことが、少しずつ大きなことになって重くのしかかっていく。
そういった不安や葛藤を受けとめられる援助者でいないといけないということ。

介護側が思う、高齢だからもう無理だろうという観念や
高齢者本人が思う、もうできないからあきらめるというものがある限り
介護者と介護される側との信頼関係はすんなりとは成り立たないかもしれない。
おばあちゃん(おじいちゃんでも)が、何かをしたいと言う。
もう歳なんだからやめときな~って、本人のことを思って言った言葉でも
その否定の一言だけで意欲をそぎ、傷つけてしまうかもしれない。
何かを勧めてみても、高齢になってしまったことを本人なりに自覚していて
自分の役割はもうないんだと、自分の中で決め付けてしまう人もいるかもしれない。
どちらも誰も悪いわけじゃない。
そういった人たちにどう支援してあげればいいだろう。
その人の持つ価値観を受容して共感してあげる。
間違っているんじゃないかと思っても、自尊感情を大切にしてあげる。
そういうことの積み重ねがあって信頼関係ができていく。
それからなんだろうな。
無理に最終目標をめざさずに、目の前のひとつひとつを達成していけば
近づいていくんだよね。

そうは言っても、どうしたらいいかわからないでいる。
私のおばあちゃんは、なんでこんなものをとっておくの?と
ついこっちが言ってしまいそうなものをいつまでもとっておく人。
高齢者の中には、戦時中、戦後、と、しんどい思いをして生きてこられた人もいる。
物を大切にする習慣から、捨てられてもおかしくないようなものまで
もったいない、と、とっておく人もいる。
そう、うちのおばあちゃんもそう。
だから、捨てたら?という言葉は、本人を否定する言葉になるから言ってはいけない。
・・・んだろうけど・・・
本音、捨ててほしい・・・
でもいきなり言うのは・・・
じゃあ、どうしたらいいんだろう・・・?
今日はそんなことをちょっと思い出して、今後の課題でもあるなあと感じた。
コメント (6)
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