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まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

下田 平滑川の護岸と石橋

2021-09-05 22:36:09 | 川・橋・船
下田の続き。

ペリーロードを歩くと、川沿いの建物だけでなく平滑川の護岸の石積みにも目が留まる。
面白いことに、その石積みに使われている石や積み方は一律でなく、短いスパンで全く違っているのだ。
建物が川沿いギリギリに建っているので石積みは建物の基礎の一部になっているのだろう。建築時に元の護岸を一部
切り崩して作り直す、ということがあちこちで行われたのだろうか。もはやどれが元の護岸なのか分からないぐらいだ。


建物の壁や塀に使われているような、きれいに成形された伊豆(軟)石の切石が布積みにされた護岸。


ちょっと不ぞろいな伊豆石の切石。


左側はトップに載せた写真の続きだが、これは明らかに伊豆石ではなく、山から出てきたいろんな種類の石が
大きさも揃えずそのまま乱積みされているようだ。
右側には全く表情の異なる灰紫色の成形石の布積みが続いている。


割肌を見せたこの石も伊豆軟石と思われる。
同じく凝灰岩系の竜山石も赤竜、青竜、黄竜などあるし、伊豆石にも縞模様の斑石やいろいろな色があるのは
不思議ではない。


こちらは道路側の石積み。灰色や灰紫色や明るいサンドベージュ色の伊豆石が斜め方向に積まれている。
しかしあまり法則性もなく、色もバラバラで特に揃えた感じでもない。


ここは意図的に中央部に白っぽい石を配してあるのかな。


こちらは石の表情からもう少し時代が古そうな谷積みの護岸。排水路の部分が美しく納めてある。


あぁ、こっちの方がもっと古いな!きれいな谷積みで隙間は多いが安定している。これがオリジナルの護岸のように思える。


一方こちらは隙間をほとんど作らないように石を成形してみっちり谷積みしてある。
濃灰色の石は凝灰岩(伊豆石)なのかどうかよくわからず・・・


長年の間には災害で崩れたり、工事のために一部撤去したりしてその時々で積みなおしたこともあったのだろう。
色も形もバラバラで揃っていないが、逆にそれが面白い。下田のまちが経てきた歴史の痕跡なのだ。
揃えて作り直したりせずこれからも修繕は部分的にしてさらに多様な石積み護岸にしてほしいなぁ!

平滑川には石橋もある。ふと見るとここはアーチ橋じゃないか。


アーチを形作る「輪石」や隙間を埋める「壁石」の表面は意匠的に整えられているように見える。
ずいぶん古そうだな。




霊山橋は「りょうせんばし」と読み、明治三十九年二月、と親柱に彫られていた。
了仙寺の「了仙」から字違いで名付けられたのだろうか。


反対側を見ると輪石で積まれておらずアーチ型の一体の石だった。こちらは川上側。災害で損傷した結果かもしれないな。


了仙寺へ続く道は花街の端っこでちょっと怪しげな雰囲気。。。いや、風情とみるべきか(苦笑)


この店の意匠に使われているのは富士山の溶岩石か?


先にも書いたが了仙寺は日米和親条約付録下田条約が締結された場所として、有名な観光スポットである。


了仙寺の裏手に横穴遺跡があるというので本殿の裏へ回ってみると、崖に巨大な穴が空いていた。うわぁ~~、すごい!!
頭上にオーバーハングした伊豆石の岩盤。想像していたよりも巨大な洞窟にちょっと鳥肌・・・
6~7世紀(古墳時代)の地元の有力者のお墓とみられ、中から人骨や勾玉、土器などが発見されたらしい。


いったいここはどこだ?さっきまで町にいたはずなのに・・・


本殿の写真を撮ろうと思ったのだが前にずっと人がいてうまく撮れず・・・写真なし(汗)


続く
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さるびあ丸で伊豆大島へ。

2021-08-10 23:13:15 | 川・橋・船
関西にはフェリー航路がいろいろあって、思い立ったらふらっと乗って九州や四国へ出かけることができた。
ずいぶん数が減ったとは言え、大阪・神戸の港からは北九州、別府、大分、志布志、宮崎、東予、新居浜へ、また
舞鶴や敦賀まで足をのばせば北海道航路にも乗れた。
東京に来てからは気軽に船旅ができなくなり残念に思っていたのだが、そう言えば離島航路があったな、とある日気づいた。
伊豆七島や、三宅島、八丈島、小笠原諸島へは、都心の港、竹芝桟橋から船が出るのだ。これは乗らない手はない。
・・・ということで、4月のある日、まずは伊豆大島へ行ってみることにした。


伊豆大島へは東海汽船の船が出ている。高速船もあるのだがやはり夜行の旅客船がいい。
金曜日の夜遅く、JR山手線の浜松町駅で下車して港へ向かった。
実は大学時代にこの竹芝桟橋から「おがさわら丸」に乗って小笠原へ行ったことがあり、駅から港まで少し寂しかったような
記憶があるが(うろ覚え)、今回はまちなかを歩いているうちに10分ほどできれいなターミナルに到着した。


勝手がわからないので早めに来たが、全然直前でよかったな。。。ずいぶん待ってから、ようやく乗船!
さるびあ丸はコンテナは積むが車は積まないので「フェリー」ではなく「大型客船」である。2020年6月に就航した
新造船なのでピカピカだ!見ての通り東京オリンピックのエンブレムに似た模様が全面にあしらわれている。
野老朝雄氏によるデザインだ。
それほど大きくない船なので、岸壁を歩いてタラップを上る。やっぱりこれが好きだなぁ~~わくわくする~~


さすがに大部屋はパス(苦笑)、でもそれほど長距離でもないので「特2等室」というベッド席で。
夜23時に出発、早朝5時には大島に着く。6時間の船旅だ。


出港はやはりデッキで。人里離れた埋め立て地の港とは違い、海のそばまで高層ビルの灯りが迫っている。
キラキラ輝く都会の夜景を見ながらの出港・・・これはまた新鮮だ!レインボーブリッジをくぐり、遠ざかっていくビル群を眺める。




羽田空港沖あたりまで来るとさすがに暗くなってきた。


しかしまた横浜港にも立ち寄るのだ。赤れんが倉庫が見えてくる!大きな観覧車も見えてくる!
そんなこんなで、横浜港を離れるまではベッドに入ることができず(苦笑)、実質4時間ちょっとの睡眠である。




正直もう少し長く乗っていたい(寝ていたい)ところだが・・・予定通り5時には伊豆大島に到着。


海に突き出した何の変哲もない突堤。あぁ、すがすがしい島の朝!水がきれいでテンション上がる!!




伊豆大島には港が2ヶ所あり、本日の到着は岡田港。日によって、天候によってどちらに到着してどちらから出港するか
変わり、当日の朝にならないと分からないという、よく分からないシステム(苦笑)。
岡田港は周辺にお店なども少ないので、船の到着に合わせて運行しているバスで元町港まで移動する。



島ではレンタカーを借りればよかったのだが、結構高いので、バスで動くことにしていた。
しばらく海辺でぶらぶらしてから、波浮行のバスに乗り込んだ。

続く
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岩手旅 開運橋と光原社

2021-03-12 23:05:12 | 川・橋・船
2020年3月の盛岡の続き。

さて、今日は夕方まで盛岡のまちを散策しよう。徒歩で行くか・・・
盛岡駅からまっすぐ伸びるメインストリートが北上川を渡るところに、美しい鉄橋が架かっている。
1953(昭和28)年完成の「開運橋」。アーチとトラスが組み合わさったような下路式ランガートラス橋
という構造で、平たいアーチのフォルムがすっきり洗練された美形の橋だ。


一方、近くで見ると、このぶつぶつリベット!!好きだなぁ~~~
鉄板を重ねてあるのだろうか、リベットは橋の全面を覆いつくすように打たれている。力強い!


初代の開運橋は、盛岡駅の開業に合わせて1890(明治23)年に、当時の岩手県知事石井省一郎らが
私費を投じて建設したという木造の橋であった。2代目は1917(大正6)年に架け替えられた鋼鉄製の
2径間プラットトラス橋、そしてこれが3代目である。


盛岡へ転勤してきた人がこの橋を渡りながら「遠くへ来てしまった」と涙を流し、次に盛岡を去るときには
去り難くて涙を流す、ということから、開運橋は別名「二度泣き橋」と呼ばれるそうな。
この橋の上は、とうとうと流れる北上川の背後に白く輝く岩手山の麗姿を眺める絶好のスポットである。
確かにこの景色を毎日眺めていれば大都会へ戻りたくなくなるのが分かる気がする。
本当に私も大好きな風景だ。


橋を渡ったらまずは光原社へ行ってみよう。
1軒だけ歩道をふさぐように飛び出しているのは、古い建物であることを物語っている。


光原社は、宮沢賢治とここの創業者が盛岡高等農林学校で先輩後輩だった縁で、1924(大正13)年、
賢治の生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を発刊した出版社であった。
宮沢賢治亡き後、南部鉄器の高橋萬治や民芸運動の柳宗悦、芹沢銈介、棟方志功らとの知遇を得て、各地の
民芸を扱う店となり、今に至っている。


町家風の建物の一部がトンネルのように抜けていて、おしゃれな鉄扉は開かれている。ちょうど開店時間だ。
レンガの舗道にいざなわれ奥へと歩を進める。これは町家じゃなく、パティオのある洋館だったか!?


いくつかの小さな洋風の小屋が建っている。その一つは「可否館」という喫茶店だったがだ、コロナの影響で
昨日から休業しているという。。。
ちょっと中を覗かせてもらったら、どっぷり民芸風でいい感じ。ここでモーニングしたかったな・・・あぁ残念。


この床に敷かれた平板に注目。単純な花柄の沈文の入った、敷瓦のような平板。これはレンガなのか?


他の建物の入口付近にも同じ模様の平板が敷かれていた。


ただしこちらは表面に釉薬が掛かっているようだ。塩焼きレンガかな?こういうものは関西では見かけない。




これとよく似たものが山形にあった。旧柏倉久左衛門家の蔵の前に敷かれていた敷瓦風のレンガだ。
また、よく似た質感の貼り瓦をあとから盛岡市内で見た。だいたい表面のガラス質が剥げてボロボロに
なっているのは、やはり焼き締まっておらず吸水性が残っているからなのだろう。


この建物はドアが閉まっていたが、窓から覗いてみるとサロンのような雰囲気で、何かイベントなどに
使われるのだろうな。


床の中央部には石が敷かれ、その周囲に貼られていたタイルもよさげだな。。。






その奥には瓦の乗った木の門があったが、金物は洋風な感じで変わっている。




敷地内をうろうろしたあと、ショップで民芸の商品を見て目の保養をし、風呂敷を一枚購入した。

光原社本店のサイト →こちら

続く
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南海フェリーの船旅

2020-10-19 23:19:30 | 川・橋・船
今年8月の香川の旅の続き。

讃州井筒屋敷をあとにして徳島行きの列車に乗る。このあと徳島で少しうろつこうと考えていたのだが、
暑くて何かバテてしまった。。。早いがもう帰ろう。
徳島駅で港行きのバスの時刻を見るともうすぐ来る。しかしフェリーの時刻にギリギリだな・・・
バスの運ちゃんに聞いたら「うまくいけば」だと(汗)。乗れなかったら港で2時間ぐらい待ちぼうけか・・・
しかしここで2時間うろつく元気もない。えーい、行ってしまえ!


10分前にターミナルに駆け込んで無事間に合った。。。電車に乗るように乗れるのは、近距離フェリーのお手軽さ。


南海フェリーは南海電車の「鉄道連絡船」で、和歌山港と徳島港を2時間~2時間15分で結んでいる。
徳島港のアクセスはバスしかないが、和歌山港は南海電鉄「和歌山港駅」から直結しているので便利。
しかも、「好きっぷ2000」というきっぷが通年販売されていて、フェリーと南海電車あわせて2千円で乗れるのだ。
そのきっぷは徳島側からでも買える。予約なしで割引料金で乗れるのも気楽~~


停泊中のフェリーあい。
近距離だけど結構大きいな!ジャンボフェリーよりも多い一日8往復しているのだから、需要の高さが知れる。
確かに、神戸~高松はちょっと遠回りだが明石海峡大橋や瀬戸大橋経由で行けないこともない。
しかし和歌山から徳島だと遠回りになりすぎるもんね。加太から由良に渡る橋とかができない限り安泰だ。
このフェリー「あい」は、「I」、「愛」と、「藍」をかけてつけられた名前らしい。
徳島は藍の産地。藍色のラインが爽やかだね!!


デッキに出て離岸のときを楽しむ。






おや、橋を架けているのか!?海を渡る橋ではなく河口を横断する橋のようだな。
検索してみると、四国横断自動車道の一部で全長500mの新町川橋(仮称)らしい。


さすがに2時間はあっという間。徳島の陸が見えなくなったと思ったらもう和歌山の陸が見えてくる。


赤いアーチの紀の川河口大橋(みなと大橋)が和歌山港の目印。周辺は工場地帯が広がっている。


簡素な桟橋。松林の手前には空中通路でフェリーターミナルと結ばれた和歌山港駅が見える。


こんなタワー型のブリッジ、かなり年季が入っているな!横位置をぴったり合わせてブリッジを架ける作業をデッキから見物。


南海電鉄、南海フェリーが併記された和歌山港駅。
ここからかつては水軒駅まで線路が伸びていた。昔ここから水軒駅までたどったことがあったな。→「寂しき水軒駅跡


水軒駅は1971(昭和46)年に開業、木材輸送を目的として設置されたものの、2002(平成14)年に
廃業するまで一度も貨物列車が走らなかったという、何とも寂しい運命。。。
今は和歌山市駅~和歌山港駅のわずか2.8kmのみが「和歌山港線」として残っている。


南海フェリーが運航する限り、和歌山港駅も存続し続けるだろう。共存共栄してほしいなぁ!


おわり。
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ジャンボフェリーで高松へ

2020-09-28 23:46:39 | 川・橋・船
ちょっと、最近の旅を。。。


ジャンボフェリーで神戸から高松に渡り、南海フェリーで徳島から和歌山へ戻るという周遊ルート旅を計画した。
元はと言えば東かがわ市に1件行きたいところがあって、香川県だしお手軽に日帰りできないかと考えていたのだが、
JRの本数が少ないので、高松まわりでも徳島まわりでも5時間ぐらいかかりどうも行きづらい。
それで開き直って、船旅を兼ねてゆっくり行くことにしたのだ。


大阪から高松だと岡山まわりで行くのは遠回りになるので、神戸から高松へ船で直接行けば最短距離である。
しかし今まで私が乗ったことがなかったのは、乗船時間4時間半程度と、昼間の移動にはもったいなく、
夜行としてもゆっくり寝られない、という中途半端な中距離のためで、どうも旅に組み込みにくかったのだ。
それでも1日4往復しているところをみるとコンスタントに需要があるのだろう。


私が乗ったのは深夜1時神戸港発の便。個室を取りたかったのに、初めてなので予約も要領を得ず、個室の電話予約は
前日の12時までで締め切られることを知らなかった。空きはまだあるので当日聞いてみて下さい、と言われたが
カウンターでは「売り切れです」と。ええーーっ、そんなぁ~~(涙)。短時間集中で爆睡しようと思ったのに、、、
船は新しくきれいなフェリーだったが、今回ばかりは船内やデッキの散策もそこそこに寝場所を探そう(汗)。
大部屋に行ってみると、男女関係なく一区画に3組ぐらいずつはお客がいる。まくらも毛布もない。むむぅ。。
こういうオープンな部屋は宮崎カーフェリー以来だな。。。あちらはまだマットレスや毛布はあった。
この船は基本昼行便仕様だから仕方ない。ここは体力温存優先、開き直って大部屋の片隅に陣取り、ストールを
すっぽり頭からかぶり耳栓をして、バッグを枕にさっさと眠る。※人がいたので部屋の写真は撮れず・・・


そして朝。もう着いたのか。。。まだ眠いなぁ。。。5時15分ではまだ外も暗い。
大阪港から出航してくれれば、もう少し眠る時間も増えて楽なのになぁ・・・


・・・グズグズしていたら送迎バスに置いていかれる。皆に遅れないよう足早にターミナルへ向かう。


高松のフェリーターミナルでは、眠い目を覚まさせるような素敵なモザイク壁画が出迎えてくれた。


おぉ~~~っ!!いいねぇ!!


砕いたタイルのカケラを壁いちめんに貼り付けたモザイク壁画。近づいて見ると、一枚一枚のカケラも
美しい!きれいな透明釉の濃淡、ムラのある中間色のタイル。白もニュアンスがあるなぁ!



あ、そうだ、あまりゆっくりしていられないんだった。。。ささっと写真を撮りバスに乗り込む。



夜明けの高松フェリーターミナル。下船してから船体を眺めたかったのだが、ターミナルと船が近すぎて(笑)
全然見えなかったのは残念。。。


初のジャンボフェリーはちょっと試練のスタートになってしまったが、、、無事高松駅に到着。


高松は数年前に来たことはあるがほとんどまちを見ていない。モーニングできる喫茶店が開くまでゆっくりまちを歩こう。

続く。
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阪九フェリーで北九州へ。

2020-06-14 23:42:57 | 川・橋・船
さて、次はどれを書こうか・・・2月に行って来た九州旅のことを。また20回ぐらいの長編になりそうだな(汗)
中国の武漢で新型肺炎患者が増えてきて騒がれ始めた頃で、その時は完全に他人事だと思っていたが・・・
その後世界中がこんなことになろうとは、、、このとき全く想像だにしていなかったなぁ(涙)。
移動の自由の幸せをかみしめながら、ブログを書こう。。


阪九フェリーの安いプランを使いたいと、行き先を決める前に予約してしまった。いつものことだが(笑)
さてどこへ行こうか・・・そこからプランを組み立てた今回の旅、結果的にめちゃくちゃ楽しかった!


金曜日、事前にスケジュール表で宣言しておいたとおりダッシュで会社を脱出、泉大津港へ。よっしゃ~~
今回は追加料金を払って往復とも個室を予約しておいたので楽しみ。


神戸港が大規模改修工事中のため、神戸発着便の代わりに泉大津からの第2便が運航されている。これから乗るのは
その臨時便である。第1便はちょっと時間が早すぎるが第2便はちょうどいい。いつもこの時間だといいんだけどな。。。
この「つくし」はもうすぐ新造船と入れ替わる予定。十分きれいなんだけどね。。


中国で新型肺炎が騒がれつつあり、その影響か、外国人はほとんどいない。静かでいいけど何かちょっと不思議な感じ。。


カウンターで鍵を受け取り部屋へ。
おぉ!!「2等指定A」は広さは3畳もないぐらいのスペースだが、そこにベッド、デスク&チェア、水道とシンク、
テレビに空調と必要なもの全てが備わっていている。ここで暮らせるね!!


窓はなく壁は薄いが、ドアがあって鍵が閉まるという安心感。トイレ&バスはないが立派な
シングルルームである。お風呂は展望風呂があるから全く問題なし!


荷物を置いたら船内散策に出かける。売店は結構充実していて、シュークリームや焼きたてパンなども
売っている。夜のお楽しみにシュークリームをゲット、明朝の朝ごはんのパンも予約しておいた。

デッキでいつものように離岸を楽しもう。




2月にしては全然寒くないが小雨がパラついているので15分ぐらいで中へ入る。。。


レストランで鍋を。あったかくておいしい~~!結構リーズナブルだし。


ロビーではWI-FIがつながるはずなのだがどうしてもうまくいかずあきらめ、部屋に戻って
普段見ないテレビを見たり、ブログの下書きをしたり、個室滞在を十分楽しんだ。

泉大津発2便のつくしは新門司港に9時着。ギリギリまで個室でくつろいでから下船する。


こんな朱塗りの寺院風の新門司のターミナル。いつもここに着いていたっけ??便によるのかな?
これは30年前に建てられたとか。

小倉駅までの無料送迎バスがあるのでラクラク!・・・しかし混んでいるのかえらく時間がかかっている。。。
9時に船が着いて、小倉10時発の日田彦山線の列車に乗れなかったのは誤算(涙)。
日田彦山線は数年前の豪雨で被災して今も路線の一部が代替バスだけど、炭鉱の名残を残す車窓風景が好きで
楽しみにしていたのになぁ。。。仕方ないので博多経由の在来線で日田まで行くとするか。

途中、巨大な空き地が目に入る。あっ、あれはスペースワールド跡地か・・・何か寂しいなぁ。。。


折尾駅も新しいホームになったのだな。。。複雑に立体交差したホームと古い駅舎はもうなくなってしまったんだな。。


夜明駅。建て替える前の古い駅舎があったときに訪れたのは2009年。その翌年再訪したら、同じような形の
新しい駅舎になっていて大ショックを受けたのだ。もう二度と来ることはないだろうと思ったが、その後2回は
見ているな(苦笑)

どんどん変わっていく、鉄道風景。沿線風景。

そんなこんなで3時間近くかかって日田に到着(笑)。チンタラ時間がかかったけど、ここで特急に乗ってしまったら、
LCCで福岡まで飛んだ方が安かったじゃないの、ということになってしまうので意地でも普通列車で(爆)


続く
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シルバーフェリーに乗る。

2020-05-24 22:38:36 | 川・橋・船
2019年10月の弘前からの続き。

夕方JR弘前駅前でレンタカーを返したあと、リゾートしらかみとはやぶさを乗り継いで弘前から八戸まで移動する。
さすが新幹線、1時間ちょいで行けるとは、今回調べて驚いた!
しらかみもはやぶさも時刻通りの運行。フェリー乗り場行きのバスの時間と乗り場も電話でばっちり確認済み。
そう、八戸からシルバーフェリーに乗って北海道へ向かうのだ!!

八戸駅を出たら、めちゃくちゃ寒い!さっきから頭が痛く薬も飲んでいたが、バスに乗っている40分の間に
気分も悪くなって来た。生あくびが出る。ヤバイな、、、疲れが出てきたらいつもこうだ。。。

※これは駅に停まっていた普通列車。

フェリーターミナルに到着したら、なんかめちゃくちゃ混んでる!八戸からフェリーに乗る人はこんなに多いのか!
私の中ではマイナーな航路だったが世間では大人気なんだな!(笑)


列に並んで20分ぐらいかかってようやく受付を済ませ、写真を撮りに外へ。。。


あぁ目に新鮮!シンプルなグリーンのラインと、SILVER FERRYの控えめなロゴのみ。
関西の船はやはり自己主張が強いのか(笑)


ターミナルに飾られていたフェリーの模型。


さて乗船。客室は2フロアのみ、今回はケチって(笑)大部屋で予約している。指定された番号の席に行ってみると、、、
うわ、定員30人ぐらいの部屋は8割方埋まっているな、、、大人気!人が多いので写真は撮れず(苦笑)
まぁ、各部屋に専用の洗面所が2つ付いているし、各席の間は顔のあたりが軽く仕切られ、鍵付きのロッカーまであって十分快適。


しんどいのを我慢してデッキへ出て離岸を見る。周りの灯りは少なく、前方には暗闇が広がっている。
胃の中を空にしたら楽になった。お風呂に入って早めに寝よう。






耳栓とアイマスクのおかげでゆっくり寝られた。朝はちょっと早起きして外がまだ暗いうちからデッキへ出てみる。


港が近づいて来るにしたがい空はじわじわと白んで来る。
いいなぁ。。。




時間通りに苫小牧港に入港。
きたかみきそに乗ったときにもこの港へ入ったので、今回で3回目のはずだが、まわりの風景はあまり覚えていないな(苦笑)




船はくるりと180度回って、着岸。




苫小牧駅行きのバスは6時半だから、デッキの上でゆっくりしてから下船しても大丈夫。存分に楽しんでおこう。
あぁ、念願のシルバーフェリーに乗れてよかったぁ!






無事北海道に上陸だーーー!
関西発でなければなかなか利用する機会のない地方と地方を結ぶ航路。どうにかして乗る機会を作ろうと
今回無理やり組み込んだけど(笑)、なかなか面白いプランじゃない?


続く。
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高雄、橋の上から

2020-04-22 23:05:32 | 川・橋・船
2019年夏の台南からの続き。

最終日の高雄、宿を12時に出て空港へ向かえばちょうどいい。美麗島駅近のお気に入りの宿は12時チェックアウトなので助かる。
昨日まで台南で動き回ったから、あまりあくせく動き回らずのんびりしよう。

散歩中に居心地のいいカフェを見つけたらモーニングしてもいいな、、、と、MRTに乗ってまた高雄港にやってきた。
ライトレールは今日も元気に走ってるな。お天気はイマイチだが芝生は青々茂って気持ち良さそう。
クーラーの効いたホテルの部屋から持ち出したカメラはレンズが曇ってしまってなかなか元に戻らない(汗)


おや、いつも見ていたアーチ型の赤い鉄橋、これからどうなるんだろうと思っていつも遠目で見ていたが、
おや、よく見たらエレベーターがついているじゃないの。もしや何か転用するつもりなんだろうか?


近づいて行くと赤い橋の中にガラス張りの箱が入っているのが見えてきた。看板も出ている。
「ON THE BRIDGE 紅橋餐廳」
えっ、これはレストラン?なんと、高雄では鉄橋まで活用してしまったのか!


この「公園陸橋(公園路橋)」は、鹽埕區と哈瑪星(ハマセン)を結ぶ道路として1976年に造られたものらしい。
広大な高雄港駅のヤードが横たわっていたことでその両側の車の往来にとっては支障になっていたのだ。
臨港線の廃止後、取付道路は2013年に撤去されたため、鉄橋部分のみが残った。


登ってみよう。エレベーターは、、、故障中のよう。それはちょっとしたご愛嬌(笑)。
気を取り直して階段を上っていくと、鉄のアーチが目の前に迫ってくる。橋の上にはデッキが作られていた。


おぉ、やはりこれはレストランだ。おしゃれ!店内をのぞいて見ると、一面ガラス張りで貨物ヤードビュー!
開店は11:30からかぁ、是非とも入ってみたかったが・・・今回は入れそうにないな。また次回に。


しかし、レストランのまわりのデッキにはベンチがあり、お店を利用しなくても自由にくつろげるスペースとなっている。


さらに、建物の屋根の上に上れる、まるで太鼓橋のような階段があった。もちろん上る!


階段を上る途中、梁で頭を打ちそうに。あぁなんと贅沢な経験だろう!(笑)
橋が現役だったときでも、一般の人はこんなところまでは上って来れなかったのだから。


うぉーっ!展望デッキからは扇型に広がった貨物駅のヤードが一望できる。芝生が覆っていてもレールの形がはっきりわかる。
あっ、そしてその向こうには港のクレーンと、水面も見える!あぁ何と、素晴らしい。。。


ところでこの橋の東側は広い道路がまっすぐ伸び、スロープが取り付いていた状態を想像できるが、西側は山が迫っているので
どのようにつながっていたんだろうとずっと疑問に思っていたのだが、あらためて画像検索してみたところ、
橋詰から取付道路が左へ90度折れ、鼓山一路へ下って来ていたことが分かった。なるほど!長年の謎が解けた(笑)


高雄港駅の反対側を見れば、鼓山駅へと続いていた臨港線の廃線跡、そして着々と出来上がっているLRTの延伸線の駅が見える!
廃線跡の方へ行ってみよう!


これは北信号所の建物だったらしい。この中には手動のポイント切り替え器がずらりと並んでいて、何と、
臨港線が廃止された2008年まで24時間体制で操作していたのだとか。
私が初めて高雄のまちを訪れたのは2009年で、貨物線風景を見たくて鹽埕に宿を取り高雄港駅を見に来たのだが、
何とその前年末に臨港貨物線は廃止されていたことを現地で知ったのだった(涙)。廃止後半年のヤードはまだ生々しかった。
→その時の旅の記事 こちら

旧北信号所は時々公開されているようなので、一度見てみたいなぁ~。

今はたくさんの人々が遊ぶ公園となり進化し続ける一方で、隅々まで管理されている風でもなく、南国のゆるやかで
大らかな時間が息づいている。






LRTの延伸開通の準備は着々。開業間近の鼓山公園駅。

※高雄捷運公式サイトの路線図を見る限り、2020年4月現在まだ開業していないようである。

踏切のそばには臨港線の施設が残っていた。このあたりあまり来たことがなかったなぁ。。


鼓山の方へ歩いてみると、目に飛び込んできたエッフェル塔(!?)


これめちゃくちゃカッコイイ!美しい!!まさかアート作品じゃないよね??
グーグルマップで見るとここは「高雄公会堂(初代高雄州庁)旧跡」となっているが、、、現地でよく見ておけばよかったな。


鼓山には軍事遺跡があるようで、トーチカも見えていた。市街地のすぐ裏手に・・・ちょっと驚いた。

その手前にあった住宅(?)。リノベーション済みなのかな?


こんな現代風の住宅だが、壁がいちめんモザイクタイル貼りだった!ここのオーナーはタイルフェチに違いない!




もう朝から感激しっぱなし。。。本当に高雄というまちは、いつ見ても新たな感動や楽しみを与えてくれるなぁ!
あぁ、高雄LOVE!!

朝の散歩が楽しすぎて結局朝ごはん抜きだったので(苦笑)、宿のそばでダッシュで麺を食べたあと美麗島駅から空港へ。
4泊5日という久々にちょっと長い旅、詳細な計画を立てずに来たけどとても充実して楽しかった!!
あぁ台湾には何回でも来たい。・・・実は次の旅もすでに仕込んであるのだ(爆)

終わり。

もくじ
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大隅半島の滝めぐり 雄川の滝

2020-03-10 21:46:30 | 川・橋・船
2月の鹿児島の続き。



滝めぐりの3つ目、目指すは有名な雄川の滝。途中で目にする案内板が全然違う道を指しているのが気になりながらも
ナビにしたがって走ると、ぐんぐん山道を上って行き目的地周辺に到着。ん?ここ?音もしないし滝がありそうな気配もない。
同じようにナビに連れて来られて困惑気味の人が何組かいる(苦笑)。
どうもここは滝上で、階段を下ったところに滝を上から見れる「上流展望所」があるようだ。行ってみよう。


階段を下りるとウッドデッキの展望台が設けてあったが、見えるのは干からびたダムのような岩盤の河原。
その河原は陥没したかのようにそこで終わっており、はるか下の谷底が見える。すごい断崖だな!高低差は50mくらいはありそうだ。
それにしても・・・水が全く流れ落ちていないじゃないの。雨不足なのかな?いや数日前に九州では雨が降ったはずだ。
乗り出して谷底を見ると、神秘的なブルーの滝つぼと、人の姿が!やっぱりあそこに行けるんだ!あそこに行きたい!!

展望所にあった説明板によると、雄川には1920(大正9)年に発電所が建設され、滝の上流が取水口となっているため
放水時でなければ水量が少ないのだとか。あぁ、今は放水していないのだな。

再び車に乗り込み、今度はナビでなく看板に従って走って行くと、雄川の滝駐車場にたどり着けた。
・・・しかし、駐車場の案内のおっちゃんに聞いたら、滝下まで30分かかるという。えぇーっ往復1時間!?
ヘタレの私だが、ここまで来て雄川の滝を見ずに帰ることはできない。覚悟を決めて歩くことに。
川沿いの道とは言え、ゴロゴロと転がる巨大な岩を越えるように作られた遊歩道は細かなアップダウンの連続で、
2kmと言ってもかなりしんどいが・・・何とかたどり着いた!!


うおぉぉぉ!!さっきの神川大滝よりもさらにすごい柱状節理のオーバーハング断崖!!
柱状節理は火山活動で流れ出た溶岩が冷えるときに亀裂が入って繊維のように均一な柱状の形状になったもの。
滝ではよく見られる。
城崎温泉にほど近い場所にある玄武洞は柱状節理の超有名スポットで、そこに立つと全身鳥肌が立つような興奮に襲われる。。。→「玄武洞で鳥肌!


ここは石の小口面は見えず、スカートのひだが幾重にも重なったように下向きに広がっており、玄武洞とはまた
雰囲気の違う景観を作り出している。


そして滝はと言えば、幅60m、落差は46mとのことだが、さっき見た通り上から流れ落ちる水はなく(流れている時もあるようだ)、
もっぱらスカートの裾からほとばしる無数の白い水の束。


苔むしたモスグリーンの断崖と、波ひとつない紺碧の水面。白いレースのような伏流水の滝。
なんて美しいんだろう。。。


ここ数年の間に大隅半島を代表する観光スポットとなった雄川の滝。私も3~4年ぐらい前にやっていた
大隅半島のデスティネーションキャンペーン(?)のチラシかパンフレットで知ってからずっと行きたいと思っていた。
大河ドラマのオープニング映像にも使われたらしく、カップルから年配夫婦、外国人観光客まで、さすがにお客が多い。




放水時には46mの断崖を落ちる豪快な滝を見れるようだが、逆に滝つぼのブルーがきれいに見えないらしいので一長一短だな。
滝下の川も美しいが大きな岩がゴロゴロしており周囲の崖が崩れやすいことを物語る。また雨の時期は遊歩道が冠水して
滝まで行けなくなるらしいので、タイミングはまぁよかったと言えるだろう。放水時の滝もまた機会があれば見たいな!




帰りも同じアップダウンの道を引き返したが、一度通った道はやはり少し楽で16分くらいで駐車場にたどり着いた。


ところで、ここへ来る途中に気になった風景、廃線の高架橋かと一瞬思ったが小さい。


おぉ!これは水路橋だな!車を停めてよく見てみよう。


一方は山の中腹かに突き刺ささっており、もう一方は川向こうの薮の中に消えてきた。






山の中腹に刺さる水路橋。


あぁいい景色だなぁ!


川向こうまでは渡れないが、山側は道がありアクセスできそうだったが、ここであまり深追いするのはやめておこう。
温泉や廃線跡にも行きたいので・・・(笑)


続く。
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大隅半島の滝めぐり 轟の滝と神川大滝

2020-03-09 23:47:30 | 川・橋・船
2月の鹿児島の続き。

鹿屋は、3年前に鹿児島湾のフェリーを乗りに行ったときに(まだ書いていないな汗)、バスの乗継ぎで降り立ったことがある。
中心部の商店街は広い範囲にわたっており、鉄道駅があったときは大隅半島の主要都市として相当賑わっていたん
だろうなと思わせたが、今は結構寂れている印象があった。それでも大隅半島の宿を検索するとほとんどが鹿屋だし、
レンタカー屋も鹿屋にしかないし、バスも鹿屋バスターミナルがハブになっており、変わらずこの地方の交通の要所である。

さつき苑という丘の上の快適な宿に泊まって温泉や食事を楽しみ、充実の朝食ビュッフェで満腹!!
2日目はまるまる一日、大隅半島を車でうろうろしよう。決めているのは3つの滝だけで、あとはノープラン。
滝は昔から大好きで、昔は滝をめぐってキャンプしたりしていた。今も近くにあれば必ず立ち寄る(但し山は登らない笑)。


朝から東へ向かって走り、途中寄り道をしながらひとつめの滝に到着。こちらは「轟の滝」。


その名の響きに反して、高低差はそれほどなくなだらかな岩盤の上を流れる滝だった。音もそれほど大きくない。
水量が多い時は轟くような音が聞けるのだろうか。
背後にはもう一段の滝があり2段で1セットの滝だ。


岩盤をなめるように流れる水が途中からは白いしぶきを立てながら分散して落ちて行く。
まるで天然のウォータースライダーのよう。


ところで遊歩道の階段が素晴らしくツボを突いてくる!コンクリートを盛って階段を作るのでなく、天然の岩盤を刻んで
段を作ってあるのだ。もともとなだらかな勾配で表面もざらざらしているから階段がなくても登れるだろうが、
縦横にカッターを入れて、踏み面の部分は手作業ではつって平らにしてある。
ちょっとでも歩きやすいようにという誰かの優しさを感じた。


上の段へ上るとこの光景!あぁ滑りたい(笑)怖いけど




上の滝はダムのように一枚の岩盤の全体に均一広がって流れている。あそこまでは近寄ることができなさそうだ。
天然のプールはやはり夏には水遊びのスポットになるらしいが、今は誰もいないのでのんびり写真を撮ったり
水をさわったりして楽しんだ。


お天気もいいし、1ヶ所目からいい滝に出会えてゴギゲン~~~♪


お昼はチェックしていた鹿屋港のみなと食堂へ。12時過ぎに行ったらもう人がいっぱい。すごい人気だな!
「鹿屋市PR特命係長かのやカンパチロウ」(笑)がPRしている通り、ここではカンパチが名物。
全国で最も早くカンパチの養殖に着手したといい、かのやカンパチは鹿屋市漁協認定のブランド魚。少し待って入る。


漬け丼と悩んだがあぶり丼を注文。もれなくカマの煮付けがついてくる。


丼もカマもめちゃくちゃおいしかった!そら人気あるはずだわ。
骨と目玉だけを残してぷるぷるの皮も完食。魚をきれいに食べるのは自信がある(笑)


次にやってきたのは、神川大滝。駐車場に車を停めてすぐのところにあったこの滝。滝つぼにまっすぐ一本の水柱。
柱状節理が見られる岩はオーバーハングしていて滝裏にも回り込めるようになっている。いいね!

しかしこれは神川大滝でなく「神川小滝」だった(笑)。

このすぐそばに3階建てぐらいの展望塔も作られていたが、ヘタレなので階段を上るのはパス(苦笑)。


小滝と言ってもなかなか美形の滝じゃないの。これだけでも車を停めて立ち寄る価値はある。


そこから2~3分ほど歩いたところに本物の神川大滝があった。やっぱり大滝はすごかった!!


高さは25mとそれほど高くはないが、豪快に流れ落ちる水量はかなりのボリューム。苔むした柱状節理がビロードの
ひだのような陰影を作り出している。滝つぼはそそり立った岩に周囲を囲まれ、黒々して深そう。。。


そしてこの滝の特徴は、屏風のようにそそり立つ岩の足元から無数の細い滝が流れ出しているのだ!


伏流水が岩の途中から流れ出しているらしいが、カワイイ~~~!これらのミニチュア滝も実際は3mぐらいはあるだろう。


できればもっと近くまで寄って迫力を感じたいなぁ。と言っても実は滝つぼは怖いので(苦笑)、カヤックでなら!


あぁ、滝めぐりは楽しいな~


続く。
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みなとぴあと新潟港風景

2020-02-24 22:17:25 | 川・橋・船
2019年夏の新潟の続き。

これまで2〜3回新潟を訪れているが、みなとぴあは古町あたりからもちょっと距離があるので、まだ見れていなかった。
鍋茶屋ランチのあとに行ってみよう。今回は車があるのでらくらくアクセス。
みなとぴあはいくつかの建物からなる新潟市歴史博物館である。日本一長い川、信濃川の最下流のウォーターフロントにひろびろと
開けた公園をのんびり散歩する昼下がり。本当に気持ちよくて心まで広くなるような気がするなぁ~!
しかし・・・祝日あけの火曜日は休みだった。ガーン


本館は立派な近代建築に見えるが、二代目新潟市庁舎をイメージして再現された建物らしい。


新潟三越の向かい、現在NEXT21という建物がある場所にあった二代目庁舎は、1911(明治44)年に竣工、
1933(昭和8)年に焼失した 。なのでもちろん部材は新しく構造もSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造で、
全く同じ形でもないがなかなか気合入れて造ってある。2003(平成15)年竣工とは思えない外観。
キレイに改修済みの本物の近代建築と並べてあったら分からないと思う(汗)




一方こちらは1927(昭和2)竣工の旧第四銀行住吉町支店の「移築復原」だとか。


現在はレストランが入り、会議室や日本間の貸しスペースとなっている。・・・しかしここも外観のみ(汗)


真向かいにちょうど佐渡汽船のフェリーが停泊中。佐渡行きのフェリーって、何となくもっと小さな船をイメージ
していたが、こんなに大きかったのか!あぁ、これに乗って佐渡に行きたいなぁ。。。ちょっとまた計画しよう。


眺めていると、巨大なフェリーが海の方から煙を吐きながら入って来た。新日本海フェリーだな。
佐渡汽船より少し下流側に新日本海フェリーの乗り場がある。以前新潟港から「らいらっく」で敦賀まで乗ったことがある。
時間的に秋田から到着した便だろうな。


頭から入って来た「ゆうかり」はいったん動きを止め、同じ位置でぐるりと回転し始めた。


120度ぐらい回ったあと、バックしてお尻から埠頭の間へ入って行った。大きな図体なのに結構小回り利くなぁ~~♪


みなとぴあのもう1軒の建物、なまこ壁の蔵に塔屋を載せた擬洋風建築は、明治2年に造られた新潟運上所で、
1873(明治6)年に新潟税関となり、1966(昭和41)年まで使われた。
新潟は、1858(安政5)年の修好通商条約により開港した5港のうちの1つであり、唯一当時の税関庁舎が現存する。
日本を代表する港町新潟の象徴的な建物として、国重要文化財となっている。

荷揚げ場の川岸の石段も再現されている。

道路側に回ると、、、やっぱりここも休館。。。鉄柵越しに眺めるのみ。


さて、まちなかへ戻ってきた。前にも見た富士館は健在でうれしい!その隣の三業会館はなくなってたけど・・・(涙)


この壮大なモザイク壁画、永遠なれ!


見通しがよくなっていた一本裏側の筋に建つ小さなビルのファサードに目を引かれた。なんじゃあれは!?


タイルだ!リボンをクロスさせたようなデザインを、タイルで表現してある。面白いなぁ!!


「燕ビノ」?いや、「燕ビル」だな(笑)。昭和50年代ぐらいじゃないかな?


続く
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手結港可動橋を見上げる!

2020-01-14 23:42:16 | 川・橋・船
2019年秋の高知の続き。

爽やかな朝!!真っ青な海を眺めたりしながら、手結港可動橋へ向かおう。これは当初の予定通り。
私は橋好き、その中でも古い石橋・鉄橋、そして可動橋が好きで、これまでにもいくつかの可動橋を見てきた。
筑後川昇開橋長浜大橋末広橋梁東高洲橋、小天橋、もうなくなったが丸島橋など。本渡瀬戸歩道橋は
立ち寄る時間がなく車窓から見ただけだったな、、、
固定されてしまっているものではJR和田岬線が兵庫運河を渡る橋や、勝鬨橋も見たことがある。
しかし可動橋は古い時代のものだけでなく結構最近でも新しく作られている。


この手結港可動橋もそれほど古いものではない。
手結港自体は歴史があり、江戸時代初期から整備着手され1657(明暦3)年に竣工した古い掘り込み港湾である。
その入口に設けられたこの可動橋は2002(平成14)年に完成した。


袋状に引き込まれた港の入口はかなり絞られていて、対岸との距離は最小で10mぐらいだろうか。橋長は32mあるらしい。
踏切にあるのと同じ黄色と黒のバッテン印が橋の手前、道路に向かって立っている。私が着いた時橋は下がった状態で
車がバンバン通っていた。横の方に回って写真を撮っていると、ブザーが鳴り出した。あっ!開くの!?
実は、開閉スケジュールをチェックしていないまま来てしまったのだったが(汗)、ちょうど8時に開くようだ。
ラッキ~~


おぉ~~~見る間に開いていく。片手はスマホで動画を撮りながらカメラで写真を(笑)


全開して動きが止まった。70度ぐらいだろうか。丸島橋のように床がスケルトンじゃないので重そうだな。。。


そそり立つ橋の裏側が丸見え。


スタンバっていた1艘の漁船が颯爽と出て行った。


橋を開閉するのは、橋があると背の高い船が通れないので、船を通すためである。
すなわちそこが航路として日常的に使われているということであり、港が生きている証である。
日常的に定期的に開閉している現役の可動橋は新旧含めてもそれほど多くないだろう。その意味で貴重な橋だ。


さて、船が通ったらすぐ下りるのかと思いきや、一度上がった橋は9時まで開放状態のようだ。
その間車はこの橋を通れない。じゃあどうするのかと言えば・・・港に沿ってぐるっと回りこむ道があるので、
皆慣れた様子でそちらへ回っていく。しかしくねくね細い道なので対向車が来たら退避するのも苦労しそうだな。。。


自然な曲線を描く港の古い護岸がとても魅力的・・・こういう船だまりの風景が私は大好き。


ウキウキとうろつき回って写真を撮る。あぁどこを切り取っても絵になるなぁ~~~。無造作に置かれた生業の道具。
日々の営みの風景。あぁ何と美しいんだろう。水の青さがさらにフォトジェニックにしている。


私も港をぐるっと回って対岸の方へ行ってみよう。


うぉ~~~っ!!こちら側から見ると一段と異様な光景だ。まるでナイフが垂直に突き立っているよう。
通常水平で足もとにある道路が空中に高々と持ち上がっているのはとても不思議な感覚。。。


道路を歩いて近寄っても遮断機の手前までしか行けないが、その代わり横に展望台(?)があり、持ち上がった橋のすぐそばまで
寄れるようになっているのがうれしい。上から眺めるとこちら側から数mのところに支点があり、手前側が沈み込んでいるのが分かる。


ちょうど開く瞬間をここから眺めていたら、目と鼻の先でこのゴッツイ橋が空中へ立ち上がっていくのだ。
すごい迫力だろうな!!


今度は橋の左側へ行くと水際まで近づくことができ、橋の足元から見上げることができる。


沈み込んだ橋の端部も見える。開く瞬間をここで眺めるのもまたすごい映像に違いない。


う~ん、カッコイイ~~~


橋は毎日6回開閉する。観光用のアトラクションではなく、実用のためというのがいいなぁ!


あぁ、堪能した。今日は朝のうちにもう1ヶ所まちを散策する予定なので、橋が下りるのを待たずそろそろ行こう。


続く。
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吉良川の2つの橋

2020-01-09 22:07:19 | 川・橋・船
2019年秋の高知の続き。

吉良川のまちは、西の川と東の川という2つの川に挟まれたところにあり、南側は海に面している。
それによってまちの独立性が高まっているように思われる。


2つの川は完全に別の水系である。こちらは東の川。写真は対岸から吉良川の町を望んだところ。


片側の親柱に「ひか志乃かわはし」と書かれていた。東の川橋、そのままだ(笑)


もう一方の親柱には「昭和十一年五月架設」とある。幅は狭いが車も通る橋である。


そしてこちらが西の川。この橋は歴史的まちなみのメインストリート、旧土佐街道の延長上にある。
現在は歩行者・自転車用となっているが、これの下流側すぐのところに自動車用の橋ができるまで使われていた旧橋らしい。


親柱にも橋名は書いておらず(対岸側には書いてあったかも)、あちらが東の川橋なのでこちらは「西の川橋」
だろうと踏んでいたが、違うようだ(苦笑)。検索しても橋名が全く出てこないのだが、現在の国道55号の橋が
吉良川大橋なので、旧吉良川橋、だろうか。


洗い出し仕上げの親柱には「昭和十一年七月架設」とあった。東の川橋は5月、ほぼ同時期に造られたのだな。
この頃に何かあったのかとちょっと検索してみると1934(昭和9)年に室戸台風が襲来している。
お隣の奈半利町に上陸した室戸台風は同じく海沿いの吉良川にも大きな被害をもたらしたことだろう。
川の最下流にある2つの橋は復興事業で架け直されたものと想像する。


川幅が広いのもあり東の川橋よりも立派に見える。やはり吉良川のまちから土佐の中心地へ向かう側なので
通行量は格段に多かったに違いない。
賑やかに人が往来していた様子をしのばせる旧橋。引退後のんびりと余生を送っているように見える。


のどかな西の川の河口。


さて吉良川をあとにして西へ戻るように車を走らせていると、何か気になるものが!?いったん通り過ぎたが
引き返してきた(笑)


何だこれは!?鉄道の築堤のような盛り土が敷地の奥へと続いているが、石積みの土留めが崩れ土が流れ出している。
道路に面したコンクリートは橋台じゃないの?


しかし海沿いに走ってきたこの道路を跨ぐということは、海岸線に対して垂直ということだ。背後は山。
道路の反対側には橋台など見当たらない。突如現れたこの築堤が鉄道とすれば、ここからどこへ続いていたというのか。。。


築堤の脇は資材置き場のような平らな土地が開けていた。よく見ると、地面に2本の細い線が・・・
あっ、、これはトロッコのレールじゃないの!?山で切り出した木材を運んでいた森林鉄道だろうか。


帰ってからちょっと検索してみると、このあたりには魚梁瀬森林鉄道というのが走っていたらしく、現在まで膨大な
遺構が残っているようだ。ここもその遺構のひとつだろうか。
真偽のほどは不明だが・・・WEBの写真を見ていたらこの森林鉄道の遺構をめぐってみたくなった!
次回行く時はちょっと時間を取って見に行ってみよう~~


続く。
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八幡浜の港風景

2019-10-17 23:48:08 | 川・橋・船
別府からの続き。

あかつき丸に乗って豊後水道を横断、愛媛県の八幡浜へ渡ってきた。外は明るい。九州はあんなに雨が降ってたのに!?
海を渡ったら気候はずいぶん違うものだ。
ゆっくりと入江の奥へ入ってゆく。海に突き出した半島の段々のみかん畑はもうおなじみの風景。天然の防波堤に囲まれた
八幡浜港は穏やかな海。


おや、先客がいるな。向かいの岸壁にオレンジフェリーが停まっている。




「八幡浜-臼杵 おれんじ九州」。
オレンジフェリーは大阪~東予、神戸~新居浜の四国航路がおなじみだが、四国と九州を結ぶ航路もあるのだ。


以前臼杵から八幡浜へ渡ったことがあるが、この航路は2社が運航していて、私が乗ったのは宇和島運輸のフェリー、さくらだった。
この船も乗ってみたいな。もう一度臼杵へ行かねば。。。


あかつき丸もゆっくり着岸。岸壁に幅寄せする様子を眺めながら、ギリギリまでデッキで楽しむ。
おれんじ九州の舳先がパカッと上へ開いて甲板が垂直になっている。面白い構造だなぁ!
向かいの船を眺めるのにもデッキは絶好のスポットだ。


さてそろそろ下船するか。。。2隻の大きなフェリーがすぐ隣に並ぶさまはとても迫力があってワクワクする~~~




そしてその2隻に両側から挟まれるような地上の通路を歩くのだ!おお~~巨大な船腹に手が届きそう~~






この屋根がなければ2隻のフェリーが首を揃えているのをきれいに見通せるのだが・・・やっぱり屋根は必要か。。
せめて透明のポリカ製にしない?(苦笑)


あぁ八幡浜の港風景、なかなか飽きない。


ところでお昼を食べていなかったので、何かあるかなと歩いて行くと、駐車場を囲むようにきれいな施設が建っている。
物産品ショップや観光案内所や買い食いコーナーなどが集まった道の駅のような複合施設だ。
入ってみると、みかんジュースだけでもすごい種類の商品が並んでおり、その他にも特産品のみかんや海産物などを
原料として開発されたおしゃれでおいしそうな商品がたくさん。これはお土産選びが楽しいな!!


海産物の市場も併設されていて、入ってみるとこの時間ではほとんど終わりかけていたが、新鮮な魚や貝やエビなど・・・
バーベキューもできるようだな。


食堂ではいろんな定食がリーズナブルな値段で提供されている。私もここでランチにしよう。


これは何大福だったっけ??(汗)


みかん色のポスト。




小腹が満たされたら、八幡浜駅まで歩こう。ご飯を食べている間にあかつき丸は再び別府へ向かって出航したようだ。
「八幡浜港」と書かれた古い港のターミナルビル。昭和を感じさせるノスタルジックな風景。レストランマリンも気になる(笑)
手前の車線はフェリーに乗り込む車の列だ。


おれんじ九州はまだ停まっていた。待機している車の列は臼杵行きだな。


続く
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別府から八幡浜へ。あかつき丸

2019-10-16 23:30:16 | 川・橋・船
別府からの続き。

別府港から八幡浜行きのフェリーに乗る計画。
昨夜別府の宿では、降り続く雨に嫌気がさしてきて、もう八幡浜へ渡らずに別府から大阪へ戻るさんふらわあに
乗ろうかと、半分本気で考えていた。そしたら夜まで鉄輪でのんびりして、明日の朝は港から自宅にタッチ&ゴーで
出社すれば間に合う・・・しかし朝のバタバタもまた気が重いな・・・仕方ない、予定通りで行くか。。。

ということで朝からバスで山を降りて来たのだが、最寄のバス停で下車して岸壁を見ると、おお~~~っ!!
宇和島運輸のあかつき丸が停まっている。とってもスリムで船らしい形。カッコイイ!!テンション急上昇(笑)
あぁ、やっぱりこの船に乗るので正解!!雨はまだザーザー降っていたが、防波堤にもたれて写真を撮る。


赤いファンネル(煙突)が2本。


・・・あっそうだ、出航時間が迫っているんだった。締め切りは何分前だっけ!?早く行かないと乗り遅れる!!


小走りでターミナルへ向かう。15分ぐらい前に滑り込み、何とか間に合った。ふぅ~~




ターミナルの奥へ続く通路へ歩いて行くと、船の横へ出た。長い!!


別府~八幡浜航路は2時間45分。三津浜~柳井徳山~竹田津と時間的には大して違わないが、船の規模が全然違う。
しかも24時間運航、深夜便も含め1日6往復。やはり四国と九州の人やモノの行き来の量は多く、それだけ
つながりが深いということだ。まぁ、さんふらわあなど長距離航路の船に比べたら全然小さいのだが(笑)


ここのタラップには屋根がついていて、今日はやっぱりありがたい(苦笑)


宇和島運輸のロゴマークは見てのとおり「宇」の字。こういう単純明快な漢字のマーク、垢抜けないかもしれないが
私は好きだ。これまでずっと変えずに来たのはあっぱれ!これからも変えないでほしいなぁ~


船に乗り込んでデッキへ出ると、隣の岸壁に大阪行きのさんふらわあがいた。あちらは夕方の出航なのでまだのんびり。




このあかつき丸は短距離航路だが深夜便があることもあって、座席は基本雑魚寝部屋だ。でも徒歩客は少ないので
1人1区画使える贅沢~~


まもなく出航。荷物を置いて離岸を見に再びデッキへ。


ロープ1本、いや、前後にあるから2本か。この細いロープだけでこの巨体を岸壁に繋ぎ止めているのだ。
ロープを緩めてこれを外したら、船は離岸し港の外へと進んでゆく。




さよなら~別府港。


ロープを外した作業員の方が船に向かって礼儀正しくお辞儀しているのを見ると、やっぱり何かきゅーんとくるね。
あぁやっぱり船旅はいいなぁ、としみじみ思う。




まち全体が白く煙る別府をあとにして、あかつき丸は八幡浜へ向かう。


続く

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