2019年秋の高知の続き。
吉良川のまちは、西の川と東の川という2つの川に挟まれたところにあり、南側は海に面している。
それによってまちの独立性が高まっているように思われる。
2つの川は完全に別の水系である。こちらは東の川。写真は対岸から吉良川の町を望んだところ。
片側の親柱に「ひか志乃かわはし」と書かれていた。東の川橋、そのままだ(笑)
もう一方の親柱には「昭和十一年五月架設」とある。幅は狭いが車も通る橋である。
そしてこちらが西の川。この橋は歴史的まちなみのメインストリート、旧土佐街道の延長上にある。
現在は歩行者・自転車用となっているが、これの下流側すぐのところに自動車用の橋ができるまで使われていた旧橋らしい。
親柱にも橋名は書いておらず(対岸側には書いてあったかも)、あちらが東の川橋なのでこちらは「西の川橋」
だろうと踏んでいたが、違うようだ(苦笑)。検索しても橋名が全く出てこないのだが、現在の国道55号の橋が
吉良川大橋なので、旧吉良川橋、だろうか。
洗い出し仕上げの親柱には「昭和十一年七月架設」とあった。東の川橋は5月、ほぼ同時期に造られたのだな。
この頃に何かあったのかとちょっと検索してみると1934(昭和9)年に室戸台風が襲来している。
お隣の奈半利町に上陸した室戸台風は同じく海沿いの吉良川にも大きな被害をもたらしたことだろう。
川の最下流にある2つの橋は復興事業で架け直されたものと想像する。
川幅が広いのもあり東の川橋よりも立派に見える。やはり吉良川のまちから土佐の中心地へ向かう側なので
通行量は格段に多かったに違いない。
賑やかに人が往来していた様子をしのばせる旧橋。引退後のんびりと余生を送っているように見える。
のどかな西の川の河口。
さて吉良川をあとにして西へ戻るように車を走らせていると、何か気になるものが!?いったん通り過ぎたが
引き返してきた(笑)
何だこれは!?鉄道の築堤のような盛り土が敷地の奥へと続いているが、石積みの土留めが崩れ土が流れ出している。
道路に面したコンクリートは橋台じゃないの?
しかし海沿いに走ってきたこの道路を跨ぐということは、海岸線に対して垂直ということだ。背後は山。
道路の反対側には橋台など見当たらない。突如現れたこの築堤が鉄道とすれば、ここからどこへ続いていたというのか。。。
築堤の脇は資材置き場のような平らな土地が開けていた。よく見ると、地面に2本の細い線が・・・
あっ、、これはトロッコのレールじゃないの!?山で切り出した木材を運んでいた森林鉄道だろうか。
帰ってからちょっと検索してみると、このあたりには魚梁瀬森林鉄道というのが走っていたらしく、現在まで膨大な
遺構が残っているようだ。ここもその遺構のひとつだろうか。
真偽のほどは不明だが・・・WEBの写真を見ていたらこの森林鉄道の遺構をめぐってみたくなった!
次回行く時はちょっと時間を取って見に行ってみよう~~
続く。
吉良川のまちは、西の川と東の川という2つの川に挟まれたところにあり、南側は海に面している。
それによってまちの独立性が高まっているように思われる。
2つの川は完全に別の水系である。こちらは東の川。写真は対岸から吉良川の町を望んだところ。
片側の親柱に「ひか志乃かわはし」と書かれていた。東の川橋、そのままだ(笑)
もう一方の親柱には「昭和十一年五月架設」とある。幅は狭いが車も通る橋である。
そしてこちらが西の川。この橋は歴史的まちなみのメインストリート、旧土佐街道の延長上にある。
現在は歩行者・自転車用となっているが、これの下流側すぐのところに自動車用の橋ができるまで使われていた旧橋らしい。
親柱にも橋名は書いておらず(対岸側には書いてあったかも)、あちらが東の川橋なのでこちらは「西の川橋」
だろうと踏んでいたが、違うようだ(苦笑)。検索しても橋名が全く出てこないのだが、現在の国道55号の橋が
吉良川大橋なので、旧吉良川橋、だろうか。
洗い出し仕上げの親柱には「昭和十一年七月架設」とあった。東の川橋は5月、ほぼ同時期に造られたのだな。
この頃に何かあったのかとちょっと検索してみると1934(昭和9)年に室戸台風が襲来している。
お隣の奈半利町に上陸した室戸台風は同じく海沿いの吉良川にも大きな被害をもたらしたことだろう。
川の最下流にある2つの橋は復興事業で架け直されたものと想像する。
川幅が広いのもあり東の川橋よりも立派に見える。やはり吉良川のまちから土佐の中心地へ向かう側なので
通行量は格段に多かったに違いない。
賑やかに人が往来していた様子をしのばせる旧橋。引退後のんびりと余生を送っているように見える。
のどかな西の川の河口。
さて吉良川をあとにして西へ戻るように車を走らせていると、何か気になるものが!?いったん通り過ぎたが
引き返してきた(笑)
何だこれは!?鉄道の築堤のような盛り土が敷地の奥へと続いているが、石積みの土留めが崩れ土が流れ出している。
道路に面したコンクリートは橋台じゃないの?
しかし海沿いに走ってきたこの道路を跨ぐということは、海岸線に対して垂直ということだ。背後は山。
道路の反対側には橋台など見当たらない。突如現れたこの築堤が鉄道とすれば、ここからどこへ続いていたというのか。。。
築堤の脇は資材置き場のような平らな土地が開けていた。よく見ると、地面に2本の細い線が・・・
あっ、、これはトロッコのレールじゃないの!?山で切り出した木材を運んでいた森林鉄道だろうか。
帰ってからちょっと検索してみると、このあたりには魚梁瀬森林鉄道というのが走っていたらしく、現在まで膨大な
遺構が残っているようだ。ここもその遺構のひとつだろうか。
真偽のほどは不明だが・・・WEBの写真を見ていたらこの森林鉄道の遺構をめぐってみたくなった!
次回行く時はちょっと時間を取って見に行ってみよう~~
続く。
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