まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

イタリア軒のステンドグラス

2020-02-26 22:11:14 | ディテール
2019年夏の新潟の続き。

友人との充実した新潟の旅もそろそろエンディングが近づいてきたので、最後にホテルイタリア軒でお茶することに。
ちなみに私たちが泊まったのは別のビジネスホテルだけど(笑)


現在のイタリア軒の外観はこんな感じで特に惹かれるわけでもない。


タイル貼りの壁の中央にぽつりとひとつ配されたクアトロフォイル(四葉型)の窓。写真を拡大して見ると、グリルが
はまっているようで、その上にステンドグラスのような飾りがついているが、地上から見ても全く何か分からず(汗)。
こんなだから、「イタリア軒」という名前以外全く気にも留めていなかったのだが、、、友人の案内で中へ入ると
歴史あるホテルの忘れ形見がそこここに。


ロビーの一角に昔の建物に使われていた美しい照明器具が飾られていた。ちゃんと灯りが点っているのがいいね!
こちらは旧館(3代目建物)の宴会場のロビーの通路に吊り下げられていたもの。


旧館のメインロビーから2階へ続く階段の親柱の上に載っていたドーム型の照明。


こちらは旧館のロビーに吊り下げられていたステンドグラスのペンダント照明。




GHQに接収され指令本部としても使われた旧館3階大宴会場の、ロビーのシャンデリア。現在はスタンド型に
加工されテーブルの上に。


丁寧な作りに見入ってしまう。


イタリア軒は、イタリア人コック、ピエトロ・ミリオーレが開いた日本で最初期の本格的西洋レストランだった。
この初代イタリア軒は、ミリオーレが最初別の場所で開いていた牛鍋屋が大火で焼失したあと、1881(明治14)年に
現在地に建てられた。ハイカラな気風の港町新潟で店は大変繁盛し、瀟洒な洋館は「新潟の鹿鳴館」とうたわれたとか。


1920(大正9)年にイタリア軒は株式会社となり、1923(大正12)にコンクリートとレンガ造の2代目に
建て替えられた。


2度目の火事のあと1931(昭和6)年に再建された3代目の建物は、昭和48年まで使われた。
そして1976(昭和51)年にホテルとして生まれ変わり、4代目となる現在の建物で営業を続けているイタリア軒。

新潟港とともに積み重ねてきた歴史を大切にしながら、新しい「新潟の食と文化の発信基地」をテーマに
地の食材を使った、懐かしくも新しい料理を提供されている。 →ホテルイタリア軒公式サイト「イタリア軒の創設秘話

ウェディングのカウンターのあるフロアにはこんなステンドグラスの衝立が。


さっきの照明器具のところに展示されていた古い写真で、このステンドグラスが2階から続く階段の踊り場の壁に
写っていた。




ステンドグラスを見たあとにようやくカフェへ行ったら、カフェタイムが結構ギリギリ(汗)


店内にも移設したと思われるステンドグラスがあちこちに。


大きな鏡の中央にはめ込まれた、クアトロフォイルをモチーフにしたデザインのステンドグラス。


こちらの窓型の枠にはまったステンドグラスは、窓から眺める風景をそのまま表したデザイン。


ヤシの木が生える海辺の風景は南イタリアだろうか。行ったことないけど(笑)




レストランのお兄さんはとても親切で、写真撮影を快諾してくれ、冊子も頂いた。
今回は時間がないのでスイーツとお茶だけだったが(汗)、次回は是非ともビーフカレーを食べてみたいな!


ところでちょっと似つかわしくないこんな水槽がロビーに置かれていた(笑)。中にはちょっと小ぶりなニシキゴイが!!
新潟県は錦鯉の養殖の歴史が長く、江戸時代中期頃にマゴイの突然変異種を観賞用に養殖し始めたのが発祥とか。
2004年の新潟県中越地震では養殖池が壊れ大量の鯉が死んだというニュースを覚えている。
「泳ぐ宝石」錦鯉は、県内に散在する大邸宅の庭園の池を彩ってきただけでなく、日本中、海外にも輸出されてきた
新潟県の誇るべき産業なのである。

子供の頃、お祭りの金魚すくいで白い金魚ばかりすくって帰って水槽で飼っていたら、全部鯉だった!数年生きて
20cm以上にまで立派に育ったが病気が蔓延して死んでしまった。。。
今はもう飼えないが、池の鯉には必ず声をかけるし(笑)結構好きなので、一度養殖池を見学してみたいな。
そんなことを思い出させるこの水槽は十分PR効果があるな!(笑)

続く

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