まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

2018.7.13~17 台湾、金門島タイル三昧の旅 もくじ

2018-09-19 23:56:53 | Weblog
台湾の金門島は澎湖島と共にタイル好きにとっては憧れの地である。日本統治時代に入ってきたマジョリカタイルが
使われた古い建物がたくさん残っているのだ。
(※台湾では「マジョリカタイル」と呼ばれないが、日本でこの種のタイルを指す一般的な呼び方であるこの名称を使用)

澎湖島は2009年に行っているので、金門島もいつか行きたいと思っていたのだが、今年1月に嘉義にある
台湾花磚博物館を訪れて、館長の徐さんに、実際にタイルが使われている嘉義近郊の古民居を案内してもらったことで、
タイル熱がこれまで以上にヒートアップし、夏休みに金門島行きを実行しようと、早々にチケットを押さえたのだった。


金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (1)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (2)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (3)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (4)
金門島でタイル三昧 瓊林 Qionglin (1)
金門島でタイル三昧 瓊林 Qionglin (2)
金門島でタイル三昧 浦邊 Pubian
金門島でタイル三昧 后浦頭 Houputou
金門島でタイル三昧 沙美 Shamei
金門島でタイル三昧 陽翟 Yangzhai
金門島でタイル三昧 碧山 Bishan (1)
金門島でタイル三昧 碧山 Bishan (2)
金門島でタイル三昧 山后 Shanhou
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (5)
金門島でタイル三昧 烈嶼(小金門) Lieyu (1)
金門島でタイル三昧 烈嶼(小金門) Lieyu (2)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (6)
金門島でタイル三昧 珠山 Zhushan
台北駅周辺の風景
台北近郊のタイルめぐり
台北近郊のタイルめぐり 2
瀬戸の敷瓦に会いに、三峡へ。
三峡老街を12年ぶりに再訪。
三峡老街の裏手を歩く。
リベンジ!剥皮寮

国内線の松山~金門の小さな飛行機は常に満席がちであり、天候により欠航や遅延が多いらしい。、
飛行機や宿がネットで予約できるようになったのはほんとに便利になったものだ。しかしやっぱり島内の事情がイマイチ
よく分からず、フェイスブックのグループや友人に聞いたりして少しは情報を入手したが、結局頼りは自分の眼と足。
いつも私の旅のスタイルは、現地での情報収集が基本で、今回もやっぱり行き当たりばったり、臨機応変に、思わぬ出会い、
発掘、開拓を楽しんだ。
後半の三峡ではまた超レア物件を見ることができたし、今回も、最高に楽しい旅となった!
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リベンジ!剥皮寮

2018-09-18 19:43:11 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

最終日、三峡から台北に戻ってきてからまだ少し時間があるので、剥皮寮へ行ってみることにした。
ここも友人に教えてもらったスポットで、実は昨日の午前中にも一度来たのだが、月曜日で休館だった。
ショック。。。結構長い距離を歩いて来たのに・・・ということで、リベンジ!


剥皮寮は、現在の萬華区の、康定路・広州路・昆明街に囲まれた地域を指し、石炭の集散地であった「土炭市」に
ほど近い場所だったため商業が盛んだった。台北市内で清代のまちなみが最もよく保存されている地域のひとつだとか。


その名前からちょっとおどろおどろしいイメージを勝手に持っていたが(笑)、捕まって皮を剥がれるようなことは
全くなかった(爆)
もともと清代には「福皮寮街」と呼ばれていたのが、似た音の「剥」皮寮と呼ばれるようになったらしい。


広州街に面した建物は、亭仔脚(アーケード)をもち隣と壁を共有する長屋型式で、独立したファサードデザインは
日本統治時代の流行であったバロック式の豪華な装飾は少なく、装飾はあっても比較的シンプルな形だ。
清代のまちなみと言うよりどちらかというとファサードはその後適宜更新されてきたもののように思える。






日本統治時代の都市計画で剥皮寮の敷地が隣接する老松小学校の用地とされ、開発が抑制されたことにより、
昔ながらのまちなみが残った。
これは隣接する老松國小。連続アーチが素敵。


東西に長い剥皮寮は運営が2つに分かれているようで、西半分はアートスペースなどとして使われていた。


まず西半分から見ていこう。空き室も多いが、建物そのものをじっくり見ることができる。


これは西門や台北城壁の構造と同じような「條石」を積み重ねた構造だな。まちなかの民家の壁もこのような石積みが
使われていたのか。レンガ造か木造と思っていたが。


剥皮寮の一角を康定路173巷という路地が貫いている。※写真は昨日来たときのもので「今日休館」の文字に愕然(汗)


裏通りであるこの路地から、大通りに面した店舗の裏側を見ると、表側とは全く違った表情が見られて面白い。
各店舗自由奔放に行われた改修増築も斬新でファサード以上に多様だ。




剥皮寮のある、旧台北城の西側エリアの発展の歴史にスポットを当てた展示が行われていて、古地図や日本統治時代の
都市計画図などいろいろ展示されており興味深く見る。
台北の市街地の起源とも言える艋舺(現在の萬華)と、その後発展した大稲埕に挟まれた西門町の場所は長らく
湿地帯であったが、日本統治時代に台北城内と共に開発が進められ、城壁が撤去されて加速的に市街地化が進んだ。
この地図では、西門エリアが淡水川の蛇行跡だったことがはっきり見て取れる。


また別の部屋で行われていた展示がめちゃくちゃ面白かった。まず北門周辺の景観の変化を写真で比較してある。
昨日そのあたりを歩いて、青空をバックに堂々と立つ北門を見ていたところであり、今まで全く印象に残って
いなかったことをちょっと不思議に思っていたのだが、この写真を見て納得。そう言えばこのあたり、道路が
立体交差していたんだったか。だからその先へあまり行く気にもならなかったんだな。北門も窮屈そう。
高架道路車には便利だが、地上を歩いている人にとっては急に見通しが悪くなり暗くなるので、高架の側道はあまり
気持ちのいいものではない。


それが、高架道路が消えて今のような明るく広々した道路空間に変貌!!すごい変わりよう。


工事中の写真もあって、かなり大掛かりな工事だったようだ。




そして高架を取り除く工事のプロセスをCG映像で表現してあったのだが、これがめちゃくちゃ面白いのだ。
台北駅の少し西側から淡水川までの間が高架道路になっていたが、工区ごとに違った工法が取られた。


高架の桁を分割してクレーンで下ろし撤去する作業が、CGアニメーションではあっという間に進んでいく。


北門付近ではまず北門を防護する壁が作られた上で作業が行われた。
実際交通のある大交差点のど真ん中での作業であり、かなり困難な工事だっただろうと想像する。

調べてみると、何とこの工事は2016年の旧正月中に突貫で行われたらしい。そして「北門広場」は2017年の
7月末に竣工したばかりだった。ははぁ!あのあたりの風景が新鮮に感じられたはずだな!

これにより北門は再び日の目を見ただけでなく、台北の、台湾の新たなランドマークとなった。
台北郵局と鉄道部の華麗な建物が晴天の下向かい合い、市民や観光客が歩きながら台湾の歴史に思いを馳せることができる
スポットとなったのだ。素晴らしい!!
あぁ、すごいことを短期間のうちにさらっと実現してしまう台湾。日本でも東京の日本橋の上の高速道路を撤去する
計画だが、台湾は1歩も2歩も先に進んでいる!

工事中の写真が載っているサイトを見つけた。いかに大工事だったかが実感できる。高架ができる前の写真も。→こちら

他にも、台鉄の線路が地上にあった時代の風景写真なども展示されており、興味津々!
これは1989年の写真。台北駅のホームがまだ地上にある。すでにホームの一部が廃止され地下化工事が進んでいる。


これは鉄道部の建物の目の前に踏切があった1940年代の写真。蒸気機関車が走っている。あぁ、すごい風景!
先日の「台北駅周辺の風景」の記事に載せた写真とほぼ同じアングルだ。


この展示室だけでずいぶん長いこと滞在してしまった(笑)。いや~面白かった。この展示を本にして持ち帰りたいぐらい。


TRレンガが敷き詰められた中庭スペース。


東半分は「台北市郷土教育中心」となっており剥皮寮の歴史や昔の暮らしなどについて、子供が遊びながら学べる
しかけがいろいろ工夫されていて、こちらも親子連れなどでとても賑わっていた。


古い建物をリノベーションして生かすことがほんとにうまいなぁ。どんどん街が楽しくなる。
あぁ、リベンジで再訪してよかった!


おまけ。剥皮寮の近くで見つけた素敵なタイルたち。





宿に戻り、新しくできたMRT空港線でスイ~っと帰途につく。
あぁ、何度来ても新たな発見がある。来るたびに好きになる台湾。また来よう!

終わり。
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三峡老街の裏手を歩く。

2018-09-17 19:22:47 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

三峡老街をうろついたあと、ちょっとそれた裏の方へ行ってみると、川石を積んだ塀に囲まれた教会があった。
台湾基督長老教会三峡教会。


手前に塔屋が建ち、左側にあるのが比較的古い建物で礼拝堂のようだ。三階は後の増築だろうな。


日本統治時代の建物なのかそれとも戦後(光復後)のものなのか、素性は分からないが、中を見学してもいいかと
事務所に声をかけたら快諾していただいた。


1階は集会所のような部屋だった。部屋のなかには円柱が立っていてシンプルなRC構造のようだが、窓は木のサッシで
十字のデザイン。ちなみに、台湾ではスチールサッシは錆びるため早くに使われなくなったらしく、光復後の
建物でも長らく木製サッシが主流だったようだ。


窓ガラスにはチープな模様入りのシートが貼られているのが何とも飾らず庶民的(笑)。




2階へあがってみると、一応ここが礼拝堂なのだろうが、神妙な雰囲気は全くなく、普段着感覚の教会だった。


尖塔アーチの窓が並ぶ。


検索してみると、現建物は1952年完工と書かれた個人のサイトがあった。
青少年向けの各種活動なども行われているようだ。


三峡教会の向かいにあったビルのタイル。


ぐるっと回って川沿いの道を歩くと、丸い川石積みの外構が見られる。
そしてこんなのも。水利局の標柱の防護に自然石が埋め込まれている。かわいい~~~(笑)


一見なんてこともない萬寿橋、表面は洗い出し仕上げだが、骨材にカラフルなガラスのカケラも混じって、キラキラ!
ほんと台湾人ってなんてラブリーなんだろう、普通に。




電信のハンドホールの蓋もこんな素敵なデザイン!円形柱頭と瓶形柱頭、これは、老街のバロック風商店建築の
両端についている装飾のことだろう。これを老街の象徴的に取り上げてデザインするとは。


ここは老街のちょうど裏側。まだこんな廃墟もあったのか。元は立派な洋楼だっただろうが、木の生命力に負けて
人間は復旧を断念したのだろう(苦笑)


三峡橋のアーチがきれいに見えた。
背後にはマンション群。環境がよくほどよい活気もあり住みやすい場所なのだろうな。


小さな廟があったのでちょっと休憩。小さいけど美しい廟。




路地を入ると家が雁行に配置されていてちょっと面白いまちなみ。


路地裏にはすでにおしゃれなお店もできていた。国産の豆で作った無添加の豆腐や豆乳を売っているお店のようだ。
ちゃんと目をつける人は目をつけるんだな!


あぁ、MRTとバスを乗り継いで1時間半ぐらいかかったけど三峡に来てよかった。
12年前にここ三峡と併せて行った大渓のまちも、ここからバスが出ているようなのでついでに行ってみようかと
少し考えたが、帰りのルートも調べていないし万が一戻るのが遅れて帰りの飛行機に間に合わなかったりしたら
致命的なので、今回は諦めてまた次の機会に訪れることにしよう。

ちょっと早いが台北へ戻る。

続く
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三峡老街を12年ぶりに再訪。

2018-09-16 21:11:30 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

異国で出会った古い本業敷瓦に興奮しすぎてしまったが・・・
ほど近いところにある三峡歴史文物館へ。ここは前にも来たことがある。抜けるような青空を背景にして美しさが際立つ!


これは日本統治時代の1929年に稱庄役場として建てられた建物で、1986年までは役場として使われていたそうだ。


三峡は淡水川の水運を利用し木材や茶や樟脳などの集散地として日本統治時代に大いに栄えたまちであり、
華やかな役場の建物を見るとその頃の三峡がいかに重要な場所だったかが窺い知れる。

歴史文物館の入場は無料で、1階では藍染作品の展示などが行われていた。
三峡は古くは三角湧と呼ばれ藍染の盛んなところでもあった。藍の原料となる大青が栽培され、淡水川の水を
利用してさかんに行われた藍染は清代が最盛期だったが、近代化と共に廃れていったようだ。
伝統的な藍染文化をよみがえらせようと活動している人々がいるのは素晴らしいことだな。


さて、次に老街を見に行こう。
以前来た時はちょうど修復工事の真っ最中だった。今見てみると2006年、2回目の時だったようだ。


がらんどうだった老街はレトロな雰囲気を残したままきれいに修復され、お店がぎっしり入りすっかり人気の観光地として
定着している。


バロック風の装飾壁も健在。


油屋さんだった建物は老街のシンボル的存在。


建物は作られた当時と同じようにレンガやモルタルを使って最小限の修復に留められているのが素晴らしいな。






わざとらしい古びの細工をしなくても、すでに10年の年月を経てすっかりなじんだまちなみ。


亭仔脚の天井は、古いまま残っているところはほとんどは丸太の梁に板を渡したシンプルなものだが、
まるで洋館の天井のようにこんな凝ったデザインも1ヶ所あった。


お店の目の前に古い井戸がど~んと(笑)。これもあえて残すとは面白いなぁ!


老街の裏手に藍染公園というのがあった。古いトロッコなどが展示してあり、藍染の作業場があった場所なのだろうか。




隣接して金興居という建物があるようなので見に行く。レンガ造りの伝統的な閩南式合院建築で、修復されたものらしい。
公開しているのかと思って近くへ行ってみたが生活のにおいが。どうも普通に人が住んでおられるようだな。。。


金興居の石垣はこんな赤みを帯びた石が積まれていた。目地は埋められておらず古いままのように見える。
何石というのだろうか。




赤瓦を貼った民居の壁。美しいなぁ!


老街に戻り、ちょっと休憩しよう。。。爽やかな空だが実は暑くてたまらない(汗)。氷を食べてほっとひと息。。。


その店も古い建物で、雰囲気に合わせてレトロなポスターなどが飾ってあったが、私が座ったカウンター席の前の壁に
昔のマッチコレクションが展示してあった。


氷を食べながらそれを眺めていると、すべて中国語なのだが、果物の絵の入った「千疋屋」という店や、
見覚えのある鶴丸印のレストランのマッチが目に入る。


「日本料理銀座」「純日本料理浅草(あさくさ)」、「莎慕莉(サボリ)」「阿波踊」という飲み屋や、「富士食堂」
なんかもある。
「アリナミンF」や「雪印ネオミルク」はさすがに店の名ではなく、マッチは商品につけられたオマケだったのだろう(笑)


これらのマッチコレクションはどんな人が集めていたのだろうか。夜な夜な飲み歩いていたサラリーマンか、
接待に余念のない個人商店主か、接待を受けていた役人か、、、(笑)

敗戦後日本は、家や店を台湾人に譲り渡して引き上げたと聞くが、台湾人は店の名もそのままに営業を続けたりも
したのだろうか。これらのマッチを見ていたら、日本と同じような台湾の高度成長期の熱気溢れる空気が
伝わってくるようで、自然と頬が緩んでくるのだった。

続く
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瀬戸の敷瓦に会いに、三峡へ。

2018-09-15 23:18:22 | ディテール
台湾の続き。

今回台湾へ出発する直前、タイル友の会きっての情報通メンバーから、すごい物件を見つけたという連絡が。
リンクされた記事を見ると、台湾の三峡にある歯医者さんの建物の床に、瀬戸の印花文の敷瓦がびっしりと!
うわぁ!!これはすごい!!瀬戸の敷瓦が海外にあるとは。寺院などでなく民間の建物に!?しかもこんなに大量に!!
中国語の記事なので正しく理解できているかわからないが、どうも日本統治時代の民政長官官邸にあったものが
再利用されたようだ。シロアリの害により1923年に和館が解体されたときに、三峡の医師陳文贊氏が当時医院を
建てるために部材を買い取ったとか。

・・・しかしこの記事、これは江戸末期から明治初期に瀬戸で作られた本業印花文敷瓦であるとか、日本でも多くなく
貴重だとか、台湾ではほとんど知られていないマイナーな本業敷瓦にも関わらず情報がとても正確だな。

私はタイルの中でも特に湿式のタイル、敷瓦が好きで、湿式のタイルが輸出された(本土以外で使われた)例があるのか
どうかとても興味があったので、もう心をわしづかみにされてしまい、金門島の後台北に戻ってから三峡へ行くことを
即決したのだった(爆)

出発前に、台湾に住む友人(日本に帰省中)に、そこの所有者にアポイントを取りたいのだけどと相談していて、
三峡の近くに住む彼女の友人に聞いてくれたところ、なんと、もうすでになくなったとの情報が!?ええ~~っ!!
ほんとに!?いや信じたくない、何かの間違いだろう、この目で確かめたい。もし壊されていたら、あの敷き瓦は
どうなったのか現地の人に聞いて確認したい!と言うわけで、台湾最終日の朝から三峡へ向かったのだった。


三峡は十数年前私が台湾に行きだした初期の頃、先述の友人に車で連れて来てもらったことがあり、その時老街は
再生工事の真っただ中だった。

美しいアーチの三峡橋。

その後一度も来ていないので老街の変貌も見てみたかったが、今はとにかく敷瓦を確かめるのが先だ!


件の歯医者、三峡救生医院があるのは老街から少し離れた場所。角を曲がったところに建物があるはず、、、
あぁ、それとも空き地か、ピカピカの建物が見えてくるのか・・・祈る思いで角を曲がると、、、おや、空き地はない。
古そうなレンガ造りの建物が建っているが、あれではない。


しかし・・・その隣に建っている三階建てがそれじゃないの!?ドキドキする胸を押さえつけながら半信半疑で近寄る。
いやいや、もしかしたら外観は変わっていなくても中はすっかり改装されているってことも。。。




急いで左隣の営業中の医院へ行き、受付の女性にスマホでネット記事の写真を見せ、このタイルは今もありますか、
あれば見たいと告げると、診療中の先生に伝えてくれた。
残念、もうないんだって、と言われるかとハラハラしながら待っていると、白衣を来た恰幅のいい先生が出て来てくれて、
こっちへと手招き。えっ、あるのか?
歯医者の受付に面した真新しいギャラリーへ入って行き、奥のドアを開けると、、、ガランとした古い建物が。
ここはさっき外から見た建物だ。


うわっ!!部屋の中央が土間になっていて、その周囲の部分に、四半貼りされた本業敷瓦が~!!


あぁ何と!古い印刻の本業敷き瓦がみっしり貼られているのは日本でも数ヶ所しか知らない。それはいずれも宗教施設で
ほとんどが非公開である。それが海を渡った台湾の、民間の建物に、こんな無造作に、敷き詰められているなんて!


さすがに長年の間踏まれてほとんどの敷き瓦は表面の釉薬は剥がれていて、また埃をかぶっているので、色がはっきり
わからないが、よく見ると織部釉のようだ。白色の志野釉のものと、市松状に並べられている。


建てられたのは陳先生のお祖父さんで、今はお兄さんの所有になっているそうだが、写真を撮ることも快諾していただけた。
興奮しすぎてどこをどう撮っていいのか分からないのだが(汗)、先生が診療を抜けて来て下さってるのが気になり
手早く何枚か撮る。
しかし陳先生はうれしそうで、これは古い日本のタイルだよ、日本でも珍しいものでとても貴重なんだよ、と説明してくれる。

興奮の度合いはもうMAX!メーターが振り切れそうにエキサイトしている私を見て、こっちへおいでと、
今度は診療室とその奥のプライベートスペースを通り抜けていく。診察台で待たされている患者の横を通る時は
さすがに恐縮してしまったが・・・(苦笑)
裏の階段から二階へ。そしてドアを開けると、、、うわーここにも!?


なんでも、前面道路が拡幅されたときに、正面の壁をセットバックして移設したといい、その部分に貼られていた敷瓦を
剥がして、住まいの2階に作った剣道場のアプローチに貼ったのだとか。素晴らしい!!
そしてその時セットバックで面積が減った分、古い建物の3階部分を上乗せして、今のような面白い形の建物になったのだ。




おそらく、このセットバックの工事が、建物が解体されたとかいう情報の錯綜の原因と思われる。
そのとき取り外したタイルの余りを近所の人に記念に数枚あげたのかもしれない。


2階にあるのは比較的状態のよいものが多く、色もはっきりわかる。織部、志野、これは色が薄いが飴釉だろうか。


お祖父さんは日本世代の生まれで、李登輝元首相と同級生だったといい、日本の払い下げ情報を素早くキャッチ
できたのだろうか。剥がして台北から運んで貼るのに当時2万円かかったと陳先生は言われていた。
いやぁーしかしお目が高い!!

もうずいぶん前に大学の先生が調査に来て論文を書いて、テレビニュースにもなったのだとか。ははぁ、やっぱりそうか。
この敷瓦の価値が早くに認識されてよかった!

受付に戻り、お礼を言って出ようとした時にまた先生が診療室から出て来られ(ほんとにお仕事中お邪魔してすみません)、
ちょっと待って、と。あなたはすごく興味があるみたいだから、タイルが1~2枚残ってたはずだからあげるよ、と。
ドヒャー!!?そんな、そんな、、、いいんでしょうか!?あぁ、今思い出しても興奮してくる(爆)


美味しいお茶を飲みながらお話を聞かせていただき、そして端の方に使っていたと思われるカットされた敷き瓦のかけらを
2つ、包んで持たせて頂いたのだった。。。
あぁ何という親切。毎回毎回、台湾人の親切には心を揺さぶられる。もう、感動が止まらない。


ところでこの話には後日談がある。帰ってからネットで調べたところ、この敷瓦を調査されたのは台湾在住の
堀込憲二先生だった。堀込先生は建築史や風水やランドスケープを専門とされていて、広い分野で活躍されている。
私は、昔台湾の鶯歌の博物館で開催されたマジョリカタイル展の図録に文章を書かれていたのを見て10年ほど前に
そのお名前を知り、著作である『中国人のまちづくり』という本を買って読んだところめちゃくちゃ面白くて、
超お気に入りの本となっていた。
この三峡の敷瓦についての論文はネットでは公開されていなかったが、どうしても読みたくてメールを送ったところ(爆)、
何と、ちょうど今日本に来ているので会ってもいいとの返信が!もちろん万障繰り合わせて駆けつけたのであった(笑)。
それで三峡の敷瓦の調査についても詳しくお話を聞かせていただき、その他にも研究のお話や台湾の話などいろいろ
お聞きして夢のような時を過ごしたのであった(笑)。敷瓦が縁で堀込先生にお会いできるとは!!そして後日論文も
送ってもらい、全編中国語だったが何とか読破した。いや~~ほんとに面白い!!タイル熱は最高潮に高まった!

続く
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