まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

岩手旅 宮澤商店のレンガ蔵

2021-04-28 22:38:41 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

まちの北側の少し小高いところに花巻城跡があり、城下の町とは少し高低差がついている。
元の城内は公園のほか学校や官公庁などになるのが常だ。ここも例にもれず小学校、幼稚園、体育館、市役所、
裁判所などが集まっている。


城に近いところには武家町が造られる。丘のふもとにあったこのお屋敷もそんな武家屋敷の名残だろうか。
しかし奥深くて様子すらうかがえない。


花巻城のふもとから、豊沢川までの間に町人の町が広がっていた。花巻は戦災にあっているためまちなみは
昭和だけど、ぽつぽつと古い蔵などが残る。




ビジターセンターあたりに戻ってきて、そろそろ花巻の建物めぐりも終わりにしようか、、、まだちょっと
時間があるけど、いつもギリギリになるからちょっと早めに空港へ行っておこうかな。・・・と車に乗り込んだが
少し外れたあたりに宮沢賢治の生家であるという宮澤商店があるのを見忘れていたので、戻る(笑)。

道を渡って行くと、おや、中国パブの派手なピンクの看板のついたこのビルもなんか気になるぞ。
正面の三角破風はあとからつけた飾りだろうが、ビル自体は古そうだ。




近寄ってみるとやっぱり、間違いなく近代建築ビルだ。入口付近は全く元の姿をとどめていないが、側面に
並んだ縦長窓を見ると銀行建築の雰囲気だな。しかし花巻の銀行建築でネット検索しても出て来ない。。。


裏には民家のような和風の建物がくっついていた。裏は住まいなのか・・・?




さて数軒隣の宮澤商店(写真奥)は宮澤賢治の母イチの実家であり、1896(明治29)年、イチはここへ
里帰りして賢治を出産した。「賢治誕生の家」「賢治産湯の井戸」として観光マップにも載っている賢治ゆかりの
スポットである。


もう夕方5時近かったが木扉が半分開いていて事務所もまだやっていたので、終業時間間際に悪いなと思いつつ
ちょっと敷地に入って見学してもよいかと尋ねたところ、わざわざ出てきて案内して下さった。


こちらが産湯の井戸。花巻の鍛冶町地区は豊沢川の伏流水が地下を流れているため各家に井戸があり水が豊富に
湧いていた。


ふたを開けてつるべを引き上げて見せて下った。白っぽい石(大型のレンガ?)が積まれた大きな径の井戸だ。


敷地内には蔵も残っている。花巻も空襲を受けたが宮澤商店は戦災を免れたらしい。
宮澤商店は砂糖、小麦粉、雑貨、灯油などを扱い、専売品であった塩やたばこも扱っていた。
それぞれの品を分けて保管するためにたくさんの蔵が必要だったのだろう。


奥の白い3階建て(?)のレンガ蔵がさっきから気になっていた。


何でこんな白いんだ?耐火煉瓦でもないだろうが、、何か塗ったのだろうか。ペンキではなくちょっと粉っぽい感じ。
うす茶色の部分もあるので、鉱滓レンガなのだろうか。


明治時代の築というレンガ蔵は窓に重厚な鎧戸がついていてドアもまるで金庫のようだ。さっきの土蔵とは
格段に違う防犯性。これは専売品であるたばこや塩用の蔵だったのか、それとも、家のお宝をしまっていたのか。
そのときいろいろとお話を聞いたのだが時間がたちすぎて忘れてしまった(汗)


白い蔵の一部が灰色に汚れているのは、戦時中に防空色に塗装した名残だという。


このあたりのレンガを見ると白い色はしっかり焼き付いたように見え、塗ったようにも思えないのだけど・・・




敷地の一番奥には小さなレンガ倉庫があった。これは油の保管庫だったと言われていたと記憶している。


こちらの建物の石段を下りたところには石組の池がある!?井戸から引いているのだろうか。
観賞用の池には見えないので防火用水だったのだろうな。


賢治の祖父にあたる宮澤善治氏は岩手軽便鉄道の設立や花巻温泉の開発などにも関わった人。
宮澤家は花巻の近代化・インフラ事業の経営に参画し、現在までずっと地域経済をけん引してきた名家である。
はじまりの地に今も宮澤商店の小さな事務所があり古い蔵などがそのまま残っているのは、宮沢賢治のゆかりと
いうだけでなく、花巻のまちの歴史をたずねるスポットとしても興味深い。

遅くまで案内ありがとうございました~~

楽しかった岩手旅、これにて終了。

おわり。
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岩手旅 花巻の建物めぐり

2021-04-27 23:40:43 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

台温泉に泊まった翌日大沢温泉に行く前に花巻のまちをうろついた。

花巻ではこの建物を是非見たいと思っていた。「黒ぶだう ベチュラ公爵別荘」(旧菊池邸)。
まちの中心部から見ると端の方にあったが、車を停めるところがないのでビジターセンターのあたりで
車を停め、10分ほど歩いて見に来た。


おぉ~~素敵な洋館だなぁ!黒っぽい色に塗られた下見板張りの壁、半切妻屋根の建物の少し右寄りに
マンサード型の破風の玄関があり、その上に2階が載っている。その横には小さな三角のドーマーウィンドウ。




この建物、斜めから見るとまた見え方が面白い。側面にも入口があって、半切妻破風から緑色の鉄板葺きの
入口のひさしが突き出している。そして反対側も全く同じように入口がついている。正面側の玄関と大して
違わない大きさなので、3世帯住宅にでもなりそうだ(笑)


この建物は菊池捍という人の住まいだったが、宮沢賢治の童話「黒ぶだう」に出てくる「ベチュラ公爵の別荘」
のモデルとされている。赤狐と子牛が留守宅に忍び込んで皿の上の黒ぶどうを食べてしまうという話。
旧菊池邸は花巻生まれの宮沢賢治にゆかりの深い建物として、心ある人々により買い取られ、2013年に
改修工事が施された。訪れたときは門が閉まっていたし、公開されているような雰囲気もなかったが、
レストランやカフェなど誰でも入れるような施設として活用されればよいなぁ~~


花巻のまちをうろうろ歩くと他にも気になる建物がちらほら。
こちらの古い和風建築は園芸屋さんとして使われていたので、ちょっとおじゃまして建物を眺める。


1階も2階も庭側全面パテ止めのガラス窓が連続し、温室みたいだ!
タダモノではない感じで、建物の内部を見てみたいが、お店になっているのは庭だけのようだった。


こちらは住宅街の中にあった建物だが、敷地の角から見た左右対称の玄関が印象的。なんとなく医院っぽいな。


右側には和館が連続していて、こちらが住まいなのだろう。
外に出ておられた近所のおっちゃんにちょっと尋ねてみるとやはりここは医院だったようだ。
元は藤井医院、その後はたふく医院と変わり、空き家になっていたが戦争で焼けなかった、と。
なので戦前の築であることは確かなようだ。


この辺の建物なんかも実は古そうだ。


真ん中あたりにこんな古めかしい「今文第二大町荘」の看板が掲げられた入口があるのだ。
まぁでも右文字だから戦後の建物かな。


平入の町家の側面に見える妻壁はこんな梯子を重ねたような規則正しいタテヨコの材で装飾されている。


門の奥にチラッと見えたこんなドーム屋根のお寺を発見。気になって門をくぐってみた。


中央に塔がそびえるドーム型の屋根はインド風なのか!?どう見ても普通のお寺じゃない(笑)。
松庵寺というこのお寺、いわれも何もよくわからなかったのだが、浄土宗のお寺のサイトに少し書かれていた。
こちら
昔は真言宗の寺であったが、念仏庵になった、と。高村光太郎のゆかりのお寺でもあるらしい。


建物は戦後の築に見えるが、年代や設計者など全く不明。


花巻駅の方へちょっと歩いてこれを見に来た。「高源」という看板が掲げられた古い蔵のような建物は何と、
高源精麦株式会社の現役の事務所である。


モルタル塗りの蔵っぽい建物だけど、妻壁の三本ラインや軒下の平行四辺形の模様など・・・モダン。
のぼりが立っているということはここでは小売りもしているのかな!?


商店街のアーケードの後ろに石蔵が。


戻ってきて歩いていると、古い木造の建物が並んでいる一角が。何これ??


洋館付き(?)の大きなお屋敷もあるな!玄関の欄間の彫刻など、割と新しいけどかなり手が混んでいる。


なんだか不思議な雰囲気の通り。
道端に「岩手軽便鉄道鳥谷ヶ崎駅跡」という石標が立っていた。
岩手軽便鉄道は花巻電鉄とは逆方向、花巻駅の東側に伸びていた私設の鉄道で、1913(大正2)年に
最初の区間が開業。宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモデルになったと言われる。鳥谷ヶ崎停留所は
花巻駅を出てすぐのところで、開業2年後の1915(大正4)年に設置された。


岩手軽便鉄道は1936(昭和11)年に国有化され、国鉄釜石線(現JR釜石線)となった。
その後改軌とあわせてルートの変更工事が行われたため、現在の釜石線とはルートが違っている。
鳥谷ヶ崎駅はこのとき廃止された区間にあったので、1943(昭和18)年、切替と同時に役目を終えた。
これらの建物が戦前からのものかどうかは分からないが、ここに列車が走っていた情景を思い浮かべるのに
十分な雰囲気を残した一角だ。


続く
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岩手旅 大沢温泉の迷路宿

2021-04-23 22:07:27 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

台温泉に泊まった翌日は、花巻のまちをうろつき、そのあと大沢温泉へ立ち寄り湯に行ってきた。夕方はまた
タイムリミットまで花巻歩きの続きをしたので、花巻のことはまとめて書くことにして、先に大沢温泉を。

大沢温泉は宮田珠己さんの四次元温泉日記の本に載っていた「O温泉」であり、迷路宿好きの私としてはいつか
行きたいとずっと機会をうかがっていたのだった。


道路から敷地に入ると下り坂で、豊沢川の谷に向かって降りていく。
おぉ・・・見下ろす屋根は鉄板葺きになっているが古めかしい建物が残っているなぁ!渡り廊下が左側の棟
にも続いていて、そちらは斜面の上の方まで廊下が伸びている。ははぁ、あっちの方が複雑そうだ(笑)


「大沢温泉」というのは温泉地の名前であると同時に宿の名前でもある。自炊部「湯治屋」と旅館部
「山水閣」に分かれており、昔ながらの長期湯治客と快適な滞在を望む旅行者、両方のニーズに対応できる
宿となっている。


さぁ入ろう。あぁガラスに書かれた筆文字に気分が高まるねぇ~~
長い歴史のある温泉で、約1200年前の延歴年間に征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際に毒矢を受けて負傷したが
ここの湯に浸かるとほどなく傷が癒えたという伝説がある。宮沢賢治や高村光太郎らも通ったという。


中へ入ると昔の木造の学校のような素朴なつくりで、天井の低い帳場みたいな部屋に土産物を売っていた。


お風呂は左手の廊下を奥へ行った先にあるらしい。やった~奥まで入れる!入浴後に館内を見学してもよいか
尋ねたら快い返事を頂けた。そして川の向こうに茅葺の建物があって、橋を渡って行けるが今は閉めている
との話だった。


サンダルに履き替えて橋の手前までは行けますよと言うのでちょっと見に行ってみた。
橋は途中でカクンと曲がった「曲がり橋」。茅葺の建物は「菊水館」といい元は客室として使っていたが、
現在はギャラリーとなっているらしい。たまたま閉めていたのか、不定期営業なのか。。


温泉はモザイクタイルを貼りつめたレトロなタイル浴槽で、ぬるめのお湯にゆるゆる浸かってリラ~ックス!
大沢温泉にはかつて花巻電鉄の駅があった。花巻電鉄鉛(なまり)線は、花巻市街から西鉛温泉まで走っていた軌道線。
以前藤三旅館に泊まったときに見た馬づら電車もそこを走っていた車両だ。
かつては沿線に鉱山があり貨物輸送もしていたとか。
近隣の温泉地を数珠繋ぎにしていたので温泉巡りに便利だっただろうが、1969(昭和44)年に廃止。
今は車がないと行きにくいな。。


お風呂から上がってちょっと館内を散策しよう~~


廊下を進んでいくといくつもの棟が繋がっている。
小さな食堂があった。社員食堂とか昔の学食のような飾らない食堂。湯治屋のお客専用の食事処かな。
まさか旅館部のお客の食事をここで提供しているわけではないだろう(笑)


その手前に2階の客室へ上る大きな階段がある。


この「ピンポン ゲートボール ごらく場」と書かれた看板がどうしても気になるよね~


二階へ上ってきたら、階段はさらに奥へと続いている。


ここが新館とは!本館は寛政年間からのものというから、これでも新しいのだろう。


湯治用客室の中を覗いたわけではないが、廊下も明るくて開放的で十分快適そうだ。
以前泊まった有名な玉川温泉の湯治部の部屋はキツかったけど、、、


さて奥へ続く階段を上がったところに大きな部屋があった。覗くと、確かに卓球台が並んでいてステージもある。
ゲートボールがあったかどうかは不明・・・(苦笑)。でも使われてなさそうな雰囲気だったな。。


この部屋の前から下を見下ろすと客室のあった「新館」と奥の浴室などが一望できた。
この部屋が斜面の一番高いところにあるのだ。


ごらく室の内部はベニヤっぽい板が貼られサッシも新しくなっているようだったが、廊下の床は古い。
それぞれの棟がいつ建てられたものかは分からないが、黒く光る艶が年代を感じさせる。


最後に売店で「ヨーグルトにかけるお醤油」というのを買ってみた。
ちなみに帰ってから食べてみたら、甘みのある醤油?醤油風味の蜜かな?アイスクリームにも合いそうだ。


お湯もよかったし、面白かった~!




大沢温泉を出てから帰るまでまだ時間があるのでどうしようか・・・遠野まで足をのばそうか、などと
考えながら車を走らせ、途中にある旧小原家住宅に立ち寄る。
寒い気候のため家畜小屋を人間の住む棟と繋げてひとつ屋根をかけた、「南部曲り家」というこの地方独特の
農家型民家である。上から見ると屋根がL字型をしている。


残念ながらまだ冬季のため開いておらず内部は見ることができなかった。
本によると、元は別の場所にあったが町に譲渡されたときに似た環境のこの場所に移築された。
そして、18世紀中ごろに建てられた当初はL字型をしておらず四角い建物だったが、あとから手前の馬屋の
部分が増築されて曲がり家になったのだとか。へぇ~!


小さな水車小屋もあった。


おや、外構に青石が使われているな。しかもかなり鮮やかな黄緑色が入っている。青石の三波川変成帯が
岩手まで続いていたのか!?


ん?これは蛇紋岩じゃないの?
そういえば岩手銀行赤れんが館で話を聞いていたときに、蛇紋岩は近くの早池峰(はやちね)山で採れると
言われていた。こんな民家の外構に蛇紋岩が使われているなんて初めて見たな!!


その山は蛇紋岩でできているというから、このあたりでは本当にありふれた材料だったのだろう。
う~ん面白い!


付近にフキノトウがたくさん生えていたので少しだけ摘んで帰る(笑)。
あぁしかし遠野まではちょっと遠い。行ったらトンボ返りになってしまうな。。。飛行機の時間に遅れるのは
怖いし、無理せず花巻へ戻ってお茶でもするか。

続く。
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岩手旅 台温泉の旅館

2021-04-21 00:42:21 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。



盛岡市内から台温泉にわざわざやってきたのは、古い木造4階建の中嶋旅館を見てみたかったからだ。
・・・とは言っても私が今宵泊まる宿はそこではなく、ずっと安い旅館なのだが(苦笑)。
こういう宿は一人泊はもったいないし、そもそもシングルプランがなかったのだったと思う。

荷物を置いたら夕食までの間にちょっと散歩にでかけよう。


台温泉は陸上競技場のトラックのような長円形の道路に沿って温泉旅館が建ち並ぶちょっと不思議な形をしていて、
地図で見て気になっていた。
実は宿に入る前に長円形の道を車でぐるっと一周してみようと思ったのだが、温泉街が途切れると急に道が
細くなって殺伐としてきたので、心細くなって引き返したのだった(苦笑)。意外とこの長円形は大きいのだ。


木造の古い旅館が並ぶまちなみは雰囲気があるが、実際はバスターミナルに近いあたりではお客がいるが
少し上っていくと廃業済みのような旅館が目に付きちょっと寂しいな。。。


こちらの「楽知館」も閉まっている。


かわいい形の窓。
台温泉は600年前に発見された古湯で(坂上田村麻呂伝説では1200年前)、南部藩の中で最初に
開けた温泉地だという。かつては置屋があり芸妓もいて花街としても有名だったらしい。まぁ温泉地なら
だいたいどこでもあったのだろうが。


丘のふもとに温泉神社があったが、寄り道している時間はない。
というのは、例の中嶋旅館へ立ち寄り湯に行くのだ。もう夕方なので急いで行かないと。。。


おぉ、あれだ。傾斜地に建っているので奥の棟は4階となっている。


他の旅館と違って、道路に面してはいるが町家形式ではなく、大きな入母屋破風の玄関が道路に張り出し、
両脇には短いながら塀があったり、前栽が造られているなど、お屋敷型である。


道路から少しセットバックして三階建の客室が、ひと部屋ごと雁行するように建っている。
縦に長いので本当に地面からそびえ立っているように感じるな!
昭和初期の築で宮大工により造られたという。美しく反った入母屋屋根が重なる。




立ち寄り湯はぎりぎり駆け込みだったけど入れてもらえた。


階段を下っていくのが、地底へ降りていく感じでぞくぞくするね~~
大理石風呂は暗くてすごく熱くて、ミストサウナのように湿度が高く、上がってもずっと汗が止まらない(苦笑)


手洗い場には昭和レトロな雰囲気が残っていた。玉石タイルとひび割れした竹のようなタイル。




もうお客が入っている時間帯だし勝手にうろうろするわけにもいかないので、玄関から浴室の間だけしか
見れなかったけど、客室には手の込んだ意匠もあるらしく、いつかは泊まりに来たいなぁ。


向かいの旅館の壁にあったモザイク壁画。何か昔話があるのかなぁ。


続く
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岩手旅 キャンパスの建物たち

2021-04-20 22:18:33 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

広々した岩手大学のキャンパスの中に、美しい姿の木造建築が2つ並んで建っている。
大きい方は、元盛岡高等農林学校の本館だった建物。
岩手大学は、盛岡師範学校、盛岡高等農林学校、岩手県立実業補習学校教員養成所、盛岡高等工業学校が
統合されて1949(昭和24)年に設置された。


竣工は1912(大正元)年だがほぼ明治建築と言える。修復はされているものの建築当時の姿をよくとどめて
いることから、重要文化財に指定されている。1階に事務室、校長室、会議室、2階には大講堂があった。


現在は岩手大学農学部附属農業教育資料館として公開されているが、まだ冬期だったからか開いていなかった。


窓から中を覗くのみ。。。


床下の通気口のグリルがまたいい!農林学校らしい「鋤」を象ったデザインだな。基壇部のレンガも滑らかで
覆輪目地で丁寧に仕上げてあるのがやはり国立の教育施設らしい。


側面。


そして隣に建つ少し小さめの建物は、同窓会が1928(昭和3)年に盛岡高等農林学校創立25周年
記念事業として建てた同窓会事務室である。


農学部創立百周年を機に全面改修され「百年記念館」と名付けられた。現在も農学部同窓会「北水会」の
事務室として使用されている。


ゆったりとした北国のキャンパスの一角にこういう建物が静かに残っていて、100年の歴史を語り継いで
いるのは、岩手大学の同窓生にとって本当に誇らしくうれしいことだろう。
大学は古い建物を大事にしてほしいなぁ。


おや、あの守衛室らしき小さな建物も古そうだな。近寄ってみると、「門番所」との説明板が。
1903(明治36)年築。へぇ~これも重要文化財だとか!
八角形の小屋の後ろに四角い部屋がくっついた、前方後円墳のような形の建物である。赤い屋根がかわいい。


盛岡高等農林学校当時、ここが正門だったのだ。
建物をぐるっとひと回りしてみる。後ろや横、どこから見てもカワイイ!
後方の矩形の部分にはドアや出窓がついていて小さな家のようだ。休憩室だったのだろう。


床下の通気口も三角形でおしゃれ~~


閉まっていたのでガラス窓に顔をつけて中を覗いてみると、八角形の部分は土間で、何と真ん中に
囲炉裏があるじゃないの!?縦長窓の並ぶ洋室の中に、暖炉じゃなく囲炉裏って!!
・・・確かにこの薄い壁の小さな部屋は寒いだろう。囲炉裏があれば温まりそうだ。


そして後ろの部屋との間が障子戸で仕切られているとは、これまた驚いた!
いやぁ~、小さな建物だがとても特徴的で面白い建物だった。


続く
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