まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

白山陶器の塀と波佐見の近代建築

2019-02-20 00:44:47 | 建物・まちなみ
志田からの続き。

また嬉野温泉方面へ向かって走っていると、大きな三角の妻壁が見えてきた。おっ、いい感じのまちなみだな、
停まれるところがあったらちょっと立ち寄ってみようか。しかし広い駐車場は見当たらず狭い道で後ろに車が
連なっている状況では立ち止まって考える余裕もない。
あれよあれよという間に遠く過ぎ去り、嬉野温泉の入口まで来てしまったのでもう諦める。思えばあそこが
塩田津だったんだな。あー、しまった。。。しかし嬉野で温泉に浸かっている時間もないな。先へ急ごう。

車ってついつい欲張りすぎのプランを立ててしまうのと、列車と違って時刻表に縛られることがないので、朝は何だかんだで
出発が遅れるわ、それぞれの場所もついつい長居してしまうわで、かえってズルズル押してしまうことになる。イカンなぁ(汗)。

さて目指すは波佐見のまち。ここも焼き物の産地で、有田などよりも庶民的な磁器製食器を大量に作ってきたが
近年ハイセンスな製品で注目されている。前回有田へ行った時に入手した波佐見のおしゃれなガイド小冊子を
ずっと持っていて、今回は車だし是非行こうと思っていた。


おっ、あれはなんだ!?変わった壁に目を奪われた!うまい具合に駐車場もあったので車を停め、近寄ってみる。
あぁここは白山陶器の本社だ。白山陶器は波佐見を代表する有名メーカー。北欧スタイルにも通じるシンプルかつ
温かみのある器が人気。
その壁に、何やら直径20cmほどの円盤状のものが貼りつけられている。何だこれは!?
縁にぐるりと模様があるのでソーサーかと思ったが中央に凹みはない。これはタイルなのか?


裏側へ回ると、いろんな模様の丸い陶板がずらりと並んでいる。うわぁ~
土曜日なので工場はお休みだったが、塀は敷地内の奥まで続いていた。


ひとつひとつがとってもカワイイ!


そして事務所の入口にはこんな、器などがモザイクのように埋め込まれた壁が。器の断面の形を見せてあったりして面白いなぁ!


敷地奥にある建物の青い壁、あれもタイルだろう。なんか遠目でもいい感じにゆらいで見える。


あとから写真を拡大してみたら、こんな可愛いタイルのようだ。これも白山陶器製なのかな!?

平日なら声をかけて敷地内に入らせてもらいたかったが、、、もちろんショールームも見たかった。

さてそこから少し行くとやきもの公園があって、大きな駐車場があったので車を置いてぶらぶら歩くことにした。
お昼ごはんもこのあたりで食べようと一応お店をチェックして来たので、そこへ向かって歩いていると、
うおっ!目の前に突如近代建築が現れた!


実に堂々たる木造の洋風建築。これはチェックしていなかった(汗)
1937(昭和12)年に建てられた波佐見尋常高等小学校講堂兼公会堂。木造洋館としては九州最大級だとか。
こんな大物がこんな山間部にあったとは、やはり焼き物生産地として栄えていた証だろう。
1995(平成7)年に波佐見町立中央小学校が新築移転するまで長らく地域の人々に親しまれた。


窓の割付のデザインが素敵。外に気が散らないようにだろうか、一番下の段だけすりガラスが使われている。


中を覗くと中央の大空間の脇に教会堂の側廊のような空間が付属する。白木の天井は和室の棹縁天井を思わせる。
照明の周りは八角形のデザインで凝っているなぁ!

あぁ、見つけられてよかったぁ~

そしてその向かいには、、、広い駐車場があり、これまでの道のりからは信じられないくらいの数の車が!?
さらにその向こうの駐車場もぎっしり!?何だこれは!人が向かう方を見やると、古い工場があるだけ。
とにかく行ってみよう。

おや!?見かけは古い家だが、中はお店になっているようだな。
そしてここがランチどころとしてチェックしていた、モンネ・ルギ・ムックというカフェだった。


そこは単体のお店ではなく、古い焼き物の工場をリノベーションした複合施設の一角らしい。


敷地内にはたくさんの古い建物があり、そのいずれも、おしゃれなディスプレイが入口周りに溢れ出していて、
若い夫婦やカップル、こだわりのありそうな大人たちが詰めかけていた。山あいに突如として現れたパラダイス!?
お昼どきで目当てのカフェはいっぱいだったが、取り急ぎリストに名前を書き、順番を待つ間に他のお店を見に行こう。


敷地内には工場のオーナー宅だろう立派な邸宅もあって、庭園が広がっていた。
ここも内部を見てみたいが・・・公開していないようだ。今も住まわれているのかな。


こちら側の入口は店か事務所だったような感じ。


ギャラリーを少し見たところで連絡が入ったのでカフェに戻り、とりあえず腹ごしらえを。
メインセットを頼んだら、これがすごく充実!!この前菜盛り合わせだけでもごはんになりそうじゃない!?


メインディッシュは白身魚のフライ。あの冷凍の「白身魚フライ」などとは全く別モノ(比べるのも失礼)で
衣はサクッと軽くて中はジューシー。アサリのスープにちょいと浸しながら食べるともう絶品。
お好みでつけてくださいと前菜のお皿にちょんと置かれたアーリオオーリオソースがもう魔法のように美味しく、
作り方を聞いてしまった(爆)


もちろん白ご飯とドリンクまでついて、確か1600円ぐらいだった・・・人気のスポットなのにリーズナブル!
店員さんたちは超忙しそうだったがストーブの置かれた室内は温かな雰囲気で、これはお客が押し寄せるのも分かるな。


あぁ今日のランチは大正解だった。


続く。
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志田の蔵と志田焼資料館

2019-02-19 00:24:04 | 建物・まちなみ
志田焼の里博物館からの続き。

博物館
の受付で、この施設について簡単に書かれたパンフレットなどはないですか?と聞いたら、
おばちゃんちょっとあたふたした感じで、本しかないんです、と。この下に資料館があるのでそちらに何か
あるかもしれません、と言うので行ってみることに。
さっき車から見えた三連(四連か!?)の木造の蔵が道路ぎわにどかんと建っており、向かいには民家の形をした
志田焼資料館がある。この国道498号線は長崎街道とか。




かなり大きな蔵。というか、倉庫。先にこちらへ入ってみよう。


中は現在販売所になっているのだが、意外と天井が低い。それは内部が二層になっているからで、まるで天井裏のような
2階には火鉢がぎっしりと詰め込まれているのが隙間から見える。


現在は展示的に置いてあるのだろうが、当時は出荷前の製品がこの倉庫にあふれんばかりに詰まっていたのだな。


隣の棟には当時製造していた火鉢や花瓶などの展示もあった。見たことのないようなモダンな柄のものもあり、
時代に合ったものを作ろうとしていたことがうかがえる。ただ火鉢という装置自体が現代の家に合わなくなっていたのだ。



デッドストック品のいくらかは販売もされていた。レトロ風インテリアにどう?お値段は結構したが・・・(汗)



次に向かいの資料館に行ってみる。


ここはさっき見た志田焼の里博物館になっている工場をもともと運営していた、志田陶磁器株式会社の事務所であり、
この建物は何と旧武雄警察署の部材の払い下げを受けて大正時代に建てられたものなのだとか。




玄関から上がっておっちゃんの案内について1階のギャラリーを抜け、階段を上り鍵を開けてさらに上へ。
えー、資料館ってこんな奥にあるの(苦笑)
明かりをつけてくれて中に入ると、鍋島藩の許可証や、主に藩時代の古い製品がケースの中に展示されていた。


案内してくれた方によると、志田では18世紀初頭から焼き物が作られ、18世紀中頃~1900年の間に
磁器生産が始まった。美術品ではなく大衆向けの器、とりわけ皿が大量に製造されてきた。
一般に古伊万里と呼ばれるものの中には志田で作られたものもあるという。この地方の焼き物は皆伊万里の港から
出荷されたため伊万里焼と呼ばれ、有田駅から出荷されるようになると有田焼と呼ばれた。
しかし有田や伊万里の問屋が安値で買い叩くので、自分たちの製品を自分たちで売るため、1909(明治42)年に
地元有力者の出資によりこの志田陶磁器株式会社が設立された。大正時代には近隣の窯を吸収して自前の工場での
製造も始める。昭和30~40年代頃まではフル稼働していたが、昭和59年に全ての製造を終了した。
現在この会社では製造はしておらず卸売業のみだそう。
最晩年は自社製品の販売による売り上げは5%にも満たなかったというが、従業員が年金をもらえるようになるまでと、
細々と製造を続けたのだとか。何と優しい会社。。。

そして玄関脇にある階段から、主屋の2階にある座敷も見せてもらった。


ここには、東海道五十三次をモチーフにした直径45cmの大皿がずらりと展示されており、圧巻!


これはそれほど古いものではないらしいが名工の作で、バラバラでは出回っているが全て揃っているのが価値があるという。


階段が広く、料亭の宴会場のようだな。


近くにあったタイル文字が書かれた看板建築(?)。ここ、ねじねじサインが出ているから現役の理容室なの!?
どこが店なんだろう・・・




志田をあとにして走り出したとき、すごく立派な茅葺き民家が目に入った。スト~~ップ!!
引き返して近寄り眺めると、この地方独特の屋根の形で、ほんとに美しい。


これは上から見るとコの字型になったくど作りで、コの字の背の部分が正面側になっていると思われる。


これはさっき志田焼資料館の廊下の窓から見えた民家。裏側に2つの棟が並んでいる。
くど造りは2つの棟が正面側に来ているところもあるのかもしれないが、結構このような台形のフォルムの方がよく見かける。


庭に人がいたら声をかけたかったが、わざわざピンポンしに行くのはちょっとためらわれて・・・遠巻きに眺めるのみ。

あぁ、こういう地方色豊かな風景の中を旅するのはほんとに楽しいなぁ!

続く
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志田焼の里博物館 その2

2019-02-18 01:09:03 | 建物・まちなみ
志田焼の里博物館の続き。

さてこちらの建物は何かな・・・


中へ入ってびっくり。窯がある!!建物の中に!?


本物の窯だ。1000度以上の温度で焚く窯を木造の建物の中にすっぽり入れてしまって大丈夫なの!?
登り窯など上屋が差しかけられたものはあるが、こんなふうに四方を壁で囲まれた窯って見たことあったっけ??
見上げるとキングポストトラスの小屋組。棟と平行方向にもキングポストトラスが見える。
棟の部分が熱を逃がすための越屋根になっていて、切妻屋根自体も一段高くなっており、すきまには格子が。
そのまわりに入母屋造りのように四方へ屋根がかかった構造。風通しはよさそうだが・・・


これは1954(昭和29)年頃に築かれた、単窯。当初石炭窯だったが後に重油窯に改造され、送風管と燃料管が
めぐらされている。佐賀県地方では、大正初め頃に、薪を燃料とする登り窯から石炭を燃料とする単窯に代わっていったとか。
月に1回火入れをし、4~8日かけて花瓶や徳利などを焼成した。温度は陶器よりも高めの1300度。
火入れしているときは窯の外側もかなり熱くなるんじゃないのかなぁ。


周りには窯道具が整然と積み上げられている。


窯の壁はかなりの厚み。1m以上、120cmほどあるかな。これだけ厚いと中の温度は外まで伝わらないのだろうか。


うわぁ・・・内部の壁は自然の釉薬成分がこびりついていて積まれたトンバイが見えない。チョコクリームを
塗ったよう。
窯の中は場所により温度差があり、異なる釉薬のものを適した場所に詰めたとか。






窯の中に置いたゼーゲルコーンと呼ばれる温度計を見るための小さな窓が開けられていた。




この建物の中にはもうひとつ、1975(昭和50)年頃に築かれた重油窯もあり、計2つの窯が納まっている。


窯の建屋から連続した作業場。


使い込まれた道具の数々の美しいこと。。。


志田焼についての説明もあった。志田焼は鍋島本藩領の東山と鍋島支藩の蓮池領の西山の2ヶ所のエリアで作られた焼き物。
有田や伊万里の名で出回っているものもあり、名前が隠れてしまっているが、縁取りがなく一枚のお皿いっぱいに
絵が描かれていることが特徴だとか。


その後ろにもうひとつ、1958(昭和33)年ごろに築かれた石炭大窯が格納された建物があった。
大型火鉢を焼成するために作られたもので、現在残っている石炭窯では日本最大級だそう。


このような大型の窯での窯詰め作業は重労働で、作業が終わると4kgほど体重が落ちたと言う話も。


建物の一角に分解した機械の部材が積み上げられていた。陶土工場を増築しようという計画があり近隣から
中古部材を購入したが、実現することなく工場が閉鎖された。


この工場は昭和59年まで稼動していたと言うが、実際は晩年は従業員の雇用継続を目的とした細々とした
製造であったらしい。


ガス窯の置かれた建物。ここは今でも使える近代的な設備。


絵付場、施釉場。大きな火鉢に均一に釉薬を掛けるのは難しそう。
このあたりの建物は、現在陶芸体験の施設としても使われている。


あぁ、天草陶石から製品の焼成まで、各工程を通して見てきた。新しく作られた建物はひとつもなく、この広大な敷地に
工場まるごとそのまま残っているのが産業遺産としてすごいよね!建物も面白く見どころがいっぱいでとても充実していた。
ゆっくり見て回って写真もたくさん撮ったが、その間に他のお客は2組ぐらい見かけただけ。ここは平成8年から
博物館として公開されているらしいが、これまで聞いたことなかった。もっと注目を浴びてもいい施設なのでは!?


武雄温泉や嬉野温泉のついでだけでなく、わざわざ行く価値があると思う。是非行ってみて!


続く。
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志田焼の里博物館 その1

2019-02-17 01:49:58 | 建物・まちなみ
武雄温泉からの続き。

楼門亭で泊まった翌日は早めに出発しようと思っていたのだが、朝から鷺の湯に入ってマッタリしてしまったため
今日も予定をまっとうできるか心配・・・(苦笑)。
今日はまず、嬉野温泉の近くの塩田津というところに行ってみよう。そのあと嬉野温泉で温泉に入ろうか・・・
そう考えて走っていると、道路沿いに「志田の蔵」という大きな木造の建物が現れ、「志田焼の里博物館」という案内が。
昨日の夜宿で地図で見ていたときに気にはなっていたのだが、、、ふと立ち寄ってみようと思い立った。


駐車場に入ると停まっている車は2台だけ。閉まっている?不安になって車の中で検索して確かめる(苦笑)。
ちょっと曇っていた空からポツポツ雨も降ってきたので急いで受付へ向かい、300円の入場料を払って中へ。
オープン時間直後のようで私が今日最初の客だ。


志田焼という磁器の焼き物を作っていた工場が丸ごと博物館になっている。1914(大正3)年から
何と1984(昭和59)年まで、実際に使われていた施設だ。
これが思いのほか面白くて充実していて、どっぷりと滞在してしまったのである(笑)


見学はまず、天草陶石を砕く施設から始まる。
分業体制を取る焼き物産地が多い中、この工場では何と原料を自前の船で買い付けるところから行っていた。
塩田津に荷揚げした天草陶石を馬車や牛車でここへ運び込み、粉砕する。


暗い木造の作業場に入ると人感センサーがあり自動放送の説明が流れるようになっていた。


太い梁の和小屋。古めかしい装置。ギミック好きの私は萌える~~


粉にした原料土は水簸という工程を経てきめの細かい陶土にし、圧力をかけて水分を抜く。
ここは半屋外の空間。冬は寒そうだなぁ!




釉薬調合場、石膏型成形場、、、まるで昨日まで作業をしていたかのような、そのままの状態だ。
そこここに説明書きがあり焼き物をつくる工程がよく分かる。


幕末から昭和の初め頃まで使われていた素焼き製の型。きのこのよう。大正年間には石膏型による成形技術が
ヨーロッパから持ち込まれ、鋳込み成形など複雑な形状が容易に作れるようになり大量生産につながる。




こちらはボシ成形場。ボシとは一般に匣鉢と呼ばれる窯道具で、製品を中に入れて焼くための耐火性の容器。
エンゴロ、さやとも呼ばれる。窯道具も自前なのか。


藁混じりの素朴な土壁。腰壁にはトンバイが積み上げられていた。




そしてその横には、さっきの陶石を砕く装置と同じものがあった。「ボシ再生スタンパー」。ははぁ、この装置は
スタンパーと言うのか。説明書きによると、割れたボシを粉砕したものがシャモットで、再利用されるのだとか。
へぇ~~!使えなくなった窯道具は窯垣や通路の敷石などに使うしかないのかと思っていた。まぁ、使用済みの窯道具は
大量に出るので、シャモットとして焼き物の原料に再利用されるのはごくわずかだったのだろう。


ところで建物の入口や通路などに敷かれているレンガには刻印がいっぱい。これが実にいろんな銘柄があるのだ。
一瞬、これはコレクターの放出品か!?と思ったほど(笑)
「SHINAGAWA」「TOBATA」「ニッサン」「OSAKATAIKA」「H.KATO」「WAKE」「K.HIROSE」「YAMASAN」
「MARUTA MITSUISHI」などの屋号、「YFI」「KTR」「MK」「WTK」などの略称、アルファベットと数字、
丸や三角などの記号、各社のマーク、JISマーク・・・さながら耐火煉瓦の博物館だ!!

壊した窯で使われていたものの再利用だろうが、耐火煉瓦はいろんなところから集められていたのだなぁ!

続く。
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武雄温泉の有田焼タイル

2019-02-16 14:47:04 | 建物・まちなみ
大川からの続き。



時間が迫る中、佐賀でひとつふたつでも建物を見ようかとちょっと立ち寄ってみたのだが、
市内中心部にさしかかったあたりからなぜか車が進まない。あれ、佐賀ってそんな観光地だったっけ?
首尾よく車を駐車場に停められたので、歴史民俗博物館になっている旧古賀銀行を見にいくと、何かすごい人!?
何でも「肥前さが幕末維新博覧会」というイベントを去年の3月からやっていて、この週末が最終の週末なので
駆け込みのお客が詰めかけていたのだ(行ったのは1/12)。そういうことだったのか。


前回はお城の西側をちょろっと見て回っただけで、このあたりは全く見ていない。
柳町と呼ばれているこのあたりは古い建物が数多く残り、この博覧会の中心的な会場となっている。
明治維新の立役者、薩長土肥の4藩のうち、「肥」が肥前、つまり佐賀のことだったとは、今ようやく気がついた(爆)

これは見出すと深みにはまってしまいそうだ・・・時間もないし、ここは思い切って端折ることにしよう。
また空いている時期にゆっくり佐賀に泊まって見て回る方がいいな。
・・・というわけで、佐賀からまた車を飛ばし高速に乗って武雄温泉へ。

武雄温泉の元湯がお気に入り。そして今回は武雄温泉新館の特別貸切湯のタイルを見たい!!
というわけで元湯や新館と同じ敷地内にある旅館「楼門亭」で泊まることにしていた。
特別貸切湯ののタイルは以前は見ることができたが、今は一般公開していないという。それを特別に
見せてもらうアポイントを取っていたので、どうしても遅れるわけにはいかなかったのだ。


案内してもらった特別貸切湯は新館の裏手の屋外にあり、厳重に蓋をしてある。以前はハッチから汚れたアクリル板
越しには見ることができた記憶があるのだが、今はそのハッチにも蓋がしてあった。
鍵を開けてもらい覗き込むと・・・うぉ~~う!!


こじんまりした浴槽の底の部分に、有田焼のタイルが敷き詰められていた!
草花が描かれた八角形のタイルに上品な青色の正方形タイルを組み合わせてある。描かれた草花は皆違っていて
博物画のようにリアル。肌理の細かい磁器ならではの細く緻密な線は生き生きとして、一枚一枚が名品の絵画だ。
これらの草花は、洗い場側から見たときに正対するように描かれている。


しかし・・・やはり雨水が入り込むのか、かなり汚れているのだけが残念。。。クモの抜け殻も(汗)
あぁ~~ハッチの中へ入り込んですみずみまできれいに拭いてあげたい・・・美しさがよみがえるだろうに。


まわりの白無地タイルも有田焼ということだったが、磁器には見えないなぁ。
貫入だらけでカビが入り込み黒ずんでいる。。。もはや白タイルとは思えないようなものも(汗)。
なぜ浴槽の壁のタイルがこんなに傷むのか・・・底のタイルよりもひどく?

洗い場には台北故事館のトイレに貼られているものと同じ、グリーンのマジョリカタイルが敷き詰められている。
台北故事館のものは英国製だが、これもそうだろうか。


何とも贅沢なこのお風呂は、1926(大正15)年の「陸軍特別大演習」のときに大正天皇がお見えになると
いうことで特別に作られたが、結果的には使われなかったという。そのままお蔵入りとは何とももったいないなぁ(汗)


洗い場側から浴槽を見たときには見えない位置に、「陶磁器美術品 製造販売業 辻製造所」の銘が入っている。
辻製造所は有田の老舗で宮内庁御用達の窯元。現在も「辻精磁社」として営業を続けられている。→辻精磁社の公式サイト


特別貸切湯にももちろん元は上屋があったのだが、平成10年の台風か集中豪雨で被災し、撤去したそう。
何とか上屋を整備して、誰でも見られるように公開してほしいなぁ。


そして前も見たけど五銭湯と十銭湯も見ておこう。浴槽底のマジョリカタイルが見事だなぁ。


お風呂の底にこういうタイルを使うとは・・・今では思いつかない使い道。




ところで、展示資料によると、上々湯というところにもマジョリカタイルがあったそうだ。




それはどこにあるのか??と探すと、建物の一番端に3つの小部屋があった。戸を少し開けて覗くと
一人用の小さな木製浴槽があった。壁も床もきれいに復旧されている。この下にタイルがあったんだろうか。


楼門亭は1階の一番手前の部屋は少し和風の面白い意匠があるようだが、それ以外の部屋はただの古い旅館(苦笑)。
元湯や鷺の湯のゆっくり何度でも入れるのはうれしいね!


近くの居酒屋でひとりごはん。地鶏の肝刺し~~♪タタキ~~♪


食後は酔い覚ましがてら夜歩き(笑)。道端にあったこんな地図を眺めていたら・・・うわ、これ手描きやん!?


すご~~~い!!この知られざる大作に光を!!(笑)




続く
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