まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

須崎の建物めぐり

2021-08-02 23:11:23 | 建物・まちなみ
高知の続き。

佐川から須崎へ移動。お目当てはこちら、黒壁の塗家造りの三浦商店(三浦邸)。総二階建てなうえに豪壮な
軒蛇腹が1階、2階とダブルでせり出す。この存在感は半端でなく、威圧感すら感じる。


三浦商店は和紙の原料や製品を商い朝鮮半島とも交易していたという有力商店であった。
角地に建つ店舗の2方向への入口が人の出入りの多さを思わせ、商売の繁盛ぶりが想像される。


現在はギャラリーになっていて、このときもアートイベントをやっていた。
壁は真っ白に塗られアート作品が展示されていたので、当時の雰囲気はあまり感じられなかったが、天井は格天井。


ここから廊下で奥の主屋へとつながっているらしい。主屋へはここからは入れず、ぐるっと回って外から入る。


塗家造りの店舗に接して築地塀が伸びており、薬医門がある。こちらが主屋の入口である。


建物との間には小さな前栽があり、須崎市のキャラクター「しんじょう君」のマンホール蓋が飾ってあった(笑)
須崎市の新荘川が、絶滅種となったニホンカワウソの最後の生息地(目撃地)だったことから生まれたカワウソの
キャラクター。ゆるキャラとか興味ない私だが、いたずらっ子そうな表情がカワイくてなんか微笑んでしまう(笑)


こちらが主屋の玄関。結構あっさりしているな。この建物は大正時代中期ごろの建築。ものものしい式台付き玄関
などはなく軽やかなつくりの玄関はモダンな時代の雰囲気を漂わせる。


中に入るとやはりあちこち意匠を凝らした上質なお座敷である。
ここでもアートの展示をやっていたが、作品は空中に吊るされているので、建物を見るのにはありがたい(笑)。
また作品自体も、ここが紙問屋だったことにちなんでいるような作品で、この空間に合っている感じでなかなかよかった。


やはりここでも欄間の彫り物の立派さが目につく。






おや、これは象じゃないの!?


象だよ!?珍しいなぁ!しかもちゃんと象らしい体つき(笑)。この頃ではもう象の姿も世間一般に知られていたのだろう。




巨大な金庫。どれほど儲かっていたのか・・・




どこを見ても土佐の良質な木材がふんだんに使われていることが分かる。
深い軒に覆われた裏庭側の濡れ縁もまた、分厚い一枚板だ。こんなところにまで・・・林業が盛んなところには、
素晴らしい邸宅があるのだ。


三浦商店を出てぶらぶら歩いていると、近くに木造旅館もあった。


ガラス戸に「吉村旅館」の金泥の文字が。


ガラス越しに覗いてみると、ちゃんとしつらえがなされている。今も現役の旅館らしい。


玄関はモザイクタイル敷だ。これはなかなか良さそうだなぁ~~


間口は狭いが建物は奥にも続いていて結構広そうだ。次回来るときは泊まってみようか。。。


駐車場の近くにこんな小さな洋風の建物もあった。他にもいろいろありそうな雰囲気の須崎のまちだった。


続く。
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司牡丹の酒蔵建築

2021-07-30 23:11:40 | 建物・まちなみ
高知の続き。

佐川の古いまちなみエリアをぐるっとめぐると、司牡丹酒造関係の建物が半分ぐらいを占めている。半分は言い過ぎか(笑)
とにかく旧浜口家住宅から東側はほぼ司牡丹である。


佐川はもともと清廉な水に恵まれた地であったところに、1600(慶長5)年、山内一豊に伴って入国した家老深尾氏が
佐川1万石の領主となったとき、美濃から酒造りの職人を連れてきたことで、酒造業が発達したという。
のちに、いくつかあった酒造家が合併して司牡丹酒造となった。
天保時代に建築された1号庫をはじめ、2号庫から5号庫まである蔵造りの建物は、明治以前のものというが
建築年代は不明。


この長さ80mもある迫力ある蔵が1号庫。さっき模型展でも見た建物だ。すごいな!!今も現役の酒蔵なのだ。


こちらは現在焼酎蔵としてつかわれている建物。1号庫以外はどれが何号庫か正直よくわからない(苦笑)


こちらの司牡丹のアンテナショップ「酒ギャラリー」は、浜口家から譲り受け料亭「ほてい」としていた建物。


日本植物学の父、牧野富太郎博士の生家ももと酒造家であり、その建物も司牡丹の一部となっている。
(どの建物か不明)


道を挟んで両側に蔵や工場や事務所があり、可動式の雨よけが設けられている。もう全体が司牡丹村(笑)
右奥の下見板張りの建物は昭和初期頃のものだろうか。これもなかなか素敵だ。








いろんな時代の建物が混じっているがいずれも現役なのがいい。会社の発展の歴史を物語る建物たちである。


こちらは竹村家住宅。
「黒金屋(くろがねや)」という酒造家で、司牡丹の前身であった。主屋、店舗部が1780(安永9)年頃、
座敷部は1838(天保9)年頃に改築されたとか。建てられたのはもっと古いわけだ。
領主に謁見が許される「お目見え町人」であった竹村家では上客を迎えるための上質な座敷を備えており、
土佐地方特有の様式で建てられた建物は重要文化財に指定されている。


内部は見学できなかったが、リーフレットの写真を見ると、やはり一刀彫の欄間や花頭窓のような付書院など、
今回あちこちで見たお屋敷と共通する。これがやはり土佐様式なのだな。


続く。
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佐川の建物めぐり

2021-07-28 23:05:59 | 建物・まちなみ
高知の続き。

※タイトル間違い・・・訂正しました。
※旧浜口家住宅はまちの駅ではなく観光協会でした・・・訂正しました(汗)

いったん四国のど真ん中の本山町まで上ってきていたが再び南下、佐川町上町地区にやって来た。
ここは土佐筆頭家老、深尾家の城下町であったところで、商家や酒蔵など近世~近代のまちなみが残っている。
中心にあるのはこちらの旧浜口家住宅。


元酒屋だった建物は見学もでき、物販コーナーで買ったおやつを座敷でイートインもできる。




外観は長屋門のように見えるが、土間に面して部屋が並ぶ町家である。太い大黒柱!


そして変わっているのは、天井や壁に網代が貼られているのだ。


ん~~こんなの見たことない。


奥には庭に面した座敷がある。ここでちょっと一休み。。。




旧浜口家住宅の向かいにあるのが、深尾茂澄が創設した家塾、名教館の玄関だった建物で、天保元年に建てられ、
後年佐川小学校に移築されていたが、平成26年に現在地に再移築された。


そして旧浜口家住宅の隣にあるインパクトある木造の洋館は、旧須崎警察署佐川分署。1886(明治19)年の築で、
高知県下最古の木造洋館だそうだ。桟瓦葺、何層も重なった軒蛇腹や、丸みを帯びたペディメントなど
和風の味が加わった建物は擬洋風建築の一種と言えるだろう。


見上げると軒蛇腹の美しさが際立つ。
警察署が新庁舎へ移ったあと、1930(昭和5)年に払い下げられ、私設図書館として使用され、川田文庫、青山文庫と
名を変えたが、現在は「佐川文庫庫舎」という名になっているようだ。


ポーチの敷石が正方形の四半貼りでなくひし形の石になっているのは、やはり寺院の入口っぽくなるのを避けようと
いう、洋風への努力なのだろう。


こちらも2010(平成22)年の再移築なので中はきれいになっている。がらんとしているが、警察署時代の展示物も少しあった。




これは番傘!?木製の警察署のマークだ。デカイ!!ペディメントの中央に取り付けられていたのだろう。


階段があり2階へも上れる。急勾配の階段だが、美しいおさまりの手すり子。




2階はさらにがらーんとしているが(苦笑)、澄宮(三笠宮)様がご来町時に休憩所としてこの会堂を使用されたとか。
階段の横には分署長室と電話室の二つの小部屋がある。


玄関真上のベランダにでることができた。ベランダから眺められるのは、司牡丹酒造の平成蔵。
この建物には特に趣はないが、現役の酒造メーカーである司牡丹の各建物は佐川のまちなみの中で大きな部分を占め、
重要な景観の要素となっている。その中で各時代の建物のひとつとして、こういうのもあっていい。


佐川文庫を出て、ランチをやっているところがないかと佐川地場産センターへ来てみたら、模型展をやっていた。
作者の方は佐川の建物を趣味で片っ端からミニチュアで制作されている。それが本当のまちなみよろしく、広い室内に
ぎっしりと並べられていた。


うわぁ、すごい蔵だ!これは司牡丹の蔵で実物は長さ80mもある。
つくりは多少粗いが、まるまる佐川のまちなみを再現できるほどたくさんの建物の模型があり、いやはやすごい迫力だった。


外側の壁に青い釉薬のタイルが。これは海をイメージしているのだろう。そして白いのは、島かな??

結局ここの併設レストランは営業しておらず、ランチにはありつけなかった。。。

続く。
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高知屋旅館に泊まる2

2021-07-21 23:04:07 | 建物・まちなみ
高知の続き。



高知屋の2階には、大広間の他に4部屋続きの座敷もあった。


ここは端の部屋と中庭側にしか窓がなく眺望はイマイチだが、各部屋の境にある欄間が全部違うデザインの
透かし彫りで、見ごたえがある。


名所の風景や松竹梅などのおめでたいモチーフ。







床の間も小さいながら変化をつけてある


オウム柄の壷。かわいい~~


おや、このちんくぐり、見たことあるぞ。安田町の旧柏原邸で見たのと同じじゃないか!?
安田町とはずいぶん離れているが、やはり時代は昭和初期と同じ頃であり、廊下側の欄間には組子の障子が
使われているのも共通する。職人はあっちこっちへ出かけては邸宅や旅館を手掛けていたのだろうか。
それともこういうパーツは既製品として売られていたのだろうか。


夜の高知屋もまた風情があっていい。


さて、翌朝出発前に付近をちょっとうろついてみると、元郵便局か?と思しき建物があった。


壁は錆びたトタン板張りだが、横に回るとミントグリーンのペンキ塗りの下見板が残っていた。


そして美しい石積み!


チェックアウトしてから、すぐ近くにある旧本山簡易裁判所を見に行く。細長い縦長の窓が並び直線的なフォルムが印象的。
1952(昭和27)年完成。あぁ、戦後建築なのか。1987(昭和62)年まで簡易裁判所として使われた。
現在この建物は、本山町出身の作家、大原富枝の作品などを展示し顕彰する「大原富枝文学館」となっている。
私はその名を知らなかったのだが(汗)、『婉という女』などの代表作があり、各種資料が展示されている。


上空から見るとコの字型をしており、裏に向かって2つの棟が突き出している形。
あの1階の足元から2階の天井近くまで貫いた細長い窓は、階段室だった。明るく開放的だな!


当時全国に建てられた簡易裁判所の基本パターンを踏襲しているといい、確かに、画像検索すると出てくる
旧牛窓簡易裁判所など、そっくりだ。
文学館にするときにだいぶ改修工事が施されたと見え、内部はかなりきれいになっていたが、大原富枝の書斎を
再現したこの部屋はなかなか雰囲気がある。






この山間の小さなまちでいきなり目の前に現れて、はっとさせられた瀟洒な建物だった。
田舎だがしっかり運営されている施設という印象。うまく活用されて建物も幸せだな!


続く。
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高知屋旅館に泊まる

2021-07-20 22:32:41 | 建物・まちなみ
高知の続き。


土佐山田を出て、まるでもう高知を脱出するかのように、ぐんぐん北へ走る。
今宵の宿、高知屋旅館は四国山地のど真ん中にあった。すぐそばを蛇行する吉野川の少し上流には早明浦ダムがある。
渇水のニュースでよくその名を聞く「四国の水がめ」であり、そしてあの吉野川の上流だったのかとちょっと驚く。


この本山町というところは、古くは官道であり参勤交代道でもあった土佐北街道の宿場町だったのだろう。
外観はまったく和風の木造旅館である。


入口のポーチと玄関の床が無釉の八角形タイル貼り。壁の立ち上がりにはストレートエッジの白無地タイルも貼られている。
1931(昭和6)年築なら、建築当初からのものだろう。


さて上がってみると・・・


おぉ~~~!?中央に大きな中庭があって、建物が四方を取り囲んでいる。そしてその一辺が、洋館なのだ!!


中央に三角の破風があり、おでこにはエンブレムが。その下に「T」の字のような形の飾りがついている。
それらは窓枠と共にかすかな緑色に塗られていて上品な佇まいを見せている。




中庭に面して和館の入口があり、中庭の植栽はまるで玄関のアプローチのようにも見える。中庭は直接外へ通じて
いないのに、不思議な造りだな。ん、それとも洋館の1階が外に通じていたのか?
洋館の1階は今は洗濯場になっていた。


洋館と和館は互いにめり込むように完全に一体化している。中はどうなっているのだろう。わくわく!


宿のご主人に案内されて私たちの部屋へ。洋館かな~!?
一応洋館の一部と思われる建物の角の部屋で、親戚の家にでも泊まりに来たような(笑)ベッドのある普通の洋室だった。


興味津々の洋館部分ももちろん見せてもらったら、廊下の窓だけ洋風で、内部はなんと純和室だった。えぇ~、そうなの!?
意外でびっくり。




他に泊まっている人はいないようで貸切状態。。


客室はすべて2階にあり、1階は宿の方の生活空間のようだ。




ところで私がいたく気に入ったのがこれ。共同トイレの前の廊下の窓の外に、手洗いがある。
昔うちの実家にあったのと同じ、TOTO製の小さくて丸っこい手洗いシンクが、外壁に直接取り付けられているのだ。
古い和風邸宅などのトイレでは水洗でなく手水鉢が庭に置いてあるのが元の姿であるが、あとから水道を引いて手洗いを
増設してあることも多い。もと戸袋だったところを改造して手洗いを作ってあったりするのもちょくちょく見かける。


ガラッと窓を開けて覗いてみると、、、ストーーーーン!!(笑)一直線!!
うひゃひゃ~~~これは面白い!!


通常は臭いが上がってこないように排水管の途中にS字型のトラップがあるものだが、もう潔いほどストレート!!
地上のマスがトラップになっているのだろう。
古い建物の苦心の作なのだろうと想像するが、何ともユーモラスな姿じゃない!?(笑)


さてここから対岸に当たる棟を見に行こう。さっきと同じような階段があって、1階は食事部屋、2階は大広間である。


おぉ、立派な大広間!


中庭と表側と両方に欄干付きの縁があって、広さは50畳ぐらいあるだろうか。
しかし今は長らく使っていないような雰囲気。。。




書院には鳳凰の透かし彫りが。


あぁ、ここにも雲形?唐草?の漆塗りの枠がついているな。奈半利の濱田典弥家住宅ではこの隅に色ガラスがはまっていた。
こういうスタイルは四国の邸宅ではよく見られるんだろうか。




続く。
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