まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

八丈島 橘丸物語り

2022-08-02 21:09:15 | 川・橋・船

八丈島の続き。

リゾートホテルのようなコテージで2泊して風土を楽しみ、温泉も、郷土料理も堪能した八丈島。東京へ帰る船は(いや、八丈島も東京都だが・・・)なぜか夜行でなく昼行便だ。1隻の船で回しているから、朝着いた船がそのまま戻るということなのだろう。それに何の設備もない埠頭に何時間もとどまっているのは無駄というものだ。

来るときは嵐、滞在中も晴れたり雨が降ったりと不安定な天候で、帰りの船が目の前の底土港から出られるかどうか朝になるまでわからない。宿の人に聞くと、旧八重根港発ということになったら朝車で送ってくれるというのでひと安心。

果たして、、、やっぱり旧八重根港だった。車で約15分、視界が開けると何もない埠頭に黄色い船が停泊しているのが見えた。

港のそばには岩と護岸に囲まれた旧八重根海水浴場がある。海水浴場と言っても遠浅の砂浜ではなく、深さ数メートルありそうな紺碧のプール。元は船着き場だったのではないだろうか。真冬のこんな曇った天気だとここで泳ぐなんてちょっと恐ろしくて考えられないが、晴れた夏日なら気持ちよいのだろうな。

ようやく乗船開始。雨がまたパラパラしてきたので急いで船へ向かおう。

タラップで直接乗り込むのが好きだな!船が身近に感じられる。

かすむ八丈富士。八丈島とお別れ。

海も結構荒れているので離岸したら早々に船内へ入る。。

行きしなは荒天のためスキップした御蔵島にも、帰りはちゃんと寄港した。港の背後がもういきなり断崖絶壁。。。本当に人が住んでいるのだろうか??と思ってしまう、見るからに過酷な自然環境だ。。

それでも昔からずっとこの島に住み続けている人々がいるのだ。

八丈島から御蔵島まで約3時間、さらに約1時間で三宅島に到着。御蔵島に比べると「まち」だなと思える。結構乗降客もいる。ここからだと竹芝まで6時間。うーん、これならバスで名古屋から東京へ行くのと同じぐらいか!?(笑)しかし台風や荒天になると船が出ず閉じ込められるわけで・・・島暮らしというのはちょっとあこがれるが、やっぱり私には無理かな(汗)

 

ところでこの船は「3代目」橘丸で(2代目という説も)、インパクトあるカラーリングは柳原良平氏のデザインである。ラウンジの壁に貼ってあった「柳原良平・西村慶明 ”橘丸”物語り」がとても面白かった。「私にとって船は鋼鉄の乗り物ではなく人である。友達である。ひとりひとりの船には人生があり、一生がある。・・・・」から始まる文章と、まんが形式で描かれた2代目橘丸の「一生」。柳原氏が少年時代から憧れ親しんできた2代目橘丸の引退に際して「橘丸に見せるために」描かれたという、愛情あふれる本。

鉄道から感情移入できる列車がなくなって、個々に顔があり愛着を持てるような乗り物はもう船のみだと常々思っている私だが、本当に、これを読んだら「船は人で、人生がある」と思えてくる。

東京湾汽船では伊豆大島の観光開発のために大型客船の就航を計画し、三菱神戸造船所の設計による当時斬新な流線形の船を建造。昭和10年進水、華々しくデビュー!速くてカッコイイ橘丸は多くの話題を集め大人気となった。

しかし、支那事変が起こり戦時に突入すると、改装され呉鎮守府所管の海軍特設病院船となる。揚子江で爆撃を受けて損傷、沈没の恐れがあったため座礁させられたあと、引き揚げられ復旧。その後はチャーター便として上海~南京~漢口航路に。大島航路の船が1隻座礁沈没したため橘丸は呼び戻され再び大島航路に就いたが、昭和16年、太平洋戦争がはじまるとまた陸軍に徴用。巡洋船が爆撃され沈没するのを横目に命からがら逃げ帰ったり、病院船なのに軍の命令で兵員や兵器を運んだり、国際法違反で拿捕されアメリカに取り上げられそうになったりと、戦争に翻弄された橘丸だが、何とか持ちこたえ、戦後再び客船へと大改装が施されて大島航路に復帰、東海汽船のフラッグシップとして活躍した。

同僚の船が世代交代していき、後継となるさるびあ丸が進水すると、橘丸の引退が決定、翌年1973(昭和48)年1月に最後の航海を行った後スクラップとなった。波乱万丈の人生。30ページのこのまんがを読み終えると、本当に橘丸が友達と思えてきた。

なお、現在の3代目橘丸は2014(平成26)年就航。活躍して先代に負けない伝説の船になるといいね!

レインボーブリッジが見えてくると10時間の長い船旅も終わりだ。ようやく東京へ戻ってきた。

冬なのでもう真っ暗だが8時前。行きも帰りも荒天の中走ってくれた橘丸、お疲れさま!ありがとう!

隣に並んでいたさるびあ丸。ほんとそっくりだけど、こうやって見るとさるびあ丸の方が客室が多いことが分かる。こちらは東京五輪のマークでも有名な野老朝雄氏のデザイン。2020年の新造船なのでこのデザインなのだな!

伊豆諸島の他の島にもまた行ってみたい。

 

おわり。

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八丈島 高倉と旧八丈支庁

2022-07-31 20:53:24 | 建物・まちなみ

八丈島の続き。

 

ここが玉石垣で有名な大里集落。本当にこれまでに見たお屋敷の石垣などよりもさらに高く、長く続く見事な石垣だ!!

こういう石垣が集落じゅうの道路わきを飾っているのだ。何と美しい集落なのだろうか!

角は切り石を積んで強度を確保。やはり腕の良い石工の仕事だな。

さっきお昼をたべたあとに、まちなかの東京都八丈支庁の建物内にある歴史民俗資料館に立ち寄ったらとても面白かった。そこには近藤富蔵コーナーもあり詳しく説明されていた。徳川家譜代の旗本で蝦夷・千島の探検をした近藤重蔵の長男。隣家の7人を殺傷した罪で流罪となり、こちらに来てからは悔い改め、仏像を彫ったり石垣を構築、夜学の開設など、八丈島に多大な貢献をしたという。

八丈島の流刑の始まりについても解説があり、それは1606(慶長11)年に宇喜多秀家からはじまった。豊臣家の五大老で備前の領主であった宇喜多秀家は関ケ原の戦いに敗れ八丈島へ流された。近世の伊豆諸島流人の最初の人であり「八丈島流人の祖」と言われるのは少々気の毒な肩書だが・・・まぁ贅沢な暮らしではないものののんびりと過ごしたようだ。流罪生活は50年間にも及び、八丈島で没した。1871(明治4)年までの265年間に付き人も含め約1900人が入島した。罪人は明治維新後全員が赦免されたが島に残る者もいたようだ。

実は歴史民俗資料館でお話を聞いていたとき、古い伝統的な高倉が昔の民俗資料館の場所に移築されて残っているということだったのだが、その場所がどうもよく分からない。地図にも載っていなくて、人に聞きながらうろうろしていると、なんかすごい建物を見つけた。

これはどう見ても民俗資料館ではなく個人邸なのだが、あの変わった建物は高倉じゃないの!?住人の方がいたらちょっと写真を撮らせてもらいたいと思って玄関まで行ったのだが誰も出て来ない。近くで見ると、1.5mぐらいの高床でハシゴが立てかけてある。柱は丸い石の上に直接載っているし、屋根と上の壁はトタンが張られているものの1階部分は全面縦板張りで横材で押さえてある。これは本当に伝統的な高倉だろう。こんなのが村の中に残っているとは!貴重だから保存してあるというのでもない。床下には雑多なものが置かれ、日常的にハシゴで上り下りしているふうに見える。バリバリ現役なのだ!いや~、感激。

 

旧歴史民俗資料館を探してうろうろしながら、優婆夷(うばい)宝明神社にも行ってみる。ここには「キリシタン灯篭」がある。

こちらがそのキリシタン灯篭で、足の部分が十字形になっている。とは言っても、キリスト教信仰とは関係がなく、戦国時代のキリシタン大名だった古田織部が始めた形式の灯篭なのだとか。これは仙次郎という石工が作ったもので、彼は腕の良い江戸の石工だったが喧嘩の罪でここへ流されてきたという。

そしてこちらの本殿を見て驚いた!!何と石積の建物で、しかもそれが赤い溶岩の切石積みなのだ。手前の拝殿は木造で本殿のみが石造なのは、台風などの気候に耐えシロアリに食われないよう頑丈に造ったのか、石という素材自体に信仰的な意味があるのか、、、ちょっとよく分からないが、、、

基壇も石積みで、赤い石で白っぽい石を囲んだモザイクのような意匠になっている。こんなの見たことない!白っぽい石は安山岩だろうか、両者は明らかに違った質の石だ。その上の柵も石で造られていた。何と美しい神社の本殿なのだろうか!いや~~興奮。

 

そしてようやくたどり着けた旧歴史民俗資料館。ここはもともと東京都八丈支庁だった建物で、この島でたぶん唯一の洋風近代建築だろう。

 

 

1939(昭和14)年に庁舎新築、1971(昭和46)年に庁舎移転。資料館は1975( 昭和50)年に開館、2018(平成30)年で閉館、建て替えられた支庁舎展示ホール内に移転して再オープンしている。

「東京都八丈支庁」「八丈島歴史民俗資料館」二つの看板が今も玄関に残る。

下見板張り、石積み基礎の上に隙間を開けて木造の建物が載った平屋建。棟はH形で結構大きい。現在は閉め切られ何も使われていないようだし、特に保護もされていないように見える。

そしてその前庭に、聞いていた通り高床の倉がふたつあった。大きい方は6本脚、小さいほうは4本脚で、茅葺屋根。江戸末期頃に建てられたものを平成20年に移築した。高倉はもっと大きい12本脚のものもあるとか。

造りはやはりさっき見た高倉と同じで、壁は縦板張り、はしごをかけた入口部分は縁側のようになっている。

 

これは小さいほうの倉についていた、自然の曲がった木を利用した足掛けで「ノブ段」と呼ばれる。

この高倉は穀物貯蔵庫として使用されていたもので、「ノブ段」はネズミ対策であり、脚にはネズミ返しもあった。床下は物置や作業場として使われた。

美しい高倉や貴重な旧支庁舎。現在の資料館の場所には持って行くことはできないのだから、この場所ももう少し整備して分かりやすく名前をつけて観光スポットとして案内すればよいのにな。こここそ「ふるさと村」とすればどう!?

 

さぁそろそろレンタカーを返す時間だ。まちへ戻りレンタカー屋へ向かっていたとき、何度か通りかかって気になっていたこちらの天照皇大神宮に最後行ってみようと思いついた。

上り始めると、玉石の石段が延々続く・・・・

 

上り切ったところにコンクリートの貯水槽のようなものがあったが、、、まさかここへ上るための石段ではあるまいな(苦笑)。鳥居があったし・・・

さらに行くと、うわぁ・・・・なんと美しい。圧倒される玉石づくしのアプローチに対して、お社は小さなものだった。この玉石積みも含めて信仰の場所なのだろうと思えた。見に来てよかった。

なお、秋には天照皇大神宮祭という大きなお祭りが二日間にわたって開かれ山鉾巡行などもあるらしい。

続く

 

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八丈富士と美しい石垣

2022-07-29 23:25:54 | 風景

八丈島の続き。



次の日は車で八丈富士の方へ行ってみる。八丈富士は8合目ぐらいの登山口まで車で上ることができるので、そこから頂上のお鉢までなら結構近いのかと思ったら、やっぱり本格的な登山で1時間、そしてお鉢を1周するのに1時間、お鉢の縁は亀裂や穴が多いとか書いてある・・・それに山の天候はコロコロ変わるらしいので、素人は無理しないでおこうと。。。

宿の人に聞いたら、八丈富士はだいたい山頂に雲がかかっていて、全く雲がかからず全体が見えるときはなかなかないとの話だったが、今はとってもきれいに見えている!テンション上がってごきげんドライブ(笑)

 

登山口のある中腹の一周道路を車でぐるっと回る。ここからの眺めは最高!ちょうど島のくびれの両側を一望することができるのだ。奥に見えるのが三原山。

 

ふれあい牧場に立ち寄る。ちょっとした観光施設なのかと思いきや、入場料もないしお店も何もなく、牛がのんびり草を食んでいるだけ。ふふふ。

かわいい~~

 

今朝は旧八重根港に停泊していた橘丸が、竹芝へ向けて出発するのが見えた。伊豆大島と同じく、天候によって発着港を変えることがあるらしい。

車で八丈一周道路を走ってるとそこここにあるきれいな石垣に目を惹かれる。昨日の三原山方面でしょっちゅう見かけた玉石積みの石垣は三原山側では全く見かけず、代わりにこういった真っ黒でぶつぶつ穴の開いた、いかにも溶岩な石、スコリアが積まれている。

 

八丈富士は1万年前に形成され、最後の噴火があったのは江戸時代。比較的新しい火山であり、きれいな円錐形をしていて玄武岩が多い。対して三原山は同じ頃にできたものの火山活動はそれほど活発ではなかったようで、早くから人が住み、ジャングルのような森や川があり湿気が多いのだとか。産出する石は安山岩で、波に洗われた玉石が海辺にごろごろと打ち寄せる。八丈島は異なる地質の2つの山がくっついてできているのだ。

海辺へ降りてみると、粘度の高い溶岩流が水際まで広がってきて固まったのがよくわかる。

向こうにみえるのは「八丈小島」。

うぉ~~~っ!備長炭のようだな・・・

 

こういう溶岩の石が八丈富士全体を覆っているのだろう。それを切り出して積んだのがさっきのような石垣だ。

 

中央部の低地に戻り、少しだけ三原山方面へ行ったところにある、大里の「玉石垣」などのスポットを見に行こう。

「ふるさと村」というところに車を停める。ここは「村」というから建物がたくさんあるのかと思えば1棟しかない。ここも台風で被害に遭い建て直したのだそうで、それほど古いものではないらしい。昨日見た古民家喫茶の建物と同じような、外側に濡れ縁が回り角部分に板壁があるつくりの民家だ。規模は小さめ。

庭には玉石で組んだ石垣が残っていた。説明板には、母屋の他に高倉、牛舎、便所など一式揃っていて貴重だと書かれていたが、台風で倒壊してしまったのだろうか。

 

車を置いて大里の「玉石垣」を見に行こう。

美しい石垣が連なる小径を散策するのは楽しい。玉石だけでなく、いろんな石がいろんな積み方をされていて、写真を撮ってばかりでなかなか進まない。

自然石の野面積み。苔むしてかなり古そうだな。

少し大きさを整えた石を谷積みしてある。

草が目地になっているような石垣。

これは坂の途中にあったお墓。立派な切り石積みの基壇に、透かし積みの柵というか擁壁というか、が載っている。

切石の布積み。

八丈富士の方でしょっちゅう見かけた真っ黒なスコリアはやっぱり全然と言うほど見かけない。

 

続く

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八丈島 洞輪沢温泉へ

2022-07-27 23:36:43 | 温泉・お風呂屋

八丈島の続き。

午後は中之郷から末吉まで移動、海辺にある洞輪沢温泉まで行ってみる。これまで走っていた道路はかなり高い所にあり、一気に海辺へ降りるのだ。愛媛県の佐田岬半島の青石垣めぐりを思い出す。あのときはほぼ初めてレンタカーを一人で借りて10年ぶりぐらいにガッツリ運転したのだったが、岬の中央を走るメロディーラインから各港へ降りる急坂がヘアピンカーブの連続でガードレールもなく路面には小石が散乱しているような道で命からがらだった。。。その時から比べると私も運転が上達したものだ(笑)

この通り、海辺は断崖絶壁。港を見下ろすと、自然の入江を利用して断崖の一部を削り取り港が作られていることがよくわかる。小さな港だが温泉施設があり、サーフポイントがこの先にあるのでサーファーも利用するようだ。さっきの裏見ヶ滝温泉をはじめ八丈島にはいくつか温泉があるが、その中でももっともひなびた風情に惹かれやって来た。右奥の白い建物が温泉。

 

これよこれ!見るからに巨大な溶岩の岩盤をスパッと切ったような断面。

 

温泉の横に車を停めて少し先の方へ歩いて行ってみると、なるほど、うちよせる波が一直線にチューブ状に巻いているな。サーフィンはやったことないけど一度やってみたかったなぁ。ダイビングももう忘れた。。。

 

さて、こちらが洞輪沢温泉。何と無料なのである!漁師さんが仕事を終えてひとっ風呂浴びて帰るのだろう、飾り気ゼロなのがジモ泉っぽくていいねぇ~

脱衣所もシンプル。

 

無料だけど脱衣所にカウンターがぶら下げてあって、利用者は自分でカチッと1回押すしくみ。今日で7人は入りに来ているということだ。

 

源泉は41.1度という適温。シャンプーや石鹸は使用禁止。排水は海に直結しているだろうからね。。。床や壁が黒いのは汚れているのではなく成分のせい。いいお湯でした!

上がって外へ出ると、車で来た客が入って行った。温泉好きには人気があるようだ。

港へ下ってくる途中にある「みはらし温泉」も気になったのだが、今入ったところだからな・・・またにしよう。

そして来た道を戻り中之郷で「古民家喫茶中之郷」へ行ってみると、、、あぁここも休業中だ。残念。。。石垣の門構えはとても美しく、かなり裕福な人の邸宅だったのだろうと思わせる。

門は閉ざされていないのでちょっと建物を見に行ってみる。高床で周囲にぐるりと濡れ縁が回った平屋で、いかにも南国の家だ。板戸がぴっちりと立てられて人の気配もしなかった。

軒が深い。コーナー部分だけ濡れ縁の外側にL字型の衝立のような壁が作られているのが特徴的。

建具を開けっぱなしたら風が通って気持ちよさそうだ。あぁここでお茶を飲みたかったなぁ。

 

日が暮れる前に藍ヶ江へ寄って帰ろう。

どこも同じような断崖絶壁なのだが、ここは文字通り藍色に見える美しい海が有名な観光スポット。覗き込むと確かに青い。また足元の岩が流れてきて積み重なった溶岩そのものなのも面白い。

おまけ。今回泊まったリゾートシーピロスの部屋。アジアの島のコテージみたいで快適な部屋。一人じゃもったいないな(笑)。食事も島の食材がふんだんに使われていてボリュームもあっておいしかった!

続く

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八丈島 滝と古民家

2022-07-26 22:39:21 | 建物・まちなみ

八丈島の続き。

車を借りたら早速でかけよう。

八丈島は大きく見るとひょうたんのように中央部がくびれた形をしている。それは三原山と八丈富士という二つの火山がつながってできたからである。まちはそのくびれた低地に広がっていて、北岸にさっきフェリーで着いた底土港、南岸に八重根港、二つの港がある。そしてど真ん中に八丈島空港。ふたつの港の間の距離は6km弱、まぁまぁ広い。

二つの山は、見かけも生い立ちも全く異なっている。地図で見るだけでもそれは一目瞭然。八丈富士の一周道路はきれいな円を描いているのに対し、三原山の一周道路はギザギザ、特に北岸はヘアピンカーブがエンドレスに続いているようで、これを完走する自信は全くない。なので最初から一周するつもりはないが、やはり元気なうちに一番遠いところへ行っておこうと、今日は末吉集落まで行くことに。

三原山も南側の道はなだらかだ。道すがら、「服部屋敷」に立ち寄る。かわいい玉石積みの塀がカギ状に続いており巨大なソテツが茂っている。この奥に古い建物が残っているのか・・・と思いきや、行ってみると割と新しめの建物があるだけ。ん~~~?基壇部が立派な石積みの祠があったので拝んでおく。

 

説明板によると、服部家は下田の出身で、2代目からは官船のうち小舟のお舟預かりを務めて資産を築いたのだとか。

そしてこの石垣は流人近藤富蔵という人が作ったのだという。近藤富蔵って誰?後で調べよう。

八丈島に古い建築物などがないかと一応行く前にチェックしたのだが、あまり出て来ないのは、やはり台風などの被害や多湿な環境のために長持ちしないからだろうか。八丈島と言えば、の黄八丈の工房は休業中だった。オフシーズンだし観光客もまだほとんどいないから仕方ないな。

ということで自然を満喫するべく、硫黄沼・唐滝を目指す。八丈富士登山はかなり本格的な登山らしく早々諦めていたので、小一時間ほどで行けるこのコースぐらいちょっと奮発して(笑)行ってみよう、と。そして唐滝への道は崩れていて通行止めということなので、近い方の硫黄沼だけでちょうどいい。それほど高低差もなく日ごろの運動不足解消にぴったりのハイキング、道に迷うこともなく硫黄沼に到着したが、、、曇っていて硫黄の色は全然見られず、普通の水たまりだった(苦笑)。。。

次は裏見ヶ滝を見に行こう。その名の通り、滝裏へ回れるらしい。

車を停めてジャングルのような森の中を15分ほど、裏見ヶ滝が現れた。おぉ~~~っ、いいねぇ!

森の中の丸く開けたところにオーバーハングした岩から、レースのような水しぶきが広がって落ちる。美しい~~

硫黄沼はちょっと肩すかしを食ったけどこちらは期待通りの素晴らしさで、来た道を戻るのもごきげん。

 

ところで滝へ行くまでの道の脇に玉石を組んだ石段があった。「為朝神社石宮」と書いてある。パラパラっと降ったり止んだりの雨で石はしっとりと濡れて美しい。こんなにつるつるな上に天面が水平でなくかなり傾斜がついているのだから、どう見ても滑るだろ!こわいこわい!!・・・しかしこの美しい石段を上らないと後悔するような気がしたので登ってみた(笑)

 

そしたらやはりこれまた美しい玉石の擁壁に守られた祠があった。確かに「石宮」だ。これは島産の橄欖石玄武岩を使って、流人の石工、仙次郎が作ったものだと書かれていた。八丈島はかつて罪人が島流しされる場所だったが、技術や知識を持った人が島に新たな文化を作っていく一面もあったようだ。

さて、行きはよいよい・・・帰りは座り込みながら何とか滑らず降りることができた。

裏見ヶ滝の向かいには「裏見ヶ滝温泉」というとても雰囲気のある温泉もあって、入りたかったのだが、ここは水着着用でないとだめで、もちろん水着など持ってきていないので断念。。

さてどこかでお昼にしよう。休みのところも多いから電話をかけて確認してから向かう。いそざきえんという食事処はこんな趣のあるところ。あまりにも目立たないので一度通り過ぎてしまった。

 

しかしここが当たりだった!築200年の古民家を移築したという建物はとても落ち着けて、お料理も地産のものでとても美味しかったのだ。

装飾はないが、部屋の中の廊下側の半間分が垂れ壁で区切られているのが特徴的。

黒潮料理、というセットを頼んだら、お刺身、海藻や魚の煮たやつ、明日葉、こんにゃくなど、いかにも島の料理という感じで素朴なおいしさだった。魚の入った味噌汁もついている。

麦の雑炊。もちもちしておいしい。

そしてデザートは何と、モンステラの実だって!?モンステラって観葉植物の鉢植えでよく見かける穴の開いた葉っぱだ。熱帯ではそこらへんに雑草のように生えているが、実って食べられるのか!トウモロコシのように見えるが、まわりの部分はふにょふにょでイチジクのよう、いや、もっと柔らかいな。甘くておいしいが少しえぐみもある。これは熱帯フルーツアレルギーの人はダメなやつだろう。これも八丈島ならではのいい経験だ。

そしてお店に入る前に建物と建物の間から見えて気になっていた、石積みアーチを見せてもらう。総石積みで、コンクリートなどは一切使っていないように見えるが、厚さ3mぐらいあってめちゃくちゃ頑丈そう。尋ねてみると、もとは隣も同じ敷地だったが分けるためにあとから作ったものだそうだ。と言っても100年ぐらいは経っていそうな感じ。。

やっぱりこの吊るしてあるものも気になるよね!大根だそう。面白いなぁ!

 

途中で見かけて急遽車を停めた「大御堂」。ここも玉石積みがきれい!平安時代の地蔵があったり幕末の洋鐘が所蔵されている。そして同じ境内には、この中之郷集落だけで733人もの餓死者を出したという明和の飢饉の「冥福の碑」もあった。断崖が多く過酷な気候の火山の島。離れ孤島での生活は想像を絶する厳しさだったのだろう。。。

続く

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