どんどん感想が書きにくくなっていくな、『龍馬伝』。
たぶん、坂本龍馬(福山雅治)の志が挫折してゆくからなんだと思います。
そもそも「喧嘩はしない」という母ちゃんの“遺言”と、「列強の脅威」に対抗せざるを得ない現実は折り合いがつきません。しかし、黒船は来てしまった。
そこで模索したのが、「喧嘩は寸止め」。
日本海軍を作って、俺を殴ればあんたも痛いよ、と示し、商人のようにしたたかな「いくさ」で世界と対等に勝負するために、父ちゃんの「命を使い倒せ」という“遺言”に副う働きをするぜよ!という流れで合ってますかね?
だとすると、不在だったにせよ、亀山社中から「こういう始末のつけ方」を出してしまった近藤長次郎(大泉洋)の件は、龍馬にとって最大の汚点でした(第34回『侍、長次郎』)。
しかも、きっかけは同志から、侍としての志を云々された身分差別でした。死んでから、侍、とか持ち上げてもダメです。その侍がいかんぜよ、なのです。
で、その旧態依然とした侍の元締め、幕府を「成敗」する気になったようですが・・・日本のために日本人として舞台から降りないために戦場に立つ、という理屈はありなんでしょうか。
龍馬自身は最後まで詰め腹を切らせるような始末を望まないと思いますが、倒幕したら必ずそういう人が出る(侍が負けたらそうなる)ので、これまでのエピソードは、
これだけ志を妨げられたんだから、もう、幕府をやっちゃってもいいよね、
という動機の積み上げに費やされてきたような気がしてきました。土佐勤王党の立場はいったい・・・今さら・・・。
これは、武市半平太(大森南朋)との対立の焼き直しになるな。薩長との確執で。
ちょっと窮屈な「坂本龍馬」に感じられてきたのと、『龍馬伝』の「カッコいい」と自分の「カッコいい」が大きくズレてきたので書きにくい、感想が。
三吉慎蔵(筧利夫)の槍無双(第36回『寺田屋騒動』)がやたらにカッコよかった第3部でした。
第4部は岩崎弥太郎(香川照之)次第だと思います。第3部では「語り」に徹してしまった観がありますが、侍にはできない戦い方をスカっと魅せてくれるのでしょうか。それって、これからの日本に必要なことじゃないですか。そこに龍馬に対する愛憎を交錯させて、なにか、弥太郎しか知らない龍馬の姿、彼だけが受け継いだ「龍馬」を挿入してくれれば、観てよかった、と思える大河ドラマになるでしょう。