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あるフィリピン人の話

2024-06-16 | フィリピンの歴史

とあるフィリピン人の話

戦争犯罪を犯した国が謝罪を拒否したことがありますか?

あるとすれば、どの国ですか?

アメリカです。

どのような罪か?

1899年にフィリピンを侵略し、1946年まで占領したことだ。

そもそもアメリカはフィリピンに関わる筋合いはない。

米西戦争に勝利した後、中国市場への進出を狙い、「戦利品」としてフィリピンを手に入れたから侵略しただけだ。

それでもアメリカは侵略した。そして数百万人が死んだ。

1896年の時点でスペインの国勢調査に登録されていた人口は570万人で、フィリピンの島々に散らばっていた。

そのうち200万人がアメリカの残虐行為によって死んだ。

町や村全体の破壊と虐殺、不衛生な環境を完備した強制収容所、コミュニティ全体を飢えさせるための意図的な

井戸への毒の注入、侵略に対する抵抗力を弱める目的で住民を飢えさせるための農作物の焼却など、数え上げればきりがない。

島々では水責めの拷問さえ導入された。

フィリピン人の死体を見て微笑むGIの姿

フィリピンは3世紀にわたるスペインの支配によって、名目上は文化的に馴染んでいたにもかかわらず、

アメリカ人にはそれがまったく理解できなかった。

アメリカは文字通りフィリピン人を原始人や 人間の存在に値しないものと見ていたのだ。

ニューヨークの人間「動物園」。

 

どちらかといえば、これは明白な大虐殺である。そして今日に至るまで、アメリカの歴史と政府当局は、

フィリピンでの残虐行為を意図的にもみ消し、いかに自分たちが世界に対して真に慈悲深いかを世界に示している。

彼らは謝罪すらせず、何事もなかったかのように罪を逃れてきた。

そもそも帝国になったのはアメリカのせいでもあるのに、なぜ第2次世界大戦での日本のケースを持ち出すのか?

ペリー提督の来航は、日本が帝国拡張の道を突き進むことに拍車をかけた。

ペリー来航がなければ、日本は国際問題から孤立したままだっただろう。

今日の中国のケースを持ち出す人がいるかもしれないが、今日の中国を作ったのもアメリカの責任であることを思い出してほしい。1944年にアメリカ人がフィリピンに戻ったことで、日本は一号作戦を開始した。

この作戦は、国民党を粉砕する一方で、毛沢東の共産党を大陸でより強力なものにした。

また、アメリカの助言者たちも、1945年に蒋介石に対し、共産党への攻撃をやめて選挙を行うよう要請し、共産党が攻撃すると、

国民党への援助を拒否したことを思い出してほしい。

念のため言っておくが、中国は西フィリピン海での領有権を放棄することを拒否している。

つまり、もし国民党が本土を統治していたとしても、同じように西フィリピン海での領有権を放棄することを拒否しただろう。

アメリカ人がフィリピンの国家的存在がアメリカの利益に沿うものでなければならないと、おそらく無意識のうちに考えているため、

アメリカ人がフィリピン人を主権のある存在として見たことがないことを証明するものである。

前大統領がオバマ大統領に浴びせた罵声はじめ、今までの植民地時代の歴史から、フィリピン人の感情は、今回のこのブログに掲載した

フィリピン人の寄稿を翻訳して、頷けるものがある。

この内容は、あるフィリピン人が寄稿したものを翻訳掲載しています。

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