フィリピンりぱぶりっく狂笑国

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フィリピン通貨 黙示録-2

2005-12-02 | Weblog
2ペソ札
表面の肖像 Jose Rizal

12月30日(December 30)
1896年同日スペイン人によって処刑されたフィリピン人英雄ホセ・リザールを記念して道を行進する公休日です。
フィリピンのルソン島ラグナ州カランバで生まれる。マニラのジュスイット・カレッジおよび聖トマス大学に学び、スペインに留学。マドリード中央大学で医学と哲学を専攻して博士号を取得する。帰国してマニラ市で開業。医業に励むかたわら、文学にも造詣が深く、スペイン語で小説『ル・メタンヘル』や『エル・フィリプチリスム』などを発表し、フィリピン独立運動の指導者と目されるようになった。1888年2月日本に亡命。横浜に永住のつもりでいたが、パスポートを所持していなかったため、止むなくアメリカ経由でロンドンに去った。1896年12月30日騒乱罪の罰によりマニラ市内で銃殺された。

現地の裏話:ホセリサールはカトリック教徒が銃殺したとのこと。しかし、カトリック教徒を特定した再に宗教戦争に発展する可能性があり表ざたにしなかったとか。フィリピン人の老人の話から。



MI ULTIMO ADIOS
Por José Rizal (1896)
Adiós, Patria adorada, región del sol querida,
Perla del Mar de oriente, ¡nuestro perdido Edén!
A darte voy alegre la triste mustia vida,
Y fuera más brillante, más fresca, más florida,
También por ti la diera, la diera por tu bien.
En campos de batalla, luchando con delirio
Otros te dan sus vidas sin dudas, sin pesar;
El sitio nada importa, ciprés, laurel o lirio,
Cadalso o campo abierto, combate o cruel martirio,
Lo mismo es si lo piden la Patria y el hogar.
Yo muero cuando veo que el cielo se colora
Y al fin anuncia el día, tras lóbrego capuz;
Si grana necesitas para teñir tu aurora,
Vierte la sangre mía, derrámala en buen hora
Y dórela un reflejo de su naciente luz.
Mis sueños cuando apenas muchacho adolescente,
Mis sueños cuando joven ya lleno de vigor,
Fueron el verte un día, joya del Mar de oriente,
Secos los negros ojos, alta la tersa frente,
Sin ceño, sin arrugas, sin manchas de rubor.
Ensueño de mi vida, mi ardiente vivo anhelo,
¡Salud! te grita el alma que pronto va a partir;
¡Salud! ah, que es hermoso caer por darte vuelo,
Morir por darte vida, morir bajo tu cielo,
Y en tu encantada tierra la Eternidad dormir.
Si sobre mi sepulcro vieres brotar un día
Entre la espesa yerba sencilla, humilde flor,
Acércala a tus labios y besa al alma mía,
Y sienta yo en mi frente, bajo la tumba fría,
De tu ternura el soplo, de tu hálito el calor.
Deja a la luna verme con luz tranquila y suave,
Deja que el alba envíe su resplandor fugaz,
Deja gemir al viento con su murmullo grave,
Y si desciende y posa sobre mi cruz un ave,
Deja que el ave entone su cántico de paz.
Deja que el sol, ardiendo, las lluvias evapore
Y al cielo tomen puras, con mi clamor en pos;
Deja que un ser amigo mi fin temprano llore
Y en las serenas tardes, cuando por mí alguien ore
Ora también, ¡oh, Patria, por mi descanso a Dios!
Ora por todos cuantos murieron sin ventura,
Por cuantos padecieron tormentos sin igual,
Por nuestras pobres madres, que gimen su amargura;
Por huérfanos y viudas, por presos en tortura
Y ora por ti, que veas tu redención final.
Y cuando, en noche oscura, se envuelva el cementerio
Y solos sólo muertos queden velando allí,
No turbes su reposo, no turbes el misterio,
Tal vez acordes oigas de cítara o salterio,
Soy yo, querida Patria, yo que te canto a ti.
Y cuando ya mi tumba de todos olvidada
No tenga cruz ni piedra que marquen su lugar,
Deja que la are el hombre, la esparza con la azada,
Y mis cenizas, antes que vuelvan a la nada,
El polvo de tu alfombra que vayan a formar.
Entonces nada importa me pongas en olvido.
Tu atmósfera, tu espacio, tus valles cruzaré.
Vibrante y limpia nota seré para tu oído,
Aroma, luz, colores, rumor, canto, gemido
Constante repitiendo la esencia de mi fe.
Mi Patria idolatrada, dolor de mis dolores,
Querida Filipinas, oye el postrer adiós.
Ahí te dejo todo, mis padres, mis amores.
Voy donde no hay esclavos, verdugos ni opresores;
Donde la fe no mata, donde el que reina es Dios.
Adiós, padres y hermanos, trozos del alma mía,
Amigos de la infancia, en el perdido hogar;
Dad gracias que descanso del fatigoso día;
Adiós, dulce extranjera, mi amiga, mi alegría,
Adiós, queridos seres. Morir es descansar.

MI ULTIMO ADIOS わが最後の別れ 
永井五洋様の和訳を引用させていただきました。

さようなら、愛する祖国、太陽に愛された地、
東海の真珠、我らが失楽のエデン!
おまえに喜んで捧げよう、この哀しくやつれた命を。
たとえもっと輝かしく、みずみずしく、華やいだ命だったとしても、
やはりおまえに捧げよう、おまえのために捧げよう。
戦場で死にものぐるいで闘い、
ためらいも後悔もなくおまえに命を捧げる人々もいるのだ。
死ぬ場所は関係ない。殉死の糸杉、勝利の月桂樹、敗北の白ゆり、
刑場か荒れ野か、戦場か苦難か、
どれも同じだ。祖国と家族のためなのだから。
わたしは死ぬのだ。この空が色づき、
闇の黒衣をおしやり、ついに一日が始まる時に。
もし、おまえの夜明けを染めるくれないが要るのなら、
日の出のその時わが血を注ぎ、まき散らすがいい。
そしてその清新な光でわたしの血を金色に輝かせてほしい。
一途な少年の日のゆめ、
血潮たぎる青年の日のゆめ、
それはいつの日か、東海の珠玉よ、
おまえの黒い瞳に涙なく、つややかな額は凛として、
表情のくもりも、恥じらうこともない姿を見ることだった。
わが生涯のゆめ、今なお燃え立つ望み、
幸あれ! 去りゆく魂が叫ぶ。
幸あれ! ああなんと素晴らしい。おまえに翼を与えて倒れるのは、
おまえに命を与えて死ぬのは、おまえの空のもと死ぬのは、
そしておまえの麗しの大地でとこしえに眠るのは!
いつの日かわたしの墓のくさむらで
つつましく咲く花を見たら、
おまえの唇に寄せて、わたしの魂に触れてほしい。
それでわたしは額に感じるのだ、冷たい墓石の下で。
おまえの息づかいにやさしさとぬくもりを。
月は静かにやさしくわたしを照らすがいい、
朝日はひとときの輝きを放つがいい、
風は重々しくうなるがいい。
そして一羽の鳥が舞い降りてわが墓標にとまったら、
その鳥はやすらぎの歌をうたうがいい。
太陽は燃えたちて、雨を乾かし、
空に戻すがいい、わたしの叫びをたずさえて。
友がわが早死に泣くのもそっとしておくがいい。
そして静かな夕べ、わたしのために祈る人があれば、
祖国よおまえも祈ってほしい、わが休息を神に。
祖国よ祈りを捧げてほしい。運なく倒れた人々に、
すさまじい暴虐をたえ忍んだ人々に、
悲痛にうめく哀れな母たちに、
親や夫をなくした人々に、拷問に苦しむ囚われ人に。
そしておまえ自身に祈りを。いつの日かおまえが救済されるように。
そして、夜のとばりが墓場をつつむ時、
ただ死者のみがそこで孤独に夜を明かすのだ。
その安らぎを乱さないでほしい、その秘めごとをあばかないでほしい。
竪琴の調べが聞こえてきたら、
それがわたしだ。愛する祖国よ、おまえのために歌うわたしだ。
そしてわたしの墓も人々から忘れ去られ、
十字架も墓石も無くなったら、
そこがすき返され、耕し広げられてもかまわない。
わたしの灰は無に帰するのではなく、
おまえの大地を敷きつめるのだから。
それならもうおまえから忘れられようと構わない。
おまえの大気を、空間を、野山を、わたしは渡り歩こう。
そしてわたしはなろう、みずみずしく清らかな調べに、
香り、光、彩り、そよめき、うたごえ、うなりに。
わたしの信じることを繰り返しながら。
敬愛の祖国よ、わが苦悩の中の苦悩よ。
愛するフィリピナス、最後の別れを聞いてほしい。
おまえにみなを託そう、両親も、愛する人々も。
わたしは行くのだ。奴隷も刑吏も抑圧者もないところへ、
信仰が人を殺さぬところへ、神の統べられるところへ。
さようなら、わたしの家族、いくつもの思い出、
幼き日の友達、もう還らないぬくもりの。
疲れし日のやすらぎに感謝を。
さようなら、いとしい異邦人(ひと)、わが友にしてわが喜びの。
さようなら、大好きな人たち。 死とはやすらぎなのだ。



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2 コメント

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こんなのが日本にも (AC)
2005-12-02 19:40:10
社団法人日本リサール協会



●目的の概要

ホセ・リサールの史実、業績の紹介、日比学術、教育、文化の交流により日比両国の友好親善に寄与すること



●事業

比国文化、日本文化相互の紹介普及機関誌、ニューズレターの刊行

昭和45年設立だそうです。「紹介」って、機関誌とか発行すればいいってものでもないのではないかと。誰に向かって紹介とか普及活動してるんでしょうねえ。





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Unknown (PP)
2005-12-05 16:14:37
投稿有難うございました。

社団法人とは、一定の目的のために結合した人の集団を基礎としてつくられ、公益を目的とするものです。

 例えば、社交的なクラブとか、体育クラブや運動団体などがこのようなものに属します。従って、社団法人には、構成員である社員の存在が不可欠であり、設立に当たってはこれらの社員が定款を定め、最高機関として社員総会をおかなければなりません。

が、社団法人で、中には営利目的の営利社団法人も有るようです。この日本リサール教会外務省主導の社団法人ですが、学識経験者の論場なのか対外フィリピン政策の外交目的なのか良く分かりません。何方か詳しく分かる方がおりましたらご投稿ください。
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